過去還り 一日目
日出前。美並、知千は馬を走らせていた。
「どこまで行くの!知千!」
「この草原を突っ切ったところに山がある!その山の中腹に超幻族の村があるんだ。そこに烏蕗たちもいる!」
監視や護衛、そして側近たちの厳しい目を掻い潜り、城を抜け出してきた知千が声を張り上げた。日が昇る前に村へ到着しなければならない。こんな場所で王である自分が見つかるわけにはいかないのだ。それに、過去還りをした後は、その日の朝の「始まり」へと戻りたい。二人は夜の暗闇を切り裂くように、ただひたすらに馬を走らせている。
「この馬っていう生き物いいね!!脚が速い!これならすぐたどり着ける!」
夜風を全身に受けながら、美並は馬の首元へ深く体を倒し込んだ。前かがみの姿勢で風圧を逃がし、飛ぶような凄まじい速度で草原を駆け抜けていく。
「ここだ」
二人は山を駆け上り、村に着いた。そこには烏蕗と、老人術者三人が待っている。三人はすぐに術者に連れられて、天幕の中に入れられた。交渉はもう済んでいる。
儀式には現実と夢を繋ぐための特殊な触媒、例えば高価な香木や精霊石が必要だと称し、一族は大金を要求する。実際はほとんどが一族の懐に入り、利益にされている。烏蕗が手配を済ませてくれた。
「これから夢を経由する『過去還り』を行う。術者の我々が君たちを『生死の境目のような深い眠り(夢状態)』に落とす。夢の中で『過去の時間の層』まで潜っていき、自分たちがいなかった時代でも、透明人間としてその時代を体験できる。他から君たちの存在がバレることはない。『夢状態』で過去を巡ることができるんだ。過去還りをして、知りたいことを知って現在に戻りたいとなったら、この薬をそれぞれ一瓶ずつ渡すから同時に飲みなさい。そうすれば、旅立ったその日の朝へと戻れる。過去還りを実行している間、その体験自体は『現実の出来事』としては扱われない。過去で何をしようとも、現在進行形の現実に直接的な支障や影響が及ぶことはない。どれほど過去の世界で長い時間を過ごしたとしても、関係ないんだ」
差し出された怪しい小瓶を見つめる美並たちに、術者は言葉を重ねる。
「君たちは、約百年前の流翻族と登起族の戦争の最中に行きたいと、この少年に伺った」
チラリと烏蕗を見た。
「……いいだろう、では我々がその過去まで落とし込んでやろう。あっ、それから注意することとして・・・・・・まあ、これは過去還りをする代償だが・・・・・・過去還りしている間は、各自が自分の恐怖と向き合わなければならない。それだけは覚えておくように」
「わかった」
「では、過去還りのために『血の誓約』をしよう。我々術者たちの前にて、全員自分の指先を切り、自身の血を中央の壺に注げ」
美並と知千は自分の剣の刃を使い、十本の指先を傷つけると、中央に置かれた壺へと血を滴らせた。指先を裂く痛みが走るものの、二人は眉ひとつ動かさず耐えてみせる。剣を持たない烏蕗のために、知千がその両手をそっと取り、代わりに指先を切って血を壺へ注ぎ込んだ。
こうして、過去還りを果たすための血の契約が完了した。
三人は横たえられ、それぞれに一人の術者がつく。目元を布で覆われ、その上から冷たい手を当てられると、術者たちは解読不能な呪文のような、長く奇妙な言葉を低く唱え始めた。まもなく、強烈な眠気が三人を襲う。
まるで生死の境目を漂うかのような、深く暗い眠りへと落ちていく。こうして彼らは夢の領域を通り、百年の時を遡る過去の時間の層へと潜り込んでいった。
美並が目を開けると、そこには見慣れない景色が広がっていた。土煙が舞っている。遠くから、激しく武器や剣がぶつかり合う音が聞こえる。人々は皆、疲れ切った顔をしていた。
(……ここ、どこ?)
美並が呟く。
知千は周囲を見渡し、落ち着いた声で言った。
(戦場の近くだ)
(戦場?)
(ああ。おそらく、俺たちが戻ったのは、流翻族と登起族の戦争が始まって四年目頃だ。多くの犠牲者が出て、誰も戦いを終わらせられない頃だ)
烏蕗は少し離れたところに立っている。
相変わらず、何を考えているのか分からない顔だった。
美並の足元に生首が転がってくる。ギョッとして後退りした。人間が、殺されている。人間同士が、殺し合っている。美並は息を呑んだ。
三人は町へ入った。
そこで耳にしたのは、奇妙な話だった。
「また今日も停戦か……」
「四年も戦ってるのに、全然終わらないなれ
「流翻族が勢力を広げたから始まった戦争だって聞いたが……」
「それだけじゃないらしいぞ
男たちは声を潜めた。
「登起族が持つ、あの力のせいだ」
美並の足が止まる。知千も同時に振り返った。
「……あの力?」
「声を落とせ」
男は周囲を確認した。
「登起族には、世界そのものを終わらせる力があるっていう話だ」
「世界を……?」
「流翻族は、それを恐れている。だから登起族を排除しようとしているんだ」
(でも、それじゃあ、歴史書に書かれていたことと違う……)
美並が小さく呟く。知千は答えなかった。
夕方、三人は、偶然にも流翻族の王宮へ向かう人々の会話を聞くことになった。
「明日、悠凪姫がいらっしゃる」
「本当に嫁ぐのか……」
「そうしなければ、和平は成立しない」
「姫が流翻族へ嫁ぐことで、両族の争いを終わらせる。それが今回の和平条件だ」
美並は息を呑んだ。
悠凪姫
三人は、登起族の王宮内の一つの部屋に入った。
一人の皇女がいた。
「……私は、流翻族に嫁ぎます」
悠凪姫だった。
背中まで届く長い髪は、緩やかにウェーブを描き、深く艶やかな真紅の色を湛えている。透き通るような白い肌の小顔には、シャープで美しい輪郭と、生まれつきキリリと上がった凛とした眉が映え、彼女の強い意志と気品を物語っていた。そして何より見る者を惹きつけるのは、その瞳だ。白い長い睫毛の隙間から覗く水色の瞳は、まるでどこまでも澄み渡る静かな海そのもの。華奢でスラリと伸びた手足、抜群のスタイルも相まって、幻想的な圧倒的な美しさを全身から醸し出している。
向かいには、彼女の側近がいる。
「姫。何をおっしゃっているのですか?」
「流翻族へ嫁げば、和平を結ぶことができます」
悠凪姫はしっかりと落ち着いて言い切った。彼女の芯の強さと信念に従う強さが表れていた。
「しかし滅びの儀式はどうするのですか?」
「私は、登起族の皆に、滅びの儀式を行うことを迫られています。でも、私は知っています」
側近が顔を上げる。
「登起族の中にも、世界を滅ぼすことに反対している人がいることを。今生きている人たちを犠牲にして、それで新しい世界を作る。それが本当に正しいのでしょうか」
美並は息を止めた。悠凪姫は続ける。
「私は、どちらかを滅ぼしたくありません」
「では、どうなさるおつもりですか」
「一緒に生きるのです。どちらかを滅ぼすのではなく、共に生きるのです。私は、流翻族に嫁ぐことで、流翻族の嫁となります。我が大王様には、嫁ぐことで、流翻族の大王『高来』に接近でき、滅びの儀式がしやすくなると言って説得しました。了承してもらいました」
少しの沈黙。側近が机の上に置かれた首飾りを見た。
「しかし、その首飾りは……」
「ええ」
悠凪姫は首飾りを手に取る。それは、翠葉が身につけているものと全く同じだった。美並が思わず自分の首元に触れる。
「元々これは、登起族に伝わる紋様を刻んだ首飾りです」
悠凪姫は続けた。
「ですが、私は流翻族へ嫁ぎます」
「そのために?」
「ええ。私が流翻族の一員となった証として、見た目だけを変えました」
彼女が指先で首飾りに触れる。
「術によって、外から見た姿だけを流翻族の首飾りと同じにしたのです。中身まで変わったわけではありませんれ
知千が小さく呟いた。
(だから翠葉の首飾りと同じなのか)
悠凪姫は知らない。百年後、自分の首飾りが別の少女、自分の子孫の首に掛かることを。




