第八話 「十七秒で人は燃える」
十七秒の動画は五分で十万再生を超えた。
速すぎる。
でも、こういうものはいつも速い。
人を褒める動画より、人を燃やす動画の方が足が速い。
【三年前の事故、未公開映像か】
タイトルは曖昧だった。
でも、曖昧だから強かった。
断定していない。
逃げ道がある。
それなのに、見た人間の頭の中では勝手に断定される。
画面の中で、若い俺が叫んでいた。
『戻れって言ってんだろ!』
その声だけが何度も切り抜かれている。
前後はない。
誰に言ったのかもない。
なぜ言ったのかもない。
ただ、俺が怒鳴っている。
それだけ。
《これ灰原?》
《声荒すぎ》
《やっぱ当時から危険煽ってたんじゃん》
《人殺し配信者、再燃》
《今日の件で美談になりかけてたの怖》
コメント欄が増えていく。
青崎は画面を見たまま、顔を硬くしていた。
「この映像、どこから……」
「分からないんですか」
ミオが聞く。
「少なくとも、俺の手元にあるものとは違います」
青崎はすぐに自分のスマホを操作した。
いつもの配信者の動きではない。
焦っている人間の動きだった。
指が少し滑っている。
それだけで、状況の悪さが分かった。
「灰原さん」
ミオが俺の袖を軽く掴んだ。
「見ない方がいいです」
「もう見ました」
「じゃあ、コメントは見ない方がいいです」
「もう見ました」
「じゃあ、もう何も見ない方がいいです」
「スマホ社会から引退ですね」
「一回それでもいいと思います」
ミオの声が少し震えていた。
俺より怒っているようにも見えた。
なぜか、それが少しだけ申し訳なかった。
俺はペットボトルの水を飲む。
さっきより味が薄い。
喉が乾いているのに、水が入ってこない。
青崎が顔を上げる。
「まず、これに反応しないでください」
「分かってます」
「配信もしないでください」
「……分かってます」
少し間が空いた。
青崎がそこに気づいた。
「灰原さん」
「しませんよ」
「今すぐやり返したくなるのは分かります」
「分かるんですか」
「分かります」
青崎は言った。
「俺も、燃えたことはあります」
意外だった。
青崎ユウトは燃えない人間に見える。
燃える前に消す。
消す前に謝る。
謝る前に空気を作る。
そんな人間に見える。
「青崎さんでも燃えるんですね」
ミオが言った。
「燃えますよ」
青崎は苦笑した。
「ただ、燃え方を選んできただけです」
燃え方を選ぶ。
嫌な言葉だった。
でも、たぶん正しい。
燃えるか燃えないかではなく、どう燃えるか。
この世界ではそれすら技術になる。
スマホがまた鳴る。
【急上昇ランキング】
1位 三年前の事故
2位 灰原レン 未公開映像
3位 霧島ハヤト 神回発言
4位 青崎ユウト 謝罪
5位 白瀬ミオ 水
「私の水、まだいる?」
ミオが画面を見て呟いた。
「そこだけ平和ですね」
「全然平和じゃないです」
「水で急上昇に乗る人、初めて見ました」
「嬉しくないです」
《白瀬ミオ 水》
《救命の女》
《ペットボトル案件待ったなし》
ミオがスマホを伏せる。
「もう二つ名いらない」
「ネット民に一番難しい注文ですね」
「白瀬ミオって名前あるんですけど」
「本名より二つ名の方が流通する世界なんで」
「最悪」
少しだけ会話が軽くなる。
でも、すぐに通知が戻してくる。
【切り抜き速報】
『灰原レン、三年前に怒鳴っていた』
【考察班】
『人殺し配信者は本当に冤罪なのか?』
【まとめ】
『灰原レン、今日の美談から一転か』
一転。
この言葉が嫌いだった。
誰かが一転させているだけなのに、まるで天気みたいに言う。
晴れ。
雨。
炎上。
冤罪。
再燃。
人間の評価はニュースアプリの天気予報みたいに変わる。
青崎が言った。
「移動しましょう」
「どこへ」
「事務所です。そこで俺が持っている映像を確認します」
「今、出しますか」
「見てからです」
青崎の声は固かった。
「下手に出したら、向こうの切り抜きと並べられて消費されます」
「もうされてますけど」
「もっと悪くなります」
もっと悪くなる。
想像できるのが嫌だった。
青崎が手配した車は裏口に来ていた。
俺たちは報道カメラを避けるように、職員用通路から外に出た。
それでも誰かに撮られていた。
遠くでスマホを構えている人がいる。
たぶん通行人。
たぶん野次馬。
たぶん、どこかの配信者。
もう区別がつかない。
《灰原、裏口から出た?》
《逃げた》
《いや事情聴取後だろ》
《青崎も一緒?》
《ミオちゃんもいる》
配信していないのに、コメント欄が見える気がした。
車に乗る。
後部座席に俺とミオ。
助手席に青崎。
運転は青崎のスタッフだった。
車が動き出す。
ダンジョン入口施設が遠ざかっていく。
その間にも十七秒の動画は伸び続けていた。
再生数。
コメント数。
引用。
考察。
反応。
全部が見えない場所で増えている。
ミオが小さく言う。
「灰原さん、スマホ貸してください」
「嫌です」
「見ちゃうでしょ」
「見ます」
「だからです」
「正直ですね」
「灰原さんも正直に渡してください」
「嫌です」
「子どもですか」
「炎上した大人です」
「もっと悪い」
ミオは手を出したまま待っている。
俺は少し迷って、スマホを渡した。
渡した瞬間、手元が軽くなる。
でも胸は軽くならなかった。
「電源切りますよ」
「そこまでは」
「切ります」
「いや、案件の返事が」
「今、水筒案件気にしてる場合ですか」
「少しだけ」
「少しだけ気にしてるのが最悪です」
ミオは本当に電源を切った。
黒い画面になる。
その瞬間、少しだけ世界が静かになった気がした。
でも、ただ見えなくなっただけだ。
燃えていないわけじゃない。
青崎が前を向いたまま言う。
「白瀬さん、正解です」
「ありがとうございます」
「配信者は燃えてる時ほどスマホを見ない方がいい」
「見ちゃいますよね」
「見ます」
青崎は即答した。
「だから、他人に取り上げてもらうのが一番です」
「青崎さんは誰に取り上げてもらうんですか」
ミオが聞く。
青崎は少し黙った。
「昔はマネージャーがいました」
「今は?」
「今は自分で我慢してます」
初めて、青崎が少し疲れて見えた。
トップ配信者。
登録者82万人。
爽やかで、正しくて、空気を整える人。
でも、スマホを見たいのを我慢しているだけの人でもある。
それだけで、少しだけ人間に見えた。
車内に沈黙が落ちる。
外は夕方だった。
窓の外のビルに西日が当たっている。
ダンジョンの中とは違う光なのに、なぜか安心しなかった。
地下から出てもネットの中はずっと暗い。
青崎の事務所は駅から少し離れたビルの三階にあった。
表札は小さい。
中は思ったより普通だった。
白い壁。
撮影用のライト。
防音材。
机。
椅子。
配信者の事務所というより、小さな制作会社みたいだった。
奥の棚には使い終わった企画用の小道具が並んでいる。
巨大なサイコロ。
割れた盾。
謎のカエルの被り物。
「カエル何ですか」
ミオが聞く。
「昔の企画です」
青崎が言う。
「黒歴史ですか」
「伸びました」
「じゃあ黒歴史じゃないですね」
「伸びた黒歴史です」
「一番嫌ですね」
少しだけ空気が緩んだ。
俺は椅子に座る。
ミオは隣。
青崎はノートパソコンを開いた。
「今から映像を見ます」
その言葉で、緩んだ空気がすぐ戻る。
青崎はファイルを開く。
画面には動画ファイルが一つあった。
ファイル名は日付だけだった。
三年前の日付。
それだけで手が冷たくなる。
「長さは?」
俺が聞く。
「二分四十二秒です」
「短いですね」
「でも、さっき出回った十七秒よりは長い」
青崎が言う。
「そして、たぶん十分です」
何に十分なのかは聞かなかった。
青崎が再生ボタンにカーソルを合わせる。
ミオが俺を見る。
「本当に見ます?」
「見ます」
「無理そうなら止めます」
「止めないでください」
「止めます」
「人の話聞いてます?」
「聞いた上で止めます」
ミオの声は真面目だった。
俺は何も言えなくなった。
青崎が静かに言う。
「始めます」
再生。
画面が揺れる。
三年前のダンジョン。
今より画質が悪い。
ライトの光も弱い。
でも、すぐ分かった。
あの場所だった。
地下6層の旧搬入口。
湿った壁。
狭い通路。
天井の低さ。
画面の奥に若い俺がいる。
灰色ではなく、黒いパーカーを着ていた。
髪も少し短い。
今より痩せている。
今より、目が生きていた。
嫌だった。
自分でそう思うのが嫌だった。
画面の中の俺は誰かに向かって言っている。
『戻った方がいい』
声は今より少し高い。
『ここ、音変じゃないですか』
周囲の配信者たちが笑う。
『また灰原のビビりセンサー出た』
『大丈夫だって』
『今日ここまで来て戻るの?』
コメント欄は画面には映っていない。
でも覚えている。
《また始まった》
《ビビりすぎ》
《探索者向いてない》
《戻ったら低評価》
覚えている。
嫌になるくらい覚えている。
若い俺が言う。
『いや、本当に戻った方がいいです』
そこへ、一人の男が映る。
顔を見た瞬間、喉が詰まった。
神谷リョウ。
三年前に死んだ探索者。
俺より一つ年上だった。
明るくて、よく喋って、コメント捌きが上手かった。
当時の俺よりずっと人気があった。
リョウは笑って言う。
『レン、心配しすぎ』
その声を聞いた瞬間、胸の奥が痛くなった。
思い出は映像より解像度が低いと思っていた。
でも違った。
声だけで、全部戻ってくる。
ミオが隣で息を呑む。
青崎は黙っている。
映像の中のリョウはカメラへ向かって笑った。
『大丈夫。危なかったらレンがまた叫んでくれるから』
周囲が笑う。
若い俺は笑っていない。
天井を見ている。
壁を見ている。
耳を澄ませている。
そして、少しだけ顔を変えた。
今なら分かる。
あの時、俺はもう気づいていた。
でも、うまく言えなかった。
言葉にできなかった。
喉が乾くとか、音が薄いとか、空気が変だとか。
そんな説明では誰も止まらない。
画面の中の俺が少し強い声で言う。
『戻れって』
誰かが笑う。
『怒んなよ』
『配信中だぞ』
『空気悪くなるって』
空気。
またその言葉だ。
若い俺の顔が歪む。
そして、さっき拡散された十七秒の部分に入った。
『戻れって言ってんだろ!』
怒鳴り声。
十七秒の動画ではそこで俺だけが怖く見えた。
でも本当は違った。
その直前に、天井から砂が落ちていた。
画面の端。
わずかに。
見ようとしなければ分からないくらい。
でも、映っていた。
俺はそれを見ていた。
だから怒鳴った。
叫んだ。
それなのに。
十七秒ではそこだけ切られていた。
画面の中で、リョウが振り返る。
『分かった、分かった。じゃあ一回――』
低い音。
映像が大きく揺れる。
崩落音。
叫び声。
ライトが落ちる。
画面が白くなる。
俺は思わず目を閉じた。
「灰原さん」
ミオの声。
「止めます」
「止めないで」
声が出た。
自分でも驚くくらい低い声だった。
ミオは一瞬黙った。
でも止めなかった。
映像は続く。
粉塵。
誰かの咳。
スマホが床に落ちているらしい。
画面は斜めになっていた。
そこに、俺の声が入る。
『リョウ!』
叫んでいる。
『リョウ! 返事しろ!』
映像の端に俺の足が映る。
走っている。
戻っている。
崩れた方へ。
誰かが叫ぶ。
『灰原、そっち行くな!』
『危ない!』
『戻れ!』
でも若い俺は戻らない。
粉塵の中へ入っていく。
映像は揺れて、音だけになる。
『リョウ!』
また俺の声。
それから聞いたことのない声が入った。
映像を撮っていたスタッフの声だ。
『止めろ、配信止めろ!』
『救助呼べ!』
『カメラ止めろって!』
そのあと、映像は突然終わった。
画面が黒くなる。
事務所の中が静かになった。
誰も喋らなかった。
外の車の音だけが遠くで聞こえた。
ミオが小さく言った。
「……全然、違うじゃないですか」
俺は何も言えなかった。
青崎も黙っている。
ミオの声が少し震える。
「灰原さん、助けに行ってるじゃないですか」
そうだった。
助けに行った。
でも助けられなかった。
その違いは世間には大きいかもしれない。
でも俺の中ではそこまで大きくない。
リョウは死んだ。
俺は生きている。
それは変わらない。
「これ、出しましょう」
ミオが言った。
青崎はすぐには頷かなかった。
「出せば、灰原さんへの見方は変わります」
「じゃあ出すべきじゃないですか」
「変わりすぎる可能性があります」
青崎の声は静かだった。
「今度は別の人が燃えます」
別の人。
誰のことかすぐ分かった。
当時、一緒にいた配信者たち。
リョウ。
撮っていたスタッフ。
止めなかった人。
笑っていた人。
そして、コメント欄。
ミオが黙る。
青崎は続ける。
「これを出したら、灰原さんは“助けようとした人”になる。でも同時に、あの場で笑っていた人たちが叩かれる」
「でも、それは」
「事実です」
青崎は言う。
「ただ、事実が出たからって、正しく燃えるわけじゃない」
その言葉が妙に重かった。
正しく燃える。
そんなものはたぶんない。
燃えたら、どこかに必ず燃え移る。
俺は黒い画面を見ていた。
映像は終わっている。
でも、まだ耳の中でリョウの声がする。
『危なかったらレンがまた叫んでくれるから』
そんなことを言うなよ。
俺は叫んだ。
でも間に合わなかった。
「灰原さん」
青崎が言う。
「決めるのは、あなたです」
嫌な言い方だった。
でも、正しい。
俺の映像だ。
俺の過去だ。
俺の炎上だ。
俺が決めるしかない。
その時、ミオのスマホが鳴った。
電源を切っていなかったミオの方に、通知が集中している。
ミオが画面を見る。
顔が変わった。
「……まずいです」
「何ですか」
ミオは画面をこちらに向ける。
【新着動画】
『三年前の事故、続き』
投稿者はさっきと同じ知らないアカウント。
再生数はすでに跳ねている。
青崎が立ち上がる。
「また?」
動画は二つ目だった。
今度は三十秒。
開く前から嫌な予感がした。
ミオが再生する。
画面は粉塵のあと。
誰かの声がする。
『灰原、まだ撮ってる?』
次に、若い俺の声。
『撮ってない!そんな場合じゃ――』
そこで切れている。
悪意のある切り方だった。
コメント欄がすでに流れている。
《撮ってないって言い訳してる?》
《本当に止めてたの?》
《証拠なくね?》
《人殺し配信者、やっぱ怪しい》
青崎の顔が青ざめた。
「向こう、映像を小出しにしてる」
ミオが言う。
「どういうことですか」
「炎上を長引かせるつもりです」
青崎は低い声で言った。
「灰原さんが何か言うたびに、悪く見える部分だけ出してくる」
喉が乾く。
水を飲もうとして、ペットボトルが空になっていることに気づいた。
ミオが立ち上がる。
「水、買ってきます」
「いや、大丈夫です」
「大丈夫じゃないです」
その時、俺のスマホの電源が勝手に震えた。
いや、切っていたはずだ。
ミオが持っている。
画面が光る。
電源が入っていた。
通知が大量に来ている。
その中に、一つだけ、知らないアカウントからのDMがあった。
【続き、まだあります】
添付画像。
三年前の俺の顔。
粉塵の中で叫んでいる顔。
メッセージは、もう一つ続いていた。
【全部出されたくなければ、今日の配信で認めろ】
何を。
聞かなくても分かった。
人殺し配信者。
その名前を。
俺自身の口で。
青崎が画面を見て、低く言った。
「脅迫です」
ミオの声が震える。
「誰なんですか、これ」
俺はスマホを見つめた。
画面の中の若い俺は必死な顔をしていた。
助けようとしている顔だった。
でも切り方次第で、いくらでも悪人に見える。
人は十七秒で燃える。
そして、十七秒では助からない。
俺はしばらく黙っていた。
それから青崎を見た。
「配信設備、ありますよね」
青崎の顔が変わる。
「灰原さん」
「やります」
ミオが立ち上がる。
「駄目です」
「出されたくないからじゃないです」
声が自分でも意外なくらい落ち着いていた。
「認めるためでもないです」
俺は黒い画面を見た。
三年前の自分。
今日助かった初心者。
霧島。
リョウ。
コメント欄。
全部が混ざっていた。
「これ以上、十七秒で人を裁かせないためにやります」
青崎は黙っていた。
ミオも黙った。
数秒後、青崎が深く息を吐いた。
「分かりました」
「止めないんですか」
「止めたいです」
青崎は言った。
「でも、止めてもたぶんあなたはやる」
「はい」
「なら、こっちで準備します」
青崎はノートパソコンを閉じた。
その顔は配信者の顔だった。
でも、さっきまでとは違った。
空気を整える顔じゃない。
火の中に入る準備をする顔だった。
「ただし」
青崎は俺を見る。
「一人では出させません」
ミオが頷いた。
「私も出ます」
「白瀬さんは」
「出ます」
ミオは即答した。
「今日ここで逃げたら、私は一生、登録者が増えるたびに気持ち悪くなるので」
その言葉に何も返せなかった。
青崎が頷く。
「分かりました」
事務所の奥でライトが点いた。
カメラが起動する。
配信ソフトの画面が開く。
タイトル欄が空白で表示される。
青崎が聞いた。
「タイトル、どうしますか」
俺は少し考えた。
それから言った。
【三年前の事故について】
青崎が入力する。
ただそれだけのタイトル。
でも、たぶん人は来る。
嫌になるくらい来る。
配信開始ボタンが表示される。
俺は椅子に座った。
隣にミオ。
少し後ろに青崎。
コメント欄はまだ空だった。
でも開始すればすぐ埋まる。
十七秒では足りないものを、俺はこれから話す。
足りるかどうかは分からない。
誰が信じるかも分からない。
でも。
俺はボタンを押した。
配信開始。
同接は、三秒で5万人を超えた。




