第2話 学園の冷酷公爵令息と授業
屋敷を出て、馬車に乗る。
学園まではそれほど遠くない。
馬車が学園へ到着して門の前で降りると、何人かの生徒がこちらを見たがすぐに視線を逸らす。
誰も私のことなど気にしないのだろう。まあ、気楽でいいが。
私は校門をくぐった。
その時、少し離れた場所から歓声が上がった。
「アルヴィン様よ!」
「今日も素敵……」
「お近づきになれないかしら」
「見て、こちらへ歩いていらっしゃるわ」
ずいぶん賑やかだ。
私は何となくそちらを見る。
人だかりの中心に、一人の男子生徒がいた。
銀色の髪。澄んだ青い瞳。整った顔立ち。
制服の着こなしも乱れがなく、歩く姿勢にも隙がない。
たしかに、見た目はいい。
周りの令嬢たちが騒ぐのもわからなくはなかった。
アルヴィン・ルンドホルム。
公爵家の嫡男で、学園でもっとも人気のある男子生徒の一人。
リシェルの記憶にも、その名前はあった。
成績優秀。容姿端麗。家柄も申し分ない。
ただ、無表情で近寄りがたいことから、冷たい人だとも噂されている。
今も彼は、周囲に騒がれているのにほとんど表情を変えない。
「あ、あの、アルヴィン様!」
一人の令嬢が勇気を出して声をかけた。
「お、お昼休み、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「……失礼、一人で行くところがあるので」
「そ、そうですか」
アルヴィンはその令嬢に微笑むでもなく、かといって邪険にするでもなく、ただ必要最低限の礼だけを返して歩いている。
なるほど、綺麗に整った人形のようだ。
令嬢たちはうっとりと彼を見つめている。
「アルヴィン様、本当にかっこいいわ」
「話しかけられたらどうしましょう」
「一度でいいから微笑んでいただきたいわ」
私はその横を通り過ぎた。
たしかに顔は整っている。
背も高い。銀髪も青い瞳も目を引く。
だが、残念ながら私の好みではない。
私は前世から、可愛いものが好きだった。
かっこいいものには、特に心が動かない。
自分がかっこいいとか美しいとか言われ慣れていた、というのもあったかもしれないが。
アルヴィンと呼ばれる公爵令息は、確かに美しい。
だが、遠くから眺めると石像と大差ない。
可愛いかと言われると、違う。
だから私は、特に興味を持たずに歩き続けた。
令嬢たちの騒ぎ声を背に、私は校舎へ入った。
私は廊下の窓の外へ目を向けた。
青い空が見える。学園の庭には木々が揺れている。
その枝に、小鳥が一羽止まっていた。
小さくて丸い、実に可愛い。
やはり、この人生は悪くないかもしれない。
少なくとも前世より、撫でたいものは多そうだ。
教室に入ると、ちょうど授業が始まるところだった。
私は自分の席に座り、教科書を開く。
今日の授業は、基礎魔法の構築式についてらしい。
教師が黒板に魔法陣の一部を書きながら説明している。
「魔力を流す際、まず重要なのは安定性です。勢いだけで魔力を流せば、術式は崩れます。特に火属性の初級魔法では――」
私は頬杖をつきながら、それを聞いていた。
聞いていた、というより、耳には入っていた。
内容は理解できる。
むしろ、理解できすぎる。
あまりにも初歩だった。
前世なら、幼い魔族が遊びで火花を散らす時に使っていた程度の理屈だ。
もちろん、今世の人間にとっては必要な基礎なのだろう。
それを馬鹿にするつもりはない。
基礎は大事だ。
前世の私も、魔族たちには散々そう教えた。
けれどすでに身体に染みついていることを、改めて一つずつ説明されるのは少し退屈だった。
私は窓の外を見る。
庭の木々が風に揺れている。
その枝に、先ほど見た小鳥とは別の小鳥が止まっていた。
丸い。非常に丸い。
羽毛がふくらんでいるのだろうか。
あれは撫でたら柔らかいのだろうか。
前世の私が近づけば、きっとあの小鳥は全力で逃げた。
場合によっては気絶したかもしれない。
だが今ならどうだろう。
今世の私は、前世ほどの威圧感はないはずだ。
上手く近づけば、指先くらいなら触れさせてくれるかもしれない。
そう考えると、授業よりもそちらの方が重要な気がしてきた。
「オーケソン嬢」
気づけば、名前を呼ばれていた。
私は窓の外から視線を戻す。
教師がこちらを見ていた。
教室の生徒たちも、こちらを見ている。
どうやら、ぼんやりしていたのが見つかったらしい。
「授業中に外を見るほど余裕があるのなら、今の説明はすべて理解しているのでしょうね」
教師の声には、少しだけ嫌味が混じっていた。
リシェルの記憶にあるこの教師は、特別に悪い人間ではない。
ただ、成績の悪い生徒には厳しい。
そして今までのリシェルは、魔法の成績があまりよくなかった。
正確には、魔力はあるのに制御が下手だった。
怯えながら魔法を使おうとすれば、魔力が乱れるのも当然だろう。
「理解はしている」
私が答えると、教室の空気が少し揺れた。
今までの私なら、ここで小さくなっていただろう。
けれど今の私は、特に気にならなかった。
教師は眉を上げる。
「では、前に出て実演してもらいましょう」
「実演?」
「初級火球です。先ほど説明した通り、魔法陣を展開し、小さな火球を作りなさい。もちろん、制御を崩さずに」
なるほど、小さな火球。
私は立ち上がった。
周囲から、抑えきれない笑い声が聞こえる。
「リシェルが?」
「大丈夫なのかしら」
「また失敗するんじゃない?」
「教師も意地が悪いわね」
まあ、好きに言えばいい。
黒板の前に立つと、教師が少し横へ避ける。
「では、やってみなさい」
「わかった」
私は右手を軽く上げる。
火球を作るだけなら、魔法陣を大きく展開する必要はない。
魔力を集め、熱へ変換し、形を保つ。
ただそれだけだ。
だが、それだけでは少し味気ない。
せっかく前に出たのだから、今世の魔法がどの程度のものなのか試してみるのも悪くない。
私は指先に魔力を集めた。
その瞬間、教室の空気が変わる。
前世の私なら、呼吸をするのと同じくらい自然に扱っていた力。
今世の身体では、まだ少しだけ窮屈だ。
けれど、扱えないほどではない。
私は魔力を細く編む。
指先に、小さな赤い光が灯った。
それはすぐに火球となる。
掌に乗るほどの大きさ。丸く、明るく、静かな火。
教室が静まり返った。
だが、まだ終わりではない。
私は少しだけ魔力を分ける。
一つだった火球が、二つになる。
二つが四つになる。四つが八つになる。
八つの小さな火球が、私の周囲に浮かんだ。
どれも同じ大きさで、同じ明るさを保っている。
「……っ」
教師が息を呑んだようだ。
私は火球を見上げる。
少し物足りない。火球だけだと、ただ燃えているだけだ。
私は指先を軽く動かした。
八つの火球がゆっくりと動く。
円を描き、列を作り、また円に戻る。
最後に火球同士が溶け合い、一つの大きな火の輪になった。
私は教師を見る。
「これでいいのか?」
教師はすぐには答えなかった。
口を少し開いたまま、火の輪を見ている。
生徒たちも同じだった。
先ほどまで私を笑っていた者たちが、今は声を失っている。
その顔を見て、私は少しだけ首を傾げた。
やりすぎただろうか。
いや、初級魔法の範囲は出ていない。
威力も抑えている。
前世なら、これくらいは子どもの遊びだ。
だから問題はないはずだ。
「オーケソン嬢……」
教師がようやく口を開いた。
「あなたは、いつの間にそれほどの制御を……?」
「……高熱で寝ている間に、少し思い出した」
「思い出した?」
「魔力は、力任せに流すものではない、ということを」
私はそう言って、火の輪を消した。
炎は音もなくほどけ、空気に溶けるように消えていく。
煙も残らない。
教室はしばらく静かだったが、ざわめきが広がった。
「今の、見た?」
「本当にリシェルなの?」
「ありえない……」
その中に、義姉のベッラの姿もあった。
彼女は信じられないものを見るように、私を見ている。
顔色が少し悪い。
朝はあれだけ元気に私を罵っていたのに、今は随分と静かだった。
私は彼女に軽く視線を向ける。
ベッラはびくりと肩を揺らした。
別に取って食うつもりはないのだが。
私は席へ戻ろうとした。
すると教師が、はっとしたように咳払いをする。
「……見事でした。オーケソン嬢、席へ戻ってかまいません」
「そうか」
私は頷き、自分の席へ戻る。
周囲の視線が刺さる。
先ほどまでの嘲りとは違う。
驚き。戸惑い。そして、少しの恐れ。
どれも前世ではよく向けられたものだった。
懐かしいと言えば、懐かしい。
けれど、今はあまり望んでいない。
できれば恐れられるより、小鳥に逃げられない方がいい。
そう思いながら席に座ると、授業が再開された。
私が窓の外を見ると、小鳥はまだ枝にいた。
まだ逃げていない。それだけで、少し気分がよくなった。




