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第5話 アルとの帰り


 午後の授業も終わり、放課後になった。


 生徒たちは相変わらず、ちらちらとこちらを見ている。

 どうやら今日一日で、私はずいぶん目立つ存在になってしまったらしい。

 別に目立ちたかったわけではないのだが。


 まあ、どうでもいい。

 私は鞄に教科書を入れ、席を立ち教室を出た。

 廊下には帰ろうとする生徒たちが多くいた。


 その中で、少し先に見覚えのある銀色の髪が見えた。

 アルヴィン・ルンドホルム。

 朝は周囲に令嬢たちが群がっていたが、今は一人で歩いている。


 相変わらず背筋が伸びていて、制服の着こなしにも乱れがない。

 人前では、やはり綺麗に整った人形のようだ。

 昼休みに猫に囲まれて眠っていた男と同一人物とは思えない。


 だが、私はもう知っている。

 あの無表情の下には、撫でられる夢を見る、なかなか愛らしいものが隠れている。


「アル」


 私が声をかけると、周囲の空気が一瞬止まった。

 近くにいた生徒たちが、一斉にこちらを見る。

 何だ、そんなに変なことを言っただろうか。


 アルは足を止めて振り返る。

 最初は少し驚いた顔をしていたが、すぐに私だと気づいたらしい。

 彼はわずかに眉を寄せた。


「……リシェルか」


 その瞬間、周囲のざわめきが一段大きくなった。


「今、アルヴィン様を愛称で……?」

「しかも、アルヴィン様も普通に返事をしたわ」

「リシェル・オーケソンって、今日魔法や婚約者で騒ぎになっていた子よね?」


 聞こえている。だが、いちいち反応するほどのことではない。

 私はアルの方へ歩いていく。


「帰るのか?」

「ああ」

「そうか。なら途中まで一緒に行くか」

「……決定事項なのか?」

「嫌なのか?」


 私が聞くと、アルは一瞬だけ言葉に詰まった。

 それから視線を逸らす。


「嫌とは言っていない」

「では問題ないな」

「君は本当に勝手だな」

「よく言われた」


 前世でだが。

 アルは小さくため息をついた。

 だが、私が隣に並ぶことを拒みはしなかった。


 私たちは並んで歩き出す。

 すると廊下の視線が、一気にこちらへ集まった。

 アルはやはり目立つ。


 歩いているだけで、周囲の令嬢たちが息を呑む。

 そして今日は、その隣に私がいる。

 つい先日まで、誰にも気にされていなかったリシェル・オーケソン。


 落ちこぼれで、地味で、婚約者にも見下されていた令嬢。

 その私が、学園でもっとも人気のある公爵令息と並んで歩いている。

 なるほど、騒がれる理由はわからなくもない。


 昇降口へ向かう途中、廊下の端にベッラの姿が見えた。

 彼女は友人らしき令嬢たちと一緒にいた。

 だが、私とアルを見た瞬間、表情が固まった。


「……なんで」


 小さな声だったが、聞こえた。


「なんで公爵令息のアルヴィン様が、あんな女と……」


 ベッラの顔は、悔しさで歪んでいた。

 朝、私を見下していた時の余裕はない。

 私が魔法を使ったこと。エドガーのことを人前で暴いたこと。


 それだけでも気に入らなかったのだろう。

 そこに、アルまで加わった。

 彼女にとっては、ずいぶん面白くない一日だったに違いない。


 まあ、私には関係ないが。

 私はそのまま通り過ぎようとした、その時だった。


「待て、リシェル」


 今度は別の声がした。

 振り返ると、エドガーがこちらへ歩いてきていた。

 顔にはまだ少し怒りが残っている。


 けれどそれ以上に、焦りの方が強く見えた。

 彼の視線は、私とアルを交互に見ている。


「何だ?」


 私が尋ねると、エドガーは一瞬だけアルを見た。

 公爵令息を前にして、強くは出にくいのだろう。

 それでも、彼は私に向かって言った。


「君、何をしているんだ。僕たちは婚約者だろう?」


 周囲がまたざわついた。実にわかりやすい男だ。

 昼には、自分が出された課題に私を利用しようとした。

 今度はアルの隣にいる私を見て、急に婚約者という立場を思い出したらしい。


「ああ、そうだったな」


 私は頷いた。


「だが、お前はベッラ姉様の方がお気に入りだったはずだ」


 エドガーの顔が引きつった。

 ベッラも、少し離れた場所で肩を揺らした。


「だから、それは誤解だと――」

「校舎裏で身を寄せ合うのが誤解なら、私には真実との違いがよくわからないな」


 くす、と誰かが笑った。

 エドガーは顔を赤くする。


「リシェル、いい加減にしろ。婚約者をこんなふうに扱って――」

「私はもう帰る」


 私は彼の言葉を遮った。


「話があるなら、婚約解消の場で聞く」

「婚約解消って……本気で言っているのか?」

「冗談で言うほど面白い話でもないだろう」


 エドガーは言葉を失った。

 私は彼から視線を外す。もう興味がなかった。


「行くか、アル」

「……ああ」


 アルは少しだけこちらを見た。

 何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。

 私たちはそのまま歩き出した。


 背後から、エドガーの悔しそうな声が聞こえた。

 ベッラも何か言いたそうにしていたが、周囲の視線があるせいか、口を開けないようだった。

 昇降口を出ても、注目は続いた。


 アルと私が並んでいるだけで、これほど騒がれるものなのか。

 私は隣を歩くアルを見た。


「アル、お前も大変だな」

「何がだ」

「ずっと見られている」

「それは……今日は君のせいでもあると思うが」

「そうか?」

「そうだ」


 アルは少し疲れたように言った。

 だが、私から離れようとはしない。

 私は周囲を見る。


 好奇心。驚き。嫉妬。困惑。

 いろいろな視線が混ざっている。

 だが前世では、もっと重い視線を浴びていた。


 畏怖。崇拝。敵意。殺意。

 それらに比べれば、今の視線などずいぶん軽い。


 だから、特に気にならない。

 アルはそんな私を横目で見た。


「なぜお前は、この注目度で堂々と歩いていられるんだ?」

「ん? まあ、慣れているからな」

「慣れている?」

「ああ」


 前世でだが。そう付け加える必要はないだろう。

 言っても信じるかどうかわからない。

 アルは不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。


 少しの間、二人で並んで歩く。

 校門が近づいてきた。


 このまま出れば、それぞれの馬車が待っている場所へ向かうことになる。

 私はふと思い出し、隣のアルに小さな声で話しかけた。


「アル」

「……なんだ」

「また放課後、動物が多い場所へ案内してくれ」


 アルは少しだけ目を伏せた。

 昼休みのことを思い出したのだろう。

 耳がほんのり赤くなる。実にわかりやすい。


「……わかった」

「そうか」


 私は満足して頷いた。

 やはりアルは役に立つ。

 猫に好かれ、動物のいる場所を知っている。


 それだけでも、この学園でかなり価値のある存在だ。

 私は少し笑った。


「ふっ、お前のことも撫でてやるから嫉妬するな」

「っ、嫉妬なんてするはずないだろ!」


 アルが声を上げた。

 そのせいで、また周囲の生徒たちがこちらを見る。


 アルはそれに気づき、さらに顔を赤くした。

 私は思わず口元を緩める。


「そうか。なら、猫だけ撫でる」

「……それはそれで、何か違う気がする」

「何だ。やはり撫でられたいのか?」

「違う!」


 即答だった。だが、否定が早すぎる気もする。

 私はアルを見上げる。

 彼は視線を逸らしている。


 実に猫のようだ。近づくと逃げるくせに、完全には離れない。

 撫でると身じろぎするくせに、嫌がりきれない。

 その様子が、また愛らしい。


 校門の近くで、私はふと振り返った。

 少し離れた場所に、ベッラとエドガーがいた。

 二人とも、こちらを見ている。


 ベッラは唇を噛み、悔しそうに顔を歪めていた。

 エドガーもまた、何かを言いたげに拳を握っている。

 だが、もう近づいてはこない。


 私は二人から視線を外した。

 見下されていた。軽んじられていた。邪魔者のように扱われていた。

 その記憶はある。


 だが、不思議と胸は痛まなかった。

 私はもう、彼らの顔色を窺う必要がない。

 居場所がないなら作ればいい。


 欲しいものがあるなら、自分で手を伸ばせばいい。

 今世の私は、猫にも触れられる。


 そして、隣には猫のような公爵令息もいる。

 私は隣のアルを見る。


「アル」

「今度は何だ」

「また明日も、あの裏庭に行くぞ」

「……俺に拒否権は?」

「嫌ならアルは来なければいい、私は行くぞ」


 そう答えると、アルは少し黙った。

 それから、小さく息を吐く。


「……勝手にしろ」

「そうか。では勝手にする」


 私は頷いた。

 アルは呆れたように見えたが、やはり拒まなかった。

 私は校門の向こうへ歩き出す。


 夕方の風が、少しだけ髪を揺らした。

 私は口元を緩める。


 やはり、この人生は悪くない。


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