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「いきなり領地まで逃げるなんて大袈裟では? 明日のご訪問はどうなさるんですか。あんなに楽しみにしていらしたのに……」
考え直してくださいと訴えるエリスに、護衛隊長が厳しい声を掛ける。
「エリス、ひかえろ。状況が状況だ。迂闊に屋敷に戻らないほうがいいんだよ」
「同感です。ルコント様のあの強気な態度からみて、二重三重に罠を張っていると思って行動したほうがいい。用心の為にも一刻も早く王都を脱出すべきです」
「ならば、ローダンデールの暗部に助けてもらうわけにはいきませんか? 彼らなら、イスナール侯爵家の私兵や傭兵達の数がどんなに多くても遅れを取ることはないでしょう」
「それは駄目。ローダンデールの暗部は王国の為にしか動かしてはいけないの」
「でも、アメリア様……」
エリスも自分が無茶を言っているとわかっているのだろう。泣きそうな顔で口ごもる。
「ありがとう、エリス。貴方はいつでも私の一番の理解者だわ」
『おや、その称号はワタシのものではないのか?』
こんな状況だというのに、ワタシが心の中で茶々を入れてくる。
(もう。ワタシは私自身なんだから、私のことを理解しているのは当たり前でしょう)
でも、エリスは違う。
幼い頃から側にいてくれた、忠実で有能な私の侍女。
普段は無口なエリスが自分から発言するのは、いつだって私の為。
私が立場上どうしても言えない本心を、いつも私の代わりに言葉にしてくれる。
「アメリア様……。この機会を逃したら、次はないのですよ」
「わかってる。でも、これでいいの。――ねえ、考えてみて。別れた直後に私が攫われたりしたら、あのお方がどんなに悲しまれるか……。とてもお優しい方だもの。無理にでも王宮に連れて行けば良かったと、きっとずっと後悔なさるわ。私、それは嫌なの。だからこそ、一番の安全策をとりたいの」
隣りに座るエリスの手を握って、わかってくれる? と問いかけると、エリスは渋々頷いた。
「後から貴方も領地に来てね。私ひとりじゃ髪を結うこともできないから」
「もちろんです。すぐに参ります」
「ありがとう」
エリスが納得してくれたことで、ほぼワタシの提案通りに計画は実行されることになった。
護衛隊長の危惧で、少しだけ変更もあったが。
「大筋はいいんですがね。ただひとつだけ。さすがにアメリア様がひとりで領地まで走るってのはいただけませんな」
「あら、心配しなくても大丈夫よ。領地では平民の子供達ともよく遊んでいたから平民のふりはお手の物だし、ひとりで宿を取ることだってできるわ」
「途中で賊に襲われたらどうするんですか。いくらアメリア様でも、さすがに剣はつかえないでしょう。俺はこの形で目立つから一緒にはいけないが、若い護衛達をつけますよ」
「駄目よ。護衛がいたら目立ってしまう」
護衛隊長の心配する気持ちも分かるが、この計画の肝は私がひとりで行動することだ。護衛がいたのでは、せっかくの計画が台無しだ。
「分かってますって。若造どもはアメリア様の後に、ひとりずつこっそり王都を脱出させます。首尾良く追いつければよし、途中で傭兵に見つかればそこで追うのは諦めて戦うことになる。まあ、あいつらの顔は割れていないだろうから、そう心配はないでしょうが……。待ち合わせは、最初の宿場町の貸し馬屋ってことでどうです?」
「それならいいわ。護衛がいてくれるのなら、宿場町に泊まらず野営することも可能だし……。うん、万が一追っ手を掛けられても、その方が見つかる可能性が少ないからいいかもしれないわね」
侯爵令嬢が騎馬で移動した挙げ句、テントもなしで野営するだなんて、きっと追っ手だって想像できないだろう。
貴族令嬢らしからぬ我が身がこんな形で役に立つとは……。
私がこんな風に育つきっかけをつくってくれたワタシと、領地で私を鍛えてくれた幼馴染み達に感謝だ。
「では、そういうことで」
頷きあって、さっそく行動を開始する。
エリスと服を取り替えて変装し、髪の編み込みを解いて平民の娘風にゆるい三つ編みにする。商家の前でひとりで馬車を降りて買い物を済ませた。
その場で着替えた後、商家の者に金貨を数枚握らせて頼み込む。
「私が店を出た後に私を捜す者が現れたら、王宮に向かうのに都合のいい裏道を聞かれたと答えてください。それと、私がここで購入した物の内容は内密に」
商家の者は、私が着ていた仕立てのいい侍女服と握らせた金貨の枚数を確認してから、お任せくださいと深く頷いた。
これで大丈夫。利に聡い商人が裏切ることはないだろう。
裏口から外に出て、我が領地へと通じる王都の北門に向かう。
途中、不自然にきょろきょろしている傭兵達と幾度かすれ違ったが、私がローダンデール侯爵家の娘だと気づく者はいなかった。
『もっと堂々と振る舞え。俯くな。前を向いて大股で歩くんだ』
冷や汗ものだったが、心の中でワタシに叱咤激励されることでなんとか不自然にびくびくせずに乗り切ることができた。
一応フードは被っていたが、まるで男装しているかのような平民風の旅装姿で堂々と闊歩したり、辻馬車を気軽に利用していたせいで貴族の令嬢には見えなかったのだろう。
王都に入るには身分証が必要だが、有事の際でなければ出るのに身分証はいらない。門前町で目立たないよう一般的な栗毛の馬を借り受けるとさっそく街道へと走り出る。
王都に近い所は入門審査の順番を待つ馬車が混み合っていたが、王都に近いだけに街道は広く、問題なくその脇をすり抜けて馬を走らせることができた。
(予想以上に楽に逃げ出せたわ。ワタシのお陰ね。ありがとう)
『先入観を逆手に取った作戦が当たって本当によかった』
ほっと心から安心したような声が心の中に響く。
(あら。立案者のくせに、自分の計画に不安があったの?)
『当たり前だろう。現実はなにが起きるかわからないものだ。アメリアをひとりで旅立たせるのが最適解だとは思ったが、万が一のことがある。傍観者に過ぎないワタシでは、なにかあってもアメリアを直接助けてあげることはできないのだから』
(……馬鹿ね。いつも助けてくれているじゃない。ワタシがいるから、街中を堂々とひとりで歩くことだってできたのよ)
『そうか。……それならばよかった』
(これからも助言よろしくね)
『わかった。ではさっそく。――王都を出たからといって油断するな。追っ手が掛かるかもしれない』
(そうね。じゃあ、急ぎましょう)
王都の高い塀を背に、私は馬を走らせた。
途中の宿場町の貸し馬屋で馬を交換してこのペースで走らせれば、明日の昼には王領地からも脱出できるだろう。
(……遠くなるわね)
楽しかった学園での日々も、そしてオズヴァルド様との約束も……。
寂しいし、悲しいけれど絶対に俯かない。
だって、私は負けたわけではないのだから。
『そうだ。アメリアは負けていない。前を向いていれば、道はどこまでだって続いていく。……いつか、あの末っ子王子へと繋がる道に辿り着く可能性だってあるかもしれない』
(そうね。いつか……ね)
いつか、とか、可能性、とか。
いつも断定口調のワタシが、そんなふわっとした表現を使うってことは……と考えかけて、止めた。
なにも自分から悲しくなるようなことを考えることもないだろう。
なにもかも、これからだ。
前を向いて進むためにも、いつか、もしかしたら、と夢を見るのは悪いことじゃない。
「そうね。いつか、また……」
手綱を握る手首で光るブレスレットに視線を落としてから、私はもう一度前を向いた。
そして、止まることなく馬を走らせ続けた。
とりあえず、ここまでが第一章。婚約破棄しそこねちゃって王都脱出編です。
第二章は、領地グルメでふっくら? 汗だくで乙女の危機編。第三章は、再びの王都とフローリアの記憶とやっぱり乙女の危機編。
書き溜めをせずに突っ走っているので、さてさてどうなるか。それでも最後のハッピーエンドは絶対です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




