其八十六
まあまあ長いかと思います。
祇夕&葵目線の過去編となります
心地よい水の流れる音がする。
ふわふわとした草花が風に吹かれて肌をくすぐる。
ゆっくりと瞼を開くと、うっすら青い空が見えてきた。
「………い、祇夕。おい、祇夕!」
「………ん?」
呼び声に目を完全に開いてみると、昔馴染みの優輝の姿があった。
いつもは少し過保護気味で奴だが、今は少し呆れているように見える。
「どうした、優。」
「まったく、こんな所で寝ていたら風邪をひくぞ。少しは自分の体を大事にしろ!」
「こんな時でも説教か。よくやるなぁ。」
そう笑ってやると、優輝ははあ、とため息をついて目の前に手を差し出してきた。
俺はその手をつかんでゆっくりと起き上がる。黒緑の袴についた土草を払ってから、俺は大きく伸びをした。
「それで、何かあったのか、優。わざわざ俺を呼びに来るなんて。」
「ああ、依頼だ。茶屋にいる。」
「解った」
ふう、と息をつき、俺は川沿いの道を歩き出す。その後ろから優輝もついてくる。
そういえばこいつは、顔はいいくせに未だ相手が見つからないな。この世話焼きな性格のせいか。
「……おい祇夕。今俺のこと馬鹿にしただろう。」
「気のせいだ。」
俺は殺し屋なるものをやっている。
いつもはそこら辺にいるただの行商だが、依頼があれば引き受ける。そうしないと生きていけないからな。
だいたいの依頼は優輝を通して俺に伝えられる。優輝も行商をしているがかなり顔が広いので色々な方面から仕事が入ってくる。
そして今俺達はいつも依頼人との待ち合わせに使っている茶屋に向かっている。
「いらっしゃいませー!……ってこんにちは、祇夕さん!」
「邪魔するぞ、南。」
蜜柑色の着物を着た少女がこちらを見てそう言い笑う。
南という名のこの娘はこの茶屋の一人娘で、いつも世話になっているから顔を覚えられてしまっている。
「お待ちの方は奥の席にいらっしゃいますよー」
「ああ、ありがとう。」
会話を終えて席に目を向けた瞬間、俺をとてつもないほどの寒気が襲う。
ひやり、と頬を汗が伝う。
これは、ただ者ではない気配がするな。
俺はどうにか足を動かし、いつもの席に向かう。
奥側の席に一人の男が座っていた。
漆黒のさらりとした髪がやけに白い肌を引き立てて、一瞬此奴は生きているのか疑ってしまった。
「………あんたが依頼人か?」
「ああ。………ふうん。」
こちらを見つめる黒橡の瞳がどこか楽し気に細められる。
「案外いい男だね。夫婦のひとりやふたりいてもおかしくないのに。」
「悪かったな独り身で。」
突然そんなこと聞いてくるとは失礼な奴だな、と思っていると、青年はひとしきり笑った後手で席を指示してきた。座れ、ということだろう。
俺は草履を脱いで座布団の上に座り、青年と向き合った。
「………それで、依頼はなんだ。」
「ああ、ある人を殺してもらいたいんだ。」
そんな言葉から始まった青年の依頼は、よくあるものの一つだった。
とある一人の貴族を殺してほしい、報酬はいくらでも払おう。そう言ってもらえるならば、別に断る必要もないし理由もない。
俺は二つ返事で引き受けた。詳しい事情はよく聞かない。人の心に足を突っ込むことほど面倒なことはないからだ。
「本当に何でも引き受けてくれるんだね。噂通りだよ。」
「……はぁ。」
どこでそんな噂が流れているんだ。別に何でも屋になった覚えはないんだが。
すると、青年はやけに楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「君の陰の気は、本当に素晴らしいよ………」
ーーーーー
それから二日後、祇夕の姿はとある屋敷の前にあった。
その屋敷の持ち主はもちろん、あの青年に依頼された貴族である。
元々この貴族はあまり評判がよくなく、近頃は家族にも暴力を振るっているなんていう噂もある。
「………行くか。」
ふっ、と息をつき、祇夕は目の前の壁をいとも簡単に飛び越えて庭に静かに着地した。
仕事柄、こういう貴族を殺しに行くことは多い。しかも、その依頼人が敵方の貴族であることは少なくない。
だからか、数件こなしているうちにだいたいの間取りは覚えてしまっていた。だいたいの屋敷が同じようなつくりをしている。もちろん主ともなればもっと簡単だ。
慣れてしまった闇夜に目を凝らし、祇夕は足音も立てずに廊下を走り抜けた。
「………。」
からり、と小さな音を立てて襖を開けると、中では二人の男女が閨の中で乱れあっていた。
祇夕は自らの眉尻が呆れによって下がるのを感じとった。
「なっ、何奴!」
「きゃあああ!」
女の方が叫び声をあげて近くの襖を開けて出ていこうとする。
悪いが、逃がすわけには行かないんでね。
祇夕は素早い動きで女の背後にまわり、手に持っていた短刀で首筋をかききる。
真っ赤な鮮血が彼の着物にかかり、暗闇と同じ色の着物に模様をつけた。
「なんなんだ、お前は………!」
ばたり、と倒れる女に見向きもせず、祇夕は男のほうに向き直った。
真っ青な顔で怯える男を一瞥し、血で濡れた小刀を持ち直してから呟くように言い放った。
「答える理由はない。」
「…………っあ"あ"あ"あ"あ"!!!」
断末魔の叫びと共に男が倒れる。
紅の血が部屋に散り、部屋の中を明るく染めた。
倒れこんだ男の姿をどこか冷めた目で見下ろして、祇夕はいつも通りその場を後にした。
否、後にしようとした。
「………っうあ"………!」
彼の口から苦し気なうめき声が漏れる。
黒々しい霧がじんわりと祇夕を纏い、静かに蝕んでいく。
先ほどまでほんのりと明かりが灯っていた室内は、いつの間にか真っ暗になっていた。
霧をほどこうと身をもがくが体が動かない。手も足も動かず、何もできない。
その黒い霧は蛇のように絡みつき、どこからか流れてくる低い男性の声を祇夕に聞かせた。
『………素晴らしい………聞いていた以上の濃さだ……礼を言うぞ闇夜。』
口がきけないのでその言葉に問い返すことも出来ない。
だが、返答する声があった。
「そっかぁ!やっぱり合うと思ったんだよねー。」
その声に祇夕は大きく目を見開く。
そして、ふらりと現れた人影の正体に彼は絶句した。
『器としては素晴らしいぞ、青年。』
「だってー!よかったね、祇夕。」
それは、祇夕に殺しの依頼をしたあの青年だった。
あの楽し気な笑みが、今はあの時以上に楽しそうに歪んでいた。
突然のことに祇夕の思考が固まる。
なぜ、この霧の主と青年がこんなに親しげに話しているのか。自分はなぜこんな目にあっているのか……
その時だった。
「っ、かはっ……!」
「……って、闇…まだ支配できていなかったの?」
『仕方がなかろう。彼奴の意識が取り込めておらんのだ。体は、取り込んだ。』
朦朧としてきた意識の中、中の異物を取り除こうと祇夕は咳を続ける。
だが、ますます景色がふらつき、ぼんやりと目の前が霞んできた。
ひょいっ、と屈み、霞み続ける景色の中に現れたあの青年が、にこりと笑みを向けてこう言った。
「……ごめんね、これも僕たちの野望のためだから。大丈夫……少し体を借りるだけから………」
「………おま、え……は、だれ……だ………」
なんとか絞り出したその言葉とともに、景色がゆがむ。
自分の体が”別の何か”に取り替わろうとしているのを感じる。
血まみれた褥の中に倒れこみ、目の前が闇に染まる。
遠くで、あの青年の声が聞こえたような気がした。
「僕は、闇夜。この世の真の姿を見せる者。」
ーーーーー
世界が反転した。
暗闇から一転、一面の青空と草原が僕の目の前に広がる。
声が出したくても出せない。
だけど、この感覚は覚えている。これは夢の中とよく似ている。
おじい様の話の中で「クロヤ」という言葉が出てきた途端、僕の頭がガンガンと揺れた。
目の前が歪んでそのまま気絶したかと思ったら、見知らぬ場所に寝そべっていた。
そして今まで彼の…「祇夕」という名の青年の記憶を見ていたのだ。
「………信じていたのに、祇夕さん。」
ふと背後から女性の声がする。
それを僕が理解する前に体が動いた。
「………信頼などくだらない。それだからすぐに人は騙される。」
祇夕の声で誰かがそう言う。
そこで僕は気が付いた。
目の前に佇む淡い緑色の着物を着た女性は、あの人と………巴樹さんとよく似ていたのだ。
「…………すっかり変わってしまいましたね。これが最後の警告です。………刀を、下に置いてください。」
悲しそうにその人は僕に言う。
僕は黒々とした大太刀を持っていて、その切っ先は真っすぐその人に向かっていた。
だが、彼は太刀を下には下ろさなかった。
「………やはり、ダメですか。それでは、仕方がありません。」
「邪魔者は排除しなければならない。………それが封じの姫ならば猶更、な。」
女性が着物とよく似た色の扇を構える。
風にたなびく同系色の紐がとても鮮やかで、美しかった。
その瞬間、体がぐんっと前のめりになり、風を切って女性の方へ向かう。
よく見れば女性の方もすごい勢いでこちらに向かっている。
太刀を振り下ろし、扇が空を仰いだ瞬間再び目の前が真っ暗に染まった。
体中が痛い。
痛い
痛い
痛い
朦朧とする意識の中、僕は体を引きずりながら前へと進む。
あの戦いのあと、"中にいた何か"はあの人が……風華が封じてくれた。
だが、"器"だった自分はあの戦いでボロボロになり、今では歩けていることもやっとなほどだ。
そんな状態で彼が都まで戻ってきたのは、【彼女】に会うためだ。
彼女に一目、一目でいいから会いたい。自分のこの目で彼女に会いたい。
その想いが、彼の体を突き動かしていた。
辺りからの奇異の視線には慣れた。
ただ、あの人に会いたいと、僕は歩いていた。
屋敷の場所は分かっている。
風の噂で彼女も大きな怪我を負ってしまっているらしい。まあそうだろう。"あいつ"は並大抵の力ではなかった。それなりの代償もあっただろうから。
白い壁伝いに門を目指す。
ふらついて、何回もこけそうになったけど、僕はやっとの思いで門にたどり着いた。
そういえば、と僕は気が付いた。この時代にはチャイムがない。声をかけるのかな……でも今の彼では大きな声は出せないはず………
だがどうやら運命は都合よく出来ているようで、彼が顔を上げたその時、風華さんがちょうど門から出てきたところだった。
彼女はあの時とよく似た緑色の着物を着て、上から毛布のようなものをかぶっていた。
パチリ、と目が合って、彼女の黄緑の瞳と視線が絡み合う。
僕は、彼の口角が嬉しさで上がったのに気が付いた。
でも、都合のよかったはずの運命は無残にも祇夕の心をはたき落したのだった。
「………祇夕さん…………!?」
「ふ、うか………!」
ここまではよかった。
だけど、風華さんは怯えた表情で言ったのだ。
「ま、まだ……生きていたのですか……!?封印した、はずなのに……!?」
その言葉に、彼はぴしりと固まった。
そして、彼はすべてを悟ったのだった。
今、ここでは俺は敵視されていたのだった………
ほとり、と涙が一粒流れる。
風華さんは草履をからからと鳴らしながら屋敷の中に駆け込んでいく。きっと誰かを呼びに行ったのだろう。
彼はゆっくりとうつむきながら、今出来る一番の駆け足でその場を去った。
ーーーーー
僕達はあの河原に戻ってきていた。
ごろり、と力尽きて草原に寝転ぶ彼の体は倦怠感と絶望に包まれていた。
「……………っ、ははっ…………」
乾いた笑いがふとこぼれる。
もう手足も体も動かない。大きく息をつき、あふれだす涙のまま、彼は泣いた。
生まれながらに天涯孤独で、人殺しで生きてきて、最後には闇に体を乗っ取られ、一番大切だった人に嫌われた。
とんでもない人生だった、と祇夕は嘆いた。
「……うー!!!祇夕!!」
遠くから優輝の声が聞こえてくる。
せめての良かったことは、こんなにいい友を持てたことだな、と彼は思った。
ゆっくりと瞼が閉じていく。
心地よい水の流れる音がする。
ふわふわとした草花が風に吹かれて肌をくすぐる。
この場所が、彼は大好きだった。




