第17話 アルからの相談
銀角黒豹の騒ぎから、数日が経った。
あの日の合同実習は、途中で中止になった。
銀角黒豹は学園側で一時的に保護されることになり、ベッラはその場で実習への参加を止められたらしい。
その後保護者に、つまり私とベッラの両親にも連絡がいったと聞いた。
しばらく魔獣関連の授業への参加も禁じられるそうだ。
エドガーも事情を聞かれたらしい。
自分はただベッラに付き添っていただけだ、と言ったようだが、あの場で「ベッラはこういう立派な魔獣を扱える」と言っていたので、完全に無関係とは見なされなかったようだ。
詳しいことは知らない。
正直、あまり興味もない。
ただ、二人とも以前より騒がしくなくなった。
それは良いことだ。
廊下でベッラを見かけることもあった。
以前より顔色が悪い。
髪飾りも、リボンも、いつもより控えめだった。
周囲の生徒たちが、少し離れたところで小声で話している。
「あの銀角黒豹の……」
「危なかったよね」
「リシェル様がいなかったら……」
「魔獣を見せびらかそうとしていたんでしょう?」
ベッラはそれを睨む。
だが、生徒たちは以前ほど怯えなかった。
さっと視線を逸らしはするが、ベッラに従うような空気ではない。
セリアたちはまだ戻ってきていない。
ベッラの隣に並ぶ者もいない。
エドガーも、少し離れた場所にいた。
ベッラの方を気にしてはいるが、近づこうとはしない。
ベッラと一緒にいれば、自分まで噂されると思っているのかもしれない。
「リシェル様」
別の日、廊下を歩いていると、女生徒が声をかけてきた。
見ると、銀角黒豹の時に助けた女生徒だった。
隣には、友人らしい生徒たちもいる。
「先日は、本当にありがとうございました」
彼女は丁寧に頭を下げた。
「怪我がないならよかった」
そう答えると、女生徒は少し目を潤ませた。
「はい……あの時、リシェル様が助けてくださらなければ、本当に危なかったと思います」
「風で引き寄せただけだ」
「それがすごいんです……!」
「銀角黒豹の攻撃も片手で止めたって聞きました」
「怖くなかったんですか?」
「しかも、その後に懐かれていたって……」
少しずつ、周りから向けられる目が変わっているのは感じていた。
好意的な視線が増えたのだろうが、どう返せばいいのか、よくわからない。
「……そうか」
とりあえず、そう言った。
「リシェル様はすごいんです……!」
横からミーナが言った。
なぜか、自分のことのように誇らしげだ。
「銀角黒豹も、小型魔獣たちも、リシェル様の前では安心するんです……!」
「ミーナ」
「はいっ」
「お前も、銀角黒豹が怯えていたことをよく見ていた。偉いぞ」
私はミーナの頭を撫でた。
「はぅ……!」
ミーナは頬を赤くして、ふにゃりと笑う。
周囲の女生徒たちが、なぜか少しざわついた。
「綺麗……」
「リシェル様、かっこいいのに優しい……」
「ミーナさんが羨ましい……」
よくわからない。
だが、敵意ではないようなので、悪いことではないのだろう。
女生徒たちが離れていった後、アルが横から言った。
「ずいぶん人気者になったな」
「そうなのか?」
「今のを見てわからないのか」
「好意的なのはわかる。だが、どう返せばいいのかわからない」
「普通に礼を言えばいい」
「そうか。なかなか難しいな」
アルが少し笑った。
「今、笑ったな」
「まあ、笑ったな。お前がそういう態度を見せるのが珍しいからな」
「そうか、可愛いぞ」
「すぐそれを言うな」
私は手を伸ばしかけた。
だが、アルは一歩下がる。
「ここではやめろ」
「では、あとでか」
「そういう意味ではない」
「難しいな」
「難しくない」
アルはため息をついた。
放課後、私は銀角黒豹の様子を見るために魔獣厩舎へ向かった。
当然のように、アルも隣にいる。
やはり可愛い。
厩舎に着くと、ミーナがすでに待っていた。
「リシェル様!」
「元気だな」
「はい! 銀角黒豹の寝床を整えておきました!」
「有能だな」
「はぅ……ありがとうございます……!」
ミーナは帳面を胸に抱えて、嬉しそうに笑った。
銀角黒豹は、広めの区画で休んでいた。
小型魔獣とは別の、丈夫な柵と結界のある場所だ。
だが、以前の檻のような息苦しさはない。
銀角黒豹は私に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。
まだ少し警戒はある。だが、敵意はない。
起き上がり、静かにこちらへ近づいてくる。
そして、額を私の手に押し当てた。
私はその額を撫でる。
「少しは落ち着いたな」
銀角黒豹が低く喉を鳴らす。
アルが横から状態を確認した。
「首輪の影響はまだ残っている。だが、魔力の乱れはかなり落ち着いた」
「しっかり治るのか?」
「ああ。単純に休ませればいい」
「そうか」
それならよかった。
小型魔獣たちも、少し離れた場所からこちらを見ていた。
兎型の魔獣が、小さく鳴く。
「きゅ」
銀角黒豹がゆっくり目を向ける。
小型魔獣は少し耳を揺らしたが、逃げない。
銀角黒豹も襲わない。
「仲良くできそうか?」
私が尋ねると、銀角黒豹は低く喉を鳴らした。
「そうか。いい子だ」
「大型魔獣にもそれで通じるのか」
アルが言った。
「通じているだろう」
「まあ、通じているな」
アルは少し不思議そうに銀角黒豹を見た。
ミーナは記録帳に何かを書きながら、目を輝かせている。
「リシェル様の前だと、みんな穏やかです……!」
「そうなのか?」
「はい……!」
ミーナは強く頷いた。
アルも少し真面目な顔になる。
「たしかに、不思議だな」
「何がだ」
「強い魔力は、本来なら魔獣を怯えさせる。だが、お前の魔力には近づいてくる」
「可愛いものに好かれるなら、良いことだ」
「そういう話では……いや、そういう話でもあるのか」
アルは少し考え込んだ。
銀角黒豹が私の手に顔を擦り寄せる。
私はそのまま撫で続けた。
しばらくして、ミーナが小型魔獣のほうへ行ったとき、アルが口を開いた。
「リシェル」
「なんだ?」
「前に言っただろう。うちに、会わせてみたい相手がいると」
「魔獣か?」
「近い。だが、普通の魔獣ではない」
アルは少しだけ視線を落とした。
「聖獣に近い存在だ」
聖獣……私は銀角黒豹を撫でながら、アルを見る。
「名前は?」
「シルヴァ」
「シルヴァ、か」
口に出すと、少し響きが柔らかい。
「ルンドホルム家に、代々関わりのある存在だ。昔は家を守る守護獣のようなものだった」
「今は違うのか?」
「……今は、人を拒んでいる」
アルの声が、わずかに沈んだ。
「怪我というより、魔力が荒れている。近づく者を拒絶する。俺でも、近づける時と近づけない時がある」
「お前でもか」
「ああ」
アルは動物や魔獣に好かれる。
小型魔獣も、銀角黒豹も、アルには比較的警戒を解いていた。
そのアルでも近づけない時がある。
なら、シルヴァという存在は、かなり苦しんでいるのだろう。
「何かあったのか?」
私が尋ねると、アルは少し黙った。
「外部の術師が、シルヴァの力を利用しようとしたことがある」
淡々とした声だった。
だが、少し硬い。
「無理な契約術をかけられた。その残滓が、今も残っているのかもしれない。俺たちも完全には解けていない」
「それで人を信じなくなったのか」
「おそらくな」
アルは銀角黒豹を見る。
「それでも、シルヴァは俺を守ろうとする。だから余計に魔力が荒れることがある。俺に近づく強い魔力を、敵だと判断するんだ」
「つまり、私も威嚇されるかもしれないな」
「その可能性は高い」
「そうか」
私は頷いた。
「だが、お前なら……落ち着かせられるかもしれないと思った」
珍しく、アルの声に迷いがあった。
頼ってくれている。そうわかる声だった。
私は銀角黒豹を撫でながら尋ねる。
「シルヴァは苦しんでいるのか?」
「ああ」
「なら、行くさ」
アルが少し驚いた顔をした。
「即答だな」
「苦しんでいるのだろう? それに、お前が頼ってきた」
私は淡々と言う。
「断る理由がない」
アルは少し目を逸らした。
「……そうか」
耳が赤くて可愛い、撫でたい。
だが、真面目な話なので少し我慢した。
私は偉い。
「次の休み、うちへ来てほしい」
「お前の家か」
「ルンドホルム公爵家だ」
「大きそうだな」
「感想が雑だな」
「猫はいるか?」
「いる」
「なら行く価値は高い」
「聖獣より猫なのか」
「どちらも大事だ」
アルは少し笑った。
「では、迎えを出す」
「ああ、わかった」
後ろで、こちらに戻ってきたミーナが小さく息を呑んだ。
「リ、リシェル様が、アルヴィン様のお家に……!」
「どうした、ミーナ」
「い、いえ……すごい展開だと思いまして……!」
ミーナの目が輝いている。
何かを想像している顔だ。
アルがため息をついた。
「ミーナ、変な想像をするな」
「し、していません……!」
していると思う。
私は銀角黒豹の額をもう一度撫でた。
次の休み、私はルンドホルム公爵家へ行くことになった。
猫ではなく、魔獣でもない。
アルが会わせたいという、聖獣に近い存在に会うために。




