第62話 悪役令嬢、四週目の木曜日を歩む
「悪女は正しい」をお読みいただき、ありがとうございます。第六十二話をお届けします。
木曜日、繋がりの気配が、いつの間にか、確かな足取りに変わっています。
――――――
木曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが朝の業務一覧を持ってきたとき、その紙の上に、書簡はなかった。
(――水曜日の夜に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれませんのね)
(でも――「まだ来ていない」ですのね)
窓の外を見た。今日の王都の空は、木曜日だった。
(――四週目の、木曜日ですのね)
(先週は「繋がる気配」でしたのね)
(先々週は「重ねている絆」でしたのね)
(その前は――「気合いを見せる光」でしたのね)
(三枚、重なって、一本の枝になりましたのね。月・火・水と、昨日までに、四枚目が重なりましたのよ)
窓の外の青を、しばらく、見た。
(――「繋がる気配」の先に、何がありますかしら)
(気配だけだったものが、今は――もう、気配ではなくなっている気がしますのね)
――――――
木曜日は、定例の文官報告が二件あった。
オットーが、朝の業務一覧を差し出した。
「――今日の予定は、以上でございます」
「わかりましたわ」
一件目は、南区診療所の週次確認だった。
「担当医師からの所見:「北区の診療所が、独自の判断で、さらに東区の診療所へ、同じ仕組みを紹介したそうです。レオノーラ様にも、南区にも、北区にも、確認を取ることなく」」
レオノーラは、その言葉を、しばらく、見た。
(――「誰にも確認を取ることなく」ですのね)
(南区から西区、西区から北区、そして今、北区から東区へ)
(――わたくしの知らないところで、型が、型を、呼んでいますのね)
「――オットー」
「はい」
「――「誰の確認も取らず、北区が独自に東区へ紹介した」という事実を、十九枚目のページに記録してください。渡したものが、渡した先で、また渡す。それはもう、わたくし一人の物語ではありませんのよ」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
(――十九枚目のページが、加わりますね)
(お嬢様が蒔かれた種は、もう、お嬢様の手を離れて、育っていますよ)
二件目は、周縁部第一区の緑地化工事の週次報告だった。
「担当者からの所見:「名もなき新芽の蕾ですが、外側の一枚が、はっきりと開きました。中から、幾重にも重なった、金色の花弁が覗いております」」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――花弁、ですのね)
(蕾のままだったものが、今、初めて、花の形を、見せ始めましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――「外側の一枚が開き、幾重にも重なった金色の花弁が覗いた」という一行を、記録してください。全部が開くまで、あと少しかもしれませんのよ」
オットーは、深く、一礼した。
――――――
昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、どんな空ですか」
「――ええ」レオノーラは言った。「「繋がる気配」の先に、何があるのか、今日、少し、わかった気がしますのよ」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。
「――「繋がる気配」の先、ですか?」
「ええ」レオノーラは言った。「南区の型が、西区へ。西区から、北区へ。そして今日、北区が、わたくしに何も聞かずに、東区へ渡しましたのよ。もう、気配ではなく――確かに、繋がって、歩いていますのね」
マリアは、少しだけ、考えた。
「......それって、糸電話みたいですね。子どもの頃、庭で従兄弟と缶をつなげて遊んだんですけど、最初は私が作った一本だけだったのに、気づいたら、みんな勝手に自分の缶をつなげて、庭中に糸が伸びてたんです。最初の一本を作った私が、もう何がどこに繋がってるか、わからないくらいに」
「「わからないくらいに、繋がっていく」」レオノーラは言った。「――それですのね。今日のこの気持ちに、名前をつけるなら――「歩き出した絆」、それに、決めましたのね」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――「歩き出した絆」、いい名前だと思います。糸電話の糸も、そう考えると、なんだか誇らしいですね」
――――――
午後、周縁部の巡回に出た。
名もなき新芽の蕾を、自分の目で見に行った。
担当者が、案内した。
「――こちらでございます。外側の一枚が、確かに、開いております」
レオノーラは、しゃがんで、蕾を、しばらく、見た。
(――花弁、ですのね)
(幾重にも、重なっていますのね)
(――全部が開いたら、どんな花になりますかしら)
「――担当者」
「はい」
「――「外側の一枚が開き、花弁の重なりが見え始めた」と、記録してください。全部が開くその日まで、丁寧に、見守っていきましょう」
担当者は、静かに、一礼した。
――――――
温室に戻ったのは、夕方近くだった。
二つの芽と、一輪の花が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――先週より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。今日の光を受けて、自分の知らないところで、静かに歩いているような気がした。
子爵の庭の薔薇は――一輪の花が、まだ、そこにあった。萎れる気配は、まだ、なかった。
懐から紙を取り出した。三十三枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約四十二ミリ。葉、三枚。自分の知らないところで、静かに歩いているような気がする。今日の光、歩き出した絆」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、変わらず。花、一輪のまま、萎れる気配なし。今日も、歩き出した絆」
書き終えて、三十三枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
(――二十九種類に、なりましたのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
――――――
夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――診療所の記録に、十九枚目のページが加わりました。北区が、誰の確認も取らず、独自に東区へ型を紹介したという記録でございますね。加えて、周縁部の報告に、名もなき新芽の蕾の外側が開き、花弁の重なりが覗いたという事実も、記録されております」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――「わたくしの知らないところで、型が広がったこと」と、「蕾が、自分の形を見せ始めたこと」)
(どちらも――わたくしが手を離した先で、静かに、育っていますのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「十九枚重なって――型は、もう、わたくし一人のものではなく、歩き出した絆になりましたのよ。そして、名もなき命も、今日、初めて、自分の形を見せ始めましたのね」
オットーは、静かに、一礼した。
「――また、温室の三十三枚目には「歩き出した絆」という記録が入っております。「気合いを見せる光」「重ねている絆」「繋がる気配」に続く、四枚目の木曜日の名前でございますね。光の名前は二十九種類になりました」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――月・火・水・木、すべての枝に、四枚目が重なりましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「「繋がる」の先には、「歩き出す」がありましたのね。繋がったものは、いつか、繋いだ人の手を離れて、自分の足で歩いていくものなのかもしれませんのよ」
老執事は、深く、一礼した。
(――「繋いだ人の手を離れて、自分の足で歩く」)
(お嬢様が、また一つ、ご自身の仕事の意味を、深いところで捉え直されましたね)
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、四度目の木曜日でした。「気合いを見せる光」「重ねている絆」「繋がる気配」に続いて、今日の木曜日の光を「歩き出した絆」と名付けましたのね。南区から始まった型が、西区、北区、そして今日、東区へ。もう、わたくしの知らないところで、自分の足で歩いていますのよ。光の名前が二十九種類になりましたのよ。診療所の記録が十九枚目になりました。周縁部では、名もなき新芽の蕾の外側が、初めて開きました。幾重にも重なった金色の花弁が、覗き始めましたのね。全部が開くその日を、楽しみに待っています。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
冊子の後ろの方――「年輪、一つ目」のページを、もう一度、見た。
(――色は、まだ、決めていませんのね)
(今日、木曜日にも、四枚目が重なりましたのね)
(「歩き出す」という言葉が、今日、初めて出てきましたのね)
(この年輪も、いつか、わたくしの手を離れて、歩いていくのかもしれませんのね)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
南・西・北・東、四つの診療所が、今夜も、静かに繋がっているはずだった。周縁部の名もなき命は――今夜も、開きかけた花弁を抱いたまま、静かに続きを待っているはずだった。
温室には――三十三枚の記録を持つ、二つの芽と、一輪の花があった。
今日の木曜日を、思った。東区への広がりを知った朝。「歩き出した絆」という光の名前が生まれた昼。花弁の重なりを見た午後。四枚目の枝が重なった夕方。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(四週目の、四歩目ですのね)
(明日は金曜日ですのね)
(「灯る入り口」の先に、五枚目の金曜日は、どう重なりますかしら)
(――蕾が、全部開くのは、いつになりますかしら)
(――それを、楽しみにしていますのね)
――――――
(第六十二話 了)
次話予告:四週目の金曜日、月から金までの五本の枝が、また一つ、重なります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
診療所の型は、レオノーラの知らないところで、北区から東区へとまた一つ広がりました。渡したものが、渡した先で、また次を渡す——もう彼女一人の物語ではなくなっている、という実感が積み重なる回でした。診療所の記録は十九枚目に。周縁部の名もなき命の蕾も、外側の一枚が開き、幾重にも重なった金色の花弁がついに覗き始めています。
光の名前は「歩き出した絆」で二十九種類に。マリアの「糸電話」の思い出から、繋いだ人の手を離れて自分の足で歩いていくものがある、という気づきが生まれました。
次回もどうぞお楽しみに。




