表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/152

34回目 その3

 夕食後、フロントに寄ったときだった。若女将がにっこり微笑んで、帳面を閉じる。

「実は今夜、お泊まりなのは皆さまだけなんですよ♡ 露天も内湯も、遅いお時間は貸切にしておきますね。雪見風呂、ゆっくりどうぞ」

「えっ、貸切?」

 思わず聞き返すと、横で杏奈がぱっと顔を上げる。

「ってことは……その……れー君と混浴できちゃうってこと?」

「こ、混浴って、そんな……!」鈴音が慌てて姿勢を正し、耳まで赤くなる。

「んふふ~♡ いいお湯になりそう~」ふわりが夢心地の声で言った。


 若女将は何もかも承知の笑みで、柔らかく会釈した。

「お客様のタイミングでどうぞ。雪が綺麗ですから、湯冷めにだけお気をつけて」


 風が細く鳴いた。回廊を抜け、露天へ続く石畳に出る。

 足元の灯籠が、雪面を橙に染めている。世界はしん、として、湯けむりの白だけが生き物みたいにゆらいでいた。


「わぁ……」

 杏奈の吐息が白くほどける。

「れー君、見て。枝の上に積もった雪、ライトに当たってキラキラしてる」

「ああ。……きれいだな」

「ふわり、手、つないでいい~?」

「転ぶと危ないしな。ほら」

 掌を預けると、ふわりの手はほんのり温かく、指先がそっと絡む。

「ありがとうございます……レージ君。鈴音も、転ばないように気をつけますっ」



「おう。段差、気をつけろよ」


 脱衣所の戸を開けると、木の香りがふわりと立つ。時計はもう夜更け。誰もいない静けさが、少しだけ胸に響いた。


 湯縁へ出る。雪の庭と真っ黒な空。岩のあいだから立ちのぼる湯気が、灯の色を孕んでゆっくり呼吸しているみたいだった。

 俺は肩まで浸かって、ひと息つく。湯が肌にまとわりつくたび、外気の冷たさが少しずつほどけていく。


「……れー君」

 湯けむりの向こう、杏奈がバスタオルをきゅっと結び直して、恥ずかしそうに笑った。

「そんなに見ないで。とけちゃうでしょ」

「いや、見てない。見てないけど……その、雰囲気が」

「雰囲気?」

「……綺麗だなって」


 そう言った途端、杏奈は照れ隠しみたいに小さく舌を出した。

「ずる。そういうの、反則」


 ふわりはいつもの調子で、湯のふちに膝を揃えて腰をおろす。肩に落ちた髪から細い滴が落ちて、丸い波紋が広がった。

「れーじくん、ここ、あったかいよ~。座ると雪が近くて、星も見えるの」

「ほんとだ」

 見上げると、空は深い群青で、粉砂糖みたいに小さな星が散らばっている。


「レージ君、背、寒くないですか?」

「平気。鈴音こそ、無理すんな」

「だ、大丈夫です……っ。あ、あの……」

 鈴音はタオルを胸元で押さえながら、そっと俺の隣に入ってきた。湯面がやわらかく揺れて、湯気がふたりの間をふわっと流れていく。

 視線が合った。鈴音は慌てて逸らし、それでもすぐに戻して、ひと呼吸してから言った。

「こうやって、みんなで入るの……変じゃないですか?」

「変じゃないよ」

 答えると、鈴音の睫毛が小さく震えて、目尻が和らいだ。


 湯は静かだ。雪は音もなく落ちてくる。

 近くで、杏奈が髪を耳にかけた。湯に濡れた襟足が灯に透けて、息が詰まる。タオルの端がふと緩みかけて、彼女は「わ、わ」と小さく直して、こちらに眉を寄せる。


「見た?」

「見てない」

「ほんと?」

「……見ない努力はしてる」

 言うと、杏奈は肩で笑って、湯面に小さな波を立てた。

「努力、合格。れー君、そういうの真面目だよね。好き」


 ふわりが胸の前で手を組んで、湯に頬を寄せる。

「れーじくん、お湯の音って、心臓に似てない?」

「心臓?」

「とく、とく、って。なんか落ち着く」

「……言われてみたら、そうかもな」

 耳を澄ますと、湯が岩肌に触れてわずかに鳴る音と、雪の降りる無音が重なって、確かに胸の奥の鼓動と歩幅が合っていく気がした。


「ねぇ、れー君」

 杏奈が、湯の縁に肘を乗せながら言う。


「高校、もうすぐ終わるけどさ。こういう夜が好き。なんにも特別なことしてないのに、忘れられない感じ」

「分かる」

「ふわりも~。今日の雪、覚えておきたい」

「鈴音も……です」

 三人の声が湯気に混じって、灯に溶けていく。


 俺は少しだけ、手を湯から出した。夜気でひやりとした指先に、杏奈が目を丸くして、ためらいがちに自分の手を近づける。

「……触っていい?」

「ああ」

 湯気の中、指先がそっと重なる。

 隣ではふわりが真似をするみたいに、遠慮がちに人差し指一本、俺の手の甲に触れた。

「れーじくんの手、あったかい~」

 反対側で鈴音が躊躇い、そして意を決したように、そっと小指だけ絡めてくる。

「す、少しだけ……失礼します」

「少しだけって距離じゃねぇけどな」


「……それは言わないお約束ですっ」

 三人の体温が、湯よりもやさしく伝わってきて、胸の奥が静かに満たされる。


 どれくらいそうしていただろう。湯気の向こうの世界がほんの少しぼやけて、時間が止まったみたいに思えた。

「なぁ」

 小さく呼ぶと、三人が同時にこちらを見た。

「また来ような、ここ。何年でも、何回でも」

 言葉は、湯の上をやさしく滑っていく。

 杏奈が目を細め、ふわりがうんうんと何度も頷き、鈴音は堪えきれずに「はい」とすぐ返事をした。

「約束だよ、れー君」

「やくそく~♡」

「や、約束です。絶対に」

「……ああ」


 雪は相変わらず静かで、夜は深く、湯は心地よい。

 肩まで浸かり直すと、三人が少し近づいてきて、湯面の光が四人の影をひとつに結んだ。

 言葉はいらなかった。

 ただ、目を閉じて、湯の音と、雪の気配と、触れた指先の温度だけを確かめる。


 高校の冬。

 世界が白かった夜。

 きっと、何度思い出しても同じ温度で胸があたたかくなる。


 ――また来よう。そう決めて、俺は静かに息を吐いた。


~34回目 終了~

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【ファンタジーです】(全年齢向け)
地味スキル「ためて・放つ」が最強すぎた!~出来損ないはいらん!と追い出したくせに英雄に駆け上がってから戻れと言われても手遅れです~
★リンクはこちら★


追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―
★リンクはこちら★
神のバグで棄てられた俺、異世界の裏で文明チート国家を築く (11月1日連載開始)

★リンクはこちら★
【絶対俺だけ王様ゲーム】幼馴染み美少女達と男俺1人で始まった王様ゲームがナニかおかしい。ドンドンNGがなくなっていく彼女達とひたすら楽しい事する話(意味深)

★リンクはこちら★
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ