第15話 特別授業と希少な魔獣
小型魔獣の事件からしばらくして、学園では魔獣管理についての見直しが行われることになった。
契約前の魔獣への対応。魔獣が怯えた時の対処。無理な服従と信頼関係の違い。
そういったことを改めて学ぶために、学年合同の特別授業が開かれるらしい。
私はその説明を聞きながら、静かに頷いていた。
別に、授業そのものが好きというわけではない。
だが、可愛いものを傷つけないための知識なら、知っておくべきだ。
知識は必要だ。力だけでは守れないものもある。
いや、正確には力で大体はどうにかなるのだが、力を使わずに済むならその方がいい。
小型魔獣たちが怖がらずに済むなら、それに越したことはない。
「ずいぶん真面目な顔だな」
隣から声がした。
見ると、アルが当然のようにそこにいた。
「お前も来るのか」
「上級生代表だからな」
「そうか。では今日も頼む」
「……一応聞くが、俺の役割を何だと思っている?」
「便利で可愛い者だ」
「前半も後半も違うし失礼だな」
アルはすぐに言った。
相変わらず、照れ隠しが早い。
今日の実習は、学園の広い実習場で行われる。
小型魔獣だけではなく、中型や大型の魔獣も扱うらしい。
教師たちも何人か集まり、結界用の魔法具も置かれていた。
小型魔獣の事件があった後だからか、かなり慎重な準備をしているようだ。
悪いことではない。
「リシェル様!」
明るい声がして、私は振り返った。
ミーナが小走りでこちらへ来る。
手には記録用の帳面を持っていた。
「今日はよろしくお願いします……!」
「ああ。こちらこそ頼むぞ」
私は自然に手を伸ばし、ミーナの頭を撫でた。
ミーナは嬉しそうに目を細める。
「はい……!」
実にわかりやすい。
可愛い。
すると、横から視線を感じた。
アルだ。
私はすぐに理解した。
「安心しろ、アル。お前も後で撫でる」
「だから、その流れを作るな」
「そうか? 撫でられたいだろう?」
「……そんなことは言っていないがな」
アルは疲れたようにため息をついた。
だが、否定の仕方が少し弱い。
つまり、完全に嫌というわけではないのだろう。
「その顔は何か誤解している顔だ」
「私の顔はそんなに何か言っているのだろうか」
「案外わかりやすいな」
「き、綺麗な顔立ちだと思います!」
「ありがとう、ミーナ。ミーナも愛らしいぞ」
「はぅ……ありがとうございます」
「もちろん、アルもな」
「……ついでとばかりに言うな」
そんなことを話していると、実習場の入り口の方が少し騒がしくなった。
視線を向ける。
そこには、ベッラがいた。
エドガーも一緒だ。
ベッラは以前よりも派手な装いをしていた。
髪飾りも、リボンも、いつもより目立つ。
まるで、周囲に自分を見ろと言っているようだった。
だが、その周りにセリアたちはいない。
取り巻きがいない分、自分を大きく見せようとしているのかもしれない。
ベッラは私を見ると、わざとらしく微笑んだ。
「リシェル、あなたも来ていたのね」
「合同授業だからな」
「最近、魔獣のお世話に熱心らしいじゃない」
「ああ、可愛いからな」
「ふうん。まあ、小さな魔獣ならあなたにはお似合いね」
嫌味のつもりなのだろう。
私は少し考える。
小さい魔獣は可愛い。とても可愛い。
それが私に似合うと言うのなら、褒め言葉ではないだろうか。
「小さいものは可愛い。大きいものも可愛いが」
「……何よ、それ」
ベッラの眉が寄った。
隣でアルが小さく笑う。
それを見たベッラの顔が、さらに歪んだ。
なぜ怒るのだろうか、不思議だ。
エドガーもこちらを見ていた。
以前のような余裕はない。
私と目が合うと、少し気まずそうに視線を逸らす。
婚約者のはずだが、最近は存在を忘れそうになる。
教師が授業の開始を告げようとした時、ベッラが一歩前に出た。
「先生。今日は私も、特別に魔獣を連れてきたのです」
生徒たちがざわつく。
教師も少し驚いた顔をした。
「ベッラ嬢、持ち込みについては確認が必要ですが……」
「許可はいただいていますわ。家で契約を検討している魔獣で、今日の実習にも良い参考になると思いまして」
本当に許可を取ったのかはわからない。
だが、ベッラは堂々としている。
エドガーも横で得意げな顔をしていた。
「ベッラは小型魔獣ではなく、こういう立派な魔獣を扱えるんだ」
その言葉に、周囲がさらにざわめく。
私は何も言わず、ベッラの後ろを見た。
数人の使用人らしき者たちが、大きな檻を運んでくる。
その中にいたのは、黒い豹のような魔獣だった。
しなやかな体。艶のある黒い毛並み。
額には銀色の角が一本伸びている。
金色の瞳は鋭く、美しい。
大型の魔獣だ。
たしか、銀角黒豹。
シルヴァホーン・パンサーと呼ばれる種だったはずだ。
誇り高く、人に懐きにくい。
だが、信頼した相手には忠実だと聞いたことがある。
美しい魔獣だった。
それは認める。
「珍しいでしょう?」
ベッラは得意げに笑った。
「父に頼んで手に入れてもらったの。珍しい魔獣を扱う商人から譲っていただいたのよ」
商人……その言葉に、私は少し目を細めた。
小型魔獣の事件でも、商人という言葉が出てきた。
魔獣を大人しくさせる道具を渡した者。
偶然だろうか。
アルもわずかに表情を変えた。
気づいているらしい。
「すごい……」
「本当に珍しい魔獣だ」
「さすがベッラ様……」
周囲の生徒たちが声を上げる。
ベッラは満足そうだった。
少し前まで失っていた注目を、取り戻したような顔をしている。
だが、私は銀角黒豹から目を離せなかった。
美しい。
だが、様子がおかしい。
耳が伏せている。尻尾が低い。
金色の瞳が落ち着かず、何度も周囲を見ている。
足元も、かすかに震えていた。
それだけではない。
首元に、黒い首輪がついている。
その首輪から、嫌な魔力の歪みがあった。
小型魔獣たちにつけられていた粗悪な紐。
あれと完全に同じではない。
大型魔獣用に、術式を強くしているのかもしれない。
詳しく見なければわからない。
だが、術式の癖が近い。
嫌な感覚が、指先に残る。
「怯えているな」
私は静かに言った。
ベッラがこちらを見る。
「何を言っているの? 躾けられているだけよ」
「違う。これは怯えだ」
「あなたに何がわかるのよ」
「少なくとも、お前よりは見えている」
ベッラの顔が引きつった。
私は銀角黒豹の首元を見る。
「その首輪、どこで手に入れた」
「商人からよ。魔獣を大人しくさせる首輪だと言っていたわ」
やはり、商人か。
私の中で、何かが冷える。
アルも首輪を見て、低く呟いた。
「また、これか」
その声は、小さかった。
だが、私にははっきり聞こえた。
やはりアルも気づいたらしい。
私はベッラを見る。
「外せ」
「嫌よ」
ベッラは即座に言った。
「外したら暴れるかもしれないじゃない」
「その首輪があるから怯えているんだ」
「っ、知った口を聞いて……魔獣なんて、躾ければいいのよ」
その言葉に、実習場の空気が少し変わった。
私はゆっくりとベッラを見る。
「躾ける?」
「そうよ。人間に従わせるものじゃない。魔獣に好き勝手させてどうするの?」
ベッラは鼻で笑う。
「あなたみたいに甘やかしているから、魔獣に舐められるのよ」
大型魔獣は危険で、管理が必要だ。
そう思う者もいるのだろう。
それ自体は間違っていない。
だが、これは管理ではない。
苦しめ、怯えさせ、無理やり押さえつけることを管理とは呼ばない。
「管理と支配は違う」
アルが静かに言った。
ベッラは少し怯んだ。
だが、すぐに笑みを作る。
「ア、アルヴィン様まで。けれど、大型魔獣を扱うなら、ある程度の強制力は必要ではありませんか?」
「必要なのは信頼と技術だ。痛みで従わせることではない」
アルの声は冷たい。
ベッラは唇を噛んだ。
その時、ミーナが小さく言った。
「あの子、怖がっています……」
声は震えていた。
だが、はっきりと聞こえた。
ベッラがミーナを睨む。
「下級生は黙っていなさい!」
私は一歩前に出た。
「ミーナの見る目はお前よりある」
「なっ……!」
ベッラの顔が赤くなる。
「どうしていつも、あなたは……!」
「事実を言っただけだ」
「失礼ね!」
「お前ほどではない」
アルが横で小さく息を吐いた。
呆れているのかもしれない。
だが、今はそれどころではない。
銀角黒豹の呼吸が浅くなっている。
首輪から漏れる魔力が、少しずつ強くなっていた。
嫌な予感がする。
「ベッラ、その子を動かすな」
「命令しないで」
ベッラは私を睨んだ。
そして、周囲に見せつけるように銀角黒豹の鎖を引いた。
「ほら、こちらへ来なさい」
鎖が鳴る。
銀角黒豹の身体が、びくりと跳ねた。
「グル……」
低い唸り声。
怯え。痛み。警戒。
それらが混ざった声だった。
私はすぐに足を出しかける。
だが、教師が先に声を上げた。
「ベッラ嬢、距離を取りなさい。その魔獣は――」
「大人しくしなさい!」
ベッラが焦った声で命じる。
その瞬間、首輪の術式が強く光った。
銀角黒豹の瞳が揺れる。
痛みから逃れようとして、さらに痛みを与えられる。
あの小型魔獣たちと同じだ。
だが、相手は大型魔獣だ。
力も大きい。
恐怖が限界を超えれば、周囲を巻き込む。
アルと私が同時に言う。
「まずい」
「ベッラ、下がれ」
生徒たちがざわつく。
ベッラはまだ状況を理解していない。
「大人しくしなさいと言っているでしょう!」
また鎖を引く。
銀角黒豹の足元が、地面を削った。
全身の毛が逆立つ。
銀色の角に、黒い魔力がちらついた。
その瞬間、銀角黒豹が顔を上げた。
金色の瞳から、怯えが消える。
代わりに浮かんだのは、追い詰められた獣の怒りだった。
次の瞬間、銀角黒豹が咆哮した。
「グオオオオオオオッ!」
その声に、実習場の空気が一瞬で凍りついた。




