第61話 悪役令嬢、四週目の水曜日を歩む
「悪女は正しい」をお読みいただき、ありがとうございます。第六十一話をお届けします。
水曜日、動かないものの先に、何を支えているのかが、静かに見えてきます。
――――――
水曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが朝の業務一覧を持ってきたとき、その紙の上に、書簡はなかった。
(――火曜日の夜に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれませんのね)
(でも――「まだ来ていない」ですのね)
窓の外を見た。今日の王都の空は、水曜日だった。
(――四週目の、水曜日ですのね)
(先週は「動かない真ん中」でしたのね)
(先々週は「見えている真ん中」でしたのね)
(その前は――「流れの中の真ん中」でしたのね)
(三枚、重なって、一本の枝になりましたのね。月曜も、火曜も、昨日までに、四枚目が重なりましたのよ)
窓の外の青を、しばらく、見た。
(――「動かない」の先に、何がありますかしら)
(動かないことは、もう、当たり前になりましたのね)
(今日は――その動かないものが、何を支えているのか、そちらが見えている気がしますのね)
――――――
水曜日は、定例の文官報告が二件あった。
オットーが、朝の業務一覧を差し出した。
「――今日の予定は、以上でございます」
「わかりましたわ」
一件目は、南区診療所の週次確認だった。
「担当医師からの所見:「南区の担当医師が、西区の担当医師と、直接、手紙のやり取りを始めたそうです。レオノーラ様を介さずとも、現場同士で、記録の付け方について相談し合っているとのことでした」」
レオノーラは、その言葉を、しばらく、見た。
(――「わたくしを介さずとも」ですのね)
(渡した型が、渡した相手同士で、また、繋がり始めましたのね)
(――これは、もう、わたくし一人の仕組みではありませんのね)
「――オットー」
「はい」
「――「南区と西区の担当医師が、直接連絡を取り合うようになった」という事実を、十八枚目のページに記録してください。渡したものが、渡した先同士で繋がる。それも、根の伸び方の一つですのよ」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
(――十八枚目のページが、加わりますね)
(お嬢様の手を離れて、型が、自分で歩き始めていますよ)
二件目は、周縁部第一区の緑地化工事の週次報告だった。
「担当者からの所見:「名もなき新芽の蕾ですが、先端が、わずかに開きかけております。中から覗く色は、金色に近いと、確信を持って申し上げられます」」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――「確信を持って」、ですのね)
(「気がする」を、重ねた先に――ようやく、確かさに、辿り着きましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――「蕾が開きかけ、金色であると確信が持てた」という一行を、記録してください。「わからない」を重ねた先に、「わかる」が来る。今日は、それを、目にした日ですのよ」
オットーは、深く、一礼した。
――――――
昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、どんな空ですか」
「――ええ」レオノーラは言った。「「動かない」の先に、何があるのか、今日は、少し、わかった気がしますのよ」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。
「――「動かない」の先、ですか?」
「ええ」レオノーラは言った。「先々週は、「見えている」ことに気づきましたのね。先週は、それが「動かない」ことに、気づきましたのよ。今日は――その動かないものが、ただそこにあるだけではなく、何かを「支えている」のだと、わかった気がしますのね」
マリアは、少しだけ、考えた。
「......それって、うちの実家の柱に、似てるかもしれません。古い柱なんですけど、別に何かするわけじゃなくて、ただそこに立ってるだけなんです。でも、屋根も、二階の床も、全部その柱にかかってて。柱がなかったら、家自体が、成り立たないんですよね」
「「柱がなかったら、家が成り立たない」」レオノーラは言った。「――それですのね。動かないことは、ただの静けさではなく、何かを支えている証ですのよ」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――「幹になった真ん中」、なんて、どうですか。柱というより、木の幹みたいな感じがしたので」
(――「幹になった真ん中」)
(言われて、少し、止まりましたのね)
(「流れの中の」「見えている」「動かない」、そして今日――「幹になった」ですのね)
「――マリア」レオノーラは言った。「また、あなたの言葉から、生まれましたのよ。「幹になった真ん中」、それに、決めましたのね」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――四週目にして、二回目です。今日は、調子がいいのかもしれません」
――――――
午後、周縁部の巡回に出た。
名もなき新芽の蕾を、自分の目で見に行った。
担当者が、案内した。
「――こちらでございます。先端が、確かに、開きかけております」
レオノーラは、しゃがんで、蕾の先端を、しばらく、見た。
(――金色、ですのね。今日は、はっきりと、わかりますのね)
(「気がする」を、何日も重ねた先に――今、確かに、そこにありますのよ)
「――担当者」
「はい」
「――「先端が開きかけ、金色であると、はっきり確認できた」と、記録してください。長く「わからない」を重ねたからこそ、今日の「わかる」には、重みがありますのね」
担当者は、静かに、一礼した。
――――――
温室に戻ったのは、夕方近くだった。
二つの芽と、一輪の花が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――先週より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。今日の光を受けて、幹のように、何かを支えているような気がした。
子爵の庭の薔薇は――一輪の花が、まだ、そこにあった。萎れる気配は、まだ、なかった。
懐から紙を取り出した。三十二枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約四十一ミリ。葉、三枚。幹のように、何かを支えているような気がする。今日の光、幹になった真ん中」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、変わらず。花、一輪のまま、萎れる気配なし。今日も、幹になった真ん中」
書き終えて、三十二枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
(――二十八種類に、なりましたのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
――――――
夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――診療所の記録に、十八枚目のページが加わりました。南区と西区の担当医師が、直接連絡を取り合うようになったという記録でございますね。加えて、周縁部の報告に、名もなき新芽の蕾が開きかけ、金色であると確信を持って確認されたという事実も、記録されております」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――「わたくしを介さずに繋がったこと」と、「確信を持てるようになったこと」)
(どちらも――今日、はっきりとした形を、得ましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「十八枚重なって――型は、わたくしの手を離れて、自分で歩き始めましたのよ。そして、名もなき命は、今日、初めて『確かだ』と言える色を、見せてくれましたのね」
オットーは、静かに、一礼した。
「――また、温室の三十二枚目には「幹になった真ん中」という記録が入っております。「流れの中の真ん中」「見えている真ん中」「動かない真ん中」に続く、四枚目の水曜日の名前でございますね。光の名前は二十八種類になりました」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――月曜日の枝も、火曜日の枝も、水曜日の枝も、四枚目が重なりましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「「動かない」の先には、「支える」がありましたのね。動かないことは、消極的な静けさではなく、何かを支え続ける、一つの強さなのかもしれませんのよ」
老執事は、深く、一礼した。
(――「動かないことは、一つの強さ」)
(お嬢様が、また一つ、静けさというものの、深いところに触れられましたね)
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、四度目の水曜日でした。「流れの中の真ん中」「見えている真ん中」「動かない真ん中」に続いて、今日の水曜日の光を「幹になった真ん中」と名付けましたのね。動かないものが、実は何かを支えているのだと、今日、初めて気づきましたのよ。光の名前が二十八種類になりましたのよ。診療所の記録が十八枚目になりました。南区と西区の担当医師が、わたくしを介さずに、直接連絡を取り合うようになったそうです。渡した型が、渡した先同士で、繋がり始めましたのね。周縁部では、名もなき新芽の蕾が開きかけ、その色が金色であると、今日、初めて確信を持って確認できました。長く「わからない」を重ねた先に、確かな「わかる」が来る。今日は、それを実感した一日でしたのよ。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
冊子の後ろの方――先日足したばかりの「年輪、一つ目」のページを、もう一度、見た。
(――色は、まだ、決めていませんのね)
(今日、水曜日にも、四枚目が重なりましたのね)
(幹という言葉が、今日、初めて出てきましたのね)
(この年輪の色も――幹の色に、近いものになるのかもしれませんのね)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
南の診療所と西の診療所は、今夜も、静かに繋がっているはずだった。周縁部の名もなき命は――今夜も、金色の蕾を抱いたまま、開く時を待っているはずだった。
温室には――三十二枚の記録を持つ、二つの芽と、一輪の花があった。
今日の水曜日を、思った。南区と西区の繋がりを知った朝。「幹になった真ん中」という光の名前が生まれた昼。金色を確信した蕾を見た午後。四枚目の枝が重なった夕方。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(四週目の、三歩目ですのね)
(明日は木曜日ですのね)
(「気合いを見せる光」「重ねている絆」「繋がる気配」と来て――四枚目の木曜日は、どう重なりますかしら)
(――それを、楽しみにしていますのね)
――――――
(第六十一話 了)
次話予告:四週目の木曜日、繋がりの先で、名もなき蕾がついに開く日が近づきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
診療所の型は、レオノーラを介さずとも、南区と西区の担当医師同士で直接つながり始めました。渡したものが、渡した先で自分の足で歩き出す——そんな回でした。診療所の記録は十八枚目に。周縁部の名もなき命の蕾も、ついに「金色」と確信を持って言える段階まで育っています。
光の名前は「幹になった真ん中」で二十八種類に。マリアの「うちの実家の柱」という一言から、「動かないことは、何かを支える強さでもある」という気づきが生まれました。
次回もどうぞお楽しみに。




