第12話 信者?
セリアの悲鳴が、管理室に響いた。
次の瞬間、セリアの膝から力が抜けた。
私は手を離す。セリアはそのまま床に崩れ落ちた。
「セリア様!」
ニナとラウラが悲鳴のような声を上げる。
ベッラも顔を青ざめさせ、数歩後ずさった。
先ほどまでの強気な表情は、どこにもない。
管理教師が慌ててセリアのそばに膝をつく。
「セリア嬢、大丈夫ですか!」
セリアは気を失っていた。
顔色は悪く、額には汗が滲んでいる。
だが、身体に傷はない。呼吸もしている。
魔力の流れも、ひどく乱れてはいない。
ただ、悪夢の名残のように、指先がかすかに震えていた。
「……リシェル」
アルの声がした。
低い声だった、怒鳴っているわけではない。
だが、いつもの呆れた声とも違う。
「何をしたんだ」
「悪夢を見せただけだ」
「悪夢?」
「ああ」
私は倒れているセリアを見る。
「小型魔獣たちと同じ目に遭う夢をな」
アルの眉が寄る。
管理教師も、床に膝をついたまま私を見上げた。
「傷はつけていない。身体にも後遺症はないはずだ。ただ、夢の中でこいつが、自分のしたことを受けただけだ」
痛み。恐怖。逃げられない感覚。
助けを求めても、声が届かない絶望。
それを少しだけ、見せた。
あの子たちが味わったものに比べれば、まだ優しいくらいだ。
アルはしばらく私を見ていた。
それから、小さく息を吐く。
「……やりすぎだ」
「そうか?」
「そうだ」
私は首を傾げる。
だが、アルはそれ以上強くは言わなかった。
彼も、セリアの言葉に怒っていたのだろう。
ニナとラウラは、完全に怯えていた。
さっきまで顔色を悪くしながらも立っていた二人は、今は今にも倒れそうなほど震えている。
「す、すみませんでした……!」
「もう二度としません……! 魔獣には近づきません……!」
「私もです……! 本当に、もうしません……!」
ニナが泣きながら頭を下げた。
ラウラも震える声で続ける。
私は二人を見る。
「私に謝るな」
二人がびくりと固まった。
「謝る相手は、傷つけた子たちだ」
「は、はい……」
「だが、今のお前たちをあの子たちに近づけるつもりはない」
二人の顔がさらに青ざめた。
それでいい。
今の二人が魔獣たちに謝りに行ったところで、あの子たちを怯えさせるだけだ。
私は床に倒れているセリアを見る。
「そいつを連れて去れ」
「は、はい……!」
ニナとラウラは慌ててセリアを抱え起こした。
二人とも震えているせいで、うまく動けていない。
それでも、必死にセリアの身体を支えている。
ベッラは、口を開きかけた。
だが、私と目が合うと、何も言わなかった。
私はベッラを見る。
「お前も帰っていいぞ。最初から来なくてよかったんだがな」
「……っ」
ベッラは悔しそうに唇を噛む。
言い返さない。いや、言い返せないのだろう。
いつもなら、ベッラの後ろには誰かがいた。
彼女の言葉に笑い、私を見下す者がいた。
けれど今、その三人はベッラの顔色など見ていない。
セリアを支えることで精一杯だった。
ベッラは一人、取り残されたような顔をした。
そして、何も言わずに管理室を出ていった。
扉が閉まる。部屋の中に、重い沈黙が残った。
その沈黙を破ったのは、ミーナだった。
「あ、あの……」
小さな声がした。
見ると、ミーナが両手を胸の前で握りしめていた。
まだ少し震えている。
だが、その目は怯えだけではなかった。
「リシェル様……」
「なんだ?」
「すごいです……!」
ミーナは、ぱっと顔を上げた。
「すごい?」
「はい……! 魔獣たちのために怒ってくださって、証拠も集めて、あの方たちにも全然怯まなくて……!」
なぜか、どんどん声に力が入っていく。
「かっこよくて、綺麗で、すごく素敵でした……!」
「……そうか」
私は少し困った。
前世で、恐れられることは多かった。
崇められることもあった。
だが、こういう目で見られることは、あまりなかった気がする。
純粋な憧れ。尊敬。好意。
慣れないな。
「まあ、ありがとう」
そう言うと、ミーナの顔が明るくなった。
「はいっ!」
可愛い。私は思わず、ミーナの頭に手を伸ばした。
「お前もよく話した。偉かったな」
そっと撫でる。ミーナの髪は柔らかかった。
猫とは違う。魔獣とも違う。
だが、これはこれで悪くない。
「はぅ……嬉しいです……」
ミーナは頬を赤くして、ふにゃりと笑った。
なるほど。人間の少女も、撫でるとこういう反応をするのか。
可愛いな。
そう思っていた時だった。
横から、妙な視線を感じた。
アルだ。彼は少しだけ眉を寄せ、こちらを見ていた。
不機嫌というほどではない。
だが、何か言いたそうな顔だ。
私はすぐに理解した。
「安心しろ、アル」
「何がだ」
「お前もあとで撫でてやる」
アルの顔が赤くなった。
「そんな顔はしていない」
「していたぞ」
「していない」
「撫でられたいのだろう?」
「違う」
「そうか。なら、今はいらないのか?」
「……ああ、今はいらない」
私は少し笑った。
「今は、か」
「揚げ足を取るな」
アルは視線を逸らす。耳が赤い。
ミーナはそのやり取りを見て、さらに目を輝かせていた。
「お二人、とても素敵です……!」
「やめろ」
アルが低く言った。
すると、管理教師が軽く咳払いをした。
「ええと……僕のこと、忘れていませんかね?」
アルが一瞬で姿勢を正した。
「す、すみません」
珍しく焦っている。
私は首を傾げた。
「忘れてはいないぞ」
「そう言っていただけると助かります」
管理教師は少し疲れたように笑った。
「いやあ、若いですねえ。事件の後に、自然と距離を縮める男女。青春ですねえ。僕にはなかったものです」
「違います」
アルが即答した。
管理教師は穏やかに頷く。
「ええ、そういうことにしておきましょう」
「本当に違います」
「はいはい」
アルの耳がまた赤くなった。
私は少し考える。
「青春とは、撫でることなのか?」
「違う」
「ふふっ」
アルがすぐに言った。
ミーナが小さく笑う。
管理教師も、疲れた顔のまま少し笑っていた。
重かった空気が、少しだけ和らいだ気がした。
管理教師は改めて真面目な顔になる。
「今回の件については、学園側で正式に処分を審議します。小型魔獣区画への出入り管理も厳しくします。世話当番には、教師か職員を必ず同伴させましょう」
「商人の件は?」
アルが尋ねる。
「すぐに確認します。学園内で生徒とやり取りをした商人がいたなら、大きな問題です」
管理教師は黒い紐を見た。
「術式についても調べます。これは、学園で認められている管理具とはまったく違う」
「頼みます」
アルが頷く。
「遅ければ、私が動く」
「リシェル、お前は動く前に先に俺に言え」
「では、お前に言ってから動く」
「動く前に相談しろという意味だ」
「難しいな」
「難しくない」
アルはため息をついた。
管理教師はそんな私たちを見て、また少し笑った。
「できれば、学園の手順の範囲内でお願いしますね」
「努力しよう」
「不安ですね」
正直な教師だ。
管理室を出る時、ミーナがもう一度頭を下げた。
「リシェル様、本当にありがとうございました……!」
「ああ」
私は軽く頷く。
「魔獣たちを頼む」
「はい!」
ミーナは嬉しそうに返事をした。
かなり元気になったようだ。
良いことだ。
廊下に出ると、アルが横で小さく息を吐いた。
「また妙な信者を増やしたな」
「信者?」
「今のはかなり近い」
「そうか。可愛かったな」
「そこなのか」
アルは呆れたように言う。
廊下の先では、生徒たちがちらちらとこちらを見ていた。
セリアたちが出ていったせいだろう。
すでに噂になっているのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
私たちは並んで歩く。
「また噂になるな」
アルが言った。
「困るのか?」
「面倒ではある」
「私は困らない」
「だろうな」
アルは少しだけ笑った。
その横顔を見ていると、つい手が伸びそうになる。
だが、廊下だ。人目も多い。
私は少し我慢した。
「何だ」
アルがこちらを見る。
「いや、撫でたいと思っただけだ」
「思っても言うな」
「言わないと伝わらないだろう」
「伝わらなくていい」
実に難しい。
しばらく歩いたところで、アルがふと真面目な声を出した。
「リシェル」
「なんだ」
「お前の魔力は、魔獣を落ち着かせる」
「そうなのか?」
「ああ。普通、あれだけ強い魔力なら怯える」
「なら、あの子たちは強い子たちだな」
「……そういう意味ではないが」
アルは少しだけ遠い目をした。
「うちにも、会わせてみたい相手がいる」
「猫か?」
「猫ではない」
「魔獣か?」
「近い。だが、普通の魔獣ではない」
普通の魔獣ではない。
私は少し首を傾げる。
「ふむ?」
「今はまだいい。少し、様子を見てからだ」
妙な言い方だった。
アルの横顔に、ほんの少し影が落ちた気がする。
「変な言い方だな」
「お前ほどではない」
「そうか?」
「ああ」
アルはそう言って、いつものように視線を逸らした。
気になる。だが、今すぐ問い詰めるほどではないだろう。
代わりに、私は手を伸ばした。
銀色の髪に触れる。
「……なぜ撫でる」
「難しい顔をしていたからだ」
「理由になっていないが」
「では、今日よく働いた褒美だ」
「それも理由になっていない」
そう言いながらも、アルは逃げなかった。
指先に触れる髪は、やはり柔らかい。
今日の件は、一つ片づいた。
だが、粗悪な制御具を渡した商人がいる。
まだ、可愛いものを守るためにやることはありそうだ。
可愛いものを守るためなら、多少面倒なことが増えても悪くない。
そう思いながら、私はもう一度だけ、アルの銀色の髪を撫でた。
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