第22話 学園祭、初日の波乱
学園祭の日が来た。
朝から、学園の中はいつもよりずっと騒がしかった。
廊下には飾りがかけられ、教室の前には看板が並んでいる。
生徒たちは忙しそうに行き来し、あちこちから楽しそうな声が聞こえた。
普段は生徒しかいない場所に、今日は保護者や来賓、近隣の貴族たちもいる。
前世で国を持っていた頃も、人が多く集まる場所はあった。
だが、あれはもっと物々しかった。
兵や魔族たちが並び、誰かが騒ぎ、誰かが酒を飲み、誰かが勝手に喧嘩を始める。
それに比べると、学園祭はずいぶん平和だ。
良いことだと思う。
「リシェル」
隣から声がした。
見ると、アルが当然のように隣を歩いていた。
今日も距離が近い。
少し前なら、廊下を並んで歩いていても、半歩くらい離れていた。
今は肩が触れそうな距離にいる。
実に愛らしくて良い。
「何を見ている」
「ん、適当に周りを見ていたが、今はアルを見ている」
「またか」
「朝でも昼でも夜でも、お前は愛らしいな」
「時間帯の問題ではないと思うが」
最近のアルは、以前より素直だ。
とても良い変化だ。
撫でたい。だが、今は人が多い。
さすがに学園祭の入口で撫でるのは、少し目立つかもしれない。
私は我慢した。偉い。
「魔獣展示は向こうだ」
「そうか」
アルの行った方向へ、私はすぐに向かう。
「歩くのが速いな」
「魔獣がいるからな」
「わかりやすい」
アルが小さく笑った。その笑い方も可愛い。
だが、今は魔獣が優先だ。
魔獣展示の会場は、普段の実習場を広く使って作られていた。
柵や結界で区画が分けられ、魔獣たちが落ち着けるように草や水場も用意されている。
思っていたよりも、ずっときちんとしていた。
無理やり見せているという感じはない。
魔獣たちも、怯えている様子はほとんどなかった。
小型の兎型魔獣が、草の上で丸くなっている。
ふわふわした毛並みに、小さな角が二本。
鼻をひくひく動かしていて、実に可愛い。
少し離れた場所には、羽のある猫のような魔獣がいた。
背中に小さな翼があり、尻尾の先が淡く光っている。
猫なのに飛ぶのか、素晴らしい。
さらに奥には、宝石のような角を持つ子鹿。
角の先に光が集まっていて、動くたびにきらきらと揺れている。
水場では、小さな水竜が水の玉を浮かせて遊んでいた。
青い鱗が光を弾き、水玉を前脚でつついている。
どれも可愛い、とても可愛い。実に良い。
「顔が緩んでいるぞ」
「仕方ない。可愛いものが多い」
「否定しないんだな」
「否定する理由がない」
可愛いものを見て顔が緩むのは、自然なことだ。
むしろ、これだけ可愛いものがいて平然としていられる者がいるのなら、そちらの方が問題だと思う。
「リシェル様!」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、ミーナが展示補助の腕章をつけてこちらへ来た。
手には記録帳を持っている。
忙しそうだが、目はきらきらしていた。
「ミーナ、頑張っているな」
「はい……! 先生方のお手伝いをしています」
「偉いぞ」
私が言うと、ミーナは頬を赤くした。
「リシェル様、こちらの子はとても大人しいんです……!」
ミーナが案内してくれたのは、兎型魔獣の区画だった。
兎型魔獣は私を見ると、耳をぴんと立てた。
それから、とてとてと近づいてくる。
「きゅ」
「そうか、いい子だな」
私はしゃがみ、兎型魔獣の頭を撫でた。
非常に柔らかい。
兎型魔獣は目を細め、私の手に頭を押しつけてくる。
「きゅぅ」
「ふっ、可愛いな」
そう言うと、隣の羽猫も近づいてきた。
さらに宝石角の子鹿もこちらを見ている。
水竜の幼体は、水玉を抱えたまま、じっとこちらを見ていた。
ミーナが小さく息を呑む。
「やっぱり、リシェル様の近くに集まりますね……!」
「そうなのか?」
「はい……! 普段はここまで一度に近づいてくることはありません」
周囲の観客たちも、少しざわついていた。
「魔獣が集まっているわ」
「あの方、銀角黒豹を落ち着かせた令嬢でしょう?」
「本当に魔獣に好かれるのね……」
好かれている。そう言われるのは嬉しいな。
私は羽猫の背を撫でる。
翼がぴくりと動いた。
「お前も可愛いな。飛べるのか?」
「にゃ」
「そうか。飛べるのか」
「今のでわかったのか?」
「おそらくな」
「おそらくか」
羽猫は満足そうに喉を鳴らしている。
うむ、可愛い。癒される。
しばらく魔獣展示を見ていると、会場の奥で鐘が鳴った。
係の生徒が声を上げる。
「これより、魔獣契約競技を開始いたします!」
観客たちが、競技用に整えられた場所へと視線を向ける。
そこには円形の舞台のような区画があった。
周囲には結界が張られ、教師たちが何人も待機している。
治癒担当らしい教師の姿もある。
きちんとしている。
それなら、少し安心だ。
「リシェル嬢」
魔獣管理の教師が近づいてきた。
以前、小型魔獣の時にも対応していた教師だ。
「今日は来てくれてありがとう」
「魔獣がいるからな」
「実に君らしい理由だね」
教師は少し笑った。
「君は競技には参加しないと聞いているけれど、念のため会場の端にいてもらえるかな」
「私が?」
「うん。最近の魔獣たちは、君が近くにいると落ち着くようだからね。もちろん、危険なことをさせるつもりはない。ただ、何かあった時に声をかけてもらえると助かる」
「ふむ、わかった」
可愛いもののためなら、仕方ない。
「アルヴィン君も一緒にいてくれるかな」
「ええ、もちろんです」
アルもすぐに頷いた。
私たちは会場の端に移動した。
ミーナも補助として近くにいる。
記録帳を握りしめ、緊張した顔をしていた。
「大丈夫か?」
「は、はい……! リシェル様がいらっしゃいますので……!」
「私がいると大丈夫なのか?」
「はい!」
強く頷かれた。
よくわからないが、信頼されているようだ。
なら、応えたいと思ってしまうな。
そして、競技が始まった。
最初の生徒は、小さな鹿型魔獣と向き合った。
無理に触れようとはせず、少し離れた場所から魔力を合わせる。
鹿型魔獣の角に淡い光が灯り、観客から拍手が起こった。
次の生徒は、水を操る小型魔獣と一緒に、水玉を輪の中へ通した。
魔獣が楽しそうに跳ねている。
悪くない。力で従わせるのではない。
相手を見て、呼吸を合わせる。
それなら、良い催しだ。
そう思っていると、観客席が少しざわついた。
エドガーが現れた。
隣には、係の生徒に連れられた魔獣がいる。
瑠璃羽のグリフォンの幼獣だった。
青い羽を持つ、美しい幼いグリフォン。
身体はまだ大きくないが、立ち姿には気品がある。
嘴は淡い金色で、首元の羽は光の加減で瑠璃色に輝いた。
観客たちが感嘆の声を上げる。
「珍しい魔獣だな」
「瑠璃羽のグリフォンでしょう?」
「幼獣でも気位が高いって聞いたことがあるわ」
「契約できればすごいわね」
「あのエドガー様が……評価が変わるかもしれないわ」
エドガーはその声を聞いて、満足そうに顎を上げた。
少し離れた場所には、ベッラの姿もあった。
以前より派手なリボンをつけている。
こちらを見て、薄く笑っていた。
私は二人にはあまり興味がない。
だが、瑠璃羽のグリフォンには興味がある。
可愛い。そして、美しい。
だが……私は目を細めた。
少し様子がおかしい。
瑠璃羽のグリフォンの瞳がぼんやりしている。
羽の先が小さく震えている。
怯えている、というより、感覚を鈍らされているように見えた。
自分の意思で立っているのに、どこか意識が薄い。
そして、甘い匂いがした。ほんのわずかだ。
人間なら気づかない者も多いだろう。
「……妙な匂いがするな」
私が呟くと、アルがすぐに反応した。
「匂い……俺にはわからないが、魔獣絡みか?」
「おそらくな」
「どこからだ」
「まだわからない。だが、あの子の様子がおかしい」
アルの目が鋭くなる。
エドガーは競技の中央に立った。
「ご覧ください」
彼は観客に向けて声を張る。
「瑠璃羽のグリフォンは、簡単には人に心を許さない魔獣です。ですが、誠実に向き合えば、心を通わせることはできる」
ふん、よく言う。
瑠璃羽のグリフォンは、エドガーの隣で小さく身を震わせていた。
誠実に向き合っている相手を見る目ではない。
エドガーが片手を差し出す。
「さあ、こちらへ」
瑠璃羽のグリフォンは一瞬動かなかった。
エドガーの顔がわずかに強張る。
その時、また甘い匂いが濃くなった。
どこからか、香が漂っている。
瑠璃羽のグリフォンの瞳が揺れた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
私は瑠璃羽のグリフォンを見た。
あの子はエドガーではなく、虚空を見ているようだった。
瞳には敵意がない。怒りもない。
苦しげに、何かを探している目だった。
「――ふん、つまらない魔獣だ」
小さな声だったが、私には聞こえた。
エドガーの蔑む声が。
そしてこちらを見て、何かグリフォンに呟いたように見えた。
その声は小さくて聞こえなかったが……次の瞬間、グリフォンが翼を広げた。
「ピィッ!」
小さな身体が、一直線にこちらへ向かってくる。
観客席から悲鳴が上がった。
「きゃああっ!」
「魔獣が暴れたぞ!」
「リシェル様の方へ……!」
私は動かなかった。
あの子は、私を襲いに来たのではない。
だが、周囲にはそう見えなかったのだろう。
エドガーの声が響いた。
「見ただろう! リシェルの魔力が、魔獣を怯えさせたんだ!」
続けて、ベッラの声も聞こえた。
「やっぱりそうよ! あの子は魔獣に好かれているんじゃないわ! 強すぎる魔力で、怖がらせているだけなのよ!」
周囲の視線が、一斉に私へ向いた。
瑠璃羽のグリフォンは私の前に落ちるように降り立つ。
青い羽が震えていた。
小さな嘴が、苦しげに開く。
「ピィ……」
その声は、怒りではない。
助けを求める声だった。




