第61話 館襲撃
アリッサは慌ててカサノバに駆け寄る。
胸と口元に手を当てる。
――大丈夫、まだ息はある。
体中に鋭利な刃物の切り傷、刺し傷。
エリザベスとの戦い?
そして、背中に大きな噛み傷。
これって、もしかして……
気配を感じてハッと顔を上げる。
開いた扉から、白い大きな塊が、
ゆっくりと入って来た。
追っ手の、
ホワイトタイガーの魔獣……
怒りを孕んだ目。
アリッサは動けない。
目を逸らせない。
「グルルル」
魔獣の呻き声。
息が顔まで届きそうだ。
目と鼻の先に、開いた口が迫って来る。
牙は赤く濡れている。
武器も防具も無い。
駄目だ。やられる!
アリッサは両手で頭を押さえて目を瞑った。
どさっ
大きな音。
恐る恐る目を開けると、
床に倒れ込んだホワイトタイガーの姿があった。
よく見ると、腹部に大きな傷。
そこから内臓が垂れ下がっていた。
――カサノバが仕留めたんだ。
カサノバの背中を見る。
――噛まれながら……
そして、開いた扉に目を向ける。
更に追っ手が来る。
カサノバを治療してる時間もない。
そして、修道院の中を見渡す。
メイトリックスは昏睡状態……
シンディは魔法を使い尽くして失神……
カサノバの仲間たち二人は意識朦朧……
カサノバは瀕死の状態……
それでも容赦なく、
次の追っ手は襲って来るだろう。
武器は、
ボロボロのホワイトタイガーのナイフ。
防具は、
メイトリックスの鎧の右腕。
アリッサは、この二つを手に取って、
扉の外に向かった。
まだ、小雨がぱらついていた。
右手に鎧を装着して
左手にナイフを構える。
「テン、近づいて来るものを監視してて」
『かしこまりました、アリッサ様』
修道院の扉を背にして構える。
足が震えた。
追っ手が
ホワイトタイガーでも、
大勢の兵士でも、
エリザベスでも、
魔法使いでも、
勝てるはずがないと分かってる。
でも、他に方法がない。
スマートウォッチが震えた。
アリッサの背中がビクッと動いた。
――来た!
『何か大きな物が向かって来ます』
「どっちから?」
声が震える。
『空からでございます』
上を見上げる。
巨大な竜がこっちに向かって
舞い降りてくるのが見えた。
クリツァだ!
そして、扉の方を振り返った。
ホワイトタイガーの死体が目に入った。
――そうか。魔獣の死体を回収しに来たんだ。
アリッサは、
希望の谷でのホワイトタイガーとの戦いの後、
死体を回収しに現れたクリツァの姿を思い出した。
「テン、私の声を拡声して」
そして大きな声で叫ぶ。
「クリツァァァァッ!」
テンがアリッサの叫び声を繰り返した。
「グルルルルッ」
クリツァの唸り声が応えてくれた。
そして、ゆっくりとアリッサの前に着地した。
アリッサはナイフを捨ててクリツァの元にかけよった。
そして、巨大な竜の首に抱きついた。
そこからが大変だった。
テンには魔獣との通訳機能がない。
つまりクリツァとの言葉が通じない。
――前は直接話せたのに……
アリッサはもどかしさを感じながら、
会話の方法を考えた。
あまり良い方法が思いつかない。
「テン、クリツァと話す方法はないの?」
『アリッサ様がジェスチャーで伝えるのはいかがでしょうか』
「え?私が?」
一瞬、役立たずと言いかけて言葉を飲み込む。
――仕方がない。やってみるか。
まずは追っ手を止める方法だ。
竜が火を吐くポーズ
「ボーッ」
炎の効果音のつもり。
そして、館へと続く街道と森を指差す。
クリツァは大人しく、
アリッサの様子を眺めている。
面白がっているようにも見える。
首を傾げる。伝わらないか……
今度は、最初にクリツァの名前を読んで指さしてみる。
そして、再びジェスチャーを繰り返す。
「シャーッ」
短く鋭い鳴き声。
そして、街道と森に向かって
クリツァの炎が放たれた。
あっという間に炎の壁が出来た。
「やった!」
アリッサは思わず拳を握りしめた。
これで時間が稼げる。
そして、再びクリツァの首に抱きつこうとした。
が、熱そうだったので諦めた。
「このまま少し待ってて」
少し待っててのジェスチャー。
地面を指さし、クリツァを指さし、
クリツァの座っているポーズを真似る。
「シャーッ」
クリツァの返答。
少しコツが掴めてきた。
修道院の中に駆け戻った。
大人たちの状況は変わらない。
カサノバを引きずって、うつ伏せで寝かせる。
そして、シンディの太股を縫った糸と針を探して、カサノバの傷口を縫い合わせる。
縫ったあとには、消毒液をたっぷりかけておく。それで今は精一杯だった。
――しばらく我慢して待ってて。
そして、再びクリツァの所に戻る。
クリツァの背中を指さして自分を指さす。
竜の魔獣は首を下に降ろしてくれる。
よじ登るのは相変わらず大変だった。
竜が舞い上がる。ゆっくりと荘厳に。
「よし、行くわよ」
アリッサは力強い声で自分を奮い立たせる。
そして、指先を館の方向に向けた。
「シャーッ」
クリツァが鋭い声で応えた。
上空から見下ろすと、追っ手の一群の姿が見えた。
帝国の兵士たちは、炎の壁に阻まれて前に進めないようだ。
アリッサは彼らを指差して竜の進路を変えた。
兵士たちの頭スレスレを飛行する。
「ぎゃー!」
「うわー」
悲鳴が上がる。
隊列が崩れて統制を失っていく。
帝国の兵士たちは、完全に戦意を喪失し、バラバラに逃げまとう。
「いい気味」
アリッサは満足して、再び館へと進路を戻した。
館は立派な建物だった。
教会のような、城のような、圧倒的な存在感。
――ここが、館行きの場所……
シンシアも、ここで殺された。
アリッサは噂を思い出して身震いした。
生きたままゆっくりと焼かれて、苦しんで、少しづつ死んでいく。
残酷で無残なやり方。
激しい怒りが湧いた。
「クリツァ、行くわよ
攻撃開始だ。
アリッサは館を指さそうとした。しかし、突然、躊躇が生まれた。
頭の中に記憶が蘇る。
……館行きの名簿
そして、
……館に囚われていた人々、魔獣たち
カール爺さん、ウルフィのつがい、三姉妹。
もし、まだ同じように、
館に囚われている人たちや魔獣たちがいたら。
帝国の兵士たちも殺しちゃっていいの?
冷や汗が出た。
私がやろうとしてるのは、惨殺?
「グルルッ」
クリツァが不思議そうな声を上げる。
アリッサは、それに応えて首を優しく撫でる。
「ごめん。私には出来ない」
涙が滲んできた。
どうして良いのか分からなくなった。
家に帰ろう。みんなで。
馬車とパカラはカサノバと仲間たちに貸してあげよう。
そして、私たち三人は、山の隠れ家まで、クリツァに送って貰えばいい。
そして、シンディが竜によじ登る姿を想像した。
――きっと嫌がって大騒ぎするだろう。
――私も怒られるな。女の子が竜に乗るなんてってね。
気分が少し和らいだ。
そして、アリッサは、クリツァの進路を修道院に向けた。
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