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第1話 元魔王としての記憶が戻る


「前世で魔王だったのか、私」


 目を覚まして最初に口から出たのは、そんな言葉だった。


 しばらく天井を見上げたまま、私は瞬きを繰り返す。

 ここは、オーケソン伯爵家にある私の部屋だ。


 けれど今の私は、昨日までの私とは少し違っていた。

 二日ほど続いていた高熱は、ようやく下がったらしい。

 その代わり、妙にはっきりとした記憶があった。


 ここ二日、私は夢を見ていた。

 いや、夢というにはあまりに長く、あまりに鮮明だった。

 黒い城に玉座。


 眼前で、跪く魔族たち。

 そして、玉座に座っていた一人の女。

 それが私だった。


「……魔王、か」


 自分で呟いてみても、不思議と違和感はなかった。

 前世の私は魔王だった。

 この世界と同じ場所なのか、それともまったく違う世界なのかはわからない。


 ただ、性別は今と同じ女だった。

 そして、今とは比べものにならないほど強かった。

 最強の魔王で、魔族を統べる者。


 敵などいなかった。

 少なくとも、私の前に立って勝てる者はいなかった。

 ……なるほど。


 そう思うと、今まで自分の中にあった妙な違和感にも説明がつく気がした。


 私はリシェル・オーケソン。

 十七歳、オーケソン伯爵家の令嬢。


 ただし、あまり大切にされている令嬢ではない。

 私は本妻の子ではなく、父が外に作った妾の子だった。

 その妾である母も、今はもうこの家を出ている。


 つまり、オーケソン伯爵家に私の味方はいない。

 父は私に興味がない。伯爵夫人は私の存在そのものを嫌っている。

 そして義姉のベッラは、私を見下すことで自分の立場を確かめているような人だった。


 今までの私は、それに怯えていた。

 嫌味を言われれば俯き、睨まれれば肩を震わせ、廊下の端を歩くような娘だった。


 その記憶もある。

 けれど今となっては、妙に遠いものに感じられた。


「たかが、家に居場所がないくらいで」


 小さく呟くと、思わず笑みが漏れた。

 何をそんなに怯えていたのだろう。

 たしかに今のリシェルには、この家に居場所がないのかもしれない。


 けれど、だから何だというのだ。

 前世の私は魔族を統べていた。

 追いやられ、恐れられ、逃げ場を失った者たちに、居場所を作っていた側だった。


 ないなら作ればいい。それだけの話だ。

 私はゆっくりと身体を起こした。

 髪が肩から滑り落ちる。長い金の髪は、熱のせいか少し乱れていた。


 指先で軽く梳くと、思っていたよりも細く柔らかい。

 前世の私の髪は、もっと重く、黒く、炎の光を吸い込むような色をしていた気がする。

 この身体は、前世とは違う。


 けれど完全に弱いわけではない。

 この身体には、十分な魔力がある。


 前世の私からすれば小さな火種のようなものだが、学園に通う令嬢としてはかなり強い方だろう。

 少なくとも、同年代の中で大きく劣ることはない。


「悪くはないな」


 私は寝台から足を下ろした。

 私は息を整え、それから立ち上がった。

 鏡台の前へ行く。


 そこには、見慣れているはずなのに少し見慣れない少女が映っていた。

 金髪の長い髪、細身の身体。

 顔立ちは悪くない。むしろ美しい部類だろう。


「ふむ」


 私は少しだけ顎を引き、鏡の中の自分を見る。

 怯えた娘ではない、卑屈な令嬢でもない。

 ただ、少し眠たげな目をした、背の高い女がそこにいる。


「学園に行くか」


 熱は下がった、ならば寝ている理由もない。

 それに、私は今の世界をもう少し見てみたかった。

 私は支度を始めた。


 侍女は来ない。以前なら、それを悲しく思っていたかもしれない。

 けれど今は、むしろ気楽だった。

 誰かに身支度を任せるより、自分でやった方が早い。


 髪を整え、制服へ袖を通し、最低限の荷物を持つ。

 部屋を出ると、廊下は静かだった。

 朝の伯爵家は、使用人たちが忙しく行き来している時間だ。


 けれど私の方へ挨拶をする者はほとんどいない。

 ちらりと見て、すぐに視線を逸らす。

 まあ、そんなものだろう。


 この家では、私に丁寧に接する必要はないと思われている。

 私は廊下を歩いた。

 いつもなら、足音を立てないようにしていた。


 誰かの邪魔にならないよう、壁際を歩いていた。

 けれど今日は、廊下の中央を歩く。

 特に威張るつもりはない。


 ただ、隠れる理由がなくなっただけだ。

 すると角を曲がったところで、見覚えのある金髪が見えた。

 義姉のベッラだった。


 肩ほどの長さに整えられた金の髪。吊り上がった目元。

 整ってはいるが、どこかきつい印象を与える顔立ち。

 彼女は私を見るなり、わざとらしく目を丸くした。


「あら」


 その声には、明らかな嘲りが混じっていた。

 ベッラは口元に笑みを浮かべる。


「生きていたのね。二日も寝込んでいたから、そのまま死ぬのかと思ったわ。残念」


 いつもなら、胸の奥が縮む言葉だった。

 けれど今は、不思議なほど何も感じなかった。

 死ねばよかったなどと言われたのに、怒りも恐怖も湧いてこない。


 代わりに気になったのは、別のことだった。

 私はベッラを見下ろす。

 ……この女は、こんなに小さかっただろうか。


 いや、ベッラの背が縮んだわけではない。

 私が背を丸めていないだけか。

 今世の私は女性にしては背が高いほうだ。まあそれは前世でも同じだったが。


 そのことに気づいたのは、どうやらベッラも同じだったらしい。

 彼女は眉をひそめた。


「何よ、あんた」

「何がだ?」


 私が普通に聞き返すと、ベッラは一瞬だけ言葉に詰まった。

 その反応が少し面白い。

 今までの私は、問い返すことすらしなかったのだろう。


「その態度よ。いつもみたいに背中を丸めていなさいよ」

「なぜ?」

「なぜって……!」


 ベッラの頬がわずかに引きつる。


「目障りなのよ。あんたがそんなふうに堂々としていると」

「そうか」


 私は頷いた。

 そして、少しだけ笑った。


「なら、慣れることだな」

「は?」

「これからもこうする」


 そう言って、私はベッラの横を通り過ぎようとした。

 だが、ベッラはすぐに私の前へ回り込んだ。


「待ちなさいよ。病み上がりのくせに、ずいぶん偉そうじゃない」

「偉そうに見えるか?」

「見えるわよ」

「そうか。では、ようやく見る目が出てきたのだな」

「……何ですって?」


 ベッラの目が吊り上がる。

 怒っている。いつもの私なら、ここで謝っただろう。


 けれど今の私は、謝る必要を感じなかった。

 私はベッラを見下ろしたまま、静かに言った。


「私は今まで、ずいぶん小さく見せていたらしい。だが本来は、この程度の高さにいる」

「っ……!」

「お前が小さくなったわけではない。安心していい」


 ベッラの顔が、かっと赤くなった。


「馬鹿にしているの!?」

「馬鹿にはしていないさ」


 私は少し考える。

 そして正直に答えた。


「だが……ふっ、少し可笑しいとは思っている」

「リシェル! あんた、熱でおかしくなったのかしら!?」


 鋭い声が廊下に響いた。

 使用人が何人か、遠巻きにこちらを見ている。

 ベッラはそれにも気づいているようだった。


 だから余計に引けないのだろう。

 負けたと思われたくない。


 見下していた妹に、言い返されたと思われたくない。

 私は軽く息を吐いた。


「はぁ、すみません、ベッラ姉様」


 あえて、いつもと同じように呼ぶ。

 すると彼女は少しだけ勝ち誇ったような顔をした。


 今までの私が戻ってきたと思ったのかもしれない。

 だから私は、にこりと笑って言った。


「ふっ、お可愛いことだな」

「……え?」

「では、私は学園へ行く。熱も下がったのでな」


 それだけ告げて、今度こそ横を通り過ぎる。

 ベッラはしばらく黙っていた。

 けれど私が少し進んだところで、背後から困惑した声が聞こえた。


「な、何なのよ、あいつ……」


 いつものような怒鳴り声ではない。

 本気でわからない、という声だった。


「あんなに堂々としていたかしら……?」


 私は振り返らなかった。

 けれど、少しだけ口元が緩む。


 いい朝だ。高熱明けにしては、悪くない。


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