第60話 悪役令嬢、四週目の火曜日を歩む
「悪女は正しい」をお読みいただき、ありがとうございます。第六十話をお届けします。
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火曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが朝の業務一覧を持ってきたとき、その紙の上に、書簡はなかった。
(――月曜日の夜に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれませんのね)
(でも――「まだ来ていない」ですのね)
窓の外を見た。今日の王都の空は、火曜日だった。
(――四週目の、火曜日ですのね)
(先週は「頼れる青」でしたのね)
(先々週は「いてくれる青」でしたのね)
(その前は――「気合いが馴染んだ光」でしたのね)
(三枚、重なって、一本の枝になりましたのね。昨日、その枝に、月曜日と同じように、四枚目が重なりましたのよ)
窓の外の青を、しばらく、見た。
(――「頼れる」の先に、何がありますかしら)
(疑わないことが、頼れる、ということでしたのね)
(今日は――疑うことそのものを、忘れている気がしますのね)
――――――
火曜日は、定例の文官報告が二件あった。
オットーが、朝の業務一覧を差し出した。
「――今日の予定は、以上でございます」
「わかりましたわ」
一件目は、南区診療所の週次確認だった。
「担当医師からの所見:「西区の診療所を通じて、今度は北区の診療所からも、問い合わせがございました。『同じ仕組みについて、詳しく話を聞かせてほしい』とのことです」」
レオノーラは、その言葉を、しばらく、見た。
(――北区、ですのね)
(南区から西区へ。そして今度は――西区から北区へ)
(一つの物語が、また一つ、離れた場所へ、伸びていきますのね)
「――オットー」
「はい」
「――「西区を通じて、北区からも問い合わせがあった」という事実を、十七枚目のページに記録してください。渡ったものが、また次を呼ぶ。これも、一つの根の伸び方ですのね」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
(――十七枚目のページが、加わりますね)
(一つの場所から始まった物語が、今、根のように、枝分かれしながら広がっていますよ)
二件目は、周縁部第一区の緑地化工事の週次報告だった。
「担当者からの所見:「名もなき新芽の蕾ですが、色の兆しが、心持ち、はっきりしてまいりました。淡い金色に近いような気がいたします。ただ、確信は持てません」」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――淡い金色、ですのね)
(「気がする」の域を、まだ、出ませんのね)
(でも――昨日より、少しだけ、輪郭が見えてきましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――「色の兆しが、淡い金色に近づいてきた。ただし確信はない」という一行を、そのまま記録してください。輪郭が見えてくることも、確信に変わるまでの、大切な過程ですのよ」
オットーは、深く、一礼した。
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昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、どんな空ですか」
「――ええ」レオノーラは言った。「「頼れる」の先に、何があるのか、まだ、探している途中ですのよ」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。
「――「頼れる」の先、ですか?」
「ええ」レオノーラは言った。「先々週は「いてくれる」ことに安心しましたのね。先週は、いてくれることを、疑わなくなりましたのよ。今日は――疑うということ自体を、忘れている気がしますのね」
マリアは、少しだけ、考えた。
「......それって、毎朝、日が昇るのを疑わないのと、似てる気がします。日が昇るかどうか、心配する人っていないじゃないですか。頼れるを通り越して、もう、当たり前すぎて、確かめる発想そのものがなくなる、みたいな」
「「確かめる発想そのものが、なくなる」」レオノーラは言った。「――それですのね。頼れることの、さらに先。確かめなくても、なお、そこにあるという状態ですのよ」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――「確かめなくなった青」、なんて、どうですか。日が昇るのを疑わないみたいに」
(――「確かめなくなった青」)
(言われて、少し、止まりましたのね)
(「気合いが馴染んだ」「いてくれる」「頼れる」、そして今日――「確かめなくなった」ですのね)
「――マリア」レオノーラは言った。「また、あなたの言葉から、生まれましたのよ。「確かめなくなった青」、それに、決めましたのね」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――四週目にして、また拾ってもらえて、嬉しいです」
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午後、周縁部の巡回に出た。
名もなき新芽の蕾を、自分の目で見に行った。
担当者が、案内した。
「――こちらでございます。昨日より、心持ち、色が、濃くなっている気がいたします」
レオノーラは、しゃがんで、蕾の先端を、しばらく、見た。
(――金色、ですのね。やはり、そう見えますのね)
(でも――昨日の担当者も、同じように「気がする」と申しておりましたのね)
(「気がする」が、重なっていきますのね)
「――担当者」
「はい」
「――「色が、昨日より濃くなっている気がする」と、そのまま記録してください。「気がする」が重なることも、確かさに近づく、一つの道ですのよ」
担当者は、静かに、一礼した。
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温室に戻ったのは、夕方近くだった。
二つの芽と、一輪の花が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――先週より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。今日の光を受けて、確かめる必要のない、静かな信頼を湛えているような気がした。
子爵の庭の薔薇は――一輪の花が、まだ、そこにあった。萎れる気配は、まだ、なかった。
懐から紙を取り出した。三十一枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約四十ミリ。葉、三枚。確かめる必要のない、静かな信頼を湛えているような気がする。今日の光、確かめなくなった青」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、変わらず。花、一輪のまま、萎れる気配なし。今日も、確かめなくなった青」
書き終えて、三十一枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
(――二十七種類に、なりましたのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
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夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――診療所の記録に、十七枚目のページが加わりました。西区を通じて、北区からも問い合わせがあったという記録でございますね。加えて、周縁部の報告に、名もなき新芽の色の兆しが、淡い金色に近づいてきたという事実も、記録されております」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――「問い合わせが、また一つ増えたこと」と、「色が、少しだけ、確かになってきたこと」)
(どちらも――昨日より、今日の方が、少しだけ、輪郭が見えていますのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「十七枚重なって――型は、渡った先で、また次を呼びましたのよ。南区から西区、西区から北区。根が、根を、呼んでいますのね」
オットーは、静かに、一礼した。
「――また、温室の三十一枚目には「確かめなくなった青」という記録が入っております。「気合いが馴染んだ光」「いてくれる青」「頼れる青」に続く、四枚目の火曜日の名前でございますね。光の名前は二十七種類になりました」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――月曜日の枝も、火曜日の枝も、四枚目が重なりましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「「頼れる」の先には、「確かめなくなる」がありましたのね。信頼は、深まるほど、確かめる手間そのものを、消していくものなのかもしれませんのよ」
老執事は、深く、一礼した。
(――「確かめる手間そのものを、消していく」)
(お嬢様が、また一つ、信頼というものの、深いところに触れられましたね)
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夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、四度目の火曜日でした。「気合いが馴染んだ光」「いてくれる青」「頼れる青」に続いて、今日の火曜日の光を「確かめなくなった青」と名付けましたのね。頼れることの、さらに先――確かめる必要そのものを、忘れる境地に、辿り着きましたのよ。光の名前が二十七種類になりましたのよ。診療所の記録が十七枚目になりました。西区を通じて、今度は北区からも、問い合わせがあったそうです。一つの型が、また次の場所を呼んでいますのね。周縁部では、名もなき新芽の蕾の色が、淡い金色に近づいてきました。まだ確信は持てませんけれど、「気がする」が重なることも、確かさに近づく道の一つですのよ。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
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夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
冊子の後ろの方――昨日足したばかりの「年輪、一つ目」のページを、もう一度、見た。
(――色は、まだ、決めていませんのね)
(今日、火曜日にも、四枚目が重なりましたのね)
(この年輪の色も、いつか、見えてきますかしら)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
南の診療所は今夜も機能しているはずだった。北区の誰かが、今夜、その仕組みに思いを馳せているかもしれなかった。周縁部の名もなき命は――今夜も、淡い金色の兆しを抱いたまま、静かに育っているはずだった。
温室には――三十一枚の記録を持つ、二つの芽と、一輪の花があった。
今日の火曜日を、思った。北区からの問い合わせを知った朝。「確かめなくなった青」という光の名前が生まれた昼。金色に近づく蕾を見た午後。四枚目の枝が重なった夕方。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(四週目の、二歩目ですのね)
(明日は水曜日ですのね)
(「流れの中の真ん中」「見えている真ん中」「動かない真ん中」と来て――四枚目の水曜日は、どう重なりますかしら)
(――それを、楽しみにしていますのね)
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(第六十話 了)
次話予告:四週目の水曜日、「動かない真ん中」の先に、新しい形の静けさが訪れます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
診療所の型は、南区から西区、そして今度は北区へ。一つの物語が、渡った先でまた次を呼ぶという広がり方を見せています。診療所の記録は十七枚目に。周縁部の名もなき命の蕾には、淡い金色の色味が少しずつはっきりしてきました。
光の名前は「確かめなくなった青」で二十七種類に。「頼れる」からさらに一歩進み、疑うという発想そのものを忘れてしまうくらいの信頼——マリアの「日が昇るのを疑う人はいない」という一言から生まれました。
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