第64話 悪役令嬢、四週目の土曜日を歩む
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土曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが朝の茶を運んできたとき、その盆の上に、書簡はなかった。
(――金曜日の夜に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれませんのね)
(でも――「まだ来ていない」ですのね)
窓の外を見た。今日の王都の空は、土曜日だった。
(――四週目の、土曜日ですのね)
(先週は「満ちている光」でしたのね)
(先々週は「戻ってきた光」でしたのね)
(その前は――「着いた光」でしたのね)
(月曜日は「重ねてきた青」、火曜日は「確かめなくなった青」、水曜日は「幹になった真ん中」、木曜日は「歩き出した絆」、金曜日は「開いた入り口」に、辿り着きましたのね)
(土曜日の四枚目は――どこに辿り着きますかしら)
窓の外の青を、しばらく、見た。
(――昨日、花が咲きましたのね)
(今日は、その花と、初めて迎える土曜日ですのよ)
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土曜日には、定例の文官報告がない。オットーも、朝の業務一覧を差し出すことはしない。
その代わりに、昼前、来客があった。
「――お嬢様。王都の医療行政部署の方が、お目にかかりたいと」
「――土曜日に、ですのね」
「はい。先日の視察の申し入れの件で、どうしても今日中にとのことで」
担当者は、応接間で、深く一礼した。
「――突然の訪問、申し訳ございません。先だっての申し入れの件、正式な視察は来週以降になりますが、その前に、記録の実物を、一度この目で拝見しておきたく参りました」
レオノーラは、冊子を、静かに、差し出した。
担当者は、それを、一枚一枚、丁寧にめくった。
「――『来た』『連れた』『教えた』から、今は『渡った型が渡った先で自分の形に育つ』まで……。一人の子どもの記録が、ここまで積み重なっていたとは」
「――ええ」レオノーラは言った。「急いで作ったものではありませんのよ。何もない日が続いても、そのまま記録し続けた先に、これがありましたのね」
担当者は、冊子を、そっと閉じた。
「――『何もない日も、記録する』。この姿勢自体が、王都全体に持ち帰るべきものかもしれません」
レオノーラは、その言葉を、しばらく、見た。
(――「何もない日も、記録する」ですのね)
(土曜日という、報告のない日にこそ、それを言われましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――「王都の医療行政担当者が、土曜日にもかかわらず記録を実見に訪れた」という事実を、二十一枚目のページに記録してください。何もない日にも、確かに、来るものはありますのね」
オットーは、静かに、それを書き留めた。
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昼前、レオノーラは、自分の足で、周縁部第一区へ向かった。
巡回ではない。ただ、見に行きたかった。
名もなき花は、昨日と同じ場所に、咲いていた。
しゃがんで、しばらく、それを見た。
(――昨日は、咲いた驚きでしたのね)
(今日は――ただ、そこにあることの、静けさですのね)
担当の庭師が、通りかかった。
「――お嬢様。今日は、お一人で」
「ええ。土曜日ですもの。今日は、わたくしの用事ですのよ」
庭師は、少し笑った。
「――花は、昨日と変わらず、綺麗に咲いております。萎れる気配は、まだございません」
「――そのままにしておいてくださいませ。急がず、そっとしておいてあげてくださいな」
庭師は、深く頷いた。
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昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、どんな空ですか」
「土曜日の空ですのね」レオノーラは言った。「でも――先週とも、先々週とも、少し違いますのよ。今日は、あの花と一緒に迎える、初めての土曜日ですのね」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。
「――お花と一緒の土曜日、ですか」
「ええ」レオノーラは言った。「着いて、戻って、満ちて――そして今日は、隣に、咲いたばかりの花が、寄り添っていますのよ」
マリアは、少しだけ、考えた。
「……それって、家族が増えた最初の週末、みたいな感じですかね。うちも、弟が生まれた次の土曜日、なんだか、いつもの休みなのに、いつもと違った気がしたんです。特別なことをしたわけじゃないのに、ただ、隣に、増えた誰かがいるだけで」
「「ただ、隣に、増えた誰かがいる」」レオノーラは言った。「――それですのね。今日の光に、名前をつけるなら――「寄り添う光」、それに、決めましたのね」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――「寄り添う光」、いい名前ですね。土曜日らしい、静かな名前だと思います」
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夕方近く、温室に戻った。
二つの芽と、二輪の花が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――先週より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。
子爵の庭の薔薇は――二輪の花が、まだ、そこにあった。萎れる気配は、まだ、なかった。
懐から紙を取り出した。三十五枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約四十四ミリ。葉、三枚。今日の光、寄り添う光」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、変わらず。花、二輪のまま、萎れる気配なし。今日も、寄り添う光」
書き終えて、三十五枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
(――三十一種類に、なりましたのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
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夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――診療所の記録に、二十一枚目のページが加わりました。王都の医療行政担当者が、土曜日にもかかわらず記録を実見に訪れたという記録でございますね」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――「何もない日も、記録する」という姿勢そのものが、評価されましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「二十一枚重なって――記録の中身だけでなく、記録し続ける姿勢そのものが、届きましたのよ」
オットーは、静かに、一礼した。
「――また、温室の三十五枚目には「寄り添う光」という記録が入っております。「着いた光」「戻ってきた光」「満ちている光」に続く、四枚目の土曜日の名前でございますね。光の名前は三十一種類になりました」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――土曜日の枝も――いいえ、根も、四枚目が重なりましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「「満ちている」の先には、「寄り添う」がありましたのね。根は、ただそこにあるだけでなく、隣に増えたものと、静かに寄り添うことも、できますのよ」
老執事は、深く、一礼した。
(――「隣に増えたものと、静かに寄り添う」)
(お嬢様が、また一つ、根というものの、深いところに触れられましたね)
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夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、四度目の土曜日でした。「着いた光」「戻ってきた光」「満ちている光」に続いて、今日の土曜日の光を「寄り添う光」と名付けましたのね。昨日咲いたばかりの花と、初めて迎える土曜日でしたのよ。ただそこにあることの静けさを、隣で、感じましたの。光の名前が三十一種類になりましたのよ。診療所の記録が二十一枚目になりました。王都の医療行政担当者が、土曜日にもかかわらず、記録を実見に訪れたのです。『何もない日も、記録する』という姿勢そのものが、届いたようですのよ。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
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夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
冊子の後ろの方――「年輪、一つ目」のページを、もう一度、見た。
(――色は、まだ、決めていませんのね)
(今日、土曜日にも、四枚目が重なりましたのね)
(花が咲いて、初めて迎える土曜日でしたのね)
(この年輪の色は――もしかしたら、あの花の色に、近いものになるのかもしれませんのね)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
王都全体へ広がろうとしている型と、周縁部で静かに咲く名もなき花は――今夜も、それぞれの場所で、確かに、そこにあるはずだった。
温室には――三十五枚の記録を持つ、二つの芽と、二輪の花があった。
今日の土曜日を、思った。王都の担当者が訪れた昼前。花のそばにしゃがんだ午前。「寄り添う光」という光の名前が生まれた昼。四枚目の根が重なった夕方。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(四週目の、六歩目ですのね)
(明日は、名前のない日曜日ですのね)
(そして――五度目の月曜日が、また、来ますのね)
(――それを、楽しみにしていますのね)
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(第六十四話 了)
次話予告:名前のない日曜日を経て、五度目の月曜日。新しい年輪の、次の一枚が始まります。




