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九転還魂草

(白馬)・・・翠葉がこの薬屋の病床に運ばれてきてから、今日で八日目だ。毎日片時も離れずに観察し続けているが、一向に咳も吐血も収まる気配がない。意識はずっと朦朧としたままで、呼びかけにも、痛みへの反応すら薄い。彼女はただ、荒い呼吸で苦しそうに喉をぜぇぜぇと鳴らしている。高熱だけは、寝ずに新しく調合し直した薬を何種類も試して、ようやく下げることができた。だが、それだけだ。肝心の病原には何ひとつ届いていない。昨夜も一晩中、薬屋の古い本棚の奥から埃まみれの書物を引っ張り出し、片っ端から漁りまくった。似たような症例はないか、過去に同じような患者はいなかったか、ページをめくり続けた。『感染症で高熱と吐血、咳を引き起こした』という約160年前の過去の患者の記録は見つけた。だが、翠葉の症状とは決定的に違う。周囲に感染している様子はないし、その症例の患者にはまだ意識があった。

 翠葉は・・・もう意識すら危うい。思いつく限りの処方を試し、顔見知りの薬師たちの元へ何度も走り、使者を使って山奥まで新しい薬草を採取に行かせた。だが、どれだけ調合を変えて試しても、何ひとつ効果が出ない。

 なんなんだ、何が足りてないんだ...!翠葉の身体には、この他の僕が知らない何が潜んでるいるんだ?

 古代から伝わる、今まで沢山の重体の患者を治してきた名薬も、歴史ある古典に書かれた最高峰の秘薬だって、惜しみなく使った。歴史に名を残す名医たちが『これさえあればどんな重病も完治する』と称えたような、とてつもない薬たちだ。なのに…なぜ効かない。

そして、翠葉がこんな重体になった原因すらまだ掴めていない。美並に『発熱する前に何か特別なことはなかったか』と問い詰めたが、二人で山に薪拾いに行っただけだという。その後は互いの家に帰った。それなら食中毒か? 翠葉が夕食に何か得体の知れない毒物でも口にしたんじゃないか、そう思って美並に確かめた。『翠葉のお母さんはね、あの子が熱を出す前日の夜、翠葉がその日採ってきた新鮮な野菜で汁物を作っえ食べたって言ってたよ。お父さんもお母さんも家族みんな、全く同じものを食べて、二人とも何ともなかった。体調を崩したのは翠葉だけだから、夕食に変なものを食べたわけじゃないと思うよ。それに翠葉は薬草や野菜の知識にかけては人一倍長けているから、毒性のある野草なんて、絶対に見間違えるはずがない』

 美並の言う通りなら、誤食による食当たりの可能性も消える。


 僕は一冊の古いぼろぼろの薬草書を手にとる。

 人里離れた地に暮らす老医者がいて、口を開けば戯言はかりだし、正直全く信用はしていないんだけど、彼が所蔵している年代物の薬草書に、何か特別な知識が眠っているんじゃないかと思って、以前から計画的に親交を深めていた。側近である銘封たちに頼んで、その老医者の手元から持ってこさせた。言うことは胡散臭くても、この書物の価値だけは本物だ。彼の家系は、かつて300年近く続いた薬種商の名家。その蔵の奥に眠っていた、およそ300年前の古文書。表紙に記された題名は『睡蓮の花と終焉(しゅうえん)の始まり』。睡蓮の花と、終焉の始まり?睡蓮の花ってどういう意味?確か花言葉は・・・白色が純粋とか潔白、青色、紫色が信頼だったような。母上がおっしゃってた。僕が小さい頃に。花言葉と何か関係があるのかな。終焉の、始まりって意味が矛盾してるよね。うーん、本当にまともな医学書の名とは思えないなぁ。まるで呪いのような題名。まあ、どんな訳の分からない題名の書物でも、読んで試してみる価値はある。翠葉の得体の知れない症状を打ち破る手がかりがあるかもしれない」

 古い薬草書を読む。

「九転還魂草(きゅうてんかんこんそう)。瀕死状態でも、その魂を強引に引き戻すとされる伝説の薬草。『九転』は極限まで精製・練り上げられた奇跡を意味する。どんな重病であろうと、この薬草を特定の調合で薬とし、満月の夜、月光が差し込む場所で患者に一口含ませれば、翌朝には嘘のように病が消え去る。

その劇的な効果ゆえに薬草は極めて希少であり、厳重に管理された王家の薬園でしか栽培が許されていない。非常に栽培が難しく、国内にもただ一つ存在するのみである。そのため、使用は王族が原因不明の重病や治癒不能な瀕死の重態に陥った際、最後の手段のみ認められている。また、調合の過程で生じる一粒の『金色の種』を再び植えることで、代々その存在を繋いできた。約300年という歴史のなかで、この『九転還魂草』によって調合された薬を実際に口にした者は、一人しかいない」


 

 ・効果:満月の夜、月光をてた状態で調合薬を一口服用させる。いかなる重病・瀕死状態であっても、一晩で完治するとされる。

 ・管理体制:王家専用の薬園にて一株のみ厳重に栽培。使用権限は瀕死の王族のみに限定。

 ・継承方法:薬を調合した際に出現する「金色の種」を即座に植え替える。

 ・使用実績:300年間で実際の服用例は一度のみ


「権限があるのは王族のみ、か」


 白馬が色々と考えを巡らせていると、突然扉がノックされ、実歌の声が聞こえた。

「あの、白馬様。忙しいのにごめんね。美並がどうしても今白馬様と話したいと言って聞かないの・・・」

 白馬がちょっとまって、と応えかけた時に扉が横に滑って開く。そして美並が入ってくる。

「ねえ!白馬!翠葉の様子は?昨日から何か変わったことはない?少しよくなった?」

 ・・・実歌には礼儀作法として扉のノックを教え、僕が返事するまでは開けないようにって教えたんだけど、美並は知らないみたい。

 白馬は薬草書を閉じて、振り返った。


「美並、翠葉の様子は変わらないよ。熱を下げることには成功したが、熱があることには変わりはないし、意識も朦朧としたまま。昨日と変わらない。何種類も薬草を調合し試したがどれも効果はない」

「そんな・・・でも!まだ諦めるとこじゃないよね?白馬。まだ試してない方法もあるんでしょ?まだ使ってない薬草だってあるんでしょ?片っ端から試そうよ、私もやる。私は諦めないよ」

 白馬は黙った。

「なんで黙るの?」

 ・・・美並に九転還魂草のことを話しても無駄だ。この薬草は王族にしか使用権限がない。

「白馬、もしかして諦めた?」

「白馬様、何か困りごとでもあるの?」

 勘のいい実歌が心配そうに白馬を見る。

「・・・美並、まだ試してない方法も、使用してない約束もあるよ」

 やっぱり!と美並は笑顔になる。白馬は心が痛い。

「ただそれはとても庶民の手には届かないものだ。僕は薬草書を読んだ。そこにあった一つの薬草について話すよ。ただ話しても君を失望させる情報なだけだと思う」

「構わない。教えて」

 白馬は美並に九転還魂草の情報を全て教えた。その凄まじい効果の裏にある、使用権限は王族のみしかないということも。

「教えてくれてありがとう、白馬」

 驚いたことに美並はがっかりしなかった。むしろ瞳がやる気に輝いている。

「美並、直接王族に会いに行って、九転還魂草をもらおうとか考えてないよね」

 嫌な予感がする。

「もちろん考えてるよ!それしかないじゃん!翠葉を救えるものがあるなら、それがたとえ王族しか使えないものでも、頼み込んで、翠葉を助ける。王族だって、瀕死の翠葉を見捨てるような悪い人たちじゃないよ」

 白馬は美並の世間知らずさに呆然とした。実歌は不安そうに美並と自分をを見る。

「美並、君は世間知らずだ。美並は王族という存在を理解していない。彼らは神にも等しい雲上の存在であり、僕たち庶民とは血も、生き方も、考え方も、背負うものも全てが違うんだ。美並のような山の異民族が『瀕死の翠葉の命を救うために薬草をくれ』と頼み込んだところで、待っているのは慈悲ではなく斬首の未来だけだ。そもそも使用権限は王族のみ。翠葉にその資格はない。命が惜しいなら身の程を知るんだ、美並。世の中には、庶民がどれほど願おうと絶対に超えられない一線がある。どう願ってもそれは不可能なんだよ、美並。庶民にできることとできないことは決まっている。こんな話をした僕が悪かったね、わかってはいたけど、美並を失望させただけだった・・・ごめん」

「白馬は勘違いしてる」

「勘違い・・・?」

 美並の目には激しい怒りが見える。青金石のような美しい瞳が憤る。

「あのさ、翠葉は私の家族なんだよ。大切な姉で親友なんだよ、生まれた時から翠葉は私の側にいてくれたんだよ。翠葉が笑うと私も笑う、悲しい時は一緒に悲しむ。翠葉と私で、一心同体なんだ。翠葉が欠けたら私も欠ける。翠葉が生きるなら、私も生きる。少なくとも私はそう信じてる。そんな私が翠葉を救うために命を惜しむと思った?勘違いだ。私は翠葉を救うためなら、王族だろうと、絶対に怯まない。王族に堂々と平伏して、懇願して、世間知らずの間抜けで恥知らずの無礼極まりない異民族になってやる!そして私の首を差し出し、その引き換えとして翠葉の命を救ってもらう。私にはその覚悟がある。翠葉を救えるなら、私はなんでもする。いいか白馬、おまえは勘違いをしている。私の旅の目的は翠葉の病気を治すこと、命を救うことにある。それを成し遂げるために、私は何でもやる」

「だめっ!美並!自分の命を大切にして!」

 実歌が初めて大声を出す。

 ・・・知りたい。美並のこの翠葉を異様なまでに想う気持ち、命を捨ててまで救いたいという気持ちはどこからきている。その根源はどこにあるのだろう。そして、そこまでして美並を熱くさせる翠葉という重病の女の子はどのような子なのだろう。誰かのために命を捨てるなんて、簡単に言えることではない。

「いいよ、美並。翠葉の命への君の熱い気持ちはわかった。明日の夕刻、王家の嫡男にして現大王『知鳳(チホウ)様』の王弟、そして隣国との国境を守るべく戦地へ赴いている『知千(チセン)様』が、戦地から幾久しく帰還される。知千様はずば抜けた剣術を誇る若き剣豪である。わずか十三歳という若さで数多の戦場を駆け抜け、その圧倒的な強さと冷徹さで、沢山の戦功を立ててこられた。敵の猛将らを次々と討ち取り、その優れた武勇は兵士たちの間に広まり、誰もが感服する圧倒的な存在として称えられている。この国が守られているのは、知千様のおかげだ。美並、そんな知千様が明日の夕刻、戦地から帰還されるのだから、九転還魂草が必要と懇願したらいい。ただし忠告する。知千様は無表情で口数が少なく、王族と庶民のことは明確に区別する人だ。王族としての正しく、適切な判断基準を持っている。美並が世間知らずで身の程知らずな行動をして、知千様が許容なさるかは、さぁわからない。全て美並次第だ。あと、これは僕との約束だ。僕は君の命は助けないよ。君は翠葉の命を救ってもらうために自分の首を差し出す覚悟があるとさっき言った。その覚悟があるなら、僕がわざわざ君の命の面倒を見ることはない。それに、美並はかなりの手練の剣士らしいしね」

 白馬はにっこりとする。美並は自分が剣の腕に優れ、流翻族でも一、二を争うほどの才能を持つ剣士である。

「白馬...!私は自分の命を守るために剣を抜くことはしない。翠葉の命を救うために剣を抜く。私は白馬たちを巻き込まない。約束だ」

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