32.この気持ちに似合う名
長い長い一か月だった。
永遠にさえ等しく思うほど、永かった。
一秒が一時間に感じ、一時間が一日にも思われた。
暇を持て余して本棚に並ぶ本を一冊取り出して開いてみたけれど、文字がほとんど読めないのだから意味がない。
窓から外を見ていても無風状態の時は木が揺れることさえない。
ゆっくり流れていく雲を見ていても、時の流れの遅さを痛感させられるだけだった。
そして何より、いつもの場所にDEATHBREAKERが無いことが私を不安にさせた。
もともと軽い刀だから重量の面では対して変わりはないのだが、その僅かな重みが今は愛おしく思えてしょうがなかった。
鬱積した思いを押さえきれなくなると、部屋に飾ってある白い磁器の花瓶を床に叩きつけて割った。
テーブルを蹴り倒した。
ソファシーツを裂いた。
窓を開けて咆哮した。
髪を掻き乱した。
何度も壁を殴った。
大きな音を立てて騒いでも、隣の部屋に居るはずのルーナは注意しにくることさえ無かった。
余計に苛立ってさらに暴れた。
まるで人間から言葉を知らない獣に退化してしまった気がした。
夜になって暗い空に月が懸ると、口の中でシヅキの名前を何度も唱えた。
そうでなければ、闇夜に自分が溶け出していってしまうような気がしていた。
多くの任務をこなし、多忙な生活をおくっていた頃よりも遥かに過酷な一ヶ月間を終えたある日、やっとドアをノックする小さな音が聞こえた。
返事をしなくてもドアが開けられたことから、来訪者がルーナだとわかった。
「透。今日で謹慎は終わり」
返事はしなかった。なんと言えばいいのかわからくて、本当に言葉を忘れてしまったのかもしれないと思った。
「ったく、部屋こんなにぐちゃぐちゃにしやがってー」
ルーナが一か月前の状態など到底想像もできないぐらいに荒れた部屋を見て苦笑いをした。
「護衛の任務の前にさ、終わったら勝負しようかっつったじゃん。まだ、やる気ある?」
そう言いながらルーナが手にした物を見て心が高鳴った。
細い刀身が私を誘うかのようにきらりと光を反射して見せた。
思わず手を伸ばしそうになったのを、ルーナが自分の背の後ろに刀を隠したことによって妨げられてしまった。
「やる気あんの、って聞いてるんだけど」
「ある」
即答だった。
ここで口籠って悩む理由などどこにもないように思えた。
「そっか」
ルーナが数歩前に出て、刀を私に差し出した。
「オマエの刀、試しに振らせてもらったけどなかなかいいヤツだな! オレも欲しくなったわ」
力強く柄を握ると、今まで乾ききっていた身体が急に潤っていくのを感じた。
足の先から頭のてっぺんまで突き抜けていくような高ぶる気持ちを抑えられなくて、鳥肌が立った。
「じゃあ、行くか!」
ルーナに小走りで着いて行った。
右手に掛る重みが愛おしくて、涙しそうになりながらも、辿り着いた場所は中庭だった。
ルーナと対峙する。
美しい紅の刀身の刀を抜いて、構えたルーナに睨みをきかされてたぎり立つものがあった。
「行くぞ」
向かってくるルーナを迎え撃つ。
今回の勝負は本当に自分の実力だけで戦おうと思っていた。
レガーロを使ってルーナに勝ったとしてもなんとなく腑に落ちないだろうし、何しろあの力は、怖い。
金属音が曇天の空を突きぬけて響いた。
鋭い一撃に右腕が軽く痺れる。
冷やりとした汗が頬を伝い落ちていく。
この戦い独特の緊張感に包まれて思わず恍惚としてしまいながらも、隙を生まないように神経を集中させた。
足払いにわざと引っ掛かり、身体を空中に放るとそのまま頭のほうから一回転した勢いに任せてルーナに刀を向けながら急降下した。
さすが、ルーナだ。
咄嗟にとった防御に弾かれて、おとなしく地に足を下ろすことを余儀なくされた。
血がふつふつと煮えたぎっている。
走り出す。
刀と刀が激しくぶつかりあう音。
ああ、なんて気持ちいいんだろう!
防御の体勢をとったルーナにDEATHBREAKERをただただ叩きつけた。
戦略なんて一切無いながら。
所詮力任せの攻撃と言うものは、タイミングを掴むことさえできれば簡単に崩せると言うもので。
剛力の戦士より、策士のほうが恐ろしいというのはそれ故のことだろう。
私の攻撃もそれらの例に反することなく容易く打ち破られ、左の肩口が裂けた。
私の身体から触れた血が、ルーナの鮮やかな黄金色の髪を赤く染めた。
その姿が、きれいすぎて見とれてしまったのかもしれない。
再度飛んでくるルーナの攻撃に反応しきれずにいた。
一瞬遅れての、しかも力の籠っていない構えでは身を防ぐことはおろか、墓穴を掘るはめになってしまった。
刀を叩き落とされて、ようやくヤバいと思った。
右手が痺れて身体を庇うことさえままならない。
頭の中でしきりに声のような音が聞こえた。
ちからをかしてやろうか。
何度も何度も。
だから、今日は使わないんだってば。
そう思った途端、脇腹を熱が突きぬけていった。
足がぐにゃぐにゃの役立たずになり果てて、身体は重力に従って地に落ちた。
鉛色の空が、より重く見えた。
は、はっ、はあ、と無様な呼吸を繰り返す私の瞳をルーナの澄んだ金色の目が覗き込んだ。
ルーナ、どうしたの。
「もっと考えて戦えよ……」
どうして、そんな顔をしているの。
「いつでも捨て身で、そんなんじゃオマエいつか殺されるっての」
どうして、そんな哀しい顔をしているの。
「オマエみたいな生きる目的も無く……」
どうして、そんな憐れむような顔をしているの。
「自分の命を軽く見ているようなヤツに負けるほどオレは弱くねえよ」
だってさ、私。どう思う?
わかんないや、もう。
目が乾いてヒリヒリする。
その癖、視界が歪んでこめかみを熱い雫が濡らした。
この気持ちを、ひとはなんと呼ぶのだろう。
暗く染まった世界の中、問いかけても答えを与えてくれる人なんていなかった。
I cannot find the name of this feeling.
この気持ちに似合う名を見つけられずにいる。




