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第34話 生きる意味

砦の外に出た瞬間、

アリッサは、立ち止まった。


――さて。

どうしよう。


背後には、

もう戻れない場所。


前には、

何もない道。


馬はいない。

魔獣もいない。


呼びかけても、

返ってくる声はない。


ポケットに手を伸ばしかけて、

止めた。


――もう、いない。

オペレーターは。


胸の奥が、

じわっと痛む。


アリッサは、

自分の足元を見た。


小さな足。

短い歩幅。


この身体で、

どこまで行けるだろう。


砦を離れて、

しばらく歩いた。


行き先は、

決まらない。


町に戻る?

――無理だ。


誰かを頼る?

――誰を?


アリッサは、

小さく息を吐いた。


「……森、か」


声に出すと、

妙に現実味があった。


帰る場所、

なんて言えるほど


優しい場所じゃない。

でも。


今の自分が、

知っている場所。


それだけで、

十分だった。


アリッサは、

向きを変えた。


道を外れ、

草の多い方へ。


一歩。

また一歩。


足取りは、

重い。


逃げているのか、

戻っているのか、

自分でも分からない。


ただ、

立ち止まるよりは

ましだった。


振り返らずに、

アリッサは歩いた。


オペレーターはいない。


自分の足と、

自分の判断だけで。


――とぼとぼと。


しばらく歩いた。


――森は、

まだ見えない。


方向は、

合っているはずだ。


でも、

距離感が掴めない。


前なら、

地形を確認して、

最短距離を割り出して、

迷わず進めた。


今は、

それが出来ない。


アリッサは、

一度立ち止まった。


息が、

思ったより荒い。


喉が、

早くも乾いている。


「……こんなに、遠かったっけ」


小さく呟く。


記憶の中の森は、

もっと近かった。


竜で飛んだからか。

魔獣と一緒だったからか。


――違う。


自分が、

強くなったと

勘違いしていただけだ。


歩き出す。


草が、

足首に絡む。


小石が、

靴の中に入る。


転びそうになって、

何度も踏みとどまる。


進んでいるのか、

同じ所を回っているのか、

分からない。


太陽の位置を見て、

方向を確認しようとして――


首を傾げた。


「……あれ」


いつの間にか、

雲が出ている。


影が、

分かりにくい。


前なら、

オペレーターが

即座に補正してくれた。


今は、

自分で考えるしかない。


アリッサは、

唇を噛んだ。


歩く。


また歩く。


脚が、

だるくなってきた。


汗が、

背中を伝う。


何度か、

座り込みそうになった。


でも、

座ったら終わりな気がして、

無理やり立ち続ける。


途中で、

小さな川に出た。


渡れるか、

回り込むか。


少し考えて、

浅そうな場所を選ぶ。


――失敗だった。


足を踏み入れた瞬間、

石が滑った。


「……っ!」


冷たい水が、

膝まで跳ねる。


慌てて戻るが、

靴の中まで濡れていた。


重い。


歩きにくい。


前なら、

『最適解ではありません』

と、

即座に止められていた。


アリッサは、

苦く笑った。


「……ほんと、何も出来ない」


誰に言うでもなく。


それでも、

進むしかない。


陽が、

少しずつ傾いていく。


焦りが、

胸に溜まる。


――日が落ちる前に、

辿り着けなかったら。


森の外で夜を迎えるのは、

危険すぎる。


足を引きずるように、

進んだ。


何度目かの坂を越えた時、

ようやく――


空気が、

変わった。


湿った匂い。

葉擦れの音。

遠くで、

何かが動く気配。


アリッサは、

立ち止まった。


肩で、

息をする。


森の縁だった。


思っていたより、

ずっと時間がかかった。


思っていたより、

ずっと苦しかった。


アリッサは、

その場にしゃがみ込み、

地面に手をついた。


――今まで甘えていた。


自分は、

何でも出来るわけじゃない。


出来ていたのは、

“助けられていた”

だけだ。


しばらくして、

ゆっくりと立ち上がる。


森の中へ、

一歩踏み出した。


ここからは、

もっと厳しい。


それでも――


戻る場所は、

もう無い。


アリッサは、

重たい足を引きずりながら、

森へ入っていった。


森は、

自分の居場所だと

思っていた。


――安全な場所。

戻ってくれば、

落ち着ける場所。


でも。


一歩、

足を踏み入れた瞬間から、

違った。


風が、

葉を揺らし、

木と木が

きしむ音を立てる。


足元で、

枝が折れる。


――ぱき。


その小さな音だけで、

心臓が跳ねた。


怖い。


アリッサは、

慎重に進んだ。


やがて、

見覚えのある場所に出た。


焦げた土。


崩れかけた石。


――焚き火跡。


「……ここ」


前に、

自分がいた場所。


でも、

記憶の中より

ずっと狭くて、

ずっと心許ない。


こんな場所だったっけ。


枝を集める。


手近なものを、

無心で拾う。


火をつける。


ぱち、と音がして、

炎が立ち上がった。


焚き火。


明かり。


温もり。


……なのに。


全然、

安心できない。


胸の奥が、

ずっと

ざわついたままだ。


無意識に、

ポケットを探る。


――スマホ。


ない。


当たり前なのに、

指先が

何度も空を掴む。


ウルフィの気配を、

探そうとする。


……何も、

感じない。


あの圧も、

あの視線も、

どこにもない。


パカラのことが、

ふっと頭に浮かんだ。


……いない。


鼻先で触れてくる温もりも、

静かな呼吸音も、

もうない。


お腹が、

鳴った。


はっとして、

思い出す。


――食料。


シンディの家の食料は、

もう尽きていた。


アリッサは、

膝を抱えた。


ここまで来た、

自分の行動を、

ゆっくり振り返る。


オペレーターを壊した。


帝国との関係は、

確かに断った。


でも――


それと一緒に、

他の関係も、

全部切れてしまった。


頼れる声。

導いてくれる存在。

守ってくれる距離。


シンディ。


メイトリックス。


……無事だろうか。


――いや。


無事なわけが、

ない。


あの名簿。


勇者。

魔法使い。

二人組。


胸が、

きゅっと

縮んだ。


アリッサは、

それ以上

考えるのをやめた。


考え続けたら、

何かが壊れる気がした。


焚き火の前で、

そっと横になる。


土の冷たさが、

背中に伝わる。


目を、

閉じた。


何も感じない時間が

欲しかった。


森の音が、

変わらず

響いている。


その中で、

アリッサは

小さく息をしながら、

じっと

横たわっていた。


目が、覚めた。


……何も、

変わっていない。


お腹は、

空いたまま。


喉も、

渇いたままだ。


身体を起こすと、

昨夜の冷えが

まだ残っている。


アリッサは、

ぼんやりと

森を見回した。


――ウルフィの言葉が、

頭に浮かぶ。


「生き物は、

本能で

生きているだけだ」


……そうか。


まずは、

生きる。


それ以外のことは、

その後で考えればいい。


アリッサは、

立ち上がった。


森の中を、

慎重に歩く。


食べられそうなものを、

探す。


木の実。

草。

キノコ。


……でも。


オペレーターはいない。


安全かどうか、

調べることもできない。


「……まあ、

焼けば

大丈夫かな」


自分に言い聞かせるように、

焚き火を起こす。


拾ってきたものを、

一つずつ、

火にかける。


まず、

キノコ。


一口かじろうとして

躊躇する。


ー毒キノコかもしれない。


匂いを嗅いでみる。

いい匂い。

でも、


……分からない。


調べる手段も、

もう無い。


「……これは食べちゃダメ」


諦める。


次に、

木の実。


噛んでみる。


……行けそう。


味は薄いけれど、

飲み込める。


最後に、

草。


……まずい。


でも、

食べられないほどじゃない。


「……生きるって、

こういうことか」


一通り、

口に入れてから、

湧き水のところへ向かう。


膝をつき、

手ですくって、

何度も水を飲む。


喉が、

ようやく潤った。


お腹も、

少しだけ、

落ち着く。


……でも。


この生活は、

正直、

きつい。


アリッサは、

焚き火の前に座り込んだ。


「……他に、

何か方法は

ないかな」


答えは、

返ってこない。


それでも、

じっとしているわけにもいかず、

また歩き出した。


おどおどと、

森の中を進む。


すると、

いつものキャンプ地よりも、

少し開けた場所に出た。


地面は平らで、

石も少ない。


土が柔らかく、

横になるには

悪くなさそうだ。


「……ここなら」


木の幹を背中にして、

ゆっくりと座り込む。


風が、

葉を揺らす音がする。


遠くで、

何かが動く気配。


それでも、

今は動けなかった。


アリッサは、

そっと目を閉じた。


少し休みたかった。

生きるために。


右手が、

土に触れた。


……暖かい。


日が、

当たっているからだ。


柔らかくて、

手触りがいい。


指の腹に残る、

ほのかな温もり。


――パカラの背中を、

思い出した。


あの、

体温。


……元気かな。


無事だろうか。


少しだけ、

不安になる。


無意識に、

土を撫で続けていると――


何かに、

当たった。


……硬い。


金属の、

棒のような感触。


指を引っかけて、

引き上げてみる。


土が、

ぼろりと崩れた。


出てきたのは――


フライパン。


見慣れた形。


シンディの、

お気に入りの。


「……」


胸が、

きゅっと縮む。


視界が、

滲んだ。


アリッサは、

ふと、

思い出す。


黒豹を咥えて、

森の奥へ

去っていった、

ウルフィの背中。


――狼の本能。


――何でも、

埋めてしまう。


思わず、

小さく笑った。


……そうか。


だから、

ここにある。


アリッサは、

もう一度、

右手で土を探った。


――ごつり。


今度は、

別の感触。


引き抜く。


金属の輪。


首輪。


黒豹が、

つけられていたものだ。


フライパンも、

首輪も。


――あの時、

一緒にあった。


さらに、

指で土を掘り進める。


……何か、

引っかかる。


引っ張る。


土の中から、

片方だけの靴が現れた。


革靴。


私の。


ここに来る前、

履いていたもの。


「……」


懐かしい。


重さも、

匂いも、

全部。


アリッサは、

その革靴を

抱えた。


……そして。


中に、

何かがあることに気づく。


そっと、

指を入れる。


取り出した。


――私の、

スマートウォッチ。


その瞬間。


アリッサの頭の中で、

何かが、

弾けた。

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