第4話 晴れて晴沢
「おー、冴えないツラしてどこのアホかと思えば孝太郎じゃーん。ちょうどいいとこに」
「開口一番にトゲをばら撒き過ぎなんだよ、お前は」
「あたしのトゲに刺されるなんて、光栄の至りじゃん?嬉しいくせにー」
「そんな性癖はないんだけどな」
憎まれ口を叩きつつ、物理的にも俺の背中をばしばしと叩いてくるそいつの名は、1年A組女子出席番号8番の晴沢小夏。
その爽やかな名前に全く似つかわしくない、嫌味なゲス女である。
「やー、満腹時に孝太郎の顔見ると、さらにお腹膨れてくるってゆーか。何とかなんないカンジ?」
「何ともならねえカンジだよ……」
昼食後のリラックスタイムである今の時間に、クラスの中で一番会いたくない人物に出会ってしまった。教室内で絡まれたくないからわざわざ違う棟の自販機まで飲み物を買いに来たというのに、とんだ誤算である。
「あ~、今なんか失礼なこと考えたっしょ?顔に書いてあんだけど」
「あいにくだが俺にフェイスペイントなんて趣味はない」
「それじゃー、あたしが書いたげるー」
「何故そうなるんだ」
「ちょうどマジック持ってるし」
晴沢はポケットからマジックペンを取り出し、キュポン、という音をさせた。厄介な彼女にはとても似つかわしくない、ポップで可愛らしい音だ。
「何でマジックなんか持ち歩いてるんだよ」
「あたしのポケットには何でも入るってゆーかぁ」
「人の決め台詞を奪ってやるなよ」
晴沢がじりじりと、マジックペンを構えながら距離を詰めてくる。けだるそうで緩慢な動作にも見えるが、俺の退路をじわじわと削る一切無駄のない動き。
さすがクラス一の巧打者なだけある。
……それは関係ないか。
「心配しないでいーよー。これ、油性だから」
「心配は勢いを増すばかりだよ」
一歩後ずさりをした俺に続いて、一歩前に足を踏み出す晴沢。そんなことを繰り返している間に、壁際に追い込まれた。
「んー、何て書いてあげよーか」
「書いてあげないことを祈るばかりだけどな、俺は」
「孝太郎、なんか好きな四字熟語ある?せめてもの救いに、ばちばちーっとそれ書いたげるー」
好きな四字熟語はともかく、今の四字熟語は間違いなく『四面楚歌』だった。後方を壁、前方を晴沢に塞がれているものの上は空いていたが、天井に足を立たせ走り去るという忍者のような芸当は持ち合わせていないから考えるだけ無駄だな、という何ともしょうもないアイディアが浮かんで消えた。
「顔に四字熟語って…… お前はアレか。えーっと、アレか」
「時間稼ぎはそこまでってゆーか」
顔に四字熟語を書く、みたいなキャラクターぐらいどこかにいそうなものだが、全く思い浮かばなかった。おでこに『肉』と書いてあるキャラクターのことは、おそらく国民の大多数が認知しているだろうけど。
「じゃーもー、勝手に書くかんね」
そんな俺の苦しい時間稼ぎも虚しく、晴沢はマジックペンを持った手を目一杯伸ばし、俺の頬の近くに持ってくる。
肌に着地するまであと一歩、というところで俺は晴沢の手首を掴んだ。
「待て。せめてもの救いに、俺に四字熟語を選ばせてくれよ。べらぼうに好きな言葉があるんだ」
「最初から言えばー?」
俺はあくまで平常心で、彼女にぶつける四字熟語を頭の中で唱える。大丈夫だ。真顔で冗談を言う技は、今朝の雨地から学んだはずだ。
「俺の一番好きな四字熟語はだな…… 『晴沢小夏』だ」
俺が雨地から見て学んだ術を繰り出すと、晴沢の表情はみるみる曇っていった。
「うわ~、気持ちわるっ。ムリムリムリ。無理解無理解。寒気すらするっぽいわー」
分かりやすいおだてに眉をひそめ、分かりやすく引いた晴沢。本気で身震いをされるのは極めて遺憾だが、自衛のためと思い、俺は晴沢をベタ褒めする姿勢を崩さず、畳み掛けた。
「いや、冗談じゃないぞ。 照りつける日差しの中で可憐な少女がたたずむ情景を思い出す、最高の四字熟語だ。 全く、お前にピッタリだよ。 だから俺は、『晴沢小夏』という四字熟語が好きなんだ」
「むりむり。孝太郎、ムサいってゆーか。それ以上喋られたらこっちまでムサくなっちゃう」
酷い言われようだと思ったが、晴沢を刺激して良い結果になったことなど一度たりとも無いので、黙っておいた。
◯
「ま、そんなことはどーでもいいんだけど。それよりさ、お金貸してよ。 お・か・ね」
その三文字を、俺の腹を突きながら言う晴沢。俺の腹筋が割れていなければ着実なダメージを与えていただろうその突きを、甘んじて受け入れた。
「ただのチンピラだよ、それは」
「それは失礼ってもんじゃないの?このこなっちゃんの、崇高で偉大な目的を果たすためのやむなき犠牲になれるんだよ?逆に感謝してみそ」
この国で__いや、この星で人として生きている限り、自己犠牲の精神は必要だろうし、尊いものだとは思うけれど、晴沢の犠牲になることは出来ればごめんこうむりたかった。
「……それで、その崇高で偉大な目的って?」
「ジュース買う~」
「クソほどしょうもないな」
「孝太郎…… まさかとは思うけど、ジュース作ってる人たちをバカにしてるわけ?自分にそんな資格があると思ってるわけ?自分がそんな立場にいると思ってるんだ。そんなあんたに、飲料水で喉を潤す資格があるとは到底思えないけど?感謝すら忘れてのうのうと酸素を往復させてるだけのくせに、ジュース会社の人たちをバカにするあんたなんて、飢えて散り果て砂塵に帰すぐらいでよーやく社会に恩返し出来るっぽいよねえ」
「呼吸すらままならないほどに畳み掛けられたことで、俺は窒息しそうだけどな」
普段のかったるそうな話し方の中に、たまに繰り出される緩急のある毒舌。
そんな晴沢の容赦無い理不尽な口撃に打ちのめされるというおまけ付きではあったものの__ジュースを買うという、どシンプルこの上ない理由に、不覚にも『安く済むのか』と思ってしまった。数千円数万円のやりとりをしなくて良いとわかると、俺は若干安堵した気持ちになる。
「いいじゃーん、おごってよー」
「急に駄々をこね始めた上に、いつの間にかおごることに……」
そのまま放っておいたら、おもちゃを買ってもらえない子供のように床の上で泣きながら暴れ出しそうな雰囲気すらあった。そしていつの間にか、『それぐらいなら』という気になってしまった俺がいた。被害にあったことはないが、詐欺の手口ってこういうものなんだろうな。知らんけど。
「……まあ、しょうがないか」
絡まれたのが運の尽き、とでも零せば、また晴沢の機嫌を損ねてしまいそうだったので、口には出さないことにした。
俺は制服の胸ポケットから100円硬貨を取り出す。顔を洗う時のように両手をくっ付けた晴沢のその手の中に置いてやると、恭しく、わざとらしく「ははー」と頭を下げながら受け取った。
「孝太郎ってやっぱサイコーだね~。愛してるよ」
「安っぽい愛だな」
「安っぽいことにさえ愛を感じることが出来れば、世界はもっと幸せになると思わない?」
「それはちょっとよくわからん」
晴沢は大げさに、だが嬉しそうに「んーっ」と言いながら、わざとらしく硬貨に口付けをした。お前は欧米人か。
「なに買おっかな~」
100円硬貨を握った晴沢は、横に伸ばした両手を上下させながら、その場でひらひらと舞い始めた。くるりと優雅に身を翻らすことで、プリーツのスカートがふわりと舞う。面倒くさくて厄介この上ないとんだ性悪蝶々だと思いながらも、この女は機嫌さえ良くなれば単純な奴だ。
「またなんか、失礼なこと考えたでしょー?顔に書いてあるってゆーか。それともあたしが書いたげよーか?」
「……とんでもない」
だからなんで、そんなに勘が鋭いんだ……?
「あ」
しかし俺は、そこである事実に気が付いて思わず声を上げてしまう。思えばこれが失敗だった。気付かれないように咄嗟に手で口を覆ったが、逆にその過度なアクションが晴沢に不信感を与えてしまったようだ。
「なに?どしたん」
「いや、なんでもない」
「気になるじゃ~ん。吐けよこのやろ~」
「言ったら、絶対怒る」
晴沢の長い指が俺の脇腹辺りを巧みに弄ぶ。その攻撃に俺は身をよじらせながらも、この砦だけは崩してはならないと誓う。もっと悲惨な目に遭いそう。
「別に怒んないから。 それよりも、孝太郎ごときがこのこなっちゃんに隠し事をしようと、無い知恵絞ってることに腹が立ってキレそーなんだけど」
「どっちみち怒るんだな」
「業腹もいいところってカンジ?沸騰するかも」
「そんなにか」
「数値にして、42℃ってところかな」
「……意外と、良い湯加減なんだな」
「言わないと、孝太郎のあることないこと学校中に散布しちゃおっかな~?さあ観念!」
両腕を掴んで物理的に、言葉尻を捕らえて精神的に、二つの意味で揺すりをかけてくる晴沢。そんな彼女を見ている俺はこんなことを思った。将来誕生するであろう息子又は娘を、必要以上にわがままな子になってしまわないように育てよう__と、まだ見ぬ遠い未来に思いを馳せる。
全く引く気配の無い晴沢に対し、俺は尻尾を巻いた。
「……お前に渡した硬貨だけどな」
「これ?」
「それ…… 拾ったやつだ」
「……はぁ!?」
俺が気付いた、ある事実。
それは、鴬谷が走り去った後に、廊下にきらめく100円硬貨を見つけたということ。そしてそれをあくまでも交番に届けるために(本当だぞ?)、わかりやすく胸ポケットに入れていたということ。
そしてその落ちていた硬貨を晴沢に渡したということだ。
「孝太郎、サイテー…… そんな不衛生なものをこのこなっちゃんに触らせて、あまつさえ口を付けさせて、それをニヤニヤ見てたって言うの?」
「誤解を招く言い方はやめろ」
案の定晴沢は沸騰した。数値にしておよそ42℃に達したようだ。
本来小銭は誰が触ったのか特定が非常に困難な代物であり、汚いのは当たり前である。しかしそんなことを42℃に沸騰した今の晴沢に言ったところで、火に油を注ぐ結果にしかならないということを察知出来ない程にはバカではなかった。油を注ぐのは、加熱されたフライパンだけで十分だ。
「うええー、きったなー」
晴沢は露骨に嫌悪感をあらわにして、手の甲で唇を拭った。親の仇のような目で俺を睨んでいる。
「まさか、口をつけるとは思わなかった」
「それぐらい予測しとけっての」
「無茶を言う」
「こんなことして、タダで済むと思ってるわけ?」
「100円ぐらいはするかなあ、とは思う」
「ジュース一本で事を収めようなんて調子いいじゃん!あたしはね、怒ってんの。誠意を見せなさいよ、誠意ってもんを!」
晴沢を相手に口では勝てないということを、改めて痛感する。このままではラチがあかないと本能的に察知したので、俺はプライドをかなぐり捨て全面的に降伏する意思を示す。
「……わかった、俺が悪かった。それで俺は、晴沢に許してもらうために何をしたらいいんだ?」
「300円」
「……300円?」
「ダーゲンハッツおごってもらっちゃうから!」
「……」
なんか俺、アイスおごってばっかだなあ。
「……と言われてもな。 お前に渡した硬貨は拾ったものだし、俺の財布はダーゲンハッツをおごってやれるほどに潤ってはいない」
「あんた、そんなにビンボーなの?」
「人にたかるやつが言うなよ」
「あたしは別にビンボーでもないけどねえ。やっぱこーゆーのは、他人のお金だからいーんじゃん」
そう言い放つ晴沢に、悪びれる様子などもちろんない。まるで世界が晴沢を中心に周っているという錯覚さえ起こす。
「仕方ないなぁ…… こんなことで孝太郎に、おもちゃを買ってもらえない子供みたいに泣きながら駄々をこねられても困るから、条件付きで手を打ってあげちゃお。カンダイなこなっちゃんに感謝してね」
寛大な奴と掛け合いを繰り広げていれば、そもそもこんな流れにはなるまい__とは、やはり直接は言えないよなあ。
「今日の練習試合で私がヒットを三本以上打ったら、ダーゲンハッツ!」
『ダー』『ゲン』『ハッツ!』のリズムで俺の腹を突く晴沢。今度はその勢いが存外強かったものだから、う、と鈍い声が漏れた。もっと腹筋を鍛えなくては。
「……まあ、今日の試合は無理だろう」
俺は窓の外を見る。
朝より弱まったとはいえ、なおも雨は降り続いていた。そのことに安堵するも、対して晴沢はそんなことを意にも介さず、またも自信満々に胸を張ってこう言うのだった。
「雨なんてどーってことないかんね!このこなっちゃんのハレハレパワーがあれば、天気なんて関係ないから。超絶晴れ女であるところのあたしの力、刮目して見とけっての~!」
「……ゲスゲスパワーの間違いだろ」
「何か言った?」
「めっそうもない」
晴沢が晴れ女であろうがなかろうが、一人の力で天気を変えられるのなら苦労などしない。
第一、晴れ女を自称している奴ほど、そこまで晴れ女でもないのだ。
「それに、孝太郎もあたしと喋ってて気分が晴々してきたでしょ?そこそこ、そーゆーとこだから!天気だけじゃなく人の心まで晴れにしてしまう才覚こそが、こなっちゃんがこなっちゃんである所以なんだよねー!」
本気でそう思っているのなら軽くホラーでさえあるそんな戯れ言を、晴沢は吐き散らす。
「まーとにかく、腕が鳴るってもんよ。財布の準備は怠らないようにね?無いなら人から借りてでもよろしく~」
そう言って晴沢は方向転換し、意気揚々と歩き始めた。去って行く晴沢の晴々しい後ろ姿を眺めていると、どっと疲れが押し寄せてくる。
『お前は晴れ女どころか、嵐だけどな』という本音は、彼女の前で言わなくて正解だったと心から思った。




