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魔法使いの騎士  作者: 炬燵蜜柑
7/7

最終話

死に際の両親の顔を思い出せない。

 子供を人質に取られ、悲痛の内に死んだのならば、それ相応に、苦しそうだと思える表情を浮かべたのかもしれない。

 だがどういうわけか、そのあたりの記憶が曖昧だ。気付いたらあの男に保護されて、目を覚ましたのはどこかの宿だった。持っているのは父の形見のナイフと、いつか母親が似合うと言っていたサイズの合わない靴だけだった。

 そんな風に何も覚えていないからだろうか。一人になると考えてしまう。はたして、両親は死の際に、自分に何を求めていたのだろうかと。

 気づいたら見知らぬ洞窟の中に居た。いつどうやってこんなところまで来たのか覚えていないが、それでも自分の意識を取り戻したときには既にロープで手足の自由を奪われていたことから、さらわれたのだろうという予想はついた。待遇はというと、水と少しの食料を口の中に押し込まれ、半ば強引に寝かせられた程度の扱いだった。洞窟の岩の上で寝たのだから大して疲れが取れたわけでもなかったが、それでも多少はマシだった。目覚めてから頭の中がグラグラして、まともにたっていることすら苦痛だったろうから。

 それでも、やはり疲れが取れたわけではない。呆けている思考で、要らぬことを考える。例え分かったとしても、今更どうしようもないことなのに。両親は、自分のせいで死んでしまったのだから。

 父は母にべた惚れで、母もそれは同じだったと思う。自分の強さに誇りを持っているのか、いつも真っ向から敵を迎え撃った。その誇りがあるからだろうか。片方が相手をしている時は、必ずもう片方は手を出さなかった。敵が何十人という団体で来た時だけ、二人で意気揚々と迎え撃ったのだ。毎日、組手の様なものをやっていて、むしろ互いが自身を打倒する最強のライバルなのだと考えている印象だった。

 食糧がなくなると適当な村に降り、手頃な店を見つけて略奪を繰り返す。そんな、どうしようもないどころか、どうにもならないような両親だった。

 それでも、自分にとってただ二人きりの肉親だったのだ。

 厳しい時の方が多かったが、優しい時もあった。組手をしている両親の動きを真似てみて、それが巧くいって褒めてもらえた時は嬉しかった。だから次はもっと巧くやろうと色々試して、もっと褒められようと思った。最初に褒められた時にもらったのが、今は落としてしまったが、形見の武器であり、この靴だったのだ。

 他にも戦利品である本の読み方を教えてくれたり、他にも。

 他に――?

 気持ち悪い。何か、嫌な感じ。呼吸が荒くなっている。それは考えてはいけないと、心が警鐘を鳴らしている。いつもと同じ。思い出そうとすると感じるこの不快感は、いったい何を指しているんだろう。

 苦しい。こんな時は、憎い相手のことを考えよう。自分が殺すべき、妥当すべき対象を。人間大の大剣を振るう、相手が達人だろうがなんだろうが、相手の得意な戦法を一切やらせないまま打倒する、計算高い賞金稼ぎのことを。自分を人質に使い、両親を打倒した憎い男のことを。

 今でも覚えている。人質にされた、されている時のその瞬間を。断片的なシーンの映像を。全身に傷を負い、ぼろぼろになりながらも立ち上がる誰かの姿。そんな風になりながらも、自分を助けようと立ち上がった――

 ケケケケケ。

 奇妙な笑い声に呼びかけられ、意識が覚醒した。

 声の主を見る。右手が黒い男。誰なのかなんて考えるまでも無かった。その異様な腕だけで、あの男のターゲットなのだと理解した。はたから見ているだけで、きっとこの人には何を話しても通じないだろうという理解と、近寄ってはいけないという恐怖が沸いてくる。

 だが、この化け物がもっと前に、どういう思いで生きていたのか、その物語を知っているからだろう。その姿は、とてもかわいそうなものだと思ってしまった。

 その化け物は何やら、自分の身辺の道具を弄っているらしい。その姿を見て、これから、あの憎い仇と戦うのだろうと理解した。あの男と戦うための準備。その言葉を反芻するだけで、どこか胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。勿論、自分の思惑通りに行くかといわれると、そうはならないのだろうけど。

 話を聞く限り、あの魔法使いの騎士は、この狂ってしまった男を打倒する可能性があると思う。勿論、絶対に勝つとは言えないけれど、それでも低い確率ではない。

 そもそも、『相手の持ち物を重くする』のと、『自分の持ち物の重さを無くす』のとでは、相性が悪すぎる戦いなのだと思う。真っ向から1対1をしたなら、あの憎い仇に軍配が上がるだろう。それを打開するためには、その前提を崩すしかない。

 つまり、何とかしてもう一つの能力を使わせる事が重要なのだ。

 相手を引き寄せ、1対1の場を作る力。力を分散すれば持ち物には多少の負荷がかかる。そうなれば、絶対的な相性の悪さは改善され、あの男に勝機はなくなるだろう。

 だとするなら、やることは一つ。圧倒的な遠距離攻撃。それこそ、あの男が相手を引き寄せる能力を使わなければ生きれない、というような大規模なものであればあるほどいい。逃げれない、受け止められない。その二つを同時に満たすような何かであれば良い。

 自分にその力を使うことを強いるように。

 それさえさせれば、この男の能力がものをいう。相手が近接の武器を振るおうとしたその矢先に、勝負が決してしまう。

 それをこの男は分かっているのではないだろうか。そして、その為に備えているとしか思えない。あの魔法使いも言っていた。『相手側もお前の能力を教えてもらっているだろう』と。なら、今することはその為の準備以外に無いだろう。だとするなら、今回ばかりは、あの男も助からないな、と思う。殺すのは自分ではなかったが、それでも、あの男が死ぬのを見るのは楽しみではある。

 楽しみ。そう、喜ばしいことのはずなのに。

 なぜだろうか。その事を、素直に喜べない。

 ケケケケケ。

 笑い声が聞こえる。

 それを自分の声なのだと認識できないのか。声がするたびに、この化け物は怯えるように耳を抑えていた。

 ぞくりと背筋に寒いものが走った。この男が自分をここに連れてきたのだろうか。一体なぜ、いつここに居たのか分からない。声に呼ばれるままに外に出て、声の主を見つけたところで記憶は途切れている。一体、何のためにここにつれてこられたのだろうか。

 ケケケケケ。

 男は不意にしゃがみこみ、がたがたと情けなく体を震わせた。

 その弱々しい姿が、何故だろうか。どうしようもなく、恐ろしく感じる。

 恐怖で顎が震えている。あれは、まともな人間じゃない。完全に壊れ果てた人間だ。別の生き物と言っていい。自分の思いの果て、その思いを裏切られた者のなれの果て。人の形をした別の生き物だ。

 近寄りたくない。

 芋虫のように化け物から遠ざかり、洞窟の隅の方で丸まった。また思い出したように立ち上がり、無表情で足元の道具を弄りだしす姿を見て、本の中に見る死神を連想した。可哀想だと思った自分の感情は、決定的に間違っていた。これはもう、そんな次元の話からあまりにもかけ離れすぎている。

 その姿があまりにも恐ろしくて、目を瞑り、別のことを考えた。笑い声が耳の中を侵食する時の不快感がおぞましくて、その瞬間は歯軋りをして耐えながら。

 一体どれくらいそうしていただろう。数日のように長い時間に思えた恐怖。体が震えるのを必死に耐えながら、ただ只管、時が過ぎるのを待った。

 ケケケケケ。

 気色の悪い笑い声。体の芯から凍りつくような寒さを感じる、恐怖の音。

 そんな音をまるで蹴散らすかのように。

 「よお、クソガキ。こんなところまで家出か? 全く。世話焼かせやがって」

 その男の、声がした。

 「やはり来たか。お前にはこの子供が大事らしい」

 「いや、大事かどうかっていわれると、そこまで大事じゃないんじゃないかとは思うんだけどな」

 ポリポリと頭をかきながら現れたその男は、自分がよく知っている男だった。

 奇襲をかけようとしたが、当り前のように見つかり、多少間が悪そうにしている男。

 「クソガキ。待ってろ。今助けてやるからな」

 聞きなれた、親しみなのかそうでないのか、判別のしにくい、けれど確かに、優しいと感じ取れる暖かい声。

 自分よりも大きな大剣を易々と担ぐ、左右の瞳の色が違う、黒髪の賞金稼ぎ。こんな所だというのに、こんな場面だというのに、いつものように笑って見せた。

 不覚にも、あの男のそんな表情をみて、うれしいと、感じてしまった。

 安心したと、思ってしまった。

 その悔しさから、これも出せなかった。何故って、声を出したら自分の余りのなさけなさに、泣くてしまいそうだったから



洞窟の中で、あの男と対峙する。

 片腕が黒い男。理想に生きて、そして壊れてしまったある一人の男の姿。男の周囲には何か大きな器具が置かれていた。まず間違いなく、俺を迎え撃つための何か、といったところだろう。

 要するに、こちらを迎え撃つ準備は万端だということなのだろう。

 戦闘は、まるで申し開きでもしてあったかのように、ある時間を起点として始まった。

 俺が走り出すのと、ケリー=ブロウが矢を構えるのは同時だった。

 ケリーは足元から既に矢がセットされたボウガンを取り出し、こちらに向けて引き金を引いた。矢が放たれた瞬間、その右腕が薄暗く光る。おそらく矢の重量が増したのだろう。通常の矢よりはるかに重い重量のものが、通常の矢と同じ速度で飛んでくる。その脅威を、分からないわけではなかった。だが、全力疾走を止めない。あの男が何を用意しているかどうかなんてわからない。あの男の足もとに、何か大きなものが見える。強力な武器を隠しているのは明白だ。距離を保っている以上、こちらに勝ち目はない。幸運なことに矢は俺の横を通り過ぎ、少し後ろの床に突き刺さった。

 同時に、背後をとんでもない音と衝撃が襲い、前に吹き飛ばされた。爆発。そうとしか思えない程の音と、同時に背中に何か当たった感触があった。地面の石や岩が爆ぜ、石つぶてとなって自分の背中に直撃したのだろうと理解するのに時間は要らなかった。前に転がりながら故障箇所を確認する。痛みはするが動かないほどじゃない。何か体に致命的な欠陥ができているだけではない。それだけ確認して、更に脚に力を入れて、駆け出した。

 ボウガンから放たれた後に、その重量を何十、何百倍にも膨らまされた矢は、一種の大砲じみた破壊力を有していた。冗談じゃない、あんなのを一発でもまともに受ければただじゃすまない。かすり傷なら良いが、直撃を受ければ体に穴が空きかねない。地面に当たって発生した石つぶてだけでも致命傷になる可能性だってある。。

 認識を改めよう。あの男が手に持っているのはボウガンなどではなく、連射の効き、冗談みたいに小型の、破壊力に優れた大砲なのだと。

 足を止めずに全力に、出来る限り一直線にあの男の方へ。どのみち、勝算は薄い。あのガキを守りつつ、あの男を打倒するには今のチャンスを活かすしかない。幸いなことに、どういうわけか、あのガキはあの男から距離を取っている。ここに来たことであのガキが人質としての価値があることは知られている。人質にされない今のうちに、あいつに密接しなければ――!

 矢の装填音。距離は、暗闇の為によくは見えないが、凡そ五十メートルといったところだ。全速力で六秒ほどの道のりが、恐ろしく長く感じる。狙いは俺のちょうど真下、足場付近。

 まずい、と感じるのと、回避行動をするのに、さほど時間は要らなかった。歩みを止めずに、地に着いた足の筋肉に強引に力をかけ、力いっぱいに横に切り返す。同時に、あの男の右腕が光るのが見えた。数瞬前に居た場所が爆ぜ、その衝撃は俺の体を容易に吹き飛ばした。もう一度転がりながらも、男の方へと少しでも近づく。石がいくつか体に当たったが、ここで立ち止まっては命に関わる。脚に力を込めて更に駆け出した。

 四十、もう少し、まだあいつは次の矢を入れていない。まだ距離を詰めれる。足に小さな石片ががぶつかった。痛い。だが痛みを感じているのならそれほど大きな怪我はしていない。大きな怪我をした際には、人間はその痛みで死に至らぬよう、知覚しないようにするからだ。気にするほどではない。

 倒れまいと、地面に手を着きながら次の一歩を踏み出す。呼吸が一回途切れたぶん、酸素が足りず、一呼吸余分のタイムラグを必要とした。

 だがそれでもまだ余裕がある。何も近距離、相手をつかむまでの距離を一気に稼ぐ必要はない。あと十五、いや、十メートル近付けば、一気に距離を詰める算段が――

 あるのに。そう思ったところで、あの男が用意している切り札に恐れ慄いた。ケリーの足元にあった切り札の姿が、目視できる距離だった。。こちらが体勢を崩しているうちに、既に発射準備に入っている。

 それは大型のクロスボウの束だった。一つの矢を打ち出すにはあまりにも大きい口径。直感で、同時に数本の矢を発射出来るタイプのものだろうと察しをつける。無造作に束になっているわけではなく、きちんと並べられている。縦に五つ、それぞれ箱の中に綺麗に納まっていて、横の列は最早一見して数えることができないほど。おそらく、二十では聞かないだろう。

 一目で理解する。あれは、糸を引っ張ったらそこに備え付かてある全てのクロスボウから、何十もの矢を一斉に発射する、対多人数を想定した殲滅兵器なのだと。逃げ場はない。一列に横に並んだクロスボウの束は、少なくとも、矢を放つまでの僅かな間に移動できるところまで、隙間なく埋められている。

 ケリーの手には既に糸が握られていた。人質との距離はあるが、そんなもの何の意味もない。一度立ち止まってしまえばそれでもう終わりだ。二度とこちらの攻めるチャンスは回ってこない。こちらの手札ももう間に合わない。破壊力で言えばあちらの方が上。あの矢の一つ一つが、それぞれが砲弾じみた重量を持ちうるのならば。

 これは賭けだ。自分の持っている情報が正しければ、まだコンマ一ミリほどの勝機が見える。だがもし間違っていたならば、確実に死ぬだろう。もし、これらの矢の威力を全て上げることができるほどの能力なら、これだけで防ぐことはできない。

 糸を引くのが見える。その瞬間に、賭けに出る。背中の大剣を体の前に落とし、地面へと突き刺す。その剣の、影に隠れるように身を丸めた。身を隠すのとほぼ同時に、剣を伝って衝撃が襲った。後ろに倒れこむのを必死にこらえながら剣を支える。

 その一瞬は、とてつもなく長い一瞬に感じた。何度も大きな石を頭にぶつけられたような衝撃を感じた。数秒にも満たない間に、爆音と衝撃で意識が三度も飛びかけた。

 攻撃が止んだ。賭けには勝った。あの男は目に付くすべてのものを重くできるのではない。あくまで、目の焦点を合わせたものだけに効力を発揮するのだ。だとするなら、直撃したものに能力を使われない限り、ただの矢の連続射撃にしかならない。普通の矢であれば、この大剣の厚みが通すわけが無い。

 ぐらつく体を堪えながら、立ち上がる。遅い。無理もない。今も視界が朦朧とするじほどの衝撃を受けたのだ。立ち上がるのにニ秒以上かかっている。あいつは既に準備を整えているだろう。体がろくに動かない状態であいつの射程圏内にいるのは、まずい。時間もない。すぐに立ち上がってこちらの手を打たないと――!

 「動くな」

 冷たい言葉が、洞窟の中に響き渡った。

 「動くと、この子を殺す」

 まだ視界がはっきりとしない。ぼやけていて遠くが見えない。けれど、その言葉だけで、背筋を凍らせるほどに冷たいものが、体を撫でた気がした。

 だんだんと晴れてくる視界。その視界の先には剣を右手に構えながら、寝ころんだまま両手両足の自由を奪われたガキを足で踏み、首筋に刃を立てているケリーが居た。本当に、あと少しでも動かせば、首筋を掻き切れる位置。

 ……時間切れだ。ここからは、絶望的な状況の中から勝機を見出すような、気の遠くなるほど苦しく、重い時間だ。

 「中々頑張ったほうだが、まさか勝つつもりだったのか?」

 「ああ。もしかしたらいけるかなって思ってな」

 「確かに、奇襲ならまだ勝機はあったかもしれない。でも残念ながら、そうはいかないのは君もよく知っているだろう?」

 その通りだ。

 この事態に魔法使いが介在しているという事実。向こう側に魔法使いが着いている以上、奇襲やまぐれが通用する相手ではないことは、ケリー=ブロウという男の話を聞いたときから理解していた。

 「能力の発動をしたら殺す。抵抗をしたら殺す。言っている意味分かるだろ?」

 「大人しく死ね、ってことだろ。だが正味な話、俺はそのガキを助けるつもりなんてないかもしれないぜ?」

 言葉が終わったその瞬間。

 血が見えた。

 吹き出るような血液が舞い、同時に、耳をふさぎたくなるような絶叫が響き渡った。

 「おい……!」

 「動くな、と言ったんだ。別に、お前にとってこの子供がどうだとかはどうでもいい。言葉通りに、お前が動いたら、抵抗したら、この子供を殺すって言ってるんだ。分かるだろ」

 深い闇を覗いているかのような、焦点のあってない瞳。分かっていたことだ。確実に、こいつは完全に壊れてしまっていることを。

 ガキを見る。人質なのだ。殺しをしていないだろうが、傷はどこだろうかと。

 傷は右の耳の辺りから伸びて、それは目にまで達している。傷口から見てそれほど深く裂いたものではない。が、それでも瞳が無傷だとは言い難い。とにかく、近くで見てみないと分からない。

 「そのガキ、どうするつもりなんだ」

 「殺すよ。どちらにしろ。お前が来なければ殺そうと思っていた。生かしておくなら、街に送り届ける手間もある。水も食料も与えないといけない。そんな暇も食料もない。俺にはそんなことよりも殺さないといけない奴らがいる」

 表情一つ変えずにそれを言うこの男のその言葉は、その言葉が、嘘偽りない真実であるということを信じさせるには十分だった。

 「そうか、なら、大人しく殺されるわけには」

 いかない。最後の賭け。たった一秒の中に勝機を見出す、この男に対しては一番やってはいけない行為。

 この完全に壊れた化け物を見て、こちらに来いと、念じるだけで事足りる。同時に大剣を地面から抜き放ち、躊躇なく、全力で振り回し、前に跳躍。

 たった一秒。数歩の距離。何千里にも感じるその距離。だがこの剣ならば、たった一振りで十分だ。所々体も痛い。スムーズに動けるパーツがどこなのか分からない。走るよりも、その一振りに全てを賭けた方が早い。

 振り回した剣に重みが戻る。普通ならば腕だけでは持っていられない重量を、振り回した勢いでカバーする。それでも、この剣本来の重さよりは、ずっと少ないけれど。

 間に合えと。ただそれだけを思いながら、大剣を振りまわす。まだこちらを見ていない。このままならいける、もしかしたら、これで全てに決着がつけられると。

 そう思ったところで、この壊れた化け物と目が合った。

 ――似合わないな。その武器。

 途端に腕が下がるのを感じた。いや、腕だけじゃなく、体全体が下に引っ張られる。振り回すなんて冗談じゃない。振り回すどころか、持っているのも不可能だ。

 剣を振り回す途中。その姿勢のまま、体全体が、地面にめり込んだ。

 身動きが、取れない。

 カチャリという音。手に持ったボウガンに、矢をセットしているのが、やけにスローに見えた。

 「これはどちらかが死ねば解けるんだろう?」

 これ、というのは『檻』のことだろう。さすがに、俺を殺した後に何か異変が起こるのか、この男にしてみれば確認しておきたかったのだろう。

 「さあな。あのガキを生かして帰すなら、答えてやるよ」

 引き金が引かれた。同時に、左腕に焼けるような痛み。馬鹿みたいな重量の矢は、骨や筋肉を容易く押しつぶしながら貫通しただろう。きっと、自分の左腕には穴があいている。だかそれを確認しようとおもえるほどの度胸はなかった。余りの痛みに叫び出したいのを、唇を噛んで必死に堪える。

 あのガキが見てる。こちらの方を。いつか、自分には出来ない選択をした、自分にとっての憧れを絵にかいたような、自分よりも遥かに年が下の、一途な子供が。

 だから決して、弱いところだけは見せたくなかった。せめて、死ぬのなら最後まで、格好良くはないだろうが、情けなくならないよう。

 「何でそこまであの子供にこだわるんだ」

 「お前には分からない」

 こちらの言葉などどうでもいいように、聞き流しながら、またボウガンに矢をセットする。

 参ったな。痛ぇ。本当なら、転げ回りたいくらいに痛い。もう一回、同じものが来ても耐えれるだろうか。

 「わかりたいとは、あまり思わない」

 「そうだろうよ。もしかしたらお前になら分かったかもしれない。けど、逃げ出して、忘れ去って、壊れてしまったお前には、きっともう分からない」

 それは願望にも似た宣告だった。こんなにも壊れてしまった人間に、自分が大切にしている思いの端でも、理解出来てほしくない。

 ケケケケケケ。

 声がする。二発目。次の狙いは左肩だった。もう完全に、左手は動きそうにない。出血も酷い。震えているのが分かる。筋肉が引くついているのではない。

 単純に、痛みを堪えるのが、限界になるほどの痛みを感じているから。

 それでも――。

 それでも、弱みは見せられない。

 体全体が地面に埋没している状態で、しかし顔だけはしっかりと、相手を捕えて離さなかった。最後まで、敵意を忘れない。屈服したりする姿なんて、情けなくて見せられない。

 三本目の矢。照準は胴体。おそらく、次の一撃で致命傷だ。いや、既に出血多量で死ぬかも知れない。それくらいに、腕の傷は酷いだろう。奇跡的にこの場を切り抜け、治療を受けたとしても、左腕が動く自信がない。既に半ば、痛覚を失ってきている。叫び出したい衝動がこらえられるのも、その恩恵が大きかった。

 きっとこれが最後の瞬間。だから、最後までせめて、無様に散らないよう。

 相手の虚ろな瞳を見据えながら、敵であることを止めないように、死んでいこうと。

 そう決意して、この化け物の目を見つめ直し、そして不敵に、笑うように努めた。

 それがせめてもの俺の抵抗だった。次の瞬間来るであろう矢の一撃で、死ぬだろうことを覚悟しながら。

 だがそうして、俺が何とか笑みを形作ったその時に。

 絶叫が、木霊した。



 この場面は見たことがある。

 あの男がどうしようもない状況。思えば、見たことがあると感じたのは、あの恐ろしい、死神の様な男が自分に剣を突きつけた時だ。

 左目が痛い。血が止まらない。けれど、今はそんなこと気にしてはいられなかった。

 あの男が死ぬ。なすすべもなく、化け物の前に無様に這いつくばっている。化け物は矢をセットして、もう身動きすら取れない状況のあの男に、その矢を向けている。やっと仇がうてる。殺したのは自分ではないけれど、それでもあの男の最後が見れるのなら、それはそれで良い。そうだ、これはうれしいことで。

 自分は、一体、何に対して、怯えているのかと。

 矢が放たれた。たった一発の矢。だがそれだけで、あの賞金稼ぎの左腕を破壊するには十二分すぎた。貫通どころではない。粉砕しているといった方が適切だった。肉はえぐれ、骨は中から肉を突き破り、その骨も、叩き割られたように、それぞれが小さく分かたれている。

 左腕から出た血液が、地面を染めている。それに男が気づいたのかは定かではない。何しろ、その男はそんな傷など何ともないと言わんばかりに、ただ目の前の敵を見上げていたのだから。

 おびただしい量の男の血液。鼻を突くような臭い。血にまみれた男の姿。その姿が一つの情景と余りにもかぶりすぎた。

 自分が人質に取られた時、血に塗れながらも、それでも退かなかった、誰かの姿と。

 だが、おかしいと感じていた。奇妙だと感じていた。恐ろしいと感じていた。それにしては不自然なのだ。余りにも、その影が被りすぎている。自分の中の何かが全力で警告を発しているのが分かる。見るなと、見てはいけないと。見てしまったら、自分の中の何かが完全に壊れてしまうと。

 怖い、怖い。何か分からないが、壊れてはいけないものが壊れてしまいそうで――

 二発目。次は左肩。同じように、何か巨大なハンマーのような何かで叩きつけたように肩が粉砕された。そこから更に血が流れる。並みの量じゃない。あれは、死ぬ。死んでしまう。確実に、あの男が死んでしまう。

 なぜだろう、あんなにあの男を殺すことを願っていたはずなのに、そのことに焦りを感じている。だめだと感じている。殺してはいけないと感じている。自分があの男を殺す直前で感じた躊躇いの理由が、今はっきりしようとしている。

 でも駄目だ。それは本当は、気付いちゃいけないことなのだと、頭のどこかで分かっていた。

 だめだ、死んじゃいけない。そんな言葉が、喉から出かかっていた。しかし出なかった。体と心の中の何かが脅えていて、嗚咽以外の何も出てこない。

 あの化け物が矢を再度、無表情で、何の躊躇もない馴れた手つきで、懐に手を入れ、矢を取り出し、そしておそらく最後の一撃であろう矢を取り出し、セットした。

 だがそれでも、あの男は怯まない。あろうことか、その化け物を見て不敵に笑った。

 その表情が、自分の中に隠れていた全てを無理やり引っ張りだした。

 「あ……」

 分かってしまった。全部分かってしまった。思い出してしまった。自分の両親が死んだ時のことを。

 「あ……あぁ……」

 余りにも影が被りすぎていた。シルエットが、不自然なまでに似ている。自分を庇い、傷つき、倒れかけた誰かと。

 「う……あ……」

 認めたくなかった。それだけは、認めるわけにはいかなかった。だって何年も、ただ愛されることだけを願っていたのに。

 殺せないはずだ。心のどこかが、殺すことを拒否するはずだ。だって、この男は、僕に殺される様な事を、何一つしていないのに。

 覚えている。その手のひらをつかんだことを。

 ――さあ、君の願いをかなえよう。だから代わりに、僕のお願いを聞いておくれ。君の記憶を消す代わりに、あの男を殺す手伝いをしておくれ。何、簡単なことだ。君は殺さなくてもいい。それだと、貰い過ぎてしまうからね――

 おぞましい声の記憶が、心の淵の淵からにじみ出てきた。その嫌悪感のある声は、ある一つの言葉を連想させた。

 いつかきいた、綺麗な女の人の声。

 ――お前、随分とやせ細っているな。

 呪いの様な、その言葉の意味。

 そうだ。僕の親は、あの賞金稼ぎと戦い、窮地に追いやられて――

 


 自分の子供を、人質に使ったのだ。



 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 思えば、それに気付けるものがが幾つかあったのだ。

 両親からもらったものが、ナイフと、そして自分では着けないような壊れた婦人用の靴だけなのだから。他にもらったものなど微々たるものだった。食料も少なく、衣服も十分に与えられず、自分たちで使わないお零れを、気の向いたときにあげる程度の。

 分かっていたはずなのに。自分の両親は、本当に、どうしようもない人間だったのだと。ほんの気まぐれか何かの拍子で出来てしまった程度の命。

 それが自分だったのだ。

 それでも、好かれたいと思っていた。愛されたいと思っていた。両親は強い人間が大好きで、きっと自分も強くなれば愛されると思っていた。気まぐれで与えられた本の中の家族のように、愛情というものを与えられると思っていた。だから、見よう見まねで両親の動きをしてみたりして、気を引こうと必死になった。だが、それでも興味を引いたのはほんの最初だけだった。

 だがそれでも諦めきれなかった。愛されたかった。要らない存在のように扱われるのが怖かった。懲りずに挑んでくる賞金稼ぎたちのように、殺されるのが怖かった。だから必死で、体捌きであったり、足の使い方であったり、見て学びとれることを必死に覚えようとした。

 だが、そんな努力、何の意味ももたなかったのだ。

 あの賞金稼ぎの力は圧倒的だった。先に戦ったのは父親だったが、相手に得意なことを何もさせずに完封するあの賞金稼ぎの戦闘スタイルは、今まで現れた賞金稼ぎなどでは及びもつかないほどの強力なもので、簡単に追い詰められ、そして、殺される一歩手前まで来てしまった。あの大剣にきき腕を吹き飛ばされ、足にも傷と負ってしまった。

 殺されそうな自分の夫を見て、次は自分が殺されると思ったのだろう。母親は、何の躊躇もなく、僕に向けて刃物を突き付けたのだ。本来なら、人質にならないような人間のはずで、あの賞金稼ぎにとっては見捨てても良い存在だったはずなのに。

 それでも、止まってしまった。

 嫌だと。何でこんなことをするのと叫ぶ、僕を見て。

 けれど僕はその時のことを忘れたくて、それまでの一切を忘れたふりをした。

 自分はきっと、両親に愛されていたのだという、嘘の記憶を上塗りして。

 穴ばかりの自分への嘘。いつか必ず、自分自身で思い知ることになるのが目に見えていた、情けなく自分勝手な虚ろ。

 自分の叫び声が、自分の意識をクリアにした。今、直視しなければならない現実に引き戻された。そうだ、今は昔のことに後悔するべき時間ではない。

 あの人が死んでしまう。

 標的となる人間の子供という、関係のない人間を人質に取られただけで、ただそれだけで抵抗出来なくなってしまう、そんな男が死んでしまう。

 それも間違いなく、自分のせいで。

 自分がいなければあの男がこれほど苦戦することはなかった。こんなところに、相手の罠がある場所にわざわざ来る必要なんて無かった。

 僕の為に、自分の身を捨ててでも守ろうとしてくれた人が。

 今もなお、守ろうとしてくれている人が、死んでしまう。

 そんな人、今まで一人もいなかったのに。

 嫌だ、嫌だ、そんなのは嫌だ。自分の過去を思い出せなかった、思い出そうとしなかった時に、迷惑だけを掛けておいて、かけたまま、何のお礼もできずに、自分のせいで死んでしまうなんて嫌だ。

 こんなんじゃ、まるで僕が殺したみたいだ。

 殺したくない。生きていてほしい。右の眼が見えないのが鬱陶しい。痛みなんかにかまってられない。

 こちらの声に驚いていたあの化け物は、再び、あの人の方へと照準を合わせた。

 嫌だ、だめだ。止めろ、声が出ない。伝えたい言葉が多すぎて、口から言葉が出てくれない。何を言ったらいいのかわからない。

 ありがとう。死なないで。ごめんなさい。許してほしい。逃げてほしい。自分のことは良いから。何で今まで教えてくれなかったの。どうして自分の世話を見ようとしたの。どうして自分を責めないの。どうして弱音を吐かないの。やめろ。殺すなら先に、僕から殺せば良い。その人を殺したなら絶対にお前を殺す、何をしても。

 そんな言葉が頭の中でぐるぐると回る。何を言うべきか、何を叫ぶべきか、自分の中で纏まらず、情けなく嗚咽が途切れ途切れに、漏れるだけだった。

 眼があった。自分を今まで傍に置いてくれていたあの人と。

 あの人は苦しそうに、しかしそれでも優しくこちらを見て、笑った。そして一拍おいて、ゆっくりと、目を閉じた。

 「い、いや、だ」

 声が震えた。もうあの人は、生きることを諦めている。そう感じ取れてしまった。そしてそれは恐らく間違っていない。自分が死ぬことを、もう受け入れてしまっている。

 「いや、だ」

 自分のせいで死んでしまう。こんな人が、自分の為に、こんな情けない自分の為に、こんな風に死んでしまう。嫌だ。そんなのは、嫌だ。

 誰か。

 誰か助けて。神様でもいい。何でも良いから、次の瞬間には死んでしまうかもしれないあの人を、どんな手を使ってもいいから助けて欲しい。

 「誰か――!」

 化け物の指がトリガーにかかる。矢は既にセットされている。後はその指を少し動かすだけ。ただそれだけで、あの化け物は、目の前の敵を完全に殺害し得る。

 視界が一瞬揺れた。瞬きにも似たその一瞬。自分が目を閉じてしまったのだと錯覚した。

 音がした。何度も聞いた矢が発射された音。自分が最も聞きたくなかったその音はしかし、あの人を殺害するには至らなかった。

 矢は細くしなやかな手に握られていた。

 暗闇の洞窟の中にいても分かるほどに、白く透明な肌の色。流れるような髪は、人の視線を惹いてやまない魅力があった。身につける濃紺のローブは女性の雰囲気を、神秘的から神聖的へと際立たせている。

 右手で軽々と掴んでいる矢を離し、口に銜えたパイプへと移した。場に似合わないのんびりとした吐息を吐きながら、どこか気だるそうに虚空を見つめている。

 いつの日か自分を投げ飛ばしたあの女。世界に住むすべての人が知っていると言っていい、世界に三人しかいない魔法使いの中の一人。

 あの人にミリアと呼ばれる、銀髪、緑瞳の魔法使いが、そこにいた。




 「運がなかったなぁ」

 煙草の煙を吐きながら、ミリアは、さも面倒そうに口を開いた。

 「こいつには私を呼び出す水晶玉を持たせていてな。割ると私を呼び出す仕組みになっている。体全体の重さをあげたのは失敗だったな。地面にぶつかった衝撃で、そのガラス玉が壊れてしまった」

 相対する、片腕が黒腕の男は、何も言わずに目の前の女性を見た。黒い右腕が不気味に光る。赤紫の光が腕の周りに、ぼわっと一瞬だけ光をあげ、そしてすぐ消えていった。

 「無駄無駄。そんなのは私には効かないよ。その力をあげたのは誰だと思ってるんだ? 私たち魔法使いだろう? その力は所詮、私たちの力の一部でしかないんだよ。一は十には勝てない。単純な話さ」

 「お前は俺の邪魔をするのか」

 「まさか。単純に、呼び出されてみれば自分に矢が迫っていたから、それを受け止めただけだよ。魔法使いは、基本的に人間の邪魔をしたり、人間に危害を加える権限も意思もないんでね」

 「ならどけ」

 「おい、詐欺師」

 「……何だ」

 倒れたままの男が、顔を上げて、女の方へと話しかけた。

 「この結界を解いてくれ。代償は、今回の報酬の二割」

 「お前はそんなにもなって、そんな願いしか言わないのか」

 「退け!」

 その言葉の意味が理解できたのか。黒腕の男は多少強引に、倒れているテラの盾になるように立っている、女を押しのけようと一歩歩み出た。

 だが、その行動すらも遅すぎた。

 「……承知した」

 何を思ったのだろうか。魔法使いは答えながら、少しうつむきながら右手を軽く上げ、中指と親指とを合わせ、指を鳴らした。

 パチン。洞窟内に響き渡る。同時に、周囲を囲っていた、うっすらと見える風で作られた壁が、弾け跳ぶように散っていく。

 それと同時に、倒れていた男が動き出す。理不尽な重量という楔によって動きを止められていた賞金稼ぎは、その楔を解かれたのだった。

 ケリー=ブロウはそれを見て、一目散に逃げ出した。彼には分かっていた。この距離はまずいのだということに。テラという名の賞金稼ぎが持つ能力を踏まえれば、それは自ずと出る答えだった。人質を使おう。咄嗟の機転で背後に向けて走り出した。先ほどとは位置関係が違う。テラに『檻』を使われた時点で、人質となり得る子供との距離が、約三十メートルほどに広がっていた。

 先ほどのテラの時と同じように、その距離は、ケリーには絶望的なほどに長すぎるものだった。

 テラはもはや死んだも同然の左腕を引きずるように立ち上がり、持っていた自分の大剣を野球の球に見立て、上半身だけで振りかぶった。体を捻じり、出来る限り肩の力を使えるように。

 自分の持つ武器の重量をゼロにする事が出来る彼の能力は、こういった時にこそ真価を発揮する。そして彼が持つ、剣という名から見放されたその武器の、真の姿もそこにはあった。

 テラは躊躇なく、その大剣を投げた。彼の為に作られたその剣は、本来、投げる為に作られた、近接もできる投擲武器として作られたのだった。故に、この剣はすべての刃を持つ武器とは、一線を画す名を与えられた。

 テラの手元を離れ、本来の重量を取り戻す『牙』。およそ時速一〇〇キロほどで打ち出された、人の大きさをした鉄の塊。その威力は、大砲に勝るとも劣らない。重量を増やそうと意味がない。ケリーの能力は着弾時の威力を上げるものであり、放物線を変えるほどの力がないからだ。

 大剣は、その名の通り、狩りに出た狼のように、易々と人質のところへと走るケリーへと追いつき、その足元へと着弾した。地面を削り、その衝撃で削った岩を弾き飛ばす。大小さまざまの岩はケリーの体へ当たり、何発かの鋭利な形になった岩は、ケリーの足へと刺さり、彼の筋繊維をズタズタにした。そのせいか、それとも、大きな岩を背後から受けたからか、その場に倒れこんで、彼は動けなくなった。

 狙い通り。自分の攻撃が成功したのを見るのと同時に、テラは走り出した。元より、この一撃で倒せるとは思っていなかった。直接狙っても、避けられたら終わってしまう。彼の切り札の一つ目と言っていい一撃を、彼は相手の身動きを止めるだけに使った。

 倒れながらも、ケリーは反撃を試みた。走り寄るテラへと矢を構え、それを発射した。右腕があやしく光る。命中。当たったのは右の腹部。易々と矢が人の体を貫通して出来たその傷は、相手を死に至らしめるのには十分な傷だった。

 だが、その傷を受けても尚、テラは止まらなかった。たった数歩、勢いを殺したときがあっただけだった。それも当然の結果だった。元より、彼は生きて帰ろうなどとは思っていなかった。

 それどころか、分かってしまっていたのだ。彼は、自分はもうすぐ死ぬということを。

 ケリーが冷静だったなら、それを理解できただろう。テラの左腕から流れる血は、致死量になり得る量であった。未だその血は止まらない。完全に粉砕されている腕に治療の術もない。左腕を落として、片口から傷口を焼いて塞いだとしても、流れた血は戻ってこない。街はここから馬車で行かなければならない距離で、そこまでもつとも思えない。

 それをテラは、十二分に理解していた。

 それでも目の前の敵を生かしておくことは出来ない。ケリー=ブロウははっきりと言ったからだ。『どちらにせよ、この子供は殺すつもりだった』と。自分が死ぬのは別に良い。だが、どうせ死ぬなら、せめて助けてから死のうと思ったのだ。

 目が霞む。今すぐにでも暗転しかけない意識を、ただその気概だけで持ち直す。ケリーが更に攻撃を加えようと、矢を装填しようとしていたが、遅い。近くに行ってしまえば飛び道具はむしろ邪魔になる。それはテラが、敢えてあの巨剣を武器にした理由の一つだった。絶対的なこの瞬間の明暗を分けたのは、二人の戦闘に対しての経験の差だろう。

 ゼロ距離。手を伸ばせば相手を掴める距離。躊躇なく、テラはケリーの胸倉を掴んだ。

 その瞬間、彼の能力が発動する。自分が持っている物の重量をゼロにするという彼のもつ眼の能力。易々と、テラはケリーの体を持ち上げた。

 そして同時に、真上へと、軽々と、まるでボールか何かを投げるような気軽さで、高く高く放り投げた。

 これが彼の切り札と呼んでいい能力の使い方だった。こと、近接戦に置いて、相手の重量を完全に無視した攻撃が出来る。『檻』を発動していないことが使用を可能にする条件であり、彼にとっても滅多に使えるものではないが、あらゆる武器を持つ相手を無効化し、同時に自身は強力無比な力を振るえる力の使い方だった。

 地面に刺さった大剣を抜き放ち、再度振りかぶる。狙うのは真上。標的は、こちらに向かってただ落ちてくる黒腕の化け物。

 さして狙うまでもない。放り投げたのは真上なのだから。落ちてくるのもここ以外にはありえない。ただ同じコースに、この牙を投げ捨てれば良いだけ。それだけなのに、しかし当のテラ本人にとって、そんなことですら既に容易なことではなかった。左腕は動かない。体中が悲鳴を上げ、視界は靄がかかり、同時にふらふらと体も揺れる。ただもっているものを真上に投げるだけだと。そんなことは当人にも分かっていたが、しかし体が言うことを聞いてくれなかった。そうして、悠久よりも長く感じる数秒の間に、テラは思考をめぐらせた。

 自分は何でこんなことをしているんだっけ。

 息が苦しい。視界はぐるぐると回り、立っているのか座っているのかすら判別がつかない。痛みは無い。けれど、どうしようもなく寒い。

 それでも、不思議と何かが満たされているのを感じた。あぁ。これでやっと、と。

 これでやっと。

 ああ――なんだ。これが、答えだったんだ。

 確かに、これは、自分にとって弱点といえた。少なくとも、俺を殺したい誰かにとって、この答えを告げることは、本当に、致命的とも言える弱点だった。

 自分には何も無い。本当に何も無かった。空っぽの自分。自分が今まで生きてきたこと自体が、何の意味ももたない。笑ってしまうくらいに惨めな存在だと、自分で自分を皮肉るほどに、哀しい存在だと思った。

 それでも、そう。ただでは、終われない。

 視界の中にガキの姿が映る。いつか自分には出来なかった選択をした、自分が選びたかった選択をした、自分がこう生きれたらという理想形に近い、両親が犯罪者の、ガキの姿。

 ――それでも、どうやら思い出してしまったようだけれど。

 自分には何も無いけれど。

 それでも。いや、だからこそ。何か残さなければ。

 それが自分が憧れたものなら、なお更だ。

 そうして、テラは腕に力を込める。助ける。その一言が頭に浮かぶだけで、体に力がみなぎるようだった。

 かくして二人の勝負は決着を迎えた。

 襲い来る巨大な鉄の塊をほんの少しさえも避けることもできず、ケリー=ブロウの胴体は易々と二分された。



 ドサリと、胴体だけになったケリーは岩場に転がった。うめき声を上げ、それでもまだ、彼は生きていた。それどころか意識すらあったのは、既に彼の精神が完全に壊れているからか、それとも余りにも深すぎる傷だからだろう。痛みを自覚することすら出来ない状態ではあったが、しかし、彼の意識はそんな状況でも失うことは無かった。

 それでも、ちぎれた腹から出る血液は止まらない。あっという間に体温を奪い、ものの三十秒で、既に彼の意識を奪いにかかっている。

 ああ、もうだめだ。彼はそこで、生きることを諦めた。自分の復讐への思いとともに。

 目の前にはいつもの影。見知らぬ誰かの影。自分が殺してしまった誰かの手。暗い影がこちらに手を伸ばし、そしてこちらをがんじがらめにして離さない。

 分かったよ。俺を連れていくなら連れて行け。それで満足なんだろう? 早く俺に死ねと言っていたんだろう?

 その影に、彼がそう呟いた、そのとき。

 その影が、哀しそうに笑ったように、彼には見えた。

 「……え……」

 その笑顔に見覚えがあった。

 違う、見覚えがあるわけではない。忘れている。覚えていない。完全に、忘れ去ってしまっている。

 けれど知っている。この面影は見たことがある。少なくともこの影は、自分にとってとても大事だったもので、重要だったもので、心のよりどころで、そして何より自分が一番幸せにしたかった――

 「いや、だ」

 覚えていない。

 あんなに大事だったはずなのに、その思い出が一つもない。あんなに大切に思っていたはずなのに、その面影を少しも思い出せない。

 魔法使いは言った。代償に、お前を今呪っている影の記憶を貰うと。

 そのときに、その記憶を全て差し出してしまったのは、他の誰でもない、自分だ。

 「いやだ、いやだいやだ」

 自分は何のために生きていたのだ。何のために死を決意したのか。殺した。間が完全に抜けているけれど、しかし、足りない記憶の辻褄を合わせれば分かる。そうだ、あれは一緒に死のうとしていたのだ。けれど、自分が何かに目を釣られたときに、誤って殺してしまった。そうだ、そうでなければ、自分が彼女を殺す必要が無い。理由が無い。

 「いやだ、いやだ」

 そんな風に、一緒に死ぬことをすら決意するほどに、大事にしていた誰かを。

 ほんの少したりとも、思い出せない。

 「いやだ、いやだ、そんなのは、いやだ」

 寂しい。自分が大切にしていた人間を思い出せないまま、最後を迎えるのが寂しい。こんなところで誰の目にもつかないところで、自分が願った復讐も遂げることも出来ずに。

 「いや……だ……」

 彼は、必死に、こちらに手を伸ばしている影に向かって手を伸ばした。まるで逃げるかのように、影は彼から逃げていく。その姿を遠ざけたのは彼自身であるのだから、今更捕まるわけもない。

 そうして彼は、最後まで虚空へと手を伸ばし続ける。

 そして結局、何もつかめないまま、ケリー=ブロウは、その哀しく、ほんの少しも救われない生涯を終えたのだった。

 

 

最後の仕事を終えて、力なくその場に寝転んだ。

 倒れたかったわけではない。単純に、ああ、これでもう俺が出来ることはないと思ったら、体に力が入らなくなったと言う話だ。

 寒い。凍えるようだ。体のどこかは震えているんじゃないかと思う。そしてこの体感温度は、岩肌が冷たいからとか、そんな理由ではないだろう。

 それにしても。

 「は……ははは」

 無様だと。笑えてしまう。

 自分の望み。それが分かったしまった。なるほど、だからこそ、騎士団を抜けて、賞金稼ぎの真似事をして働いたのか。そりゃあそうだ。こちらの方が、圧倒的に危険が多いのだから。

 何故こんなことに今まで気付かなかったんだろう。

 賞金稼ぎをやっている理由。採算も悪く、競争相手も多く、世界でも有数の規模の組織である騎士団の、言ってしまえば非常勤のような存在。報酬の量とは裏腹に、危険が非常に多いこの職業を、敢えて選んだ理由。

 ――まさか、その答えが死んでしまいたかった、などということだとは、思ってもみなかった。

 自分と同じような人間を出したくないなんて嘘だ。そんなのは、あのガキですら分かったことなのに、何で俺はわからなかったんだろう。認めたくなかったんだろうか。

 愛情と言うものが信じられず、人と付き合い、友人と呼べれるような人間が出来るたびに、きっとこいつも腹の中では違うことを考えているんだろうと、そんなことばかり考える日々。付き合いを始めた男女を見るといつも感じる胡散臭さ。

 世の中の人間の全てを、疑いかかってみてしまう自分が何よりも嫌いで、そんなことを思わせるこんな世界から、消えてなくなりたかった。

 けれどそれを認めなかった。そうなってしまえば自分の価値なんて、本当になくなってしまう。だからこそ、自分と同じような人間を出したくないなどと、高尚な建前という名の嘘で自分を奮い立たせ、生きてきた。

 なんて無様な生き方。不器用どころか破滅的だ。何の救いもないことが分かっているのに、それでも目指さざるを得なかった。

 自分と同じ境遇の人間を救いたい、なんて、建前。

 ただ、自分をこんな目に合わせたやつらが憎くて、そしてこんな世界が嫌いで。

 どうしようもなく、逃げ出したかっただけだなんて。

 「……何か、願いはあるか」

 それは悪魔のささやきではないかと感じるほどに冷たい声。

 見れば銀髪の魔法使いが、こちらを見下ろしながら立っていた。

 救われたい。

 そんなことを、叫びそうになる衝動を、心の奥底にしまいこんだ。

 魔法使いは、その願いの強さに応じた代償を取る。今、俺はこのままでは死にたくないと、思ってしまっている。何よりも強く。こんな哀しい死に方は嫌だと。こんな無意味な死は遂げたくないと。

 ――だからこそ、その願いは告げられない。

 その願いは、きっと成就するだろう。しかし、それと同じ価値のものが必要になる。魔法法使いは容赦なく、その代償を搾取する。

 だからこそ、魔法使いは一番の願いは、決して叶えることが出来ない。それはこの女が、一番分かっていることだろうに。この願いの代償は一体どれくらいのものになるだろう。横目で見える、虚空に手を伸ばしながら息絶えた誰かの姿が、目に映った。

 けれど、それ以外の願いが浮かばない。救われたい。生きたい。苦しみを取り除いて欲しい。せめてもっと報われる終わりを遂げたい。

 どれも同じくらい、強く願ってしまっている。ならもう、何も言わないまま死んでいこうかと思ったその時。

 こちらに向かって這って来ている子供の姿が見えた。

 その顔は悲痛にゆがんでいる。嫌だという声が聞こえた。何をそんなに嫌がっているのか。それは少し考えるだけで分かってしまった。

 ああ、そうか。

 少なくとも、何も残せなかったわけではない。最後の最後に、自分が憧れたものが残せるのなら、自分が憧れたような生き方が、出来る人間が生きられるのなら、それは十分、報われることではないか。

 でも、生きたい。

 生きたい、生きたい、死にたくない。こんなところで終わるのは嫌だ。こんな風に終わりたくない。こんな惨めに散っていくのは嫌だ。

 心の底が上げる悲鳴を、全て飲み込み、悪魔のようなあの女を見て、口を開く。

 「後のことは、頼む」

 そうして、その願いを、口にした。

 一番でも二番でもない。三の次、四の次の願い。この願いは、きっと叶えられる。

 「お前は、本当に。そんな状況になってもまだ、そんなことしか願えないのか」

 銀髪の魔法使い。自分の人生に長く関わってくれたある女の魔法使い。その表情が、何故だろう。

 どこか、哀しそうに、見えて。

 馬鹿だなぁ。お前のそんな表情なんて似合わない。いつもみたいに、毅然と人を小ばかにしたような態度を取って、高いところからこちらを見下したような口調で、わけの分からないことを口に出さないと――。

 「分かった。お前が望むよう、お前の願うように、育ててやる」

 ああ。その一言で安心した。今までありがとう。変な役目を押し付けて、すまない。

 その返事は果たして、届いただろうか。

 眠い。目を閉じたら恐らく自分はもう目覚めない。それが分かっていても、目が閉じるのを止められない。

 もう生きたいという活力すら沸いてこない。とても静かで、だからこそ寂しく、恐ろしい。けれどそれを受け入れている自分がいた。

 最後にあの女が、悲しそうに見えたのが、ほんの少し心残りだなと。そんなことを考えた。

 何も無い暗闇の中。意識がどこかへ沈んでいくのが分かる。

 ああ、もう、これで。やっと、楽に――。



 腰の辺りまで伸びた草が立ち並ぶ草原。山の中腹にあるその場所は、ある広大な敷地をもつ私の庭の一部だ。いつもなら人の影すら見えないその場所に、珍しく、私ともう一人、二人の人間が立っている。

 「それが、その男の生涯の物語だ」

 私はこの男に、手向けの話をしてやらねばなるまいと、口を開いた。

 「その男は、貴族の生まれでね。幼い頃から両親の愛情を一身に受け育ってきた。その愛情にその男は疑うこともなかったし、両親の思いに必死に答えようと、日々研鑽に励んできた」

 話を聞く男――右目が緑で、髪の色も左目の色も黒く、その右目のみがおかしな色をしている。義眼なのだろうということが察せられるが、その義眼も何故だか、強い生気に満ちていて、作り物とは誰も思えないほどに自然な輝きを放っていた。背中には大袈裟と言っても過言ではないほどに、無駄に大きな鉄の塊を背負っている。

 その異様な風体の男は、黙って私の言葉を聴いていた。

 「ところがある日、事件が起こってしまった。その男にとっては忘れようも無い出来事。一家で旅行に行った帰り、馬車が賞金首に捕まってしまってね。一番最初にその男が捕まった。十にいくかいかないか、そんな程度の子供に、刃物を持った大の大人に抵抗することが出来るわけもないのだから、順当と言えば順当と言うところだな」

 「それで両親に見捨てられ、トラウマになったんだろ」

 「その通り、その様子を見た両親は、一目散に逃げ出した。捕まった我が子を一度も振り返ることなく、躊躇なく、ね」

 「嫌な親だよな」

 「そうだな。それ以来、男は愛情と言うものが信じられなくなってしまった。自分が捨てられた、と感じてね。その後は酷いものさ。愛情と言うものが信じられないから、人が人を好きになると言うことに対してどうにも皮肉的に見る生き方が身についてしまった。誰にも心を許せないし、誰の行為すらも嘘だと感じる。それはとても生き難く、苦しいものだったんだろうな。結果、あの男は、自分と同じ人間を出したくないという自分の建前を作り、死を望みながら働くことになったわけだ」

風が心地良い。ああ、今日は実に、良い夜だ。

 「だが、実はね。その両親は、自分の子供を捨てたわけじゃ無かったんだよ。その男の両親は、実に聡い人間でね。特に父親の聡明さは普通の人間に比べるとかなりのものだった。子供が捕まった一瞬で、自分たちがここにいても何も状況が改善されないことを理解したのさ。当たり前だな。賞金首たちは、実際のところ金さえ手に入ればいいんだ。それも自身は賞金首。下手に町に出ることも出来ないから、銀行や自宅に戻らせて金を手に入れることは出来ない。そんなことをすれば騎士団に通報されることは目に見えているしね。簡単に出来ることと言ったら、その場にいる全員の身ぐるみを剥いでやるくらいだ。その後でゆっくり、変装した後で町に入り、換金すればいい。それが彼らの目的だったわけだ。

 だが、身包みを剥いだその後はもう、殺すしかない。父親の推測は正しかった。確かに、もしその場に残ってしまったなら、一家全員惨殺。その後、そうだな、動物の餌にでもなってしまっていただろう。当然、そんな親なのだ。子供のことも愛していた。子供を置いて逃げるときはさぞ辛かっただろうね。絶対に助けにくると、語らぬままそんな誓いを立てて、歯を食いしばって逃げたのさ。子供だけでは金にならない。自分の顔は見られた。自分のいる場所すらも見られた。後に来るのは賞金稼ぎの山か、騎士団の連中だ。子供を人質に使わざるを得ないから、子供のとりあえずの生存は約束される。お金になるようなものも子供が持っているものだけではたかが知れている。なら、身代金と交換するという方法は悪い判断ではない。賞金首はそうするだろうと、その親は判断した。そして判断は、全くもって正しかったのさ」

 「いや、正しくなんか無い」

 「どうしてそう思う?」

 「結局、助けたのは子供の命だけだろ。でもその時には、心は死んだんだ」

 その答えに満足した。私は頬を満足げに緩めながら、懐からキセルを取り出した。

 「その通りだ。お前の言うとおり、その両親は聡かったが――聡い分、思慮が足りなかった。ほんの少し、弱さか強さが足りなかったと言い換えても良い。もう少し強ければ、或いはもう少し弱ければ、分かったはずなんだ。冷静に考えれば、捕まった自分を置いて一目散に逃げる親が子供の目にどう映るかなんて、難しいことではない。もう少し弱ければ、少しでも振り向いたはずなんだ。絶対に助けに来ると、悲痛な顔をして叫びながら逃げるという事態になっていたはずなんだ。そうなれば、どちらでも、あの男はあそこまで悲しい最後を迎えることは無かった」

 結局は、ほんの少しのすれ違いだったのさ、と続け、私はキセルに葉を詰め込んで、指を鳴らした。たったそれだけで葉には火が点いた。二、三回煙を吸って、吐いてを繰り返す。

 「両親は自分の子に手を伸ばす弱さも、緊急時に子供の命だけでなく、心の方まで考えれる強さもなかった。そして子供の方も、それが自分を助けるためだとは終ぞ信じれないほどに弱かった。結果、子供は最後まで、親が本当に自分を愛してくれていたことに気付かないまま死んでしまった」

 「言ってやれば、良かったのに」

 「それは出来ない。何故なら、その言葉一つであの男は救われるからだ。それはあの男にとって、何よりも大事なことだ。魔法使いはね、代償を取るからこそ、その人間が一番に思っていることは叶えられないんだよ」

 「哀しいな」

 「ああ。本当に、あの男は哀しい人生だった」

 「あんたのことだよ」

 「……そうだな」

 もう一度指を鳴らすと、もっていたキセルが風景へと溶け込んでいくように消えていく。その様を見慣れている巨大な剣を持つ男は、そのことについて何も驚きはしなかった。

 「もう一つ、教えてやろう。あの男は最後に、お前のことを頼むと願いを言ったが、実はお前のことは、大して大事ではなかったんだ」

 「知ってる。だからこそ、はした金で願いが叶ったんだろ」

 「ああ。あの男の今までの稼ぎと、最後の稼ぎでね。だから、とどのつまり、あの男はお前のことを、とてつもなく大事には思っていなかった。最後も、自分が救われたいと言う願いだけがあったのさ」

 「だから何なんだ?」

 「その上で聞いておく。お前は一体なんと名乗っていくつもりだ?」

 「……」

 「はっきり言っておく。お前の両親は、どうしようもないクズだった。お前なんて、ただの遊びのときにたまたま出来てしまったから、とりあえず育ててみた程度にしか思っていない。勿論、そんなクズにもそこまで育てられた恩を感じているのなら、それを大事にしたいというなら止めはしない。かといって、お前が神聖視するあの男も、実はたいした人間じゃない。神懸かったほどに美しい精神を持っていたわけでもない。むしろ、ズタボロの人間と言っていい。もしなんなら、新しい人間として生きるために、私が全く違う名を与えてやってもいい。どれにするかはお前次第だ」

 「決まってるだろ。あの人の名を継ぎたい」

 「あんな男のか?」

 「そう言うなよ。あの人は確かに、俺を大事に思っていなかったかもしれない。でも、俺を救おうとしたことは本当だ。それに、俺はそれで、本当に救われたんだよ」

 「そうか。なら、お前はこれからクロノと名乗ると良い」

 「なんだそれ」

 「あの男が、本来、望むべきだったものだ。時間。安らかな時間。ただゆっくりと、心穏やかに、休める時間。成し遂げたのであれば、与えられるべきだったものだ」

 「……」

 「そしてお前は、その時間で、これからの人生を考えると良い、何をしたいか。何をするべきか。多少、世界を回ってね」

 「クロノ、ね」

 「不服か?」

 「いや、良い名前だと思うけど。この年から新しい名前を名乗るって言うのが、どうも気恥ずかしくてね」

 「すぐ慣れる。それに、あの男の名を継ぐと決めたんだろう。お前は、間違いなくあの男の子供と言って良い存在に、今、なったのさ。もっと誇らしく生きると良い。戸籍はそう書き換えておく」

 「何でも出来るなあんた」

 「これで、私がお前に出来ることは最後だ」

 「ああ」

 「これからは何かあったのなら、私はお前からも代償を受け取らなければならない。何か困ったときには、その代償を良く考えて、私に依頼することだな」

 「そうだな、そうしておく」

 「……本当に、魔法使いの騎士として生きていくつもりなのか」

 そんな言葉を投げかけた私に、そんな顔似合わないよ、と最初に言った後で、たった今から、クロノと名乗り始める男は言葉を続けた。

 「分からない。とりあえず、今やりたいと思えることが何も無い。だから、とりあえず、尊敬したあの人と同じ生き方をしてみたい」

 「尊敬に値する人間だと思うか?」

 「ああ。勿論。十二分に」

 「そうか」

 ならばもう止めることも無い。さっさと行け。そしてどこかでのたれ死ねと軽口を叩いた後で、振り返った背中にもう一度私は呼びかけた。

 「なあ」

 「何だ」

 「お前は一体、どうしてあの男が、お前を助けたいと思ったんだか、分かるか?」

 「……いや、それは、正直まだ分からない」

 「そうか……」

 言うべきか、言わぬべきか。ほんの少し、迷った。だが、結局、言わないことが正解なのだろうと結論付けた。これは自分で見つけるべき、その答えにたどり着くからこそ価値があるものだと思う。そして、そんな内面のことまで語ってしまうのは、あいつも恥ずかしがるだろう。

 「ならば、それを探して生きていくと良い。それが分かったら、お前はきっと、あの男より大分まともに生きることが出来る」

 「分かった」

 そうして、男は旅立っていった。

 なんとも味気ないというか、さっぱりした別れだ。それもそうだ。クロノは私に親という感覚を持ってはいなかった。自分の名を、あの男の名を継ぐといったのだ。クロノの親は生涯あの男一人であり、他の誰も、その代わりにはなりはしない。

 なんだ、折角、どちらも断ったのなら私の名前を継がせてやろうと思ったのに。これでもそれなりに考えてきたんだ。あの男に救われた男にふさわしい名前はなんだろうとか。犯罪者の名前を敢えて背負う男の名前は何だろうとか。色んな辞書を見たり画数を考えたり。まるで生まれる子供に名前をつける親のような心境だった。

 その感覚は悪くは無かったけれど、結局はただの依頼の結果だ。依頼が終われば過ぎ去ってしまう。

 今まで育ててきた男の背中が見えなくなった。それでも、その方向をずっと見つめ続けていた。

 「これで終わったぞ」

 誰にともなく、呟いた。終わった。随分と長い依頼だった。五年。あの男を鍛え、学ばせ、一人前にある程度社会で生きられる能力を与えるまで、五年。魔法使いの騎士になりたいなどと言うから、戦闘技術すらも教え込んだ。恐らく、そこら辺の奴ではあの男に歯が立たない。加えてあの眼の力もある。選別として与えたのは視力と能力の強化。テラの時には与えなかったが、あの義眼も正常な眼と同じくらいの視力を備えている。

 それくらいしてやらなければあの男から受け取った依頼金が使いきれないからだが、それだけでも十分な力になっているだろう。クロノは、賞金首の両親の血のせいか、戦闘に関しては非常に優秀な能力を持っていた。それこそ、テラを軽く凌ぐほどの器だ。何かに特化していればその道の達人になっていただろう。

 

 それがいつか、世界の敵として私が殺すように命じていた男なのだから、能力に優れているのは当たり前と言えば当たり前ではあった。

 

 あのまま、実の両親である賞金首の下で育っていたならば。私の騎士に救われずにそのまますごしていたのなら、クロノは両親の実力を超えた時に、実の両親から命を狙われる立場になる運命にあった。

 理由も単純だ。自分よりも強い自分の子供。その子供には愛情なんてかけたためしもない。育てるのが面倒になり放り出した。喋りかけられても鬱陶しいから話しかけるなと突っ返した。そんな教育をしていたのだから、きっと自分たちを憎んでいるに違いない。だから殺される前に処分しなくては、という、当たり前の思考が原因だった。

 唯一、親の愛情を受けることだけを望みにしていたあの子供は、どこかの騎士と同じように、自分が全く愛されていないことを知ってしまう。両親を殺し、そして町に出てみたものの、行く当てもない。ふと、町の中で歩く人間たちを見回し、誰かに愛されている人間ばかりだということに気づいてしまう。

 その光景に激しい嫉妬をしたその少年は、眼に見える人間を片っ端から殺していくことになる。

 誰も自分を見てくれない、誰も自分を愛してくれない。話しかけようなんて事は思わなかった。それはとうに、自分の両親に拒絶されたことだったから。

 そうして、数え切れない人間を殺しつくした後で、ある魔法使いに出会ってしまう。そして、願ってしまう。誰かに愛されている人間を殺しつくしたい、と。本当の願いは、誰かに好きになってほしいという、単純な願望なのだとも気付かずに。

 結果、その願いは叶えられる。本当の願いではないから、代償は大きかったが、しかし払えないほどではなかった。自分と同年代の、そして自分がもしかしたら友人になれたかもしれないような人格を持った人間を百人殺すこと。それが必要な代償だった。

 そしてその願いは、成就されてしまう。

 そんな破滅的な運命を背負った、子供だったのだと。果たして今の彼を見て誰が思うのだろうか。

 それを変えたのは確実に、ある一人の騎士。最後の最後まで報われない最後を迎えた、それでもどこか救われたある一人の哀しい男。

 あの男は、自分自身を救えなかったけれど、確かに、一人の子供を救ったのだった。

 「終わったぞ、テラ」

 呟いた。もう届かないことを知りながら。

 これでもう、朝早くにあの小僧を起こす手間も煩う必要は無い。料理の仕方も、掃除の仕方も、訓練も、勉強も、風呂の入れ方も、簡単な遊びも教えることもない。

 これで、終わった。あの男との約束は、我ながら完璧に果たしたのだ。

 「…………終わった、終わってしまった」

 終わってしまった。

 これで最後。彼が死んで以来、悲しむ間もなかったけれど、これでようやく、一段落ついて――

 そうして、あの騎士とのつながりが、全くなくなってしまったことに気がついた。

 「終わった! 終わってしまった!」

 助けられなかった。あの哀しい騎士を、助けたかった。だがそれが出来なかった。望みを叶える為には代償が必要になる。あの男にとって、救われることは何よりも大事だった。

 それこそ、自分の命よりも。

 だからこそ、願いは叶えられない。最後の最後、あの男があんな風に終わってしまうことが分かっていたのに、それでもその願いをかなえることが出来ない。

 魔法使いと言う言葉は聞こえが良い。ただ、その役目はさながら神の従僕のようなものだ。神様という得体の知れない何かが選んだ、特定の生き物の願いを聞き届け、その代償を受け取り、願いをかなえるだけの願望器。

 こんな風に死んでしまう誰かを救うために、力を求めたのに。

 情けない。そう呟いたとき、眼から涙がこぼれていた事に気付いた。魔法使いには本来なら許されない行為。誰かを贔屓してはいけない。人類という種に奉仕するのが、魔法使いたる人間の定めだというのに。

 それでも涙が止まらない。あの時に、まだ後悔があるだろうに、それでも満足気に死んでいったあの男の姿が、今も脳裏から離れない。もう全て、終わってしまったことの喪失感も相まって、その悲しみも、涙も止まってはくれなかった。

 一体自分は何のためにこんな力を得たのか。

 あんな風に、自分よりも遥かに年下の子供に憧れるような、そんな男一人すら救えないのに。

 「愛して、いたのに」

 お前は笑うだろうか。

 お前の気を引くために、わざわざ呼び出される時に風呂に入ったり、呼ばれていなくても、ちょくちょく様子を見に行ったり、実は、冗談で言っていたことの半分は、私の願望だったなんて言ったら。

 「愛していたよ、テラ」


 山の中腹の平原に、彼女の鳴き声が木霊する。それは悲鳴のような泣き声で、しかし誰一人として、その泣き声を聞くことは無く、ただ虚しく響き渡るだけだった。



 それは、最早、永久に語られることのないある男の話。

 いつか誰かが、憎しみの対象としてみた、魔法使いとその騎士との宿での会話だった。

 「何で思い出させてやらないんだ」

 「思い出させる必要が無い。あいつは、あれでいいんだよ」

 「あれで良い……? 何を考えてるか知らないがな、あのガキはこれからもお前を殺しに来るぞ。もしかしたらお前も死ぬかもしれない。それでも良いのか?」

 「良い……いや、良くは無いけど」

 「だったら尚更だろう」

 「あいつは、あれでいいんだよ」

 「どういうことだ」

 「あのガキは、最後まで自分の親を信じて疑わない。それが真実とは違ったとしてもな。自分は愛情を受けていて、そしてそれを悪い奴が奪ったんだ、って疑わない」

 「それがどうした」

 「それは、俺には出来ない生き方だった」

 「……」

 「自分は愛されていた。それを誇りに思ったり、当たり前に感じていることっていうのは、誰もが生きるために必要なんだよ。俺は感じ取れなかったけれど、だからこそ、分かる」

 「羨ましいのか?」

 「……ああ。憧れてる、って言っても良い。あのガキを見てると、何で自分はこんなに盲目的に、両親のことを思えなかったんだろうって、そんなことをいつも思う」

 「ふうん」

 「それに、俺としては」

 「お前としては?」

 「自分は本当に愛されていた。そんなことを本気で思える自分を、大切に生きていて欲しいと、思うんだ」

 「……ふぅん」

 「なんだよ、気持ち悪くニヤニヤしやがって」

 「いや、別に。お前は、賞金稼ぎの真似事なんてやらずに、教師か宣教師にでもなればよかったんだ、と思ってな」

 「なんだそれ」

 「そのままの意味だよ。ああ、本当にお前は、甘い奴だな。自分を殺そうとしてるガキにそんなことを思えるなんて」

 「そうかもな」

 そうして、魔法使いは、男の肩を楽しそうに叩いた。

 この人間がせめて、死の際に救われたらいいと、そんな思いを馳せながら。

 



拝読ありがとうございました。

実はこれはもともと、ゲーム用シナリオを書いてみたいな、と思って作っていました。

視点がやたら変わるのはそのせいです。本来なら小説として書くなら、もっと修正しないといけないですが・・・これはこれでいい味が出てたのかなぁと思ったので、ある程度はそのまま残しています。

読みにくかったらごめんなさい。


さて、魔法使いの騎士、ですが、これは物語の始まり。言ってしまえば最近のシリーズにある~0、~ZERO、といったもので、クロノを主人公とする物語の冒頭部分になります。

頭の中では最後のストーリーまでできているのですが、いかんせん時間が間に合わないのでいつ作れるかはわかりません。。。

個人的にこの話は、考え付いたときはすごい悲しい鬱な話だなぁと思いましたが、でもどこか救いがある話だな、と思いました。ケリーさんはちょっと悲しすぎますけども、でも、大事なものを捨てるっていうことはきっとこういうことなんだろうな、とか、自分で書いた話でそんな感想を持っちゃったりしてます。

もともと絵で補強する予定の話だったので、世界観やらキャラクターやら、わかりにくかったらごめんなさい。

少しでも私が生み出したこの話が、多くの人に楽しんでいただければこの上ない幸せです。


次回は、学園物でも書いてみようかなぁとか思ってますけど、これの続きもあるし予定は未定です。

とりあえずノートPCがないととてもじゃないですが出張先で書けないので・・・更新速度は遅いと思いますが、楽しんでいただけたならお待ちいただけると幸いです。来月の給料日あたりで買えたらいいなって思ってます。


批評感想等お待ちしています。でもメンタル豆腐のネガティブ核融合炉搭載型ヒューマンなので、あまりきついこと書かれるとへこみます マジで。


次回作をこういう場でおだしできるよう楽しみにしています。

ありがとうございました。

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