みゅもにみゅ星人
意識を失った肇は、夢を見ていた。小学一年生の時、姉に無理やり未羽鹿市子どもミュージカル劇団に入れられた日のことを。
「ほら来なさい! オーディションがあるのよ!」
「や、やだ! みんなの前で歌いたくない!」
「やだじゃないのよ。あんたは才能があるんだからやるの。分かった?」
「ないもん! やだ! 絶対やだよ! 怖いの!」
未羽鹿学園の制服に身を包んだ高校三年生の温に、腕ずくで未羽鹿市民ホールに連れて行かれた肇。中学三年生の引退公演で行うらしいミュージカルに出てくる、少年の役のオーディションを受けさせられた。今みたいに気絶することはなかったものの、人の視線が苦手だった肇は、何も歌えず、何も演じられなかった。
終いには緊張で大泣きしてしまったのだ。大人達はそんな肇のことを優しく受け止めてくれたが、子ども達は違った。
「泣き虫肇だー、やーいやーい」
「ちっさいしすぐ泣くし女みてー!」
「やめなよ、男子ー! また泣いちゃうからー! ぷぷっ!」
市の劇団なので、同じ学校の子ども達も多かった。ミュージカルの練習の時だけでなく、小学校でも毎日のように心無い中傷は続いた。
成人男性の平均身長よりもずば抜けて高い今と違い、その頃の肇は誰よりも小さくて、相手に突っかかるようなことも出来なかったので、やられっぱなしだった。
それでも肇は劇団を辞めずに頑張った。というよりも、姉が絶対に辞めさせてくれなかった。
「あんなやつら放っておけば良いでしょ? ミュージカルで見返してやりなさいよ」
「お家でお歌を歌うのは好きだし、ミュージカルの真似っこも好きだよ? でも無理だよ。舞台に立ったら頭が真っ白になっちゃうんだもん」
「数をこなしてないからそうなるだけ。私があんたに度胸をつけてやるわ」
それからというもの、肇は温に強制的に色々な舞台に立たされた。それも徐々に慣らしていく……とかではなく、舞台の本番を何度も何度も経験させられたのだ。
ミュージカルだけでなく、カラオケ大会だとか、ピアノの発表会だとか、ダンスの選手権だとか、多種多様だった。
その全てで肇は緊張のあまり泣き出してしまい、たくさんの人に多大なる迷惑をかけた。大人は肇に優しく接してくれる人がほとんどだったが、誰もが呆れているということを子どもながらに敏感に感じ取っていた。
その呆れは、肇に対するものではなく、無茶ばかりさせる温に対するものだったのだが、小さい肇にはそこまで理解することが出来なかった。
そして自分が駄目だからたくさんの人に迷惑をかけた、と畏縮していった。度胸がついたとか、良い経験になったとか、全くそんなことはなく、舞台に立つたびにどんどんと視線への恐ろしさが増した。
そして運命の日がやってくる。
引退公演で役をもらえなかった肇は、姉の取り次ぎにより、大人の市民楽団に交じってピアノを弾くことになった。またしても姉の無茶な度胸付け作戦である。
でも小学一年生ながらも、実力は大人顔負けだったし、肇もピアノには自信があった。だから一生懸命練習をした。
しかし当日、オーケストラピットに入った瞬間、飛び交うたくさんの視線たちに肇の恐怖は最高潮に達してしまった。ピアノのみの伴奏で歌う、このミュージカル一番の見せ場で肇は気絶してしまったのだった。
リハーサルの時とは違う状況に、歌うはずだった中学三年生の女子も混乱してしまったらしく、ちゃんと歌い上げることが出来なかった。
今回も大人達は肇のことを優しく慰めてくれたが、子ども達と温はそうではなかった。
たくさんの批難の視線が怖くて、肇は震えが止まらなかった。
そして一番心に突き刺さったのは、中学三年生の少女の言葉だった。
「この公演のために私がどれだけ頑張ってきたと思ってんの! これが最後なのに!」
六歳も年上のお姉さんから怒鳴られ泣きじゃくられ、怖くて仕方なかった。そして彼女の頑張りを無駄にしてしまったことが、申し訳なくてたまらなかった。
――こんな失敗は二度としたくない。
だからもう誰にも見られたくない。誰にも近寄られたくない。誰にも関わりたくない。
そうして肇は人目を避けるようになってしまったのだ。
「……あんたにはがっかりだわ」
温は肇が子どもミュージカル劇団を辞めた時、冷めた目で一言そう吐き捨てた。
優しい、花のような香りに鼻腔をくすぐられ、肇は目覚めた。
そんな彼の眼前に広がったのは、少女の寝顔だった。
驚いて上体を起こし、自分の隣に眠っている少女を観察する。銀色の髪の、お人形みたいに可愛らしい少女、どう見てもみいあだった。制服ではなく、その柔らかそうな肌を大いに露出させるベビードールを着用し、赤ちゃんみたいに丸まって寝ている。
「え? な、なんだよ、この状況……」
二人が寝ているのはふかふかのベッドの上。気絶してしまってからの記憶が全くないが、もしかしてもしかして、何か過ちを犯してしまったのだろうか。自分は制服のままだし、大きな乱れもないが、果たして……。
頭の中に嫌な考えが浮かんでは消え、額から変な汗が噴き出し始めた。
しかしこのまま考えていたって答えは出ない。とりあえずここがどこだか確認しようと、起きて初めて辺りを見渡した。
「あっ!?」
ここは、宇宙船の中だった。
いや、本当の宇宙船なわけはないが、映画だとか、漫画だとか、アニメだとかで見る近未来的な宇宙船そのものの内装だったから、肇がそう思うのも無理はないだろう。
「な、なんだよ、この部屋」
ベッドから抜け出して、押してはいけなさそうなボタンやディスプレイをまじまじと見つめる。本当に良く出来ている。このまま宇宙に飛び立てるんじゃないかと錯覚するくらいに本格的だ。
もしかしてここは、映画のセットだったりするのだろうか。でもそれにしては状況がおかしすぎる。
それじゃあ、ラブホテルの一室だろうか。こっちの方がいくらか現実味がある。
自分で行ったことはないが、こんな変な内装になっているところもあると聞いたことがあった。
ということはつまり、やはり自分はこの君島みいあと間違いを犯してしまったということだろうか。無意識の間に童貞を卒業してしまったのだろうか。
恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じ、ふるふると頭を振って嫌な考えを消し去った。
とにかくここから帰ろう。
ポケットからスマートフォンを取り出し、マップを確認することにする。見ると時刻はちょうど夜の十一時だった。母や妹からトークアプリで大量に「今どこ!?」と心配の連絡が来ていた。
しかし状況が分からないので返信のしようもない。先にマップを見てみようとアプリを起動させたその時、眠り姫が目覚めた。
「ん……。あ、はじめちゃんさん。おはようございます」
肩紐がずれ、色々と見えかけている危うい状態で起き上がり、艶っぽい表情でみいあは言った。あまりにも扇情的過ぎて、思わずガン見してしまう。
しかしすぐに邪念を払うため、視線を逸らした。
「やっと起きたんですね。ここまで連れてくるの、大変でしたよー。ホールで倒れてから全然目を覚まさなくて。こーんなせくしーなみいあが添い寝したら起きますよねーって思ったんですけど、気付いたらみいあもぐっすりでした!」
「お、俺はずっと寝てたのか……」
「そうですー。おねぼうさんなんですから」
ただ単にずっと気絶していただけだったようで、そこだけはホッと胸をなで下ろした。
「つーか、ここ、どこだよ」
「みいあの宇宙船です!」
「宇宙、船?」
そうか、そうかー。みいあの宇宙船かー。
なんて、素直に納得できるわけがない。
「お前の家か?」
「家っていうか、宇宙船です。お家はみゅもにみゅにあります」
「あのな。まじめな話しよ?」
「まじめな話ですよー! みいあ、地球人とみゅもにみゅ人のハーフなんです」
「痛々しい脳内設定は良いから」
「設定じゃないですって! ぷんぷん! 仕方ないですね。何か証拠を見せたげますよ」
みいあはそう言って立ち上がり、口元に手を当て悩み始める。
「そうです! テレパシーンにしましょう!」
ぱちんと両手を合わせ、頷くみいあ。次の瞬間、感じたのはあの視線だった。
「ま、また……!?」
流石に三回目だ。すぐに気を失うことはない。しかしやっぱり冷や汗と震えが止まらない。
「そうそう! この視線っ! 快っ感! ですよねっ!」
「ちょ、無理……俺……視線苦手……」
「ええっ!? そうなんですか!?」
「こんなに気持ちいいのに」とみいあが言った数秒後、視線は感じなくなった。
「あ、あれ……」
「テレパシーンって言うんです。脳に働きかけて、色々な状況を疑似体験出来ちゃうすぐれものなんですよ! みいあが使ってるのはシットコムシーン! 日常生活が一気にシットコムに! 自分が主役になれちゃう! そんなやつです!」
「テ、テレパシーン?」
情報には疎い方だと自負しているが、流石にこんなものが売り出されていたら知っているだろう。
シットコムは知っている。実際に観客を集めて収録されるシチュエーションコメディのことだ。一般的には、ラフトラックと呼ばれる笑い声などの音響効果が使用されたドラマを指す場合が多い。
でもテレパシーンなんてものは、一度も聞いたことがなかった。
「何か良く知らないですけど、不具合が出て、販売停止中なんです。でもなんとみいあ、UCHUU! オークションで十倍の値段で落札したんですよ!」
「ヤフ○クのパクリかなんかかよ……」
「でも何だか不良品だったみたいで、はじめちゃんさんにテレパシー送っちゃった時に、勝手にリンクされたんですよねー」
「へいへい、それが原因で販売停止中なんじゃねえの」
「……ああっ!?」
目から鱗といった表情で、みいあは声を上げる。
「ああっ!? じゃねえよ。設定練っとけ」
「みいあ、ハーフだからテレパシーが上手く使えなくて……。感情が高ぶると送っちゃうことが多いんです……」
またしても新しい脳内設定を語り始めるみいあ。テレパシーが下手くそな地球人と宇宙人のハーフの少女だなんて、そんな馬鹿げたことを素直に信用出来るわけがない。
テレパシーンとかいうのは確かに不思議だと思うけれど。
「分かった、分かった。細かい設定があるんだな。それじゃ、俺はお暇するわ。テレパシーンとかいうやつ捨てとけよ」
「テレパシーンでも信用しないです!?」
壁にドアっぽいところを見つけ、開け方が分からないのでとりあえずボタンのようなものに触れてみる。すると自動ドアだったらしく、シュンッという音を立てて開いた。
途端に部屋の中に吹き込む突風。
思わず閉じた瞳を微かに開くと、未羽鹿市の夜景が眼下に広がっていた。
「……は?」
この宇宙船のようなもの、宙に浮かんでいるではないか。未羽鹿市の夜景が一望出来るくらいの高さを飛んでいるのだ。
「これで信用しました?」
「ひ、飛行船じゃ……」
「お、往生際が悪いですね! 宇宙船です!」
みいあはそう言って、半ばヤケクソ状態で謎のディスプレイを操作し始めた。
すると床が、壁が、天井が透けたのだ。まるで空の上を体一つで飛んでいるような、そんな錯覚に陥る光景だった。
「なっ! なななっ! な、何だこれっ!」
「ふふふ、行きますよー」
肇が驚くのが心底嬉しいようで、軽快にディスプレイをタップするみいあ。
次の瞬間、対流圏よりも下に浮かんでいただろう宇宙船(仮)が対流圏、成層圏、中間圏を越え、宇宙空間に突入したではないか。衝撃だとか、重力だとか、そんなものは全く感じず、まるでエレベーターで上の階に上がるような、そんな感覚だった。
青い青い地球が足下に広がる光景。
宇宙は恐ろしくなるほど美しく、不安になるほど壮大だった。
まるで宇宙空間に、生身で浮かんでいるような気分だ。
こんな体験、宇宙飛行士だってしたことがないに決まっている。
「すげえ……」
「地球は青かった」とか「人類にとっては偉大な飛躍」だとか、もっと気の利いたことを言いたかったが、本当に感動した時は言葉なんて出ないんだと言うことを初めて知った。
「夢か? これ、夢?」
「現実です」
背伸びをしたみいあに、むにーっと強く頬を引っ張られた。
なるほど、すごく痛い。
「認めざる、を得ないよな……」
「ふふ、やっと信用しましたか! ホント疑り深いんですから!」
「まあ、半分な。まだ映像という線も捨てきれねえから。確認しようがねえけど」
「確認しようありますよ。ドア開けて宇宙空間に放り出してあげます。死んじゃいますけど」
「分かった、分かった! 全面的に認める!」
宇宙人だとか宇宙船だとか、非現実的すぎて正直まだ半信半疑だが、この少女が普通の人間とは少し……いや多いに違うということは分かりすぎるほどに分かった。
――ビービービービー。
突如、警告音のようなものがけたたましく鳴り出す。
その音を聞いた瞬間、みいあは焦り気味にディスプレイを操作した。
「あっ! エネルギーが残り少ないですっ!」
「ああっ!?」
「あ、ああああ! と、とりあえず不時着! 不時着させますっ!」
「さっさとそうしろ!」
人知れず宇宙空間で死亡だなんて、絶対にありえない。
みいあは先程と同じように、ディスプレイを軽快にタップする。すると今度はエレベーターで上階から下の階に降りる時みたいな感覚を覚えた。
「ま、間に合うか!?」
「だ、大丈夫。大丈夫ですよー」
肇の問いに答えるというよりも、まるで自分に言い聞かせるかのようにみいあは呟いたのだった。そのみいあの反応に、一気に恐怖感が増す。
さっきとは逆に中間圏、成層圏、対流圏を越え、宇宙船はもっともっと下へ降りていく。
いや、本当に降りているのだろうか。
「落ちてねえよな、これ!? 落ちてねえよな!?」
「だ、大丈夫ですよー。あ、エネルギー消費抑えるんで、ビュー切りますねー」
みいあがディスプレイをタップすると、外の風景が透けるように見えていた壁も天井も床も、最初のような金属の塊に戻ってしまった。
何だか誤魔化されている気がして、みいあに対する怒りが沸々と湧いてくる。
「おいっ! ここでお前と心中とか絶対嫌だからな!?」
「愛し合う二人がお空の上で心中……切なくて良いかもですね……」
「愛し合ってねえし、良くねえからっ!」
何だか諦めムード漂うみいあに苛立ちが抑えきれない。
なかなか信用しなかった自分も悪いのかもしれないが、だからってエネルギーの確認もせず宇宙空間に行くなんて無謀すぎる。
行きは何の衝撃も感じなかったのに、ガタガタガタと揺れ出す宇宙船。
肇とみいあは一番安定感のありそうなディスプレイにしがみついた。
ああ、死ぬのか。
お空の星屑になって死ぬのか。
まだまだやりたいことはたくさんあった。
作曲だってしたいし、作曲だってしたい、それに作曲だって……と考えて「作曲のことしか出てこない自分の人生って一体」と、悟りの境地に達しそうになる。
いやいや、作曲だけではないはずだ。
そうだ、まだやり残したことはある。
名香川に、名香川ゆ子に、まだ好きだって伝えていない。
――ガタンッ。
今までで一番大きな衝撃が宇宙船に走った。
そしてそれ以降、揺れを感じることはなかった。
みいあは立ち上がり、おそるおそるドアを開ける。自動で開いたドアの外は、肇が見慣れた風景だった。
「未羽鹿公園じゃん……」
肇の自宅から徒歩五分の場所にある大きな公園だ。中学の時、毎日放課後に弾いていたピアノが見えるので間違いない。
君島みいあの宇宙船は、未羽鹿公園の茂みに無事不時着することが出来たらしい。
「はー。良かったですー」
「ホントだよ! 死ぬかと思ったわ!」
「みいあも……嘘です、嘘です! 絶対大丈夫だと思ってましたよ!」
どちらが嘘かなんて明白だったが、疲れ果てた肇はそれ以上突っ込まないでおいた。
「まあ、良いわ。無事帰ってきたし。それより俺の鞄、知らね?」
「鞄? 分かんないですけど」
「教室におきっぱか……。ま、明日も学校だし良いか」
肇はそう言って、宇宙船を出た。
外からだと宇宙船は透明になってしまい、見ることは出来なかった。茂みの中に、宇宙船の船内がのぞき見えている不思議な光景だ。ドアが閉まれば完全に見えなくなってしまうのだろう。
宇宙船のステルス機能に感心していた肇を、不思議そうに首を傾げながらみいあが追ってくる。
「どこ行くんですか」
「家に帰る」
「え? だめですよー。これからはみいあと一緒に宇宙船で暮らしましょ♪」
「は? なんでだよ。ぜってえ嫌だわ」
「じゃあみいあをはじめちゃんさん家に住ませてください」
「それこそ嫌だわ」
「えー。じゃあじゃあーみいあ――」
「はいはい。じゃあな。俺は忙しいんだ。もう関わってくんな。じゃねえとNASAにお前の存在報告すんぞ」
半分以上冗談のつもりだったのだが、みいあには効果てきめんだったようで、恐怖の表情で後ずさりした。しかしすぐにふるふると頭を横に振り、不安げな表情のままで言う。
「で、でも……はじめちゃんさん、これからみいあとKosMosに……」
「NA・SA」
「ひぃ! さよならです!」
みいあは脱兎のごとく宇宙船の中に戻っていった。
やっとみいあより優位に立てたことに対する優越感に浸りつつ、肇は帰路についた。




