第66話 悪役令嬢、五度目の月曜日を迎える
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月曜日の朝、レオノーラは、いつもより少しだけ早く目を覚ました。
窓の外には、薄く澄んだ空があった。
(――五度目の月曜日ですのね)
(一本の木が三本、重なって、年輪の一つ目が閉じましたのね)
(今日から――二つ目の年輪が、始まりますのよ)
名前のない日曜日を一つ挟んで、また、月曜日が来た。
(「また月曜日」ではなく、「また、ここに来た」ですのね)
(以前は、月曜日は、始まりの日というだけでしたのに。今は、迎える日、という気がしますのよ)
冊子の最初のページに、軽く手を置いた。
(――今日も、ちゃんと、書きますのね)
――――――
朝の茶と一緒に、オットーが文官からの報告書を運んできた。
「――お嬢様。王都の医療行政部署より、正式な通知が届いております」
「視察の、件ですのね」
「はい。来週の水曜日、午前。担当の方がお見えになるとのことです。診療所と、南区の記録の写しを、ご覧になりたいと」
レオノーラは、通知を受け取った。黒いインクで丁寧に書かれた、几帳面な文字だった。
(――「来週の水曜日」)
(二十一枚の記録が、王都の机の上に載る日が、日付を持ちましたのね)
不思議と、胸が騒がなかった。
(――緊張は、していますのよ)
(でも、「見られる」ことが、怖くありませんのね)
(見られても、変わらないものを、積み重ねてきたからですのね)
「――オットー。準備は、特別なことをしませんわ。いつもの記録を、いつもの通り、お見せしますのよ」
「かしこまりました」
老執事は、深く、一礼した。
(――「いつもの通り」を、お見せできる。それが、何より強いことですよ、お嬢様)
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午前、診療所へ向かった。
受付の机の上に、記録の束があった。診療所の先生が、新しい一枚を差し出した。
「――昨日の分ですが。北区の先生から、東区の先生へ、また一件、紹介状が回ったそうです。こちらからは、何も頼んでおりません」
「ええ」
「それから、視察の件、お聞き及びですね。……正直に申し上げますと、少し、落ち着きません」
「わたくしもですのよ」レオノーラは言った。「でも、落ち着かないまま、いつもの通りに、記録を書いて、置いておく。それが、一番、嘘のない見せ方ですのね」
先生は、少しだけ、笑った。
二十二枚目の記録に、日付と、受け取った紹介状の件数が、書き加えられた。
(――型が、渡した先同士で、歩き続けていますのね)
(視察の知らせより先に――もう、歩いていましたのよ)
――――――
昼前、周縁部へ向かった。
名前のない金色の八重の花は、まだ、そこにあった。
開いてから、三日が経つ。外側の花弁の縁が、ほんの少しだけ、白く透けていた。
(――咲いて、変わっていきますのね)
(咲くことが、終わりではなく、始まりでしたのよ)
しゃがんで、顔を近づけた。香りは、淡く、甘く、どこか、薄荷のような涼しさがあった。
(――香りは、まだ、書いていませんでしたわ)
懐から紙を取り出して、一行、書き加えた。
「――香り、淡く、甘い。薄荷に似た涼しさ」
花の名は、書かなかった。
(「名前は、まだ、つけない」)
(この花は、わたくしが名前を決めるより先に、もう、ここにありますのよ)
風が吹いて、花弁が、わずかに揺れた。
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昼食の時間、マリアがトレイを持って現れた。
「お嬢様。五度目の月曜日、ですよね」
「ええ。覚えていてくれましたのね」
「だって、毎回、書斎の暦に、小さく印をつけてるじゃないですか。見えちゃうんですよ」
マリアは、トレイを置きながら、少し、笑った。
「そういえば、うちの実家、月曜の朝は、みんな、遅く起きてくるんです。日曜が休みだから、体がまだ休みのまま、動かなくて。でも、母さんだけは、毎週、誰より早く起きて、人数分の朝ごはんを並べて、待ってるんですよ。『どうせ、みんな、来るから』って」
「待っている、ですのね」
「はい。待ってるっていうか……来るって、決めつけてるだけなんですけど。でも、食卓に座ると、なんか、ちゃんと、待たれてたんだな、って思うんです。遅れても、怒られないし。ただ、湯気が、ちょっと弱くなってるだけで」
(――「待たれている」)
(今朝、わたくしが、冊子の最初のページに手を置いたとき――あの、迎える感覚は、これでしたのね)
(月曜日が、わたくしを、待っていた)
(わたくしが、迎えに行ったのではなく――迎えられた、のですのね)
「――マリア」レオノーラは言った。「今日の空は、『待たれている青』ですのよ」
マリアは、目を丸くした。
「え、今ので、ですか」
「今ので、ですのよ」
「やった。三度目、じゃなくて――もう、何度目か分からないですけど」
「光の名前は、これで、三十二種類ですのね」
「……そんなに」マリアは、頬を押さえた。「実家の母さんに、言いたいです。お嬢様の冊子に、朝ごはんが載ったって」
レオノーラは、声を出さずに笑った。
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午後、書斎で、書類を整えていると、オットーが入ってきた。
「――お嬢様。視察の担当の方から、事前の資料請求が届きました」
渡された紙には、記録の様式と、提出してほしい部数が、箇条書きで並んでいた。無駄のない、簡潔な文面だった。
「――どのような方でしょうか」オットーが、静かに尋ねた。
「わかりませんのよ」レオノーラは言った。「お名前も、お顔も、まだ。ただ――文面から、丁寧で、必要なことしか書かない方だとは、わかりますのね」
「左様でございますね」
「そういう方は、嘘を見抜くのが、お上手ですのよ」
「では、いつもの通りで、よろしゅうございますね」
「ええ」レオノーラは、紙を卓に置いた。「いつもの通りが、一番、見抜かれにくくて、一番、見抜かれても困らないものですのね」
老執事の口元が、わずかに、緩んだ。
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夕方、温室へ戻った。
二つの芽が、変わらず、そこにあった。
エーデルローゼの芽は、葉が四枚になっていた。
(――増えましたのね)
しゃがんで、定規を当てた。
「――高さ、約四十二ミリ。葉、四枚」
子爵の庭の薔薇は、咲いていた花が、一つ、静かに散り始めていた。足元の土に、淡い花弁が一枚、落ちていた。
(――咲いて、散ることも、記録ですのね)
懐から紙を取り出した。三十六枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約四十二ミリ。葉、四枚。子爵の庭の薔薇。花、散り始める。今日の光、『待たれている青』」
書き終えて、ぱらぱらと、三十六枚の紙をめくった。
(――数字だけが、増えていきますのね)
(でも、一枚一枚に、あの日の空が、挟まっていますのよ)
紙を折って、懐にしまった。
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夜、オットーが書斎に来た。
「――お嬢様。本日も、一日、お疲れ様でございました」
「ええ。……オットー。視察の件ですけれど」
「はい」
「もし、見られて、足りないと言われたら――それは、足りないのではなく、これから足していく、ということですのね」
老執事は、少しだけ、間を置いた。
「――三十年前のお嬢様なら、『足りない』という言葉そのものを、お許しにならなかったと存じます」
「そうでしたかしら」
「はい。今のお嬢様は、足りないことを、これから足せるものとして、受け止めておられます」
レオノーラは、少し、黙った。
(――そうですのね)
(足りないことが、怖くなくなったのですのね)
「――ありがとう、オットー。書簡を、書きますわ」
「かしこまりました」
老執事は、深く、一礼して、下がった。
机に向かい、筆を取った。
「今日は、五度目の月曜日でした。年輪の一つ目が閉じて、二つ目が始まる日でしたのよ。今朝、冊子の最初のページに手を置いたとき、迎えに行く気持ちではなく、迎えられている気持ちになりましたのね。マリアの実家の、朝ごはんの話を聞いて、その理由が分かりましたのよ。待たれている、ということは、遅れても、大丈夫、ということですのね。今日の空は、『待たれている青』と名付けましたのよ。王都の医療行政部署から、来週の水曜日に、視察が来るという知らせが届きました。緊張はしていますけれど、怖くはありませんのね。いつもの通りを、お見せするだけですのよ。咲いた花は、まだ、名前をつけておりません。香りが、淡く、薄荷のように涼しいことだけ、今日、記録しましたのね。あなたが、早く書いた書簡のこと、まだ、心に残っておりますのよ。――好意として」
書き終えて、封をした。
(――「迎えられている」)
(月曜日だけは、ずっと、迎えに行く日だと思っていましたのに)
(五度目にして、初めて、逆でしたのね)
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夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを開いた。
月曜日のページに、新しく、一行が加わっていた。
『気合いの入った青』『知っている青』『一緒にいる青』『重ねてきた青』――そして、『待たれている青』。
(――五つ、並びましたのね)
(どの月曜日も、同じ曜日なのに、同じ空では、ありませんでしたのよ)
最後のページに、年輪帳があった。一つ目の年輪の隣に、二つ目の始まりの印を、小さく、書き加えた。
(――色は、まだ、決めませんのね)
(でも――今日の青が、その中に、入る気がしますのよ)
診療所の書簡は、二十二枚になっていた。
冊子を、静かに閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。南の診療所も、西区も、北区も、東区も、それぞれの明かりの下で、渡された型を、静かに使っているはずだった。周縁部の名もなき花は、今夜も、名前を待たず、香っているはずだった。
帝国では、殿下が、あの「同じ時刻でなくても」の返信の、その次の便を、待っておられるだろうか。
(――「待つ」ことも、「待たれる」ことも)
(どちらも、同じ手のひらの上にありますのね)
(明日は、五度目の火曜日ですのよ)
(今度は――どんな青に、会えますかしら)
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(第66話 了)
**【次話予告】**
五度目の火曜日。視察の知らせを受け、診療所の記録に、新しい書き込みが加わる。マリアの口から、また、ひとつの言葉が生まれる――。




