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第3話 授業終わりの婚約者


 授業が終わると、教室はすぐに騒がしくなった。


 生徒たちがこちらを見ながら、小声で話している。

 直接話しかけてくる者はいない。

 今まで落ちこぼれだと思っていた相手が、突然目の前で見事な魔法を見せたのだから。


 私は教科書を閉じる。

 昼休みまで、まだ少し時間がある。

 次の授業までに、庭へ出られるだろうか。


 あの小鳥がまだいるなら、少し近づいてみたい。

 そう考えていると、私の机の前に影が落ちた。


「リシェル」


 聞き覚えのある声だった。

 顔を上げるとそこには、一人の男子生徒が立っていた。

 茶色の髪に、多少は整った顔立ち。


 制服はきちんと着ているが、どこか軽薄な印象がある。

 エドガー・ナルティス。子爵家の嫡男で、私の婚約者。

 そして、ベッラと隠れて親しくしている男だ。


 リシェルの記憶に、その事実ははっきり残っていた。

 校舎裏で二人が寄り添っていたこと。

 ベッラがエドガーの腕に触れて笑っていたこと。


 エドガーが「リシェルなんてどうでもいい」と言っていたこと。

 以前のリシェルは、それに傷ついた。

 胸を痛め、何日も眠れなかった。


 けれど今の私は、驚くほど何も感じなかった。

 好意がない相手に裏切られても、怒る理由がない。

 せいぜい、婚約者という立場が面倒だと思うくらいだ。


「何だ?」


 私が尋ねると、エドガーは少しだけ眉を動かした。

 今までの私なら、彼に話しかけられただけで緊張していたのだろう。

 だが彼はすぐに笑みを作った。


「いや、さっきの魔法を見て驚いたんだ。すごいじゃないか、リシェル。いつの間にそんなに勉強していたんだい?」


 声は明るい。けれど、どこか上からだった。

 褒めてやっている。そんな響きがある。


「別に」

「照れなくてもいい。さすが僕の婚約者だ」


 教室の何人かがこちらを見る。

 エドガーはそれを意識しているようだった。


 私が突然目立ったから、自分もその隣に立とうとしている。

 わかりやすい男だ。


「そうだ。ちょうどよかった」


 エドガーは机に手をつく。


「次の課題で、少し難しい術式が出ているんだ。君が手伝ってくれるなら、僕も助かる」

「手伝う?」

「ああ。いや、君がやってくれてもいい。その代わり、今度デートしてあげるよ」


 教室が少しざわついた。

 私はエドガーを見上げる。


 なるほど、これが婚約者か。

 前世の戦いに何度も挑んできた魔族たちの方が、まだ礼儀を知っていた気がする。


「興味がない」

「……え?」

「デートにも、お前の課題にも興味がない」


 エドガーの笑みが固まった。

 周囲のざわめきが大きくなる。

 私は続ける。


「課題など自分でやれ」

「リシェル、何を言っているんだ。僕たちは婚約者だろう?」

「ああ、そうだったな。忘れていた」

「忘れていたって……」

「ベッラ姉様と逢瀬を重ねる時間があるなら、課題くらいできるだろう」


 その瞬間、教室が静まり返った。

 エドガーの顔から血の気が引く。

 少し離れた席にいたベッラも、こちらを振り向いた。


 目が大きく見開かれている。

 私は彼らを交互に見た。


「何だ。違うのか?」

「な、何を言っているんだ、君は」


 エドガーは慌てて笑おうとした。

 だが、声が少し震えている。


「変な冗談はやめてくれ。ベッラ嬢とは、ただ親しく話していただけで――」

「校舎裏で身を寄せ合い腕を組み、婚約者の私のことをどうでもいい女だ、と言うのが親しく話すという意味なら、そうなのだろうな」


 今度こそ、誰かが吹き出した。

 それをきっかけに、教室のあちこちから小さな笑い声が漏れる。


 エドガーの顔が赤くなった。

 怒りと羞恥が混ざった色だ。


「リシェル、君は何か誤解している……!」

「そうか」

「ああ、そうだ。だいたい、君は僕の婚約者なんだ。僕にそんな態度を取っていいと思っているのか?」


 私は少し考えた。

 そして、納得する。


「たしかに、それは問題かもしれないな」


 エドガーの表情が少し緩む。

 私が折れると思ったのだろう。

 だから私は、穏やかに言った。


「では、近いうちに婚約解消を申し出ておこう」

「……は?」

「その方がお前も都合がいいだろう。ベッラ姉様の方が好みのようだしな」


 また笑い声が広がった。

 今度は隠しきれていない。

 エドガーは周囲を見回し、さらに顔を赤くした。


「ふざけるな。君のような女が、僕から婚約解消を言い出されるならともかく、君から――」

「どちらからでも同じだろう」


 私は立ち上がった。

 エドガーは私より少し背が低い、こいつは男性の中では身長が低いからだ。


 それもあって私よりもベッラを選んだのだろうが。

 正面から見ると、自然と見下ろす形になった。


「私は、お前に興味がない」

「っ……!」

「だから近づいてこなくていい。課題も自分でやれ。できないなら教師に聞け」


 エドガーは言葉を失っていた。

 その顔には、怒りよりも困惑が強い。

 今まで見下していた相手が、自分を見ていない。


 その事実が、よほど理解できないのだろう。

 私は教科書を持ち上げる。

 そして、ふと思い出したように言った。


「ああ、それから」

「な、何だよ」

「次に女性を褒める時は、もう少し上手くやれ。下心が見えすぎている」


 教室の笑い声が、一段大きくなった。

 エドガーは唇を震わせる。

 ベッラも顔を青くしたまま、何も言えずにいた。


 私は興味を失ったので、二人から視線を外した。


 エドガーは耐えられなくなったのか教室を出ていき、続いてベッラも出て行った。


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