其八十五
ああ……半年以上経っている……
「りょ、稜様がぁ!?」
「は、はい…………昨日、僕の部屋に勝手にいて、それで…………」
「これはちょっと佳穂さんに報告しておかないと…………」
翌日、朝起きた巴樹は、葵から聞いた話に驚いて飛びずさった。
慌てて携帯の画面をいじり、佳穂の電話番号を検索する。
なぜなら、前々から佳穂から「稜様がなにか粗相を起こした時は必ず私に報告してください!」と念押しされていたからだ。
怒り声の佳穂との会話が終わり、黒くなったスマホの画面に苦笑いを落としていると、葵がぽつりと呟いた。
「…………"きい"、ですか………」
「?」
さみしそうに呟かれた言葉に、巴樹は葵の方を振り返った。
そこには、自分の両手を見つめ、エメラルドグリーンの瞳を影らせた葵の姿があった。
そんな姿さえもきいを彷彿とさせて、巴樹は心が痛くなった。
「昨日、陵様に言われました。『再び二十七族生に戻るには、君は"君を思い出す"ことが必要だ。』と。僕は確かに何かが自分に足りないと感じています。でも、それが何なのか、それが分からない…………。」
「…………葵君は、二十七族生に戻りたい?」
ふと口を継いでた言葉に、巴樹は自分でも驚いた。
しかし、葵の答えに表情を引き締めた。
「出来ることなら。それが、僕の運命な気がします。…………って、なんだか恥ずかしいですね!」
「ううん。それでいいよ。…………陵様は他に何か言ってなかった?」
「そうですね………確か、"原点に戻ってみよう"と言われていたような…………」
「原点…………」
二人してうーんと考え込む。
先にひらめいたのは巴樹の方だった。
スマホを取りだし、連絡帳を開いてとある人物を探す。電話番号を押し、電話をかけた。
数回のコール音の後、巴樹の耳にあの時とまったく変わらない少女の声が聞こえた。
『はーい、もしもし?』
「あ、もしもし?少し聞きたいことがあるんだけど。いいかな?千歳ちゃん。」
ーーーーー
それから一時間後。
二人の姿は三葉市にあった。
伏見町から月見市を挟んで隣にある三葉市は海に面した小都市だ。電車で三十分揺られ、それからバスで十分。そこからまた歩いて五分。計四十五分を費やし、二人は大きなお屋敷の前に立っていた。
「お、大きい…………」
「……………。」
葵は言葉を失くし、何もすることができず、とりあえずインターホンを押した。
遠くでピンポーンという電子音が聞こえ、インターホンに内蔵されたマイクから声が流れ出した。
『はい。華波です。どちら様でしょうか?』
「あ、あの……七橋巴樹と言います。ご当主様はおられますか?」
『………少々お待ちください。』
女性の声が途絶え、門がゆっくりと開く。
セレブのお屋敷にも勝る伝統的な日本家屋が見える広大な庭を、巴樹と葵は恐る恐る歩いた。
コトン、という鹿威しの音がやけに大きく聞こえてくる。
二つ目の玄関までたどり着くと、そこには一人の女性の姿があった。
赤い着物を着た、旅館の女将さんみたいな恰好をしている。
「どうぞ、こちらへ。」
「あ、はい………」
「お邪魔します。」
内装は言うまでもないだろう。
昔ながらの造りに、玄関に入ったすぐの床の間にはなぜか大きな熊の剥製が飾られていて、巴樹がびくりとする。が、葵はあまり動じず、女性の後ろをついていった。
少し歩いて、二人はこげ茶色の高そうなソファが向かい合わせに置かれた部屋に通された。
ソファに座るように促され、巴樹はたどたどしく、葵は少し緊張した面持ちで腰を下ろす。そこで葵が口を開いた。
「………懐かしい、です。またここに帰ってこられるとは思いませんでした。」
「……………そ、っか。」
だけど、そう言う葵の瞳は嬉しいというよりも、緊張と少しの恐怖を含んでいた。
声も震えていて、巴樹はそうとしか返すことができなかった。
数分してから、目の前の襖ががらりと開いた。
「お待たせしてすまない、七橋のお嬢さん。」
低いおじいさんの声と共に、着物を着た老人が入ってくる。
群青色の着物に真っ白に染まった髪。顔に刻まれたたくさんのしわは、その人の長い間生きた時間を物語っていた。
「い、いえ!こちらこそお時間を取らせてしまい申し訳ありません!」
「この年になって暇が増えましたから、これくらい大丈夫ですよ。」
はっはっは……と楽しそうに笑い、彼は言った。
彼はこの華波家の現・当主、華波蒼清。現在御年六十二歳だが幻術の名手としていまだ現役で活動しているのだ。
今まで巴樹の顔を見ていた蒼清が、葵の方に目を向ける。
そして、その濃い藍色の瞳を細めて呟いた。
「…………葵。久しぶりだな。」
「…………お久しぶりです。おじい様。」
そう声をかけられた瞬間、葵が弾かれたように立ち上がり頭を下げる。
その姿を、蒼清は変わらぬ冷たい瞳で見ていた。
「長い間帰られず、本当に申し訳ありませんでした……」
巴樹は噂で聞いたことがあった。
蒼清は表向きは優しげな笑みをたたえる老人だが、身内に対してはとても厳しく、門限も決まっていたり、勉強や運動はともかく、小さな頃から幻術の修行をさせているらしい。
怒られるんじゃないか……そんな考えが頭をよぎる。
だが、その考えは次の蒼清の言葉によって打ち砕かれた。
「…………よく、帰ってきたな。葵。よく、頑張った………」
「………!お、じい様………」
顔を上げた葵の視界には、見たことのないほど優しい笑顔を自分に向ける祖父の姿があった。
思わぬ言葉をかけられ、葵の思考はフリーズする。
「本当に、よく帰ってきた。一族の中には「もう葵は死んでしまった」と言う者もいたが、儂がたたっきってやったよ。……あの軈乃球の事変の時、闇夜と共にお前の力によく似た波を感じたのだ。あの時は間違いかと思っていたが、やはり生きておったか………よかったよ、葵。」
ぽかーんとした表情で固まる葵の頭を、立ち上がって撫でる蒼清。
ある程度予想していたようで予想していなかった結末に、巴樹は何とも言えなくなり、結果として苦笑いをこぼすことにした。
しかし、蒼清の言葉に笑いを固めた。
「……"闇夜"?」
「おや、封じの姫様、知らないのですか?彼のことを。」
ふるふると首を横に振り、巴樹は否定する。
「ふむ……」と思案するような顔付きになり、蒼清はソファに腰を戻した。
そして、巴樹の問いかけに思考を取り戻した葵も慌てて席に戻った。
「祇夕が阿衡の一年と呼ばれるあの日に暗躍したことは知っておられますかな?」
今度は頭を縦に振る。
「ではやはり、【表】のみが伝わっているのか………やはり、正しい歴史は薄れゆく運命か………。」
「ど、どういうことですか?」
悲しそうにつぶやく蒼清に、巴樹は不思議そうな表情で問いかけた。
しかし、葵はなんとなくそのことを知っているのか、気まずそうな顔をしてうつむいている。
「これは華波の一族で伝わっていることですが、本当は祇夕は操り人形で、真の黒幕は【闇夜】という一人の青年なのです。」
「か、彼は……何者なんですか?」
そう尋ねる巴樹だが、大方の見当はついていた。
蒼清の言い方は、確実に『あちら側』の人間だと指し示しているようにしか聞こえなかったからだ。
「………奴に確定の名称はありません。儂らは奴のことを、真っ黒で実態がつかめないことから【黒霧】と呼んでいます。」
その名前が出てきた瞬間、突然巴樹の隣から苦し気なうめき声が聞こえてきた。
二人はほぼ同時に葵の名を呼び、そばに駆け寄る。
はあ、はあ、と息を荒くし、葵は何かと戦っているかのように苦し気に顔をゆがませる。
「どうした!葵!おい、誰か!」
「葵くん!?どうしたの?葵くん!?」
その言葉を最後に、葵の意識は途切れた。




