第十二話 リョウで伸びた
【神谷リョウ追悼切り抜き集】
タイトルを見た瞬間、指が止まった。
開きたくなかった。
でも、開かなくても分かる。
そこに俺たちの顔が並んでいるのだろう。
三年前。
神谷リョウが死んだあと。
配信者たちが泣き、語り、悼み、そして伸びた日の映像。
青崎が低い声で言った。
「開きます」
誰も止めなかった。
止めたところで、外ではもう再生されている。
動画が始まる。
最初に映ったのはリョウの笑顔だった。
ダンジョンの入口でカメラへ手を振っている。
『はい、今日も死なない程度に行きましょう』
軽い声。
コメント欄が画面に焼き込まれている。
《リョウくん安定》
《死なない程度に死ぬな》
《今日も神回頼む》
胸の奥が重くなる。
リョウはもういない。
でも、動画の中では何度でも笑う。
次に、画面が切り替わった。
【事故翌日】
若い青崎が映る。
今より髪が暗くて、顔つきも少し幼い。
白い部屋で、泣いている。
『リョウさんには、何度も助けてもらいました』
声が震えている。
その横に当時のコメント欄が流れている。
《泣いた》
《青崎くんつらそう》
《リョウさんの分まで頑張って》
《チャンネル登録した》
青崎は画面を見たまま動かなかった。
ミオも何も言わない。
俺は青崎の横顔を見る。
今の青崎なら、こんな映像は出さないだろう。
泣きすぎない。
言いすぎない。
余白を残す。
でも、三年前の青崎はまだ下手だった。
下手だから、生々しかった。
次の映像。
知らない女性配信者が、涙を拭きながら言う。
『リョウくんのこと、忘れません』
コメント欄。
《追悼配信ありがとう》
《みんなで覚えてよう》
《登録しました》
次。
中堅探索者。
『危険な仕事だって、改めて思いました』
《安全第一》
《応援してます》
《リョウさんの事故でこの人知った》
次。
まとめチャンネル。
【神谷リョウさん事故 何が起きたのか】
再生数。
120万。
次。
考察系。
【人殺し配信者・灰原レンは何をしていた?】
再生数。
380万。
若い俺の顔がサムネになっている。
暗く潰された目。
赤い文字。
【なぜカメラを止めなかった?】
ミオが小さく息を吸った。
「これ……」
「見たことありますか」
俺が聞く。
ミオは少し迷ってから頷いた。
「たぶん、あります」
正直だった。
それで十分だった。
動画は続く。
霧島ハヤトの昔の投稿も入っていた。
当時はまだ今ほど有名ではない。
ショート動画の画面。
『いやー、探索者ってマジで命張ってるよな。俺もいつかこういう現場で本物見せたいっす』
コメント欄。
《不謹慎だけど分かる》
《霧島ならやりそう》
《命張る系期待》
ミオが顔をしかめる。
「……これ、今見るときついですね」
「今じゃなくてもきついですよ」
「それはそうです」
霧島は、あの時からこうだったのか。
それとも、あの空気に乗って、そうなったのか。
分からない。
たぶん本人にも分からない。
動画の最後に文字が出た。
【みんな、神谷リョウで伸びた】
その一文で終わった。
事務所の中が静かになる。
通知だけが鳴っている。
動画はもう拡散されている。
コメント欄が画面の下で流れ始めていた。
《これはきつい》
《全員リョウで伸びたは本当》
《でも追悼まで叩くのは違う》
《灰原だけ叩かれてたの何だったんだ》
《青崎も霧島もミオも全員じゃん》
《見てた俺らも同じだろ》
最後のコメントだけ、少し目に残った。
見てた俺らも同じ。
そうだ。
でも、それを言った瞬間に全部が薄まる。
全員同じ。
それは真実に見えて、たぶん逃げ道でもある。
青崎が口を開いた。
「これ、かなり悪意ありますね」
「でも、嘘じゃない」
俺が言う。
青崎は頷く。
「はい。嘘じゃないです」
ミオがスマホを握りしめた。
「それが一番嫌です」
その声は小さかった。
「嘘なら怒れるのに」
分かる。
嘘なら楽だ。
デマだ。
捏造だ。
訴える。
そう言える。
でもこれは、ほとんど事実だった。
ただし切り方が悪い。
並べ方が悪い。
言葉が悪い。
でも、その悪意を取り除いても、核にあるものは消えない。
リョウが死んだあと、いろんな人間が伸びた。
俺は叩かれて伸びた。
青崎は泣いて伸びた。
霧島は憧れて伸びた。
ミオは見ていた側だった。
視聴者は、見て、叩いて、泣いて、登録した。
誰も完全に外側にはいない。
「相手は誰なんですか」
ミオが言う。
「これ、ただのアンチじゃないですよね」
「たぶん」
青崎は画面を見たまま言う。
「当時の配信アーカイブやコメント欄をかなり持ってる。関係者か、相当古い視聴者です」
「リョウさんのファン?」
ミオが聞く。
青崎はすぐには答えなかった。
「可能性はあります」
俺はリョウの笑顔を思い出した。
リョウにはファンが多かった。
明るくて、優しくて、軽くて、危険な場所でも画面を暗くしない。
そういう人だった。
だから死んだ時、みんなが泣いた。
そして、すぐに誰かを責めた。
責める相手が必要だった。
そこに俺がいた。
「リョウのファンなら」
俺は言った。
「俺だけ燃やせばよかったんじゃないですか」
ミオがこちらを見る。
青崎も少し顔を上げた。
「今まではそうだった」
俺は続けた。
「三年間ずっと、俺が燃えてた。それで済んでた。でも今日、俺が少し違う見え方になったから」
「だから他も燃やし始めた?」
ミオが言う。
「たぶん」
自分で言って、嫌になる。
俺が少し救われそうになったから、他の人間が燃え始めた。
救いが、火種になる。
青崎が低く言った。
「犯人の目的は、灰原さんを燃やすことじゃないかもしれません」
「じゃあ何ですか」
「神谷リョウの死を、誰にも綺麗に使わせないこと」
その言葉で、少しだけ部屋が冷えた。
誰にも綺麗に使わせない。
俺を悪役にすることも。
青崎を善人にすることも。
霧島を分かりやすい悪人にすることも。
ミオを反省した若い配信者にすることも。
全部許さない。
そういう怒り。
分からなくはない。
分からなくはないのが、一番厄介だった。
ミオが言う。
「でも、だからってこんな出し方」
「駄目です」
青崎がすぐに言った。
「どんな理由があっても、脅迫していいことにはならない」
その声は今までより少し強かった。
青崎自身が狙われたからかもしれない。
ミオが狙われたからかもしれない。
それとも、ようやく怒れる場所を見つけたのかもしれない。
スマホが鳴る。
また脅迫アカウント。
【思い出した?】
誰のスマホにも来ていた。
俺。
青崎。
ミオ。
同じ文面。
【思い出した?】
ミオの顔が歪む。
「気持ち悪い」
青崎がすぐにスクショを取る。
「証拠として残します」
「冷静ですね」
ミオが言う。
「冷静じゃないです」
青崎は言った。
「冷静な動きをしてるだけです」
その言い方が少し青崎らしくて、少し笑いそうになった。
でも笑えなかった。
次のメッセージ。
【リョウを忘れて伸びたやつらへ】
さらに続く。
【次はリョウの最後の配信を全部流す】
俺の手が止まる。
青崎の顔が変わる。
ミオも息を呑む。
「全部って」
ミオが言う。
「まさか、事故の」
「分からない」
青崎が言った。
でも、声は硬い。
「ただ、もし本当に全部持っているなら、遺族や関係者に連絡が必要です」
遺族。
その言葉が出た瞬間、俺は背筋が冷えた。
そうだ。
俺たちが燃えている。
青崎が燃えている。
ミオが燃えている。
霧島が燃えている。
でも、その中心にいるのはリョウだ。
そしてリョウには家族がいた。
親がいる。
姉がいる。
三年前、俺は一度だけ会った。
葬儀ではない。
協会の聞き取りのあと、短い時間だけ。
リョウの母親は俺に何も言わなかった。
責めなかった。
許さなかった。
ただ、俺を見なかった。
それが一番残っている。
「リョウさんのご遺族には」
ミオが言う。
「連絡、行ってますよね」
「行ってると思います」
青崎が言う。
「でも、ネットの方が早いこともある」
最悪だった。
遺族が、ネットで自分の家族の最後を知る。
考えたくなかった。
でもあり得る。
この世界では大体、最悪のことは起きる。
俺は立ち上がった。
「協会に行きます」
青崎がすぐに反応する。
「今から?」
「はい」
「待ってください。こちらから連絡を」
「待ってたら、向こうが先に出します」
自分の声が少し荒くなる。
ミオが立ち上がる。
「私も行きます」
「白瀬さんは」
「行きます」
即答だった。
青崎も立ち上がる。
「俺も行きます」
「青崎さんは今、燃えてるんで」
「あなたもずっと燃えてます」
「それはそう」
「全員燃えてるなら、もう一緒です」
ミオが言った。
「炎上パーティですね」
「最悪のパーティ名だな」
俺が言う。
ミオは少しだけ笑った。
「ダンジョン攻略より嫌です」
青崎がスマホを取ろうとして、俺の手の中にあることを思い出した。
「返してもらっていいですか」
「見ますよね」
「見ます」
「正直」
「でも必要です」
俺は少し迷って、返した。
青崎は画面を見る。
顔をしかめる。
すぐに通知を切った。
「見ましたね」
ミオが言う。
「見ました」
「そして切りましたね」
「成長しました」
「小学生みたいな成長ですね」
ほんの少しだけ空気が軽くなる。
でもすぐ戻る。
青崎が協会に電話をかける。
声は落ち着いていた。
「青崎です。三年前の神谷リョウさんの事故映像について、至急確認したいことがあります」
その名前を聞くたびに、胸が少し痛む。
リョウ。
リョウ。
リョウ。
三年間、俺はその名前を避けていた。
今日、何回呼んだか分からない。
青崎は短く話し、電話を切った。
「協会側も把握しています。担当者が来るそうです」
「ここに?」
「はい。ここに」
「じゃあ行かなくていいんですか」
「今動くと撮られるので」
正論だった。
でもじっとしているのがきつい。
ミオが椅子に座り直す。
スマホを見ようとして、止める。
手が空中で止まっている。
「見ないんですか」
俺が聞く。
「見たいです」
「見ないんですか」
「見たらたぶん泣くので」
「じゃあ見ない方がいいですね」
「はい」
でもミオの指は、まだスマホの近くにある。
俺も人のことは言えない。
俺だって見たい。
今どうなっているのか。
何を言われているのか。
どれくらい燃えているのか。
知りたい。
知ったところで何もできないのに。
青崎が事務所の冷蔵庫から水を持ってきた。
3本。
ラベルのないペットボトル。
「飲みましょう」
「水筒じゃないんですね」
ミオが言う。
青崎が苦笑する。
「今は水筒を見ると、少し笑ってしまうので」
「笑っていいんですかね」
「分かりません」
俺は水を受け取った。
冷たい。
ちゃんと味がした。
喉が、少しだけ楽になる。
その時、青崎のスタッフが部屋に入ってきた。
若い男だった。
さっきまで運転していた人。
顔色が悪い。
「青崎さん」
「どうしました」
「外に、記者が来てます」
青崎の顔が少しだけ固まる。
「何人?」
「今、三人です。でも増えそうです」
「早いですね」
俺が言う。
青崎が苦笑する。
「場所、割れました」
ミオが小さく言う。
「誰が」
青崎のスタッフが視線を落とす。
「たぶん、配信の背景です。事務所の防音材とか、窓の形とかで」
「特定班?」
「はい」
最悪だった。
青崎の事務所まで、もう配信の中に引きずり出されている。
青崎は少し考えた。
「表には出ません」
「でも記者が」
「出たら絵になります」
青崎は言う。
「今は絵を渡さない方がいい」
配信者の判断だった。
見せるか。
見せないか。
その判断を、青崎は呼吸みたいにする。
ミオが小さく言った。
「見せないのも技術なんですね」
「はい」
青崎は頷いた。
「俺が一番練習してきた技術です」
その言葉が少し重かった。
見せない技術。
燃えない技術。
綺麗にいる技術。
今、その全部が剥がされようとしている。
インターホンが鳴った。
全員が一瞬止まる。
スタッフがモニターを見る。
「協会です」
青崎が頷く。
「通してください」
数分後、協会の担当者が入ってきた。
四十代くらいの女性だった。
黒いスーツ。
髪を後ろでまとめている。
名刺には、
【探索者安全管理協会 事故調査部 真田】
と書かれていた。
真田は俺たちを見て、深く頭を下げた。
「まず、今日の件、お疲れ様でした」
形式的な言葉だった。
でも声は少し疲れていた。
この人も一日中、火を消しているのだろう。
「三年前の神谷リョウさんの映像について、確認します」
真田はすぐ本題に入った。
「現在拡散されている映像は、協会が保管している公式記録ではありません」
「じゃあ誰が」
ミオが聞く。
「現場配信者、スタッフ、視聴者録画、複数の可能性があります」
真田は言う。
「当時の配信は、多数のミラー、切り抜き、録画が存在していました。完全な把握はできていません」
完全な把握はできていない。
それはつまり、誰が何を持っているか分からないということだ。
「最後の配信を全部流す、と脅されています」
青崎が言う。
真田は頷いた。
「そのメッセージも確認しました。こちらにも転送してください」
青崎がスマホを操作する。
真田は続ける。
「神谷さんのご遺族には協会から連絡を入れています」
俺は顔を上げた。
「もう?」
「はい」
「ご遺族は」
言いかけて、止まる。
何を聞くつもりだったのか分からない。
怒っているか。
悲しんでいるか。
俺の配信を見たか。
そんなことを協会の人間に聞いてどうする。
真田は少しだけ間を置いた。
「ご遺族は、映像の拡散を望んでいません」
部屋が静かになる。
当たり前だった。
当たり前なのに、誰もその当たり前を最初に置けていなかった。
俺は自分が嫌になった。
自分の冤罪。
青崎の炎上。
ミオのコメント。
霧島の投稿。
全部、リョウの死の周りで起きている。
でもリョウの家族は映像の拡散を望んでいない。
それだけの話だった。
「だったら」
俺は言った。
「俺たちはもう、あの映像を出さない方がいいんですよね」
真田は俺を見る。
「少なくとも、これ以上、無断で公に出すことは避けてください」
青崎が頷く。
「分かりました」
ミオも小さく頷く。
でも、スマホは鳴り続けている。
相手は出すと言っている。
俺たちが止めても、向こうが止まるとは限らない。
真田は言った。
「ただし、悪意ある編集映像への対応は必要です。協会から公式に声明を出します」
「声明?」
「三年前の事故映像の拡散を控えること。ご遺族が望んでいないこと。現在、脅迫行為を確認していること」
真田の声は事務的だった。
でも、その事務的な声が少し頼もしかった。
感情より手続きが必要な時もある。
「灰原さん」
真田が俺を見る。
「あなたにも協会から個別に確認があります」
「はい」
「三年前の事故について、今後ご遺族との面会を希望しますか」
息が止まった。
ミオがこちらを見る。
青崎も黙る。
リョウの家族。
俺を見なかった母親。
その記憶が戻る。
面会。
そんなこと考えたこともなかった。
いや、考えないようにしていた。
「今すぐでなくて構いません」
真田は言った。
「ただ、今回の件で、過去の記録と向き合う必要が出ています」
必要。
その言葉が重い。
俺は水のボトルを見る。
ラベルのない透明な水。
中身は半分くらい減っている。
「……分かりません」
正直に言った。
「会いたいのか、会いたくないのかも、分かりません」
「分かりました」
真田は責めなかった。
「では、保留にします」
保留。
ありがたい言葉だった。
人生にも保留ボタンがあるのだと、少しだけ思った。
その時。
真田のスマホが鳴った。
真田は画面を見る。
表情が変わる。
「出ました」
短く言った。
青崎が立ち上がる。
「何が」
「協会声明の前に、向こうが出しました」
俺のスマホにも通知が来る。
ミオのスマホにも。
青崎のスマホにも。
【神谷リョウ最後の配信 完全版】
投稿されたばかり。
再生数は、まだ数百。
でも伸びている。
真田が低い声で言う。
「開かないでください」
でも、もうサムネが見えていた。
粉塵の中。
倒れたライト。
若い俺の背中。
そして、赤い文字。
【全員、見ていた】
ミオが口元を押さえた。
青崎が固まった。
俺は画面から目を離せなかった。
真田がもう一度言う。
「開かないでください」
その声は命令に近かった。
でも外ではもう、誰かが開いている。
誰かが見ている。
誰かが切り抜く。
リョウの最後が、またコンテンツになる。
俺はスマホを伏せた。
初めて、自分の意思で伏せた。
それでも、通知音だけは鳴り続けていた。




