星空のファーストキス
日中は三十度近くまで気温が上がるが、さすがに夜になると肌寒さを感じる。
七分のカットソー一枚じゃ少し寒かったか、なんて思いながら未羽鹿駅で待つこと十分。
約束の時間から少し遅れてみいあがやってきた。男が好きそうな白い短めのワンピースに身を包み、キャリーケースをごろごろさせている。
「えへっ、待った?」
「デートに遅れてきた彼女みたいな面すんな」
「正に! その通りなんだから良いじゃないですか!」
「何が正にその通りだ」
「っていうかはじめちゃんさん、大荷物じゃないですか! まさかみいあと一緒にみゅもにみゅ星に来てママに挨拶する気です!?」
「帰りに使う折りたたみ自転車だよ! ほら、ささっと行くぞ」
みいあからキャリーケースを奪い取り、駅構内へと向かう。奪い取られたみいあは「イケメン……」と恍惚の表情で肇を見つめながら横にぴったりと付いてきたのだった。
未羽鹿市の隣町の無人駅、尾平良狭には電車を乗り継ぎ二十分で行くことが出来る。帰る時間は終電後なので、折りたたみ自転車で一時間以上かけて帰ることになるが、運動にはちょうど良いだろう。
ガタンゴトンと揺れる電車で肩を並べて座る。きっと端から見れば、旅行帰りのカップルだろう。
肇は「俺達そんな関係じゃないですからね」と、誰に何を言われたわけでもないのに心の中で必死に言い訳をしていた。
「はじめちゃんさん、あのね」
「何だよ」
「みいあもしかしたら、一ヶ月以上帰ってこれないかもしれないんです」
「ああ? どれくらいだよ」
「半年かもしれないですし、一年かもしれないです。もしかしたら十年後かも……」
「はあ!?」
冗談を言ってからかっているのだろうかと一瞬思ったが、みいあの真剣な表情を見てそうではないと悟った。
「ママはみいあが地球に来ることを応援してくれたんですが……みいあのおじいちゃんは最後まで反対してて……。おじいちゃんに捕まったら、みいあすぐには地球に帰ってこれないかもしれないんです……」
「……そうなのか」
そんな家庭の事情があるなら仕方がない。肇がどうこう言って、どうにかなるような問題でもないのだから。
でも、みいあの気持ちだけは聞いておかねばならない。
「十年も帰ってこれなかったら、俺達二十五だぞ? 高校卒業どころか、社会人三年目くらいになるぞ。お前はそれで良いのか?」
「みゅー、でも仕方のないことですし……」
せっかくルーキースターで五位に入って、これからクイーンドリームにだってなれるかもしれないというのに、本当にみいあはそれで良いのだろうか。
――いや、良いわけがないだろう。
でもこのまま定期的にテレパシーンを発動させてしまうことで、肇に迷惑を掛けたくないと思っているのかもしれない。
「……分かった。打ち上げ延期しといてやるから、早めに帰ってこい」
「はじめちゃんさん……! はいですっ!」
ちょうど乗り継ぐ駅に着いたので、二人は電車を降りる。
みいあの隣を歩きながら肇は考えていた。
みいあは帰ると言っているが、果たして自分は……彼女がこのまま帰ってしまっても良いのだろうかということを。
深夜の無人駅は当然のことだが人の気配が全くなく、とても寂しい雰囲気だった。
本当にこんなところにスペーストレインとかいうのが来るのか疑わしいが、宇宙人のめぐるがそれで地球にやってきたと言っているのだから本当なのだろう。
「さて、はじめちゃんさん。約束のちゅーのお時間ですが……」
「へいへい、頬にすりゃ良いんだろ」
「ですです!」
みいあはこくこくと勢い良く頷いた。
そして肇のキスを待つように、両手を組んでうっとりと目を閉じたのだった。
身長差がありすぎるので、腰が痛くなりそうなくらい屈んで、みいあの肩に手を置いた。
思った以上に細くてか弱く感じるみいあの肩に、女の子なのだということを今更ながらに再確認してドキリとする。
挨拶みたいなものだからと自分に言い聞かせるのだが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
みいあの顔を見るのも恥ずかしくなってきて、早く終わってしまえと肇もキツく目を閉じた。
――瞬間だった。
頬にキスをしたはずなのに、それとは少し違う感触がしたのだ。
何か柔らかいもので強く口を塞がれ、息が出来ない。
「んっ……!?」
驚き目を開けると、自分の唇とみいあの唇が重なっているではないか。しかも肇の手にものすごくなまめかしい手つきで指を絡ませてくるのだ。
みいあの何とも言えない良い匂いが鼻孔を刺激する。
彼女の色っぽい表情が、肇のかき立てられてはいけない欲望をかき立てた。
(あっ、これ、やばい……)
このままではやばいと分かっていた。
本当ならすぐにでも離れるべきだった。
でも気付いた時にはもう、みいあとのキスのあまりの甘さに脳がしびれて理性がぶっ飛んでしまっていた。
みいあが離れようとするのを押さえ込んでまで、キスを続行する。
二人は息が苦しくなるくらい、長く濃厚なキスに酔いしれた。
「んっ……! んんっ……!!」
苦しむみいあに胸を叩かれ、肇はやっと理性を取り戻す。
すぐさま後ずさりし、口元を拳で押さえながら、恥ずかしさでわなわなと震える肇。
いたずらを仕掛けた本人であるみいあも肇がこんなに食いつくとは思っていなかったらしく、顔が茹で蛸みたいに真っ赤だ。
それでも、してやったりといった表情を無理矢理浮かべてこうのたまった。
「みゅ、みゅふふ! そ、そんなにみいあとのキスが良かったです!?」
余裕のつもりらしいが、瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。心なしか、少し震えているような気もした。
ものすごい罪悪感に駆られ、肇は素直に謝った。
「あ、あの……なんかごめん……」
「えっ、あっ、い、いえ。あ、謝らなくても……。み、みいあが仕掛けたんですし……」
そうだ。
そうじゃないか。
その通りじゃないか。
何で被害者の自分が謝らなければならないのか。
みいあが悪いのだ。
頬にキスするだけといったのに、無理やり口にさせたり、肇を誘惑するような仕草をしてきたみいあが全て悪い。
そう考えると、無性に腹が立ってきた。
「そうだよなあ!? 俺、全然悪くないよなあ!?」
「わっ! ひ、開き直った!? ちょ、ちょっとは悪いですよ!」
「いーや、お前が悪い! 本当最悪だ! 俺のファーストキスがこんなやつに……」
思う存分みいあとのキスを堪能しておきながら、なんとも女々しい台詞を吐いてしまった。でもそうは言ったって、肇も色々とシチュエーションってものを考えていたのだから無理もない。
あまりの気持ち良さに理性を失い、好きでもない女としてしまったキスがファーストキスになるだなんて、思ってもみなかったのだ。
「そ、そんなこと言って、はじめちゃんさんノリノリだったじゃないですか! あ、あんなに激しく……な、何度も何度も……し、舌まで……」
「よ、良く憶えてねえ!」
「ち、ちなみにみいあもファーストキスなんですからねっ」
「い、いらねえよ、そんな情報! どーでも良いわ!」
「せ、責任取って下さいね?」
「は、はあ!? そっちが取れよ! 仕掛けたのはそっちだろーが!」
「し、仕方ないですね……責任取ってはじめちゃんさんのお嫁さんになるしかないようです……」
「いやいやいや! お前しか得してねえだろ!」
と終わりそうもない痴話喧嘩を繰り広げていると、どこからともなく電車が駅のホームに入ってくるような音がし始めた。
しかし線路の右を見ても左を見ても、電車のようなものが来ている様子はない。
「あっ! はじめちゃんさん、上ですよ!」
「え?」
みいあにそう言われ夜空を見上げると、電車とも新幹線とも宇宙船とも言い難い、何とも不思議な乗り物がこちらに向かって来るではないか。
みいあと本格的なキスをしてしまった恥ずかしさなんて飛んでいくくらいのかっこいい乗り物に、肇は興奮を抑えきれなかった。
「うっわ! すげえええ! なんだあれ!」
「そういえばみゅもにみゅ星にいた時、テレビで見たことありますねー。みいあは乗ったことないですけど」
「お前、お姫様かなんかかよ」
スペーストレインは線路に停車した。プシューっという音と共に扉が開き、中から車掌のような人が出てくる。みいあもめぐるも地球人と変わらない姿なので当たり前なのかもしれないが、車掌も普通の人間の姿だった。
「乗車されますか?」
「あっ、はい! 乗車します!」
みいあがそう言うと、車掌はキャリーケースを受け取ってスペーストレインの中に運んでくれた。みいあも車掌についてスペーストレインに乗り込む。
「そちらもお運びしましょうか?」
「ちがっ、お、俺は見送りです!」
折りたたみ自転車まで運ばれそうになり、自分は乗らないのだということを必死に伝えた。この一ヶ月二人の宇宙人と過ごしてきたというのに「宇宙人と会話してしまった!」と謎の高揚感を覚えながら。
「それでは、はじめちゃんさん。みいあ、行ってきますね」
「ちゃんとテレパシーン解除してこいよ」
「はいです。はじめちゃんさんは浮気しちゃだめですよ」
「浮気どうこう以前に付き合ってないからな、俺達」
「あ、あんな、キ、キスまでしちゃった仲なんですよ?」
「それはお前が先に無理矢理」と言い掛けたが、寂しそうに笑うみいあを見て口を噤んだ。
もしかしたらもう何年も会えなくなるかもしれないのだから、みいあの妄言に付き合ってあげた方が良かったのかもしれない。
ピーッという音が鳴って、スペーストレインのドアが閉まり始める。
みいあがとても名残惜しそうに手を振る。
あまりにも切なそうな表情だったものだから、肇は閉まる直前になって叫んだ。
「分かった! 浮気しねえからさっさと帰ってこい!」
叫んだ後に、恥ずかしいことを言ってしまったと後悔した。
みいあに聞こえたかどうか分からないが、割れんばかりの笑顔を浮かべていたからきっと聞こえてしまったのだろう。
スペーストレインは先程と同じように宙に浮かび、都会では見られないような星空の向こうに飛び去っていった。
見えなくなるまで見送ると、肇は折りたたみ自転車で自宅への帰り道を走り抜けた。
本当は、行ってほしくなかった。
もちろんテレパシーンのリンクは解除したいけれど、それ以上に、みいあには地球にいてもらいたかった。
やっぱりみいあには才能があるから、これからもKosMosで一緒に活動したいと思った。
彼女が詞名を越えてクイーンドリームになる手伝いをしたいと思った。
そして単純に、みいあがいなくなると寂しいと思った。
好きだとか、付き合いたいとか、そういう気持ちではない、と思う。
でもいつの間にか彼女のことを大切だと思うようになっていたのは確かだった。
キスをするのも、全く嫌じゃないくらいに。
「……良く分かんねえ」
呟きながら、まだ感触が残る唇に、そっと触れる。
夜の涼やか風が吹き付けて、肇の火照った頬を良い感じに冷やしてくれた。




