第四話 死神、現地入り
ダンジョン入口へ向かうタクシーの中で白瀬ミオの登録者がまた2万人増えた。
「……怖い」
ミオはスマホを両手で持ったまま、小さく呟いた。
「増えてるんだからいいだろ」
「いいんですけど…増え方が気持ち悪いんです」
《死神ブースト継続中》
《白瀬ミオ、人生最大のバズ》
《今日の事故ヒロイン》
「事故ヒロインって何ですか」
「新ジャンルだな」
「嫌すぎる」
ミオは黒キャップを深く被り直した。
車窓の外に大阪中央ダンジョンの入口施設が見えてくる。昼なのに人が多い。報道カメラ、探索者、野次馬。昨日の崩落事故のせいで、普段より明らかに空気が浮いていた。
こういう時の人間はだいたい同じ顔をする。
怖いものを見に来た顔だ。
スマホがまた鳴る。
【白瀬ミオ切り抜き速報】
『死神の女、登録者爆増で震える』
「もう切り抜かれてるんですけど」
「震えてたしな」
「震えてましたけど」
「なら正確な報道だな」
「報道じゃないです。切り抜きです」
タクシーが停まる。
俺が料金を払おうとするとミオが先にスマホをかざした。
「ここは私が」
「いや、いいです」
「今日、登録者増えたので」
「言い方が成金すぎる」
「昨日まで案件単価で悩んでたんですよ。少しくらい調子乗らせてください」
ミオはそう言って少しだけ笑った。
その笑い方はさっきより自然だった。
でも入口前に着いた瞬間、その顔が固まる。
人が多すぎる。
そしてその何割かがこっちを見ていた。
「あ、死神だ」
誰かが言った。
声は小さかった。
でも、周囲に十分届く大きさだった。
ミオが少しだけ俺の後ろに隠れる。
「慣れてます?」
「慣れたくはなかった」
「ですよね」
配信はまだ始めていない。
なのに、もう誰かのスマホ越しに俺たちは見られていた。
知らないアカウントのコメント欄に自分の後ろ姿が映っている。
《現地入りきた》
《死神、本当に来た》
《ミオちゃん隠れててかわいい》
《今日ガチで何かある?》
「俺たちの方が配信してないのにもう配信されてるんだよな」
「現代って最悪ですね」
「今さら?」
俺は水を飲む。
喉が乾く。
嫌な感じは、まだ消えない。
「灰原さん」
声をかけてきたのは青崎ユウトだった。
昨日より顔色はいい。白いパーカーの上に薄いジャケットを羽織っている。腕の包帯は見える位置にある。たぶん、見せすぎない程度に見せている。
その横には撮影スタッフ。
もう配信していた。
「お疲れ様です」
青崎は笑った。
爽やかだった。
入口前のざわつきが少しだけ整う。
《青崎きた》
《昨日の被害者》
《この3人並ぶの熱い》
《灰原、白瀬、青崎は草》
「いや、昨日は本当に助かりました」
青崎が頭を下げる。
周囲が少しざわつく。
カメラがこちらを向く。
うまいな、と思った。
ここで感謝すれば青崎は大人だ。
俺が変に返せば俺の方が空気を壊す。
「無事でよかったです」
俺が言うと青崎は少し笑った。
「灰原さん今日も何か感じてるんですか?」
言い方は軽い。
でも目はこっちを見ていた。
昨日みたいな余裕だけじゃない。
少し探っている。
「感じてます」
答えた瞬間、コメント欄が一気に流れた。
《うわ》
《来た》
《本日の死亡予報》
《やっぱ何かあるんだ》
「死亡予報って何だよ」
思わず言うと青崎が小さく笑った。
「天気予報みたいですね」
「降水確率みたいに言わないでください」
ミオがぼそっと言う。
「今日は午後から死体が降るでしょう」
「最悪のニュース番組やめろ」
《ミオちゃん意外と毒舌》
《死体予報は草》
《この3人会話いけるな》
少しだけ空気が軽くなる。
でも喉の渇きは消えない。
青崎はすぐカメラへ向き直った。
「皆さん、今日は無理せず安全第一で行きましょう」
《青崎まとも》
《やっぱ安心感ある》
《灰原は怖いけど青崎いると落ち着く》
青崎のコメント欄は綺麗だった。
配信者のチャンネルには、本人の空気が出る。
青崎の場所では、みんな少しだけ良い人になる。
それが少し怖かった。
ミオが俺の袖を軽く引く。
「霧島さん、もう入ってます」
スマホを見る。
霧島ハヤトの配信はすでに8層へ向かっていた。
同接6.2万。
赤ジャケットの霧島がカメラに向かって笑っている。
「死神さん見てるー?」
霧島が手を振った。
《煽るな》
《フラグ立てんな》
《霧島、今日テンション変》
《見てるぞたぶん》
霧島の後ろには初心者探索者が3人。
そのうち1人、ヘルメットを何度も触っていた男が、やっぱり出口側ばかり見ている。
胸の奥が重くなる。
俺は水筒を握り直した。
「行きます」
青崎が聞く。
「灰原さんも?」
「はい」
「配信つけます?」
少し迷った。
つけた方が数字は伸びる。
つけない方が安全かもしれない。
でも、つけなかったら。
また、後から切り抜かれる。
俺はスマホを起動した。
【配信を開始しますか?】
指が少し止まる。
ミオが横から覗き込む。
「つけるんですか」
「つけないと誰かが勝手に俺の配信を始めるんで」
「現代の地獄みたいな理由ですね」
配信開始。
同接は最初から3.1万あった。
《来た》
《本物の死神チャンネル》
《今日も頼む》
《頼むって何を?》
「頼むな」
《草》
《本人が一番嫌そう》
《でも頼む》
「頼むなって」
俺たちはゲートを抜けた。
地下へ降りる階段は昨日より冷たかった。
4層、5層。
進むほど音が薄くなる。
ミオは思ったより足取りが軽かった。動画用の派手さはないけれど、探索者としてはちゃんとしている。小柄な分、動きに無駄が少ない。
ただ、通知が鳴るたびに視線がスマホへ落ちる。
「前見てください」
「見てます」
「今、登録者見てましたよね」
「見てました」
「認めるの早いな」
「44万になってたので」
《草》
《気持ちは分かる》
《数字は麻薬》
《探索中に見るな》
ミオが少しだけ唇を尖らせる。
「灰原さんだって同接見てますよね」
「見てません」
「じゃあ今何人ですか」
「3.8万」
「見てるじゃないですか」
「見えてるだけです」
「言い訳が配信者すぎる」
その後ろから、青崎の配信チームもついてきていた。
一定の距離を保っている。
近づきすぎない。
離れすぎない。
青崎はそういう距離が本当にうまい。
8層入口。
空気が変わった。
喉が乾く。
水を飲んでも、まだ乾く。
耳鳴りが小さく始まる。
俺は立ち止まった。
ミオも止まる。
青崎も止まる。
コメント欄も少し遅れて気づく。
《止まった》
《来た?》
《死神センサー?》
《水飲んだら危険信号》
「音がない」
俺は言った。
ミオが周囲を見る。
「音?」
「魔物の音も、人の声も薄い」
「でも霧島さんの声、配信で聞こえてますよ」
「配信越しじゃなくて現地の音です」
青崎が柔らかく言う。
「灰原さん、ここで不安煽ると本当に危ないです」
また正論だった。
でも、今回は青崎の声にも少し緊張が混ざっていた。
俺は霧島の配信を見る。
霧島は未確認ルートの前に立っていた。
「じゃ、行きまーす!」
その瞬間。
後ろにいた初心者の男がはっきり口を動かした。
音は拾えていない。
でも、分かった。
帰りたい。
そう言っていた。
耳鳴りが、一段強くなる。
「止める」
俺は走り出した。
《うおおお》
《死神ダッシュ》
《これガチだ》
《青崎も行け!》
背後でミオが叫ぶ。
「待ってください!」
通路を曲がる。
8層の壁はところどころ黒く湿っていた。昨日とは違う臭いがする。鉄じゃない。もっと生ぬるい。
前方から霧島の声が聞こえた。
「え、何? 灰原さん来た?」
笑っている。
まだ笑っている。
俺は息を切らしながら叫んだ。
「そのルート入るな!」
霧島が振り返る。
赤ジャケットがライトに照らされる。
「いやいや、来るの早すぎでしょ」
周囲の探索者がこっちを見る。
初心者の男はもう泣きそうな顔をしていた。
霧島のコメント欄が流れる。
《死神乱入》
《神展開》
《止めに来たぞ》
《霧島、逃げろ》
霧島はカメラへ向かって笑った。
「いやー、これもうコラボっすね」
その瞬間。
奥の暗闇から何かが鳴いた。
犬みたいな声だった。
でも、数が多い。
1匹じゃない。
10でもない。
通路の奥から黒い影が波みたいに動く。
霧島の笑顔が消えた。
「……は?」
次の瞬間、コメント欄が爆発した。
《群れだ》
《やばい》
《多すぎ》
《逃げろ逃げろ逃げろ》
俺は叫んだ。
「全員、戻れ!!」
霧島は一瞬遅れた。
その一瞬で初心者の男が腰を抜かした。
黒い犬型モンスターが通路の奥から雪崩のように押し寄せてくる。
俺は男の腕を掴む。
重い。
動かない。
ミオが横から飛び込んできて反対側の腕を掴んだ。
「立って!」
声が配信用と違った。
低くて、必死だった。
青崎も走ってきた。
「こっち!」
青崎は笑っていなかった。
カメラを見る余裕もない。
その顔を見て少しだけ安心した。
この人もちゃんと怖がるんだと思った。
犬型モンスターの一匹が飛びかかる。
俺は咄嗟に水筒を投げた。
何の意味もないと思った。
でも金属音に反応して、モンスターの頭が一瞬だけ逸れる。
その隙に男を引きずる。
コメント欄が滝みたいに流れる。
《水筒!?》
《死神、水筒で生存ルート作るな》
《地味すぎるファインプレー》
《水筒案件来るぞ》
「来るな、そんな案件」
自分でも驚くくらい、変なところで声が出た。
ミオが必死に男を引きながら言う。
「今それ言う余裕あります!?」
「ないです」
「じゃあ黙ってください!」
《怒られてて草》
《ミオちゃん強い》
《死神、水筒案件を拒否》
笑ってる場合じゃない。
でも、その数秒だけ少し息が戻った。
俺たちは走った。
背後で霧島が叫んでいる。
「待って、待って!」
さっきまでの配信用の声じゃない。
本当に怖がっている声だった。
俺は振り返る。
霧島が転びかけていた。
赤ジャケットの裾を、モンスターの爪が掠める。
助けるか。
一瞬だけ迷った。
その瞬間、霧島の配信画面のコメントが目に入った。
《灰原なら分かってたんだろ》
《また見捨てるのか?》
《前と同じじゃん》
最悪のタイミングで最悪のコメントだった。
俺は舌打ちして霧島の方へ走った。
「こっち来い!」
霧島の顔が歪む。
恐怖と、驚きと、少しの屈辱。
俺はその腕を掴んだ。
霧島は軽くなかった。
派手な配信者用ジャケットの下に防具をかなり仕込んでいる。
ちゃんと怖がっているくせに死なない準備だけはしている。
そこだけ少し腹が立った。
「走れ!」
「分かってるって!」
「分かってる奴の返事じゃないだろ!」
霧島がよろける。
俺も引っ張られる。
視界の端で青崎のカメラがこっちを向いているのが見えた。
切り抜かれる。
そう思った。
でも、もう遅かった。
俺は霧島を引っ張り、叫んだ。
「今それ撮ってる場合じゃないだろ!」
自分でも誰に言ったのか分からなかった。
霧島に言ったのか。
青崎のカメラに言ったのか。
コメント欄に言ったのか。
それとも三年前の自分に言ったのか。
その一言が、3つの配信に同時に乗った。
数秒後。
【切り抜き速報】
『人殺し配信者、炎上系配信者を救う』
さらに通知。
【切り抜き速報】
『灰原レン「今それ撮ってる場合じゃないだろ!」』
早すぎる。
切り抜き師は本当に人の心がない。




