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悪女は正しい  作者: Dちゃん
第四章「重なるものに、形が見える」

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第65話 悪役令嬢、二度目の名前のない日曜日を過ごす

――――――


 日曜日には、定例の文官報告がない。来客もない。オットーが、朝の業務一覧を差し出すこともない。


 「――お嬢様。本日は、何もございません」


 「ええ」レオノーラは言った。「わかっていますのよ」


 オットーは、少しだけ、目を細めた。


 「――何もない、と申し上げるのは、これで五度目でございますね」


 「――五度目、ですのね」レオノーラは、その言葉を、繰り返した。


 (――一度目は、戸惑いましたのね)


 (何もない日に、何をすればよいのか、わかりませんでしたのよ)


 (今は――違いますのね)


 「――オットー。今日も、診療所へも、周縁部へも、行きませんわ」


 「――かしこまりました」


 「――前回と、同じですのよ。何をするかは、まだ、決めていませんの。でも――今度は、決めていないことに、戸惑ってはいませんのね」


 老執事は、深く、一礼した。


 (――「決めていないことに、戸惑わない」)


 (一度目の名前のない日曜日から、また一つ、進まれましたね)


――――――


 昼前、レオノーラは、庭園へ向かった。


 行き着いた先は、いつかアドリアンと薔薇を植えた、あの一角だった。


 若木は、先週よりも、また少し、背が伸びていた。


 (――前回、ここで、名前をつけていない木ですのねと、気づきましたのね)


 (あれから、季節が、一つ巡りましたのよ)


 (今日は――違うことを、考えますのね)


 若木の隣に、しゃがんだ。


 (――この木にも、周縁部の名もなき花にも、名前はありませんのね)


 (でも――名前がないことと、そこにないことは、違いますのね)


 (この木は、確かに、そこにありますのよ。名前がなくても)


 風が、頬を撫でた。曜日の名前を持たない、ただの風だった。


 (――曜日の名前がなくても、この風は、確かに、ここにありますのね)


 (名前は、後からついてくるものかもしれませんのね)


 (――それとも、ずっと、つかないままかもしれませんのよ)


 (どちらでも、いいのですのね)


――――――


 昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。


 「――今日は、どんな空ですか」


 「――名前のない空ですのよ」レオノーラは言った。「でも――前回とは、少し違う気がしますのね」


 マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。


 「――どう違うんですか」


 「――前回は」レオノーラは言った。「名前をつけないことを、初めて選びましたのね。今日は――選ぶというより、もう、それが当たり前になっている気がしますのよ」


 マリアは、少しだけ、考えた。


 「……それって、うちの実家の裏の川、みたいな感じかもしれません。あの川、地図には名前が載ってないんです。でも、家族はみんな『裏の川』って呼んでて、それで、ちゃんと通じるんですよね。正式な名前がなくても、困ったことなんて、一度もなかったです」


 「「正式な名前がなくても、困らない」」レオノーラは言った。「――ええ。それですのね。名前は、確かにするための道具の一つに過ぎませんのよ。道具がなくても、確かなものは、確かなままですのね」


 マリアは、少しだけ、窓の外を見た。


 「……今日も、名前、つけないんですか?」


 「――ええ」レオノーラは言った。「今日は、つけませんのよ。でも――つけないことに、もう、迷いはありませんのね」


 マリアは、それを聞いて、少しだけ、にこりとした。


 「――二度目の『名前のない日』、なんだか、余裕がありますね」


――――――


 午後、温室に立ち寄った。


 二つの芽と、二輪の花が、そこにあった。


 植木鉢の前に、しゃがんだ。


 冊子は、今日は、持ってこなかった。


 (――前回も、そうでしたのね)


 (名前のない日は、記録もまた、少し違う形になりますのよ)


 (測らない。名付けない。ただ、見る)


 エーデルローゼの芽を、しばらく、見た。子爵の庭の薔薇の、二輪の花を、しばらく、見た。


 (――変わらず、そこにありますのね)


 (記録しなくても、確かに、そこにありますのよ)


 (記録は、確かさを作るものではなく――確かさに、後から寄り添うものなのかもしれませんのね)


――――――


 夕方、書斎で、オットーと向き合った。


 「――お嬢様。本日は、記録すべきことが、何もございません」


 「――ええ」レオノーラは言った。「それで、いいのですのよ」


 オットーは、少しだけ、間を置いた。


 「――前回の名前のない日曜日、お嬢様は『名前がなくても、根はそこにある』とおっしゃいました。今日は、いかがでしょうか」


 レオノーラは、その問いを、しばらく、考えた。


 「――今日は」レオノーラは言った。「『名前がなくても、困らない』、そちらの方が、近い気がしますのね。マリアの、裏の川の話ですのよ。地図に載らなくても、家族には、ちゃんと通じますのね」


 オットーは、深く、一礼した。


 (――「名前がなくても、困らない」)


 (一度目は、根の存在を、確かめられましたね)


 (二度目は――その確かさに、もう、不安を持たれませんね)


挿絵(By みてみん)


――――――


 夜、書簡は、書かなかった。


 (――前回も、そうでしたのね)


 (名前のない日には、書簡も、また、違う形を取りますのよ)


 (でも――書かないことも、一つの答えなのですのね)


 (今日、何があったかは、明日、月曜日の書簡に、まとめて記しますのよ)


――――――


 夜、寝室の文机の上に、冊子があった。


 レオノーラは、それを、手に取った。


 開かず、ただ、しばらく、表紙を、見た。


 (――今日は、何も書き加えませんのね)


 (二度目の、何もない一日ですのね)


 (でも――何も書かないことも、この冊子にとって、一つの記録の形かもしれませんのね)


 冊子を、文机の上に、そっと戻した。


 窓の外に、夜の王都があった。今夜も、穏やかだった。


 診療所は、今夜も、どこかで、静かに機能しているはずだった。周縁部の名もなき花は――今夜も、名前のないまま、静かに咲いているはずだった。若木は――今夜も、名前のないまま、少しずつ、育っているはずだった。


 (――名前のないものが、こんなにも、たくさん、ありますのね)


 (それでも、何も、困りませんのよ)


 (――むしろ、豊かなことなのかもしれませんのね)


 今日の日曜日を、思った。何もない、と五度目に言われた朝。名前のない若木のそばで過ごした昼前。マリアの「裏の川」の話を聞いた昼。記録せず、ただ見た午後。「困らない」という言葉に辿り着いた夕方。


 (――これが、今日の「あったこと」ですのね)


 (二度目の、何もない一日の、積み重ねですのね)


 (明日は――五度目の月曜日ですのね)


 (また、新しい年輪の、次の一枚が、始まりますのよ)


 (――それを、楽しみにしていますのね)


――――――


(第65話 了)


次話予告:五度目の月曜日、新しい年輪の中で、また一つ、光の名前が重なります。

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