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第13話 厩舎での日常


 事件から、数日が経った。


 セリアたちは謹慎になり、学園で見かけることはなくなった。

 ベッラも、以前ほど大きな顔はしていない。


 いつもなら、周りにいた令嬢たちが笑い、ベッラの言葉に頷いていた。

 だが今は、その姿がない。


 ベッラは私を見るたびに何か言いたそうな顔をするが、結局何も言わずに視線を逸らす。

 まあ、今はどうでもいい。


 私にとって大事なのは、あの子たちの様子だ。

 昼休みになると、私は布袋を持って小型魔獣の厩舎へ向かった。


 中には、柔らかい布、果物、薬草、水入れ、そして小さなブラシが入っている。

 先日より少し増えた。


 可愛いものの世話には、必要なものが多いのだ。


「また増えているな」


 隣を歩くアルが、私の布袋を見て言った。


「必要なものが増えた」

「どこまで増えるんだ」

「あの子たちに必要なところまでだ」

「答えになっていないが」


 アルはため息をついた。

 だが、彼も当然のように隣を歩いている。


「お前も今日も来るのだな」

「治療の経過を見るためだ」

「そうか。では今日も頼むぞ」

「俺が来る前提でお前はいつも動いているだろう」

「だが、来るだろう?」

「……まあ、来たが」

「なら問題ない」

「……何か気に食わないが」


 文句を言いながらも、アルは戻ろうとはしない。

 やはり、魔獣に優しい。


 それに、私に撫でられるのも、嫌ではないらしい。

 うむ、こいつは今日も実に愛らしい。


 厩舎に着くと、扉の前でミーナが待っていた。

 私を見るなり、彼女の顔がぱっと明るくなる。


「リシェル様!」

「元気だな、ミーナ」

「はい! リシェル様が来てくださると思って、準備していました!」


 ミーナは胸の前で両手を握りしめ、きらきらした目で私を見ている。

 その目は、以前のように怯えてはいない。


 何か別の熱がある……少し圧を感じるな。


「掃除も終わっています。お水も替えました。傷ついた子たちの寝床も、柔らかい布に替えてあります」

「よく働くな。偉いぞ」

「ありがとうございます……!」


 ミーナの顔が、さらに明るくなった。

 可愛い。私は自然に手を伸ばし、ミーナの頭を撫でた。


「今日も頼む」

「はぅ……はい、頑張ります……!」


 ミーナは頬を赤くしながら、ふにゃりと笑う。

 彼女は、猫や魔獣とは違う。


 だが、撫でると喜ぶところは似ている。

 横から視線を感じた。


 アルがこちらを見ている。

 私はすぐに理解した。


「安心しろ、アル。お前も後で撫でる」

「だから、安心する要素がない」

「そうか?」

「そうだ」


 アルは目を逸らした。

 ミーナは私とアルを見比べ、なぜかさらに目を輝かせた。


「やっぱり、お二人は仲がよろしいんですね……!」

「違う」


 アルが即座に言った。

 私は首を傾げる。


「仲は悪くないだろう」

「……悪くはないが」

「なら、よいではないか」

「そういう話ではない」


 アルは少し困った顔をした。

 ミーナは両手で口元を押さえ、何かを堪えているようだった。


 何を堪えているのかはわからない。

 私たちは小型魔獣の区画へ入った。


 中に入ると、魔獣たちがこちらを見る。


「きゅ」


 兎型の魔獣が、小さく鳴いた。

 以前よりも、声に怯えが少ない。


 耳を揺らしながら、こちらへ近づいてくる。

 鳥型の魔獣も止まり木の上で首を傾げた。


「ぴぃ」


 小さな狼型の魔獣は、少し迷ったあと、尻尾を控えめに振った。

 私は膝をつく。


「来るか?」


 兎型の魔獣が、おずおずと近づいてきた。

 そして、私の膝に前足を乗せる。


 柔らかい。温かい。

 私はその小さな頭を撫でた。


「……生まれてよかった」

「また大げさな」


 アルが横で言った。


「大げさではない。これは人生の大きな成果だ」

「人生の成果が小型魔獣に懐かれることなのか」

「ああ」


 迷うことではない。

 ミーナが真剣な顔で頷いた。


「わかります! 魔獣が心を許してくれるのは、本当に素晴らしいことです!」

「よくわかっているな」

「はい!」


 ミーナはまた嬉しそうに笑った。いい子だ。

 アルは小さく息を吐く。


「本当に信者が深まっているな」

「信者ではなく、いい子だ」

「まあ、それは否定しない」


 アルはそう言って、傷ついていた魔獣たちの様子を見始めた。

 白い魔力が、彼の手のひらに灯る。


 アルは一つずつ丁寧に確認し、残っている痛みを和らげていく。

 私はその間、魔獣たちが怖がらないように、ゆっくり魔力を流した。


 柔らかく、薄く、包むように。

 魔王だった頃なら、こんな使い方を考えたこともなかった。


 私は壊すことや、押さえつけることの方が得意だった。

 だが、今は違う。


 小さな子たちが安心して目を閉じられるなら、この魔力の使い道も悪くない。


「兎型の子、昨日より歩き方が良くなっています」


 ミーナが手元の記録帳を見ながら言った。


「鳥型の子も、少し羽を広げられるようになりました。狼型の子は、まだ大きな足音に反応します」


 アルが少し感心したようにミーナを見る。


「よく見ているな」

「い、いえ……私、魔獣のお世話が好きなので……」

「好きなら、それは強いな」


 私が言うと、ミーナは胸を押さえた。


「リシェル様……!」

「はぁ……」


 アルはため息をつきながら、治療を続けた。

 その時、小さな狼型の魔獣が、アルの手に鼻を寄せた。


「くぅ」


 アルの手が止まる。


「もう痛くないのか?」


 狼型の魔獣は、アルの指先をぺろりと舐めた。

 アルの表情が、ほんの少し柔らかくなる。


 私はそれを見逃さなかった。


「今、いい顔をしたな」

「していない」

「した」

「治療の経過を見ていただけだ」

「そうか。では、そのまま撫でてやれ。喜んでいる」


 アルは少し迷う。

 それから、狼型の魔獣の頭にそっと手を置いた。


 狼型の魔獣は目を細める。


「くぅ……」


 可愛い。魔獣も可愛い。

 それを撫でているアルも可愛い。


 素晴らしい光景だ。


「やはり、お前は魔獣に好かれるな」

「血筋のせいだろう」

「血筋?」

「ルンドホルム家は、昔から獣に縁がある」

「そうなのか」

「ああ。少し、特別な縁だ」


 特別な縁。

 前にも似たようなことを言っていた気がする。


 私は首を傾げた。


「また変な言い方だな」

「今はまだいい」

「ふむ?」


 気になる。

 だが、アルが言いたくなさそうなので、今は聞かないでおく。


 狼型の魔獣が、アルの膝の近くに寄りかかった。

 それを見た兎型の魔獣も、私の膝から降りてアルのそばへ行く。


 気がつけば、アルの周りにも魔獣が集まり始めていた。

 私は少し目を細める。


「ずるいな」

「何がだ」

「魔獣に囲まれている」

「お前にも懐いているだろう」

「そうだが、お前の周りにも集まりすぎだ」

「知らない」


 アルは少し困った顔をしている。

 その困り顔も可愛い。


 私はアルの隣にしゃがんだ。

 兎型の魔獣を撫でる。


 そのまま、近くにあった銀色の髪にも手を伸ばした。


「なぜ俺まで撫でる」

「近くにあったからだ」

「物みたいに言うな」

「柔らかいぞ」

「褒めているのか?」

「褒めている」


 アルは文句を言う。

 だが、避けない。


 つまり、撫でてもいいということだ。

 ミーナが横で、両手を握りしめていた。


「……素敵です」

「ミーナ、そういう目で見るな」


 アルが言った。

 ミーナは慌てて首を振る。


「す、すみません。でも、リシェル様とアルヴィン様はとても絵になります……!」

「絵になるとは、撫でる姿が良いということか?」

「そうです!」

「そうか」

「納得するな」


 アルが小さく頭を抱えた。

 私は持ってきた布袋から、ブラシを取り出した。


「今日はこれを試す」

「何だ、それは」

「ブラシだ」

「見ればわかる」

「魔獣たちの毛を梳く」


 ミーナが嬉しそうに身を乗り出した。


「いいと思います! 小型の子たちは毛が絡まりやすいので」

「やはり必要だったな」


 私は兎型の魔獣を膝の近くに呼び、慎重にブラシを入れた。

 柔らかい毛が、すっと整っていく。


「きゅう……」


 兎型の魔獣は気持ちよさそうに目を細めた。

 続いて、狼型の魔獣にもブラシをかける。


「くぅ……」


 尻尾がゆっくり揺れる。

 これは良い道具だ。


 私は深く頷いた。


「愛らしく、楽しいな」

「本当に楽しそうだな」


 アルが横で言う。


「ああ。とても楽しい」


 私はふと、アルを見た。


「アルにも使えるだろうか」

「使うな」

「髪がさらにさらさらになるかもしれない」

「必要ない」

「もう十分さらさらだからか?」

「そういう問題ではない」


 ミーナが笑いを堪えている。


「ミーナはどう思う?」

「えっ、あ、あの……アルヴィン様の髪も、とても綺麗だと思います……!」

「ほら」

「ほら、ではない」


 アルは耳を赤くしていた。

 ブラシは諦めることにした。


 今は、だ。


 それからしばらく、私たちは魔獣たちの世話を続けた。

 アルは治療。


 私は魔獣たちを落ち着かせ、撫でる。

 ミーナは記録をつけ、寝床の布を整える。


 自然と役割が決まっていた。


「リシェル様が来る日は、私が記録をまとめておきます!」


 ミーナが言った。


「助かる。お前は有能だな」

「ゆ、有能……リシェル様に褒められました……」


 ミーナは頬を赤くし、手元の記録帳を抱きしめた。

 アルが横で呆れたように言う。


「本当に信者だな」

「いい子だぞ」

「それはそうだが」


 治療と世話が終わる頃には、魔獣たちはかなり落ち着いていた。

 厩舎の中に、穏やかな空気が流れる。


「こういう時間は悪くないな」


 私の言葉に、アルが返す。


「そうだな。可愛いものは、穏やかにしている時が一番いい」

「それは同意する」


 アルの声も、少し柔らかかった。

 ミーナは少し離れたところで記録を書きながら、ちらちらとこちらを見ている。


 何を見ているのだろう。

 私はアルの横顔を見る。


「今日はまだ足りないな」

「何がだ」

「撫でる量だ」

「さっき撫でただろう」

「足りない」

「何がだ」

「私の満足感が」

「知るか」


 そう言いながらも、アルは逃げない。

 私は手を伸ばし、軽く頭を撫でる。


 銀色の髪は、やはり柔らかい。

 魔獣たちの毛とは違うが、これはこれで良い。


 アルはため息をつきながらも、目を伏せていた。

 その時、ミーナが小さく呟いた。


「尊い……」

「何か言ったか?」

「い、いえ! 記録です!」


 記録に尊いという言葉は必要なのだろうか。

 よくわからない。


 事件は一つ片づいた。

 だが、粗悪な制御具を渡した商人がいる。


 まだ、可愛いものを守るためにやることはありそうだ。

 傷ついた子たちが、もう一度安心して眠れる場所。


 いつか、そんな場所を作れたらいい。


 そう思いながら、私はアルの銀色の髪をもう一度だけ撫でた。


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