ゆ子の彼氏?
「こーら、肇っ! 女の子と廊下でいちゃいちゃしてちゃいけないぞー! もう授業始まるんだからねっ!」
「してねーわっ! って、キミィ! ……七海先生」
振り返るとそこにいたのは、ハニーブラウンのパーマがかったロングヘアの小柄で巨乳の可愛らしい女性だった。一瞬生徒に間違えそうだが、フリルのついたブラウスにロングスカートという私服姿なため、教師だということが分かる。それに現代文の教科書とプリントと出席簿も抱えている。
「先生じゃなくてキミィで良いわよ! 肇とあたしの仲じゃないのー」
「おはようございます、七海先生」
「ぷー。つれないんだー」
「あ。姉貴の幼なじみな、こいつ」
何だか微妙な表情を浮かべているゆ子に、とりあえず紹介しておく。
そう、彼女はこの学校の現代文の教師であり、肇の姉である温の幼なじみだった。小さい頃から良く知っている近所のお姉さん的存在だ。
「こいつはないでしょ、肇! それにあたしは温の幼なじみやめたの! うちの作曲コミュの子達、散々いじめられたのよ! もう楽曲提供なんてしないんだから!」
「だから俺に飛び火したんじゃねえか!」
「ごめーん。だからー、お詫びにKosMosの顧問になってあげたでしょー。これから打倒・温で一緒に頑張ろうね!」
「俺をコミュリーダーにした犯人はお前か……」
「あはっ、バレた?」
みいあ一人でKosMosを作れたことに違和感を覚えていたのだ。だってみいあは肇のプロフィールはおろか、名字すら知らないはずだ。それなのに、きちんと登録されているのはおかしいと思っていた。こいつが手を貸していたとなれば合点が行く。
「作曲コミュはどうした、作曲コミュは!」
「温に絡まれるの嫌だからってみんな辞めちゃって解散よ!」
「マジかよ……」
実のところ肇が入りたいと思っていたコミュというのがキミィの作曲コミュだった。小さな頃、肇にピアノや作曲の楽しさを教えてくれたのが、キミィだったのだ。だからまたキミィの元で学びたいとずっと思っていた。
「このままじゃ肇は三年間花吹雪で温の奴隷よ? だからあたしが協力してあげようって言ってるんじゃない」
「本気であの意味不明な勝負やる気なのかよ、姉貴」
「やる気満々よ。ほら、告知チラシ配れって、職員室で渡されたもの」
現代文のプリントの下に重なっていたのは「花吹雪VSKosMos! コミュ解散をかけた勝負が今、幕を開ける!」みたいな内容のチラシだった。いつの間に撮影したのか、詞名とみいあが対峙する写真が全面に使われている。
「え、なに? 花吹雪と勝負するの?」
そういえば、ゆ子は何も知らなかったのだ。コミュに入る気はなかったらしいが、負ければ今後一切他のミュージカルコミュに入ることは出来なくなってしまう。ちゃんと伝えておいた方が良いだろうと思い、事の一部始終を話した。
「なんかもう、はじタンホント巻き込まれて可哀想……。勝てるかは分かんないけど、サポートするから頑張ろ?」
「名香川……ありがとな」
優しいゆ子の言葉に胸が熱くなった。本当にこの子のことが好きだなあと再確認する。
「ふふ、こんな可愛い子が味方なんて心強いわね、肇」
甥っ子の恋愛を茶化す親戚のおばちゃんみたいなキミィが心底鬱陶しい。
「こんなに可愛い女の子が二人もいたら、詞名ちゃんに勝つのも夢じゃないと思うわ」
「名香川はまだしも、君島みいあは一ヶ月程度でどうこうなるような気がしない……」
「でも肇もあの子に可能性、感じたんでしょ?」
「……キミィも?」
「新入生歓迎会であの子を見て、昔のあたしにそっくり! って思って! あたしの新しいコミュにスカウトしちゃおうと思って尾けてたのよ。花吹雪に盗られなくてラッキー☆」
「五十八代目クイーンドリームさんに見初められたんなら、さぞや素晴らしいクイーンドリームになることでしょうね……」
肇は白目になりながらそう言った。
「えっ、五十八代目っ!? あっ、七海、キミィ……アイドルの七海希実!? みーんなキミィのと・り・こ!?」
ゆ子が素っ頓狂な声をあげる。彼女の言うとおり、七海希実は十二年前くらいに流星のごとく現れ、流星のごとく消えていった人気アイドルだ。
十年以上も前だと、生徒達は小学生低学年、もしくは幼稚園児なので、覚えているものはほとんどいない。だから学校でちやほやされることなどないに等しいらしく、キミィは少々驚いた様子だった。
「えー? 良く知ってるわねー。珍しい子もいたもんだわ」
「す、すごっ! すごすぎるっ! 三年間クイーンドリームを貫いた稀有な存在! クイーンドリームになったことでトップアイドルの地位まで短期間で上り詰めたという、續山詞名の先駆けとも言われる彼女が今ここに! こ、これは報告し……」
普段の気だるそうな雰囲気からは想像もつかないほどはしゃいでいた彼女だったが、肇に見られていることに気づき、誤魔化すようにごほんごほんと咳をした。
「……授業始まるし、行こっか?」
「おいおい! なに、何事もなかったかのように振る舞ってんだよ! 名香川、お前もしかしなくともRDPのこと詳しいだろ!」
「は、はあ? 友達に聞いただけだし」
「それであんなはしゃぐか?」
「はしゃいでないし。はじタンこそRDP興味あるんでしょ?」
「ああっ!? なんでそうなるんだよ! 興味ねえよ!」
「いーや、はじタンも興味あるね」
「あ? も、ってことはお前も興味あるんだな?」
「はあ? 違うし。ないし」
苦しい言い訳大会がヒートアップしてきた二人を、キミィが止めた。
「はいはい、そこまで。授業始まっちゃうわよ。痴話喧嘩は放課後、コミュでしましょうね」
「ち、痴話喧嘩じゃ――」
「もう、良いから、はじタン行こう! 七海先生、それじゃあまた!」
F組に来た時とは逆に、今度はゆ子が肇の腕を引っ張って、A組の教室まで走る。痴話喧嘩とか言われてゆ子は恥ずかしくないのだろうかと思ったが、少し頬が赤くなっているのが見えて嬉しくなった。
「第一回、KosMos作戦会議を始める!」
黒板前に仁王立ちしながら肇は言った。
ここは第三音楽室。キミィが可愛さと色気とあざとさで、解散してしまった作曲コミュのコミュルームを引き続き使わせてもらえるようにしたのである。
「はじタン、ノリノリー」
「本気でやらねえと俺は死ぬから」
「死ぬんかい」
「姉貴の奴隷になるのは嫌だ。それにランキングに登録されてしまったんだぞ? 最下位だとクソ目立つだろ! 俺は名香川と君島を上位にし、自分は中間をキープしないといけねえんだ。そのためには死にものぐるいでやらねえと……」
「はじタン、ぶれないねー」
肇達のランキング順位は、二百人近くいる参加者の中でも下から数えた方が早い。
「みいあちゃんは二三七人中二一二位。ゆ子ちゃんは一一〇位。肇は最下位ね」
「何で名香川、何もしてねえのにそんな高いんだよ! 良い感じに中間じゃねえかよ!」
「そうです、そうです! NASAだけおかしいです!」
「何もしなくてもランキングは上がっちゃうのよ」
そう言ってキミィは黒板の前に仁王立ちしていた肇を押しのけ、チョークを持った。
「詳しくは公表されてないんだけど、一般人や生徒達によるネット投票と、公演の際に行われる教師や専門家による評価点によって、最終的なランキングは決まるって言われてるわ。今はまだ、ただの学園の人気者ランキング! って状態ね」
「つまり名香川には学生や一般人からの票がたくさん入ってるってことか……」
「そういうことね」
さすがクラスの中心になるだけある。いつもゆ子の周りを囲む彼らが投票しているのだ。それに見た目だってすごく可愛いし、彼女のことを知らない一般人もプロフィール写真に心を奪われ投票しているのだろう。
みいあの順位が少しだけ高いのも、見た目の良さが理由だろう。
「俺もどうにかして目立たない中間層に潜り込まなければ……」
「クラスメイトにフレンドリーに接してみれば?」
いたずらな表情でゆ子が言う。
「嫌だわ! あんなやつら!」
「はじタンがKosMosに入ってーってお願いしたら入ってくれるかもよ」
「そういうやつらはKosMosに入りたいんじゃなく、名香川と戯れたいんだろ! ここは大学生の飲みサーじゃねえんだ! 神聖なコミュなんだぞ!」
「そうですよ! NASAだってみいあは入れる気ないです! はじめちゃんさんと二人きりで活動したいんです!」
「ざんねーん。コミュリーダーのはじタンに許可されましたー」
馬鹿にするようにゆ子が言うと、みいあは心底悔しそうに歯を食いしばるのだった。
「みゅみゅー! はじめちゃんさんをコミュリーダーにしたのは間違いでした!」
「はっはっは。コミュリーダーは俺だ。言うこと聞けよ」
「きゃあ。みいあ、一体なにされちゃうんです?」
「腹筋、スクワット、それぞれ三〇〇回」
「な、何でですか!」
と言いつつ、律儀に腹筋を始めるみいあを放っておいて、作戦会議を進める。
「とりあえず二人でミュージカルはさすがに無理があるから、あと男二人女一人くら――」
「何で二人なの、はじタン。誰が仲間外れなの、はじタン」
「俺だけど?」
「えー、何で? はじタンもミュージカルやるでしょ」
「俺は雑用担当するから」
「コミュメン少ないんだから強制参加じゃない?」
「ぜってえ嫌だ」
人目を避けて生きてきて、これからもそのつもりなのに、何が楽しくて舞台で踊ったり歌ったりしなければいけないんだろう。
仮に踊ったり歌ったりしたかったとしても、自分には無理な理由がある。
「はあはあっ……はじめちゃんさんは……はあはあっ……視線が怖いんですよね」
腹筋五〇回くらいで挫折したみいあが息を荒げながら言った。
「ばっ! おまっ! なに勝手に!」
「あ……。ごめん……そっか……」
ゆ子はハッとしたような表情を浮かべた後、しゅんと申し訳なさそうに肩をすくめる。自分では気付かれていないと思っていたので、前々から知っていたようなその反応に、肇は驚いてしまうのだった。
「はあはあっ……でもっ……そ、そんなもん……はあはあっ……荒療治……しちゃえば良いと思います……」
それを聞いたゆ子はキッと眉を吊り上げ、まるで自分のことかのように反論した。
「荒療治なんて駄目に決まってるじゃん! はじタンが雑用に集中できるよう、上位に食い込めそうな知り合いの男子誘うから待ってね!」
ゆ子はすぐさまスマートフォンを取り出し、誰かに連絡を取り始めた。
上位に食い込めそうなゆ子の知り合いの男子なんて、チャラ男とか運動部とかその辺りの、絶対関わり合いになりたくない目立つやつらだろう。ゆ子の厚意は嬉しいが、そう考えると一気に気が重くなる。
「今どこ? はあ!? ありえないし。握手会とか良いから学校戻って。いや、無理じゃないし! えっ……あ、見つけた? マジ? うん。好き、だよ。分かった。明日で良いよ。うん。じゃあね」
ゆ子がこんな態度で接する男子がいるのかと、肇は動揺を隠しきれなかった。誰に対しても分け隔てないし、態度を変えることはないのだが、電話の相手に対しては一番素で接しているような、そんな感じがしたのだ。
それに「好き」、という単語が聞こえた気がする。
もしかして……彼氏?
人と関わらないようにしている肇でさえ、前々から噂は耳にしているのだ。ゆ子には年上の彼氏がいる、みたいな噂を。本人は否定しているが、火のないところに煙は立たない。
もしかしてこの学校の先輩に、彼氏がいるのではないだろうか。だからこの学校を選んだ。だからRDPについて良く知っていた。そういうことなのでは。
電話の最後に見せた、照れの交じった嬉しそうな微笑みは、ただの同級生に向ける表情では決してなかったから。
「ごめん、はじタン。明日にはつれてくるから」
「あ、うん……」
ゆ子と同じコミュになって、親交を深めて、いつかは……なんて。ここは大学の飲みサーじゃないと自分で言っておきながら、そんなことを頭の片隅で考えてしまっていたことが馬鹿らしく思えた。




