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第23話 義姉と婚約者、罠を見破られる


 なるほど、そういうことにしたいのか。


 この子は私を襲いに来たのではない。

 何かに惑わされて、苦しんで、助けを求めてここへ来た。


 だが、周囲にはそう見えていないのだろう。

 観客席が大きくざわめいている。


「リシェル様の方へ飛んだわ……」

「魔獣が怯えているの?」

「魔力が強いと怯えるだろうが……」

「確かに怯えているようには見えるな」


 その声に重ねるように、エドガーが叫んだ。


「見ただろう! リシェルの魔力が、魔獣を怯えさせたんだ!」


 大きな声だった。

 まるで、そう言うために待っていたような声だ。


 客席の前の方で、ベッラも立ち上がる。


「やっぱりそうよ! あの子は魔獣に好かれているんじゃないわ! 強すぎる魔力で、怖がらせているだけなのよ!」


 よく通る声だった。

 普段は人に注目されなくなったくせに、こういう時だけ声が大きい。


 私はグリフォンを見ながら、少しだけベッラの方へ視線を向けた。

 騒ぎ方が早い。まるで、こうなることを知っていたようだ。


「リシェル」


 隣で、アルが低く言う。

 すぐに前へ出ようとしたのだろう。


 だが、私は小さく首を振った。

 今は、この子が先だ。


 そして、視線だけでベッラの方を示す。

 アルは一瞬だけ私を見た。それから、私の視線を追う。


 ベッラはまだ客席の前で声を張っている。

 リシェルが魔獣を怯えさせたのだと、周囲に聞かせるように。


 アルの目が少し細くなった。

 彼はすぐに小さく頷いた。


 話が早い、実に頼りになる。


 アルは何も言わず、観客席の方へ向かった。

 人々の視線は私とグリフォンに集まっている。


 だから、アルが動いたことに気づいた者は少ない。

 ベッラも、こちらを責めることに夢中で気づいていないようだった。


 私はグリフォンの前に膝をついた。

 小さな身体は震えている。瞳はまだ少しぼんやりしていた。


 怖かったのだろう。

 私はゆっくりと手を伸ばす。


「お前が悪いわけではない」

「ピィ……」

「怖かったな」


 できるだけ静かに声をかける。

 ただ、周りの嫌な気配から隠すように、薄く魔力を置く。


 守るために魔力を広げる。

 グリフォンは一度身を震わせた。


 だが、逃げなかった。

 小さな嘴を、私の指先へ近づける。


 その様子を見て、観客席がまたざわついた。


「襲っていない……?」

「リシェル様に近づいているわ」

「でも、震えている」

「怖がっているんじゃないの?」


 まだ、どちらかわからない。

 そういう空気だった。


 エドガーはその空気を逃さなかった。


「それを見ろ! 完全に従っている!」


 私は顔を上げる。


「従っている?」

「ああ! 君は強すぎる魔力で、その魔獣を怯えさせて支配しているんだ!」


 エドガーは必死だった。

 その顔には焦りが見える。


 おそらく、思った通りには進んでいないのだろう。

 グリフォンが私を攻撃する。


 それを期待していたのかもしれない。

 だが、この子は攻撃しなかった。


 だから、今度は私が支配していることにしたいらしい。

 忙しい男だ。


「そうよ!」


 ベッラが続ける。


「銀角黒豹の時だってそうだったのかもしれないわ! 魔獣に懐かれているのではなく、恐怖で従わせていたのよ!」


 その言葉に、観客たちの間に小さな迷いが生まれた。

 私が強いことは、もう知られているようだ。


 銀角黒豹の攻撃を片手で止めたことも、学園中に広まっている。

 だから、強すぎる魔力で魔獣を怯えさせている。


 そう言われると、信じそうになる者もいるようだった。


「確かに、あれだけ強いなら……」

「でも、リシェル様は魔獣を助けていたはずよ」

「けれど、あのグリフォンは震えているし……」

「どちらなの?」


 空気が揺れている。

 私は小さく息を吐いた。


 好きに言えばいい。

 正直、私の評判などどうでもいい。


 そんなものは、羽猫の翼の手触りほど重要ではない。

 だが、この子まで悪く言われるのはよくない。


 私はグリフォンの頭をそっと撫でた。


「この子は私を襲っていない」


 エドガーが眉を吊り上げる。


「では、なぜ君の方へ飛んだ!」

「助けを求めたからだ」

「都合のいい解釈だな!」

「そう思うなら、よく見るといい」


 私はグリフォンの羽に触れる。

 小さな羽は震えている。


 だが、攻撃しようとしている震えではない。


「この子は怯えている。だが、私を攻撃しようとはしていない」

「君がそう見せているだけだ!」

「そんな器用な真似をする意味がない」

「皆の前で魔獣に好かれているように見せるためだろう!」


 なるほど、私がそんな面倒なことをすると思われているらしい。

 いや、思わせたいのか。


「面倒だな」

「なっ……!」

「魔獣に好かれているように見せるために、わざわざ怖がらせるのか。ずいぶん面倒なことを考える」

「し、白々しい!」

「私は可愛いものを怖がらせたくない。怖がらせたら、撫でにくくなるだろう」


 前世では強大すぎる魔力で、立っているだけで怖がらせてしまったのだ。

 もうあんな思いはしたくない……。


 観客席が、一瞬妙な沈黙に包まれた。

 その後、どこかで小さく声がした。


「理由が……リシェル様らしい……」


 ふむ、ミーナの声だったな。

 褒められているのかはわからない。


 グリフォンが私の指に嘴を寄せる。


「ピィ……」

「大丈夫だ」


 私はもう一度撫でた。

 すると、ベッラの声が鋭く響いた。


「皆様、リシェルの近くから妙な匂いがしませんか?」


 観客たちが周囲を見回す。

 私は少し目を細めた。


 匂い。確かに、私の近くにもある。

 甘く、妙に鼻に残る匂いだ。


「その匂いで魔獣をおかしくしたのではなくて?」


 ベッラが言った。


「リシェルが魔獣を集めるのも、その匂いのせいかもしれませんわ!」


 私の周囲の観客席にいる者たちが、さらにざわめく。


「確かに、甘い匂いが……」

「リシェル様の近くから?」

「じゃあ、魔獣が寄ってくるのは……」

「でも、どうしてそんなものを?」


 なるほど、私の近くにも仕込んだのか。

 やり方は雑だが、悪意はわかりやすい。


 私は自分の袖を見た。

 それから、座る予定だった席の方へ目を向ける。


 微かに香りが残っている。

 この匂いで、私のせいにするつもりだったのだろう。


 エドガーが勢いづく。


「聞いただろう! リシェルの近くから匂いがする! やはり君が魔獣に何か仕組んだんだ!」

「そのようね!」

「魔獣に好かれているなんて嘘だったのよ! 匂いで引き寄せていただけだわ!」


 観客たちの視線が、また私に集まる。

 疑い、戸惑い、好奇心。


 面倒な視線だ。

 私はグリフォンの頭を撫でながら、少し考える。


 私の近くに匂いがあるのは事実だ。

 それを仕込まれたのだと言っても、証拠がなければ同じことだろう。


 人間関係は、本当に難しい。

 魔獣の方が素直でいい。


「きゅ……」


 その時、展示区画の方から小さな声がした。

 兎型魔獣が、柵の近くまで来ている。


 耳を伏せ、鼻をひくひくさせていた。

 次に、羽猫が動いた。


 宝石角の子鹿も、水竜の幼体もこちらを見ている。

 係の生徒たちが慌てる。


「ど、どうした?」

「落ち着いて……!」


 だが、魔獣たちは暴れていない。

 逃げようとしているわけでもない。


 怯えて混乱しているわけでもない。

 皆、私の方を見ている。


 私は小さく手を伸ばした。


「大丈夫だ」


 その声に、兎型魔獣が耳を揺らす。


「きゅ」


 羽猫が短く鳴いた。


「にゃ」


 水竜の幼体が、水玉を抱えたまま少し近づく。

 宝石角の子鹿も、静かにこちらを見ていた。


 観客がどよめく。


「魔獣たちが……」

「リシェル様の方を見ているわ」

「怖がっているなら、どうして逃げないんだ?」

「むしろ、落ち着いているように見えるけど……」


 だが、エドガーはなおも叫んだ。


「それも仕組んでいるんだ!」


 しつこいな、こいつら。


「君が何かしたから、魔獣たちが君に従っている! そうでなければ、こんなことが起きるはずがない!」


 ベッラも必死に頷く。


「そうよ! 普通じゃないもの! 魔獣があんなふうにリシェルに反応するなんて、おかしいわ!」


 普通ではない、か。

 それはそうかもしれない。


 だが、普通ではないから悪いとは限らない。

 私はグリフォンを抱くようにして支えた。


「お前はどう思う?」

「ピィ……」


 グリフォンは小さく鳴いて、私の袖を嘴で軽く咥えた。

 逃げず、攻撃しない。


 ただ、離れたくないと言うように。


 その時、客席の前の方で短い悲鳴が上がった。


「きゃっ!? な、何をなさいますの!?」


 ベッラの声だ。

 視線を向けると、アルがベッラの手首を掴んでいた。


 その手には、小さな金属製の香炉がある。

 アルが奪い取ったのだろう。


 香炉からは、甘く濁った匂いが漂っていた。

 私が感じていたものと同じ匂いだ。


 アルの声は冷たかった。


「これは何だ、ベッラ・オーケソン」


 周囲が一斉に静まる。

 ベッラの顔が青ざめた。


「な、何のことですの……?」

「君の手にあったものだ」

「そ、それはただの香り袋で……」

「香り袋?」


 アルは香炉を軽く掲げた。


「ただの香り袋なら、なぜ魔獣が反応する」


 その瞬間、展示区画の魔獣たちがはっきりとベッラの方を警戒した。

 兎型魔獣が耳を伏せる。羽猫が毛を逆立てる。


 水竜の幼体が水玉を抱えたまま後ずさる。

 私の腕の中のグリフォンも、びくりと震えて、私の後ろへ隠れようとした。


 観客たちが息を呑む。


「魔獣が怯えているのは……」

「リシェル様じゃない?」

「ベッラ様の持っていたもの?」

「あれを開けた瞬間、一気に匂いが……」


 空気が変わった。

 ベッラは唇を震わせる。


「ち、違うわ。これは……私は……」


 エドガーの顔も強張っていた。


「そ、それはベッラが勝手に――」


 勝手に、という一言を聞いて、ベッラがエドガーを見る。

 裏切られたような顔だった。


「エドガー・ナルティス」


 アルは香炉を手にしたまま、静かにエドガーを見た。


「君が競技に持ち込んだものも、確認させてもらう」


 その瞬間、エドガーの顔から血の気が引いた。

 どうやら、アルはもう一つの匂いの元に気づいたらしい。


 実に頼りになる。

 そして、怒っているアルは少し怖い。


 だが、それもまた愛らしい。


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