第63話 悪役令嬢、四週目の金曜日を歩む
「悪女は正しい」をお読みいただき、ありがとうございます。第六十三話をお届けします。
金曜日、見えていた灯りの前に、ついに立つ日が来ました。
――――――
金曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが朝の業務一覧を持ってきたとき、その紙の上に、書簡はなかった。
(――木曜日の夜に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれませんのね)
(でも――「まだ来ていない」ですのね)
窓の外を見た。今日の王都の空は、金曜日だった。
(――四週目の、金曜日ですのね)
(先週は「灯る入り口」でしたのね)
(先々週は「知っている入り口」でしたのね)
(その前は――「週末の入り口」でしたのね)
(三枚、重なって、一本の枝になりましたのね。月・火・水・木と、昨日までに、四枚目が重なりましたのよ)
窓の外の青を、しばらく、見た。
(――「灯りが、見えている」の先に、何がありますかしら)
(見えているだけだった灯りが、今日は――もう、すぐそこにある気がしますのね)
――――――
金曜日は、定例の文官報告が二件あった。
オットーが、朝の業務一覧を差し出した。
「――今日の予定は、以上でございます」
「わかりましたわ」
一件目は、南区診療所の週次確認だった。
「担当医師からの所見:「王都の医療行政を統括する部署から、正式な視察の申し入れがございました。南区・西区・北区・東区、四つの診療所で共有されている記録の仕組みについて、市全体での導入を検討したいとのことです」」
レオノーラは、その言葉を、しばらく、見た。
(――「市全体での導入」、ですのね)
(一人の子どもの、「元気に歩いて来た」という記録から、始まりましたのね)
(それが今――王都全体の仕組みになろうと、していますのよ)
「――オットー」
「はい」
「――「王都の医療行政部署から、市全体への導入を検討する視察の申し入れがあった」という事実を、二十枚目のページに記録してください。一人の子どもから始まった物語が、今日、王都という単位にまで、届きましたのね」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
(――二十枚目のページが、加わりますね)
(一人の子どもの「来た」から始まった記録が、今日、王都全体の話になりましたよ)
二件目は、周縁部第一区の緑地化工事の週次報告だった。
「担当者からの所見:「名もなき新芽の蕾が、本日未明、すべての花弁を開きました。淡い金色の、八重咲きの花でございます。どちらの親にも似ておりません」」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――咲きましたのね)
(絡み合った根から生まれて、蕾になって、色がついて――今日、ようやく、花になりましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――今すぐ、その花を、見に参りますわ」
――――――
午後、周縁部の巡回に出た。
名もなき花を、自分の目で見に行った。
担当者が、案内した。
「――こちらでございます」
レオノーラは、しゃがんで、花を、しばらく、見た。
淡い金色の、幾重にも重なった花弁が、そこにあった。計画外の草花にも、隣の苗にも、似ていなかった。
(――綺麗、ですのね)
(どちらの親でもない、それ自身の花ですのね)
(――名前は、まだ、つけませんのよ)
(この花には、まだ、名前をつけない方がいい気がしますのね)
「――担当者」
「はい」
「――「本日、花が完全に開いた。淡い金色の八重咲き。どちらの親にも似ていない、独自の花」と記録してください。名前は――まだ、つけませんのよ」
担当者は、静かに、一礼した。
(――「名前は、まだ」)
(お嬢様は、咲いた花にすら、名前を急がれませんのね)
――――――
温室に戻ったのは、夕方近くだった。
二つの芽と、一輪の花――そして、今日から、もう一輪の花が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――先週より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。
子爵の庭の薔薇は――一輪の花が、まだ、そこにあった。萎れる気配は、まだ、なかった。
懐から紙を取り出した。三十四枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約四十三ミリ。葉、三枚。今日の光、開いた入り口」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、変わらず。花、一輪のまま、萎れる気配なし。今日も、開いた入り口」
書き終えて、三十四枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
(――三十種類に、なりましたのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
――――――
夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――診療所の記録に、二十枚目のページが加わりました。王都の医療行政部署から、市全体への導入を検討する視察の申し入れがあったという記録でございますね。加えて、周縁部の報告に、名もなき花が、本日、完全に開いたという事実も、記録されております」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――「王都全体へ広がろうとしていること」と、「名もなき花が、ついに満開になったこと」)
(どちらも――長く重ねてきたものが、今日、一つの形として、届きましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「二十枚重なって――型は、王都という大きな場所にまで、届こうとしていますのよ。そして、名もなき花は、今日、その姿を、初めて、完全に見せてくれましたのね」
オットーは、静かに、一礼した。
「――また、温室の三十四枚目には「開いた入り口」という記録が入っております。「週末の入り口」「知っている入り口」「灯る入り口」に続く、四枚目の金曜日の名前でございますね。光の名前は三十種類になりました」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――月から金まで、すべての枝に、四枚目が重なりましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「「灯りが見えている」の先には、「入り口が開く」がありましたのね。見えていた灯りの前に、今日、実際に立ちましたのよ」
老執事は、深く、一礼した。
(――「見えていた灯りの前に、実際に立った」)
(お嬢様が、また一つ、待つことの先にあるものに、触れられましたね)
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、四度目の金曜日でした。「週末の入り口」「知っている入り口」「灯る入り口」に続いて、今日の金曜日の光を「開いた入り口」と名付けましたのね。月から金まで、すべての枝に、四枚目が揃いましたのよ。光の名前が三十種類になりましたのよ。診療所の記録が二十枚目になりました。王都の医療行政部署から、市全体への導入を検討する視察の申し入れがあったのです。一人の子どもの記録から始まったものが、王都という単位にまで、届こうとしていますのね。そして――周縁部の名もなき新芽が、本日、ついに完全に花を開きました。淡い金色の、八重咲きの花です。どちらの親にも似ていない、それ自身の花ですのよ。名前は、まだ、つけておりませんの。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
冊子の後ろの方――「年輪、一つ目」のページを、もう一度、見た。
(――色は、まだ、決めていませんのね)
(今日、金曜日にも、四枚目が重なりましたのね)
(花が、咲きましたのね)
(この年輪の色も――あの金色に、近いものになるのかもしれませんのね)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
南・西・北・東、四つの診療所は、今夜も、静かに繋がっているはずだった。王都の、もっと大きな場所からも、今、その灯りが見え始めているはずだった。周縁部の名もなき花は――今夜も、月明かりの下で、静かに咲いているはずだった。
温室には――三十四枚の記録を持つ、二つの芽と、二輪の花があった。
今日の金曜日を、思った。王都全体への広がりを知った朝。花が咲いたことを知った昼前。自分の目で花を見た午後。「開いた入り口」という光の名前が生まれ、四枚目の枝が重なった夕方。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(四週目の、五歩目ですのね)
(明日は土曜日ですのね)
(「満ちている光」の先に、四枚目の土曜日は、どう重なりますかしら)
(――それを、楽しみにしていますのね)
――――――
(第六十三話 了)
次話予告:四週目の土曜日、根そのものである一日に、咲いたばかりの花が、静かに寄り添います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、大きな出来事が二つ重なりました。一つは、南区から始まった診療所の仕組みが、王都全体の医療行政という単位にまで届こうとしていること。もう一つは、絡み合った根から生まれた名もなき命が、本日ついに、淡い金色の八重咲きの花として、完全に開いたことです。診療所の記録は二十枚目に。
光の名前は「開いた入り口」で三十種類に。月から金まで、すべての曜日の枝に四枚目が揃いました。咲いたばかりの花に、レオノーラはまだ名前をつけていません。この花がいつ、どんな形で名前を持つのか——あるいは持たないままでいるのか、これからも見守っていただけると嬉しいです。
次回もどうぞお楽しみに。




