君がいれば歌える
みいあは今、舞台に立っていないし、感情が高ぶることなんてあり得ないはずなのに意味が分からない。
でもゆ子の歌が終わればすぐ自分の台詞なので気絶している場合ではない。動悸が、冷や汗が、吐き気が止まらないが、気を張ってテレパシーンが治まるのを待つことにした。
「ちょっとやばいわよ、肇。って肇もやばいじゃない」
静かに扉を開け、小声で入ってきたのはキミィだった。
「な、何がやばいんだ?」
「みいあちゃんよ、みいあちゃん」
「き、君島? 良い感じだったじゃねえか」
「はじめちゃんさんがいないと歌えないって今、舞台裏で泣いてんのよ!」
「はあっ!?」
みいあの出番は、後はもう想いを伝えて歌うシーンだけだ。
みいあの、いや、この公演一番の見せ場であり、シメのシーンだ。
ここまでは上手く出来ていた。この調子でいつも通り歌えば良いだけだ。
それなのに、ここの来て歌えないだなんて、一体どうしてしまったというのだろう。
「肇がそばにいないと音が取れないんだって」
「そ、それでテレパシーンが……」
「ん?」
「あ、いや、でも俺これから出ずっぱりだし、キミィが何とかなだめてやって……」
「だいぶなだめたんだけどねえ……」
「まあ、出来るかぎり頑張るわ」と言って、キミィは調整室を出て行った。
テレパシーンはまだ治まらない。
でもゆ子の歌が終わったから、次は自分の台詞だ。何としても頑張らなくてはならない。
みいあはこの視線が快感だと言っていたが、こんなもの不快以外の何物でもない。しかし何度かこの視線の中に晒されたことによって耐性が付いたのか、今日はいつもよりかマシだった。それでも、気を強く持たなければ気絶してしまいそうなくらいだけれど。
また舞台が暗転し、公演は最終シーンを迎えた。舞台上にはみいあ、ゆ子、ゆ太朗、めぐる、全てのキャストが揃っている。
舞台の上では普通に見えるが、テレパシーンが未だに続いていることから考えて、不安定な状態なのだろう。
「あんたの友達から聞いた。あんた本当はおしゃべりなんだろ? でも俺とは話そうとしない。一体、どうしてなんだよ?」
大輝にそう問われ、翔子は下を向く。すると、大輝の腕に絡みつき、美和が言った。
「大輝君のことが嫌いなのよ。だって好きな人とはたくさんおしゃべりしたいって、そう思うでしょ?」
「……そんなに俺が嫌いか?」
翔子は必死に頭を横に振る。嫌いなわけがない。大好きなのだ。大好きだからこそ、大輝好みの女の子になりたくて。だから話さないように、話さないように、自分を押し込めて。
でもいつしか、どこまで自分を押し込めればいいのか分からなくなってしまった。
やりすぎていることは自分でも分かっている。
でも怖くて。昔のように嫌われることが怖くて踏み出すことが出来ない。おしゃべりな自分を受け入れてもらえるかどうか、分からないから。
「もう行きましょう、大輝君。やっぱりあなたのこと、嫌いみたいだもの」
「……そうだな。もう良いよ」
大輝は美和と腕を組んで歩き出す。
このままでは、このままでは本当に、大輝に嫌われてしまう。
翔子のことを友達が怒鳴りつける。
本当にこれで、終わりで良いの?
おしゃべりでも、おしゃべりじゃなくても嫌われてしまうなら、当たって、砕けなさいよ。
本当の自分をさらけ出してから、嫌われようじゃないの。
友達の歌に励まされ、翔子は頷く。
「だ、大輝君っ!」
そう呼び止める翔子に、大輝は振り向く。
そしてここで音楽が流れ出し、翔子は歌うのだ。
心の内にずっとずっと秘めていた大輝への想いを。
「あ……」
伴奏が流れているにも関わらず、みいあは歌わない。
いや、歌わないと言うよりも、歌えない、と言った方が正しいのかもしれない。
両手で喉を押さえ、必死に声を絞り出そうとしているのだが、出ないのだ。
「あ……あ……っ」
ゆ子が寄り添い、アドリブで「翔子、大丈夫?」と声を掛けるが、みいあは頭を横に振る。
「あっ……あ……あ……っ」
みいあの瞳からはぽろぽろと涙が零れ出す。舞台の上では気を張っていたのだろうが、ついに限界が来てしまったらしい。
「何これ? 演出?」「声出ないの?」「大丈夫かな?」などと、観客達がざわつき始めている。
悲しく流れていく伴奏。音響さんが音楽を止めようかどうしようかと肇に聞いてきたが、ここで止めれば失敗だ。観客にもアクシデントだと気付かれてしまう。
ゆ子がまだアドリブで繋いでくれているのだ。演出と思わせられるよう、なんとかしなければ。これは、コミュリーダーである肇の役目だ。
「このまま曲は最後まで流し続けて下さい。今から俺、舞台裏行ってきます。向こうからライトで合図するんで、もう一回最初から曲流して下さい、お願いします」
音響さんにそうお願いし、肇は調整室を出た。
走って、走って、走って。
全速力で、みいあの元へ。
もうみいあは一人で大丈夫だと思っていた。
あれだけ一緒に練習したし、民宿でリハーサルを行った時も本当に上手く歌えていたから。
でもみいあが上手く歌える時は、いつでも肇が彼女の見えるところにいた。
それがすごくみいあの心の支えになっていたのだ。
「はじめちゃんさんがそばにいるからみいあは歌える」、そんなジンクスを唱えていたのかもしれない。
だからいざ、肇がそばにいない状況に置かれてしまうと、みいあはどうして良いか分からなくなってしまった。
そして、肇はみいあがそんな風になっていることに気付けなかった。
そういえば昨日から何だかみいあの様子がおかしかったじゃないか。
いつも以上にくっついてくるし、いつも以上に一緒にいようといってくるし、いつも以上に肇だけがそばにいれば良いと言った。
みいあが控え室で固まってしまっていた時に何か対策を打っていればと、今になって思うが、もう遅い。
でも取り返せない訳じゃない。
「あっ! 肇!」
舞台裏から心配そうに見守っていたキミィが走ってきた肇に気付き、声を上げた。
「あたしじゃ無理だった。ごめんね」
「いや、ありがとう、キミィ」
「でもどうしよう。みいあちゃんに肇がここにいるってこと気付いてもらわないと……」
「そうだな……あ、キミィ、マイク借りてきてくんね?」
「え、ええ。分かったわ」
とその時、唯一観客席から表情が見えないよう、舞台裏の方を向いていためぐるが肇の存在に気付いたようで、小さく首を傾げた。
「あっ、こ、小泉! 小泉にちょっとだけこっち向けって!」
肇は何とかジェスチャーで、隣にいるゆ太朗にこっちを見てほしいことを伝える。
伝わるかどうか不安だったが、めぐるがゆ太朗の服の袖を小さく引っ張っているのが見えて、安心した。
めぐるのおかげで舞台裏に何かあると気付いたゆ太朗は、不自然に見えないよう少しだけ肇の方に目を向けてくれた。
「こ、小泉! 口パク! 口パクと身振り手振り適当に合わせてくれ!」
これまたジェスチャーでゆ太朗に言いたいことを伝える肇。ゆ太朗は不安げな顔で少し首を傾げたが、小さく頷いてくれた。
「よし……」
「肇、マイク!」
「ありがと」
キミィからマイクを受け取り、息を大きく吸い込んで深呼吸。
そして肇は約束したとおり、ライトで調整室へ合図を送った。
一度終わったはずの曲が、もう一度流れ出す。
肇はその伴奏に合わせて、歌った。
みいあが初めて歌えた時のように、肇がメロディを歌ってやるのだ。
肇の歌声に合わせてゆ太朗も口を動かし、両手を広げて歌っているところを表現してくれた。
みいあがハッとして、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げる。
ゆ太朗の向こうに、舞台の裏に、肇の姿を見つけた。
肇がすぐそばにいる、一緒に歌ってくれている。
涙で濡れたみいあの顔は、満開の花のような笑顔に変わった。
その瞬間、ホール内の空気が変わったのを肇は感じた。
観客達がみんな、みいあの笑顔に惹き付けられている。
太陽みたいに暖かく、花みたいに可憐で、空みたいにどこか切ないなみいあの涙混じりの笑顔。
誰もが、彼女のそんな表情にときめきを覚え、次はどんな表情を見せてくれるのだろうと期待していた。
――この瞬間に、このステージはみいあだけのものとなったのだった。
「わたしがずっとかくしていたきもち。あなたにきいてほしいの」
肇の歌うメロディに合わせてみいあが歌い始める。
もう大丈夫だ。
みいあは完璧に歌い切る。
だってここはもうすでに、みいあだけのステージだから。
肇はタイミングを見計らって、ガイドメロディを歌うのをやめる。ゆ太朗もそれに合わせて、動きを止めた。
肇の思った通り、みいあは最後まで歌詞を間違えることも、音を外すこともなかった。
というよりも、今までで一番感情のこもった素晴らしいラブソングを歌い上げたのだった。
みいあの歌と共に、だんだん舞台が暗転していく。
これでこの物語は幕を閉じる。
物語の続きは、観客の想像に任せるという形だ。大輝が翔子の告白を受けるのか、それとも美和を取るのかは、観客それぞれの解釈に委ねる。
――はずだった。
「好き! 好き好き! 好きです! 大好きなんです!」
突然、脚本にはない台詞をみいあが思い切り叫び出す。
「好き! 好き! 好きです! 大好きです!」
舞台が暗転しきってもずっとその告白は続く。
「すきすきすきすきすきすきすき!」
このままでは収集が付かないではないか。肇は仕方なく、こう返事をした。
「うるさいな! 知ってるよ! 小さい頃からずーっとな!」
その言葉と共にみいあの「好き」コールは止み、今度は本当に物語の幕が閉じた。
割れんばかりの拍手と共に、舞台の幕も下りる。ヒューと指笛を鳴らす人。「みいあちゃーん」という公演前には絶対起こらなかったコール。観客全員がスタンディングオベーション……とまではいかないが、半数くらいが立って拍手を送ってくれている。
何とか……成功した。
そう思った瞬間、肇の緊張の糸がプツンと切れた。
そういえば、まだテレパシーンが続いていたんだったということを思い出した。
大量の視線と一緒に、本当の拍手と、テレパシーンによる拍手が混ざり合い、うるさくて仕方がなかった。




