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第7話 可愛いものを守る


 魔獣厩舎は、校舎のさらに奥にあった。

 学園の敷地内ではあるが、人目につきにくい場所に建てられている。


 近づくにつれて、土と藁の匂いが強くなった。

 その中に、わずかに薬草の匂いが混じっている。


 私は腕の中の魔獣を撫でた。

 小さな身体は、まだ少し震えている。


「きゅ……」


 か細い声で鳴いて、魔獣は私の制服に顔を埋めた。

 人間が怖いのだろう。


 それがわかるだけに、腹立たしかった。


「ここだ」


 アルが足を止めた。

 目の前には、石造りの大きな建物があった。


 厩舎という名前ではあるが、普通の馬小屋とは違う。

 壁には魔法陣が刻まれ、扉には頑丈な鍵がかかっている。


 アルが扉に手をかざすと、淡い光が走り、鍵が開いた。


「鍵を開けられるのか?」

「……ルンドホルム公爵家の令息だからな。あと、ここは俺も何度か来たことがある」


 どうやら公爵令息という立場は、こういう時にも役に立つらしい。


 中へ入ると、広い通路が伸びていた。

 右手には大型の魔獣がいる区画。


 左手には小型の魔獣がいる区画。

 大型の区画からは、低い唸り声や、翼を畳む音が聞こえた。


 ちらりと覗くと、大きな狼や、角を持つ馬のような魔獣がいる。

 どれも体格がよく、毛並みも整っていた。


 管理も行き届いているように見える。

 少なくとも、学園が魔獣を雑に扱っているわけではなさそうだった。


「小型はこっちだ」


 アルに促され、私は左手の区画へ向かう。

 そこには、何体もの小型魔獣がいた。


 角の生えた兎。小さな翼を持つ狼。長い尾を持つ鳥型の魔獣。

 額に小さな宝石のような角がある子鹿。


 本来なら、どれも愛らしい姿をしている。

 実際、多くの子たちは元気そうだった。


 餌も水もきちんと用意されている。

 寝床の藁も清潔で、管理が行き届いているのがわかった。


「ぴぃ」


 鳥型の魔獣が、こちらに気づいて小さく鳴いた。

 それにつられたように、近くの小さな狼が耳を動かす。


 可愛い。だが――。


 奥の方にいる何匹かだけ、明らかに様子が違った。

 毛並みが乱れている。脚に傷がある。羽が一部折れている。


 そして、私が抱いている子と同じように、首や脚に粗悪な紐を巻かれている子がいた。

 正式な管理具ではない。


 誰かが勝手につけたものなのは明らかだ。


「……なるほど」


 私は静かに呟いた。


 学園全体が腐っているわけではない。

 魔獣たちが全員ひどい扱いを受けているわけでもない。


 むしろ、多くの子はきちんと世話をされている。

 だからこそ、余計にわかった。


 誰かが、管理の目を盗んでいる。

 小型で、抵抗しにくい魔獣を選び、こっそり傷つけているのだ。


「アル」

「……ああ」


 アルも気づいたらしい。

 表情が険しくなっている。


「学園の正式な管理ではないな」

「違う。少なくとも、こんなものをつける規則はない」

「では、誰かが勝手にやっている、と」

「おそらくな」


 私は腕の中の魔獣を見る。

 この子だけではない。


 何匹かが、同じように傷つけられている。

 それも、見つかりにくいように。


 元気な子たちの奥に隠れるように。

 実に卑怯だ。


 私は腕の中の魔獣をアルに預けようとした。

 すると、小さな魔獣が不安そうに私の服を掴む。


「きゅう……」

「大丈夫だ。すぐ近くにいる」


 そう言うと、魔獣は少しだけ力を緩めた。

 アルが慎重に受け取る。


 その手つきは、思ったよりずっと優しかった。


 私は傷ついた魔獣たちのいる方へ向かう。

 中にいたのは、角の生えた兎型の魔獣だった。


 片耳が裂け、前脚をかばっている。

 私が近づくと、兎型の魔獣はびくりと震えた。


「怖くない」


 私は檻の前にしゃがむ。


「私は、お前を傷つけない」


 ゆっくりと魔力を流す。

 強く押しつけず、包み込むように。


 前世でも、怯えた魔族や傷ついた魔物を落ち着かせる時には、こうしていた。

 私の魔力は強すぎたから、普通に流せば相手を怯えさせる。


 だからこそ、細く、柔らかく、慎重に。


 兎型の魔獣が、少しずつこちらを見る。

 次に、小さな狼。


 その次に、鳥型の魔獣。


「くぅ……」


 小さな狼が、不安そうに鳴いた。

 だが、逃げない。


 傷ついた魔獣たちが、少しずつ近づいてきた。

 可愛い、とても可愛い。


 こんなに小さくて、柔らかくて、目が丸くて、耳や尻尾がぴくぴく動いている。

 前世の私なら、近づくだけで逃げられていたかもしれない。


 今、彼らは私の魔力を受け入れてくれている。

 嬉しい……はずなのに、素直に喜べない。


 傷が痛々しい。

 怯えた目が、どうしようもなく腹立たしい。


 治してやりたい。

 そう思ったが、私には治癒魔法が使えない。


 前世の頃からそうだった。

 壊すこと、守ること、焼き払うこと、圧倒することはできた。


 だが、傷を癒す魔法だけはどうにも向いていなかった。

 リシェルの身体になっても、それは変わっていないらしい。


 私は奥歯を噛む。


「……癒してやれればいいのだが」


 小さく呟いた時だった。

 隣から、淡い光が広がった。


 見ると、アルがしゃがんでいた。

 腕の中の魔獣をそっと床に下ろし、その脚の傷に手をかざしている。


 白く柔らかな光が、傷口を包んでいた。

 傷が少しずつ塞がっていく。


 赤く腫れていた部分も、ゆっくりと落ち着いていく。

 腕の中にいた魔獣は、少しだけ目を細めた。


「きゅ……」


 先ほどより、少し穏やかな声だった。

 私は目を丸くした。


「アル……」


 アルは視線を逸らしたまま言う。


「お前のためじゃないからな」

「何も言っていないが」

「俺も魔獣の傷を治したいと思っただけだ」


 そう言う耳が、少し赤い。

 私は思わず笑った。


「ふふっ、その方が嬉しいぞ。あとで撫でてやろう」

「……いらない」


 返事が少し遅かった。

 やはり可愛いな、こいつは。


 だが今は、それより魔獣たちだ。


 アルは次々と魔獣の傷を見ていった。

 大きな傷を完全に治すには時間がかかるらしいが、痛みを和らげ、出血を止めることはできる。


 私はその間、魔獣たちに安らぎの魔力を流し続けた。

 傷ついた子たちは、少しずつこちらへ集まってくる。


 元気な子たちも、興味深そうにこちらを見ていた。


「ぴぃ」


 鳥型の魔獣が、小さく鳴いて首を傾げる。

 まるで、私たちが何をしているのか確かめているようだった。


 全員撫でたい、そう思った。

 しかし今は、それより先にやることがある。


「アル」

「なんだ」

「この子たちを傷つけた者は、規則を破っているのだな」

「ああ。間違いなく」

「そうか」


 私は粗悪な紐を見つめる。


 国がどうとか、学園がどうとかではない。

 少なくともここには、魔獣を守るための規則がある。


 ならば話は簡単だ。

 それを破った者を見つけて、二度と同じことができないようにすればいい。


「犯人を見つける」


 私が言うと、アルは静かに頷いた。


「言うと思ったな。俺も手伝おう」

「そうか、ありがとう」


 私は傷ついた兎型の魔獣の頭を撫でる。


「この子たちを傷つけた罪は重いぞ」


 兎型の魔獣が、私の手にそっと頭を寄せた。

 助けを求めるように。


 少しだけ、安心したように。


 私はその小さな頭を撫でながら、静かに息を吐く。


 可愛いものを愛でるだけなら、きっと楽だった。

 だが、可愛いものが傷つけられるならば、守らなければならない。


 まずは、この子たちを傷つけた愚か者を探す。

 傷ついた子たちが、もう一度安心して眠れる場所。


 私は、それを作ることにした。



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