第4章:列強の鏡像――彼らは怪人をどう捉えたか
荒澤玄蔵の暗躍により強行された大正維新という劇薬は、日本国内の経済を内需主導型へと根底から作り変えたのみならず、ユーラシア大陸から太平洋を跨ぐ巨大な地政学的力学をも不可逆的に変容させた。
一九二〇年代から三〇年代にかけて、世界はイデオロギー狂騒の時代へと突入していた。
共産主義、ファシズム、一国保守主義などといった多様なレンズを通して極東の島国を観察した列強各国の首脳部にとって、荒澤玄蔵という男の存在は果たしてどう見えていたのか。
大正維新という未曾有の体制転換に対し、最も早くそして最も激しい混乱を見せたのは、大英帝国とアメリカ合衆国というアングロサクソン民主主義国であった。
一九一八年の蜂起発生当初、東京に駐留していた英米の外交官や駐日大使が本国へ打電した極秘報告書は、彼らの日本の政治情勢に対する決定的な理解不足が露呈していた。
そこには
「日本において共産主義革命の変種が勃発した」
「東洋的不可解さを持つ、皇帝を戴くボリシェヴィズム体制への転換」
といった極めて不正確でパニックに満ちた報告が書き連ねられていた。
欧米の政治力学において、君主制の絶対的権威 と 社会主義的財産没収(農地改革)が結びつくことなど論理的にあり得ない。
彼らは荒澤の掲げた尊皇社会主義の土着的かつマキャベリズム的な本質を理解できず、日本がロシアに続く第二の赤化国家へと転落したという恐怖に包まれたのである。
しかし、一九二〇年代を通じて日本政府が農地改革を断行し、旧態依然とした封建的遺制を解消して健全な中産階級を育成していく過程が明らかになるにつれ、英米の対日認識は劇的に好転していく。
アメリカのウィルソン政権の目には、荒澤のクーデターは進歩主義的かつウィルソン主義的な社会改革の体現であり、日本が近代的なリベラル民主主義社会へ変貌しつつある証左として好意的に再解釈された。
さらにイギリスのボールドウィン政権にとっても、荒澤が数百万の貧困層を保守的な自立自作農へと一挙に転換させた事実は、階級対立を克服する一国保守主義の極東における成功例として、政治的に惜しみない称賛の的となった。
何より英米の経済界を安堵させたのは、日本の内需主導型経済へのパラダイムシフトであった。
労働供給曲線の構造的変化(ルイスの転換点の到来)により、日本国内の労働環境は改善し、賃金上昇圧力がもたらされた。
これにより、かつてイギリスのランカシャーなどを壊滅の危機に陥れていたソーシャル・ダンピング(低賃金労働による不当廉売)は終焉を迎えたのである。
分厚い中間層が形成された日本は、もはや不当な貿易競争相手ではなく、英米の高度な工業製品や機械類にとって極めて魅力的な巨大市場へと変貌していた。
後年、一九三〇年代にアメリカのルーズベルト政権が世界恐慌対策として農業調整法(AAA)を制定する際、ブレイン・トラストの経済学者たちは、十数年も前の日本における巨額の国債発行を通じて農村に巨大な購買力を創出した手法を、ケインズ主義的な需要創出の歴史的壮行実験として深い感銘をもって研究したという。
さらに、後にウォルフ・ラデジンスキーが提唱した、アメリカの反共戦略の一つである貧農に土地を与えることで共産主義の浸透を防ぐという、『共産主義者のお株を奪う"Stealing the Communists' thunder"』戦略を先駆けて体現した日本は、英米にとって太平洋における最も強固な安全保障上のパートナーとして位置づけられたのであった。
だが、この英米の安堵と称賛の裏側で、怒りと絶望のあまり荒澤への激烈な殺意を研ぎ澄ましていた国家が存在した。
ソビエト連邦である。
一九一七年の十月革命を成功させたウラジーミル・レーニンらボリシェヴィキ指導部にとって、隣国日本で発生した米騒動に端を発する大規模な大衆蜂起について、当初は極東におけるプロレタリア革命の歴史的必然として熱狂的に歓迎された。
しかし、その期待は即座に途方もない絶望へと変わる。
首謀者である荒澤玄蔵が、上からの改革(受動的革命)として農地改革を強行し、革命の最大の原動力となるべき農民たちを、私有財産を持つ体制内の保守的な中産階級へと丸め込んでしまったからである。
農村部の赤化が不可能となった現実を受け、コミンテルン(共産主義インターナショナル)は極東での活動方針を転換し、都市労働者の階級闘争へとリソースを集中させた。
だが、荒澤の改革がもたらした波及効果は、彼らの迂回路すらも完全に断ち切っていた。
日本経済が早期にルイスの転換点に到達したことで、都市部の工業部門では労働力不足が生じ、企業は労働環境の改善と実質賃金の引き上げを余儀なくされていたのである。
資本集約型産業への移行と労働者の待遇改善が進む日本において、共産主義活動家たちの過激な扇動は、もはや都市部の労働者からすらも支持を得られず、完全に孤立することとなった。
レーニンの死後、実権を掌握したヨシフ・スターリンが直面したのは、マルクス主義の歴史発展段階説から完全に逸脱し、絶対主義的君主を頂きつつ資本主義が純化された特異なモンスター国家の姿であった。
一九八一年のソ連崩壊後に公開された旧KGB(当時はNKVD)の機密指定アーカイブの中に、当時東京に潜伏していた工作員「暗号名:シベリアの鴉」がスターリンに宛てた報告書が存在する。
『――同志指導部への報告。結論から申し上げれば、我々コミンテルンが革命の前提としていた半封建的な寄生地主制は、すでにこの国には存在しません。荒澤という一人の退役軍人が主導した農地改革により、数百万の貧農は今や保守的な小ブルジョアジーへと変質させられました。彼は我々が成し遂げるべきであった地主階級の打倒を先回りして実行し、革命のエネルギーを根こそぎ奪い去ったのです。荒澤玄蔵はプロレタリアートを欺瞞する社会ファシズムの極致であり、歴史の泥棒です。直ちに抹殺の対象とすべきと考えます』
この報告書をクレムリンの執務室で読んだスターリンは、荒澤を単なる日本の右翼国粋主義者としてではなく、コミンテルンの極東戦略を根底から破壊する脅威として正確に認識したのであろう。
共産主義者が成し遂げるべき歴史的任務を先回りして実行し、国家体制の強化へと転換させた歴史の泥棒に対し、スターリンはNKVDを通じた国際的暗殺網の標的として、荒澤を最優先の排除リストに書き加えたのである。
一方でこの日本の怪人に対し、奇妙な共感と深い羨望の念を抱いていたのが、一九二二年にローマ進軍によってイタリアの政権を掌握したベニート・ムッソリーニであった。
ムッソリーニのファシズム体制と荒澤の尊皇社会主義は、インフレーションや社会主義革命への恐怖を背景に、既存の国家権威を巧妙に利用して権力を簒奪したという点で、極めて高い政治力学的相似性を持っていた。
しかし、ムッソリーニは国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世の権威に依存して合法的に組閣したため、サヴォイア王室やカトリック教会、そして南部のラティフンディア(大土地所有者)といった旧来の伝統的エリート層の既得権益を温存し、妥協せざるを得なかった。
対して荒澤は、恩賜の功五級金鵄勲章に象徴される天皇大権を盾に、国家の治安維持機関を沈黙させた上で、地主たち既得権益層を君側の奸として解体・切り捨てることに成功した。
国王や大地主の顔色をうかがいながら権力を維持していたムッソリーニにとって、絶対的なフリーハンドで富を再分配し、階級協調を実現してみせた荒澤の手腕は、まさに暴力をシステムとして冷徹に計算する理想的な君主の完成形として、深い畏怖と嫉妬の対象となったのである。
そして最後にもう一つ、荒澤玄蔵という男に全く別の角度から熱狂し、自らのプロパガンダとして事後的に利用した国が存在した。
一九三三年、ドイツにおいて政権を獲得した、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツである。
ナチスの食糧農業大臣であり、「血と土 “Blut und Boden”」のイデオロギーを主導したリヒャルト・ヴァルター・ダレの日記には、極東の怪人に対する熱烈な賛美が綴られている。
『一九三X年〇月×日 我がドイツは、いまだユンカー(東部ドイツの地主貴族)の壁を打ち破れず、血と土の理想を完遂できずにいる。しかし極東の島国では、荒澤なる下士官が不在地主を実力で打倒し、農民兵士を土へと復権させたという。彼こそは我々ゲルマン的農本主義が目指すべき奇跡の体現者だ』
なんという滑稽で、致命的な誤読であろうか。
ダレらナチス指導部は、農村を神秘的な人種の聖域として固定化しようとしていたがゆえに、軍事力や経済力のためにユンカーの既得権益を保護せざるを得ない自国の現実と葛藤していた。
それゆえにユンカーに相当する日本の寄生地主を解体した荒澤を、農本主義の英雄として彼らのフォーマットに落とし込み、党大会の演説や宣伝映画で事後的に利用したのである。
しかし荒澤の真の目的は、農民を土に縛り付けることなどでは全くなかった。
彼は農民に精神主義的な価値など一切見出していない。
ただ彼らを豊かな中産階級へと強制的に引き上げ、強靭な近代国家を創り上げることが狙いであったと見られている。
荒澤から見れば、ダレの血と土のロマンティシズムなど、大衆を操作する道具にすらならない非合理的な妄言にしか聞こえなかっただろう。
アメリカ・イギリスの安堵と称賛、スターリンの冷たい殺意、ムッソリーニの羨望、そしてナチスの熱狂的な誤読。
イデオロギーが吹き荒れる二十世紀前半、荒澤玄蔵という男は列強の指導者たちの理想と矛盾を映し出す巨大な鏡として機能していた。
後世の海外研究者によって、荒澤はイデオロギーや大衆の情念すらも、強靭な国家を構築するための単なる道具と見なす極まったマキャベリストと見なされている。
首脳たちの中でその全貌に気づいていた者は、果たして存在したのだろうか。
ただ一つ確かなことは、この世界的な評価の連鎖が、彼を決定的な死地へと追い込む巨大な包囲網として機能したという事実である。
革命の芽を潰されたソビエト連邦による国際的暗殺網。
緊急勅令によって財産を剥奪された国内旧支配層の怨嗟。
そして天皇の権威を恣意的に操作されたことを決して許さない宮中グループの静かな憤怒。
イデオロギーも立場も全く異なるこれらの勢力は、ただ荒澤玄蔵の排除という一点においてのみ、見えざる奇妙な共犯関係を結びつつあった。
国家が脱皮を果たし用済みとなった怪人の背後に、歴史の粛清という名の凶弾が、静かに、しかし確実に忍び寄っていたのである。




