① かごの鳥が羽ばたく時
隣国がその向こうの国の軍によって陥落した、と、知らせの入った中央は騒然とした。
東方の土地、資源を掌握した大王の挨拶代わりだろうか、ひと月もしないうちに、小隊が国の東部に攻めこんできた。
戦と言うほどでもなく小競り合いの程度で済んだのだが、当然原犠牲者は出た。
その間、ユウナギが隊を率いるナツヒと顔を合わせることはなく。
後で聞いたのだが、そこに送られてきた敵兵は、もとより隣国で暮らしていた平民だったそうだ。
国を乗っ取られると原住民はいとも容易く捨て駒にされてしまう。
当たり前のように平穏な暮らしを送ってきたユウナギは、そのようなことを考えたこともなく、衝撃を受けたのだった。
しかしまた時は過ぎ、穏やかな日常を過ごしていた。
3日間しとしと続いた雨が上がりよく晴れたその朝、ユウナギが川辺を散歩していた時のことだ。
自分付きの侍女が洗濯しているのを見つけた。隣には積まれた洗濯物の山。
雨が続いてたので仕事が溜まっているのだろう。しかも自分はここのところ、月のものがきていたのだ。近づいてその衣類を見てみると、やはり自分の使ったものだ。
そこで侍女にこんなことを申し入れてみた。
「ねぇ、私の衣類は自分で洗わせてくれないかしら」
唐突な申し出に侍女は驚いた。
「とんでもないことでございます。ユウナギ様にそのようなこと」
「だって白地に大量の血。大変でしょ」
「これは私どもの仕事ですので」
「私、ここに来る前は洗濯も掃除も、家の仕事は何でもしてたの。4つの頃からやっていたのよ」
だから久しぶりにやりたいとしつこくねだってみたが、侍女としても受け入れるわけにはいかない。
「そう。じゃあ、これは命令です。あなたは今すぐ調理場で仕事をしてきなさい」
とうとうこのように言い出した。命令と言われてはどうしようもない。侍女は礼をして下がっていった。
確かに王女になってからは侍女が身の回りのことをすべてやってくれるが、血の付いたものまで他人に洗わせるなんて恥ずかしいことなんじゃないか、とユウナギは考えながら、流れる水の中で布を擦った。これがずいぶん力のいる仕事だった。
それでもなかなか手慣れてきた頃、そこにトバリがやってくる。
「王女ともあろうお方が洗濯ですか? 侍女を困らせてはいけませんよ」
実は侍女が調理場に向かう途中たまたま彼と出くわし、王女にこんなことを言われたと話したのだ。正直本当に困った、とは口にしなかったが、彼になら伝わっただろう。
「兄様……。だって私、暇だし」
と言った直後、失言だと口を押さえた。
彼は毎日役目で忙しくしているのに、自分ばかり暇だということが申し訳ない。
「私も今、暇なんですよ。王女が洗濯している珍しい風景を、隣で観察していてもいいですか?」
気を遣わせてしまったが、これだからユウナギは彼が好きだった。
「けっこう強く擦ってるんだけどね。血はなかなかきれいに落ちないの」
「血ですか……」
「うん。よし。これでどうだ! 目立たなくなったでしょ」
腰を上げて、大きな白い布を広げて見せる。
その得意げなユウナギの顔を、目を細めて見つめ、トバリは話し始めた。
「……先日東の邑からやってきた行商人の話を思い出しました。その商人の取引相手に、稀代の魔術師がいるのだそうです」
「魔術師?」
ユウナギの目が輝いた。好奇心という名の輝きだ。
行商の青年から聞いた話によると、山に籠って暮らしているその魔術師は、ふしぎな薬を作るのだそうだ。
中には万能薬もあり民にありがたがられるので、それを仕入れ商人は邑で売りさばく。そして食料や平地でしか得られない材料を魔術師にまわす。
それを繰り返すうちに彼は、特に用がなくとも、そこに出入りするようになったのだと。
「魔術師と友達になったのね」
ある日彼は、失敗作の処分を頼まれる。それは土器になみなみと注がれた液体のようだった。
荷台に積みあげ山を下り、平地の広場に出た。そこはこの間の小競り合いの跡地で、どうにも異様な雰囲気だった。日が落ちた後でなくてはおどろおどろしくて、素通りできなかったろう、と彼は思う。
そこで土器を抱え上げ、その液体をばしゃりと振りまいて捨てた。
「すると、あたりが瞬く間に輝きだしたのだそうです」
「輝きだした?」
更に手前へと、次の土器の中身を投げ捨てた。
そうしたら、先に続く光る線が浮かび上がったのだ。
「それは無念のうちに死んでいった亡者たちの、道標なのでは、と彼は話していました」
「そんなふしぎなことが……?」
ユウナギは立ち上がった。
「魔術師に会いたい。その山に行く」
当然、何を言ってるんだこの子は、という顔で、トバリは彼女を見上げた。
「お願い兄様。私を外に出して」
「そのようなことを許可できるわけがありません」
彼女に対して大抵のことは甘い彼でも、こればかりは譲らないだろう。
それでもユウナギは何かを変えたくて、これはその機会だと思った。
「私は中央から出たことがない……」
以前のことを思い出した。
「女王はまるで籠の中の鳥だわ。特別な力を持っていても、その力をいくら認められていても、国の本当の今をろくに知らない。自分の目で見ることができないから」
「ユウナギ様……」
「でも女王は仕方ないことだと受け入れている。その代わりの目となるための丞相だろうし。私も女王になった後は、その運命に従うわ。だけどそれまでは……」
彼の袖を堅く掴んで食い下がる。
「私を外に出して。他の邑の景色を見てみたいし、まだ見ぬ人と出会いたい。決められた門限にはちゃんと帰るから」
そう指を組んで願う彼女の必死な様子に、トバリは溜め息をついた。
歴代の女王は屋敷の中で吉兆を占い、まじないを施し過ごす。その命が尽きるまで。
それ以外は不要だ。
それを確実に見守る義務があるというのに、彼女の、人としての成長のため、その申し出を切り捨てられない自分がいる。
月のものについてはまだ、恥ずかしい、隠したいという感覚がなかった頃のお話です。





