18
小さな村で育ったアイリーンは王都の大きさと賑やかさに圧倒されていた。
これほど多くの人を見たことが無い。アイリーンは驚きの目で王都を見た。見たことが無い様に興奮していたのは、王城に着くまでの間だけだった。
王城に着いた途端、アイリーンの表情は一気に曇った。
これほど大きく立派な建物は見たことが無い。これが王城、ライナルトの住む城。
自分の家は王城にある馬小屋ぐらいの大きさだろうか。そう考えると、一気に惨めな気持ちになった。
自分の生まれ育った村も、家も大好きだ。そこが自分の住む場所、帰る場所だったから。
ここはまるで違う。自分が来るべき場所では無い。
ライナルトと自分は全く違う世界の人間なのだ、とアイリーンは改めて思い知らされた。
「アイリーン、案内するよ」
馬車の扉を開き、ライナルトは中にいるアイリーンに手を差し伸べた。だが、アイリーンはその手を取ることに躊躇した。
「…アイリーン?」
「あの…私…やはり、場違いだと…」
震える声でアイリーンが答える。涙が出てきそうな程に惨めで情けない。
「アイリーン…降りてきて。話をしよう」
「…話って…」
「その後、どうするか考えれば良いから」
優しい笑顔でライナルトが再びアイリーンに手を差し伸べた。今度は恐る恐るアイリーンは差し伸べられたその手を取った。
見渡す限り豪奢で荘厳な作りの王城。窓枠を飾る彫刻や、小さな飾りでさえも細やかな作りでとても美しい。やはり場違いだ、身分が違いすぎるとどんどん落ち込むアイリーンの手を強く握ったまま、ライナルトは黙ってどこかへ向かっている。
向かう先がどこか分からないまま、アイリーンはそれに黙ってついて行くだけだった。
入り組んだ壁に挟まれた狭い小道を通り、最終的にたどり着いたのは、誰もいない静かで小さな庭だった。城の裏手にあるのだろうこの小さな庭には、薔薇の花に囲まれた小さな噴水があるだけで、他に何も無い。
噴水の向こう側の壁にはどこかに通じる古い木の扉がにあるだけ。それ以外は特に何も無い。細く暗い裏通りのような道を通らなければ来れないような小さな庭だった。
「ここに座って、ちょっと話をしよう」
ライナルトは木の扉の前の石畳になっている場所を指差した。
言われるがまま、アイリーンもその場に腰を下ろす。この小さな庭は、城の豪奢さや荘厳さを感じさせない、静かで落ち着ける場所だった。
「ここが、俺の一番好きな場所」
「…ここが?」
「何だか落ち着くから」
そう言ってライナルトは目の前の噴水に目をやった。特に美しいわけでも無い小さな噴水と、自由に咲き誇る薔薇。高い城壁に囲まれた場所であっても、窮屈に感じない不思議な場所だった。
「この城、無駄に広いだろ」
「…ええ」
「こんな無駄に広い城で、俺は育ったんだ。こんな広い城で育つと、あまり家族を身近に感じることが出来ない。幼い頃から、この広い城で一人ぼっちだと感じていた。いや、両親はちゃんと俺を愛してくれたけどね。父や母は忙しいし、将来、王太子になる俺は弟たちとは分けて育てられたから。周りにいるのは決められたことをする従者たちだけだった」
ライナルトの言葉に、アイリーンは高い城壁を見上げるようにして眺めた。この高い城壁と同じ重厚な石造りの城は、壮大であると同時にどこか冷たくも感じる。
一つの暖炉を家族全員で囲んで育った自分と、広い部屋で一人過ごしていたライナルト。
惨めに思っていた気持ちが、徐々に変化していく。自分はあの小さな家で幸せだった。暖かい思いをして育った。だが、ライナルトはどうなのだろう。この小さな庭が落ち着く場所だと言っていた。これ程に広く大きな城の中で、ライナルトはその心を休める為にこの小さな庭に来ていたのだろうか。そう思うと、アイリーンは何故か胸が少し痛んだ。
「みんながみんな、王子であった俺に傅いて、同じような返答しか返さない。どうせ返ってくる言葉なんて決まってるんだ。そう思ってた。そしたら、アイリーン、君だけは違ったから。それが嬉しくて」
そう言ってライナルトは隣に座るアイリーンの髪を一房掬うように撫でた。
相変わらず困った表情を浮かべるアイリーンだが、その頬はどことなく赤く色づいている。
「寂しい俺に同情して。それで、暫く俺の傍にいて欲しい」
「…この国の王太子に誰が同情するっていうの」
「厳しいな、アイリーンは」
「で、でも…」
更に頬を染めながら、アイリーンは口をもごもごと動かしながら、何かを呟いた。
小さくてやっと聞き取れる程度の声だった。
「…暫く付き合ってあげるわ」
その言葉にライナルトの表情も一気に明るくなる。
ぎゅ、っとアイリーンの手を握り、ライナルトは目を輝かせた。
「アイリーン」
「…な、なに」
「…キスしても良い?」
「何言ってるの…!王子様の戯れには付き合ってられないの!」
「最初に会った時、朝ごはん食べなきゃいけないから、って言われたっけ」
「…それは、事実だから…!」
「今度は何?」
「…に、荷解きしなきゃいけないから…」
困ったように呟いたアイリーンに対し、ライナルトは相変わらず上機嫌だった。
ぽんぽん、とアイリーンの頭を撫でた後、立ち上がる。
「手伝うよ」
ライナルトはアイリーンに手を差し伸べる。その手を、今度は笑みを浮かべながらアイリーンが取る。
「自分で出来るから平気よ」
「いいから。この中、広いから迷子になると思うから。ついてきて」
そんなことを言いあいながら、二人は手を握り、広い城へと歩を進めた。




