第59話 悪役令嬢、四週目の月曜日を歩む
「悪女は正しい」をお読みいただき、ありがとうございます。第五十九話をお届けします。
三週間分の重なりを経て、四度目の月曜日。今日から、少し違う数え方が始まります。
――――――
月曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが朝の業務一覧を持ってきたとき、その紙の上に、書簡はなかった。
(――日曜日の夜に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれませんのね)
(でも――「まだ来ていない」ですのね)
窓の外を見た。今日の王都の空は、月曜日だった。
(――四週目の、月曜日ですのね)
(先週は「一緒にいる青」でしたのね)
(先々週は「根づいた青」でしたのね)
(その前は――「気合いの入った青」でしたのね)
(三枚、重なって、一本の枝になりましたのね)
(今日は――その枝に、四枚目が重なる日ですのよ)
窓の外の青を、しばらく、見た。
(――名前は、まだ、決まりませんのね)
(でも――今日は、それだけではない気がしますのね)
(三度目の土曜日まで、六本の枝と根が、一本の木として、揃いましたのね)
(今日から始まるのは――その木の、次の一年輪ですのよ)
(一年輪、という言葉が、頭の中に、静かに、浮かびましたのね)
――――――
月曜日は、定例の文官報告が二件あった。
オットーが、朝の業務一覧を差し出した。
「――今日の予定は、以上でございます」
「わかりましたわ」
一件目は、南区診療所の週次確認だった。
「担当医師からの所見:「今週、患者の一人が、初診の問診票に、迷わず『かかりつけ』の欄へこの診療所の名前を書いたそうです。まだ二度しか来ていないというのに、本人はそれを、当然のことのように感じていたとのことでした」」
レオノーラは、その言葉を、しばらく、見た。
(――「かかりつけ」という言葉が、二度の来訪で、もう根づいていますのね)
(「言葉が地域のものになった」の、さらに先ですのね)
(――時間ではなく、信頼が、根の深さを決めますのね)
「――オットー」
「はい」
「――「二度の来訪で、本人の中では、もう『かかりつけ』になっていた」という事実を、十六枚目のページに記録してください。回数ではなく、信頼の速さで、根は深くなりますのね」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
(――十六枚目のページが、加わりますね)
(回数ではなく、信頼の速さ、という物差しを、お嬢様は、今日、また一つ、手に入れられましたよ)
二件目は、周縁部第一区の緑地化工事の週次報告だった。
「担当者からの所見:「計画外の草花――名もなき新芽ですが、今週、蕾の先端に、わずかな色の兆しが見えました。何色になるか、まだ、はっきりとはわかりません」」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――色の兆し、ですのね)
(子爵の薔薇が咲いた、あの一週間後に、今度はこちらが、動き始めましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――「蕾の先端に、色の兆しが見えた。ただし、何色かは、まだわからない」という一行を、そのまま記録してください。わからないまま記録することも、確かさの一つの形ですのよ」
オットーは、深く、一礼した。
(――「わからないまま記録する」)
(三十年前のお嬢様なら、色が判明してから記録すべきだと、判断されたはずですよ)
(今は――わからないことそのものを、確かな事実として、残されますのね)
――――――
昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、どんな空ですか」
「――まだ、名前を、探している途中ですのよ」レオノーラは言った。「でも――今日は、少し違う探し方をしていますのね」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。
「――違う探し方、ですか?」
「ええ」レオノーラは言った。「これまでは、その日の光そのものに、名前を探しましたのね。でも今日は――三週間分の月曜日を振り返って、その先に、何が見えるかを、探していますのよ」
マリアは、少しだけ、考えた。
「......それって、日記を読み返す時の感じに似てますね。うちの実家、年末になると、一年分の写真をまとめてアルバムに貼るんです。一枚一枚は、その日撮った時のことしか覚えてないんですけど、まとめて並べると、『ああ、この一年は、こんな一年だったんだ』って、急に、わかる瞬間があって」
「「まとめて並べると、わかる」」レオノーラは言った。「――それですのね。今日、わたくしが探しているのは、まさに、それですのよ」
マリアは、少しだけ、窓の外を見た。
「......三週間、月曜日から土曜日まで、毎日、名前をつけてきましたよね。それって、一枚一枚の写真、みたいなものなんじゃないですか。で、今日から始まるのは――そのアルバム全体に、タイトルをつける日、みたいな」
(――「アルバム全体に、タイトルをつける」)
(言われて、少し、止まりましたのね)
(一枚一枚の光の名前とは、違う、もう一段、大きな名前ですのね)
「――マリア」レオノーラは言った。「今日も、あなたの言葉から、何かが、開きましたのよ。一枚一枚の名前ではなく――三週間分をまとめた、一つの色。それを――「年輪」と呼ぶことに、決めましたのね」
マリアは、少しだけ、にこりとした。
「――年輪、いい響きですね。木にとっての一年って、そういうことですもんね」
――――――
午後、周縁部の巡回に出た。
名もなき新芽の蕾を、自分の目で見に行った。
担当者が、案内した。
「――こちらでございます。先端に、確かに、色がついております」
レオノーラは、しゃがんで、蕾の先端を、しばらく、見た。
(――薄い、色ですのね)
(黄色にも見えますのね。でも――白にも見えますのね)
(確信は、持てませんのね)
「――担当者」
「はい」
「――「先端に色がついているが、何色かは判断できない」と、正直に、そのまま記録してください。確信が持てないことを、無理に決めつける必要は、ありませんのよ」
担当者は、静かに、一礼した。
(――「無理に決めつけない」)
(お嬢様は、わからないことを、わからないまま、大切にされますね)
――――――
温室に戻ったのは、夕方近くだった。
二つの芽と、一輪の花が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――先週より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。今日の光を受けて、重ねてきたものの厚みを感じさせるような気がした。
子爵の庭の薔薇は――先週咲いた一輪の花が、まだ、そこにあった。萎れる気配は、まだ、なかった。
懐から紙を取り出した。三十枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約三十九ミリ。葉、三枚。重ねてきたものの厚みを感じさせるような気がする。今日の光、重ねてきた青」
書いて、止まった。
「重ねてきた青」
(――光の名前に、なりましたのね)
(「気合いの入った青」「根づいた青」「一緒にいる青」に続いて、四枚目の月曜日の名前が、揃いましたのね)
「――子爵の庭の薔薇。高さ、変わらず。花、一輪のまま、萎れる気配なし。今日も、重ねてきた青」
書き終えて、三十枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
(――二十六種類に、なりましたのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
――――――
夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――診療所の記録に、十六枚目のページが加わりました。二度の来訪で『かかりつけ』という認識が根づいていたという記録でございますね。加えて、周縁部の報告に、名もなき新芽の蕾に色の兆しが見えたという事実も、記録されております」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――「かかりつけ」ということと、「色の兆し」ということ)
(一見、別のことのようで――同じことを、言っていますのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「十六枚重なって――信頼は、回数ではなく速さで根づくと、わかりましたのよ。そして、名もなき命は、今日、色という新しい段階に、静かに踏み出しましたのね」
オットーは、静かに、一礼した。
「――また、温室の三十枚目には「重ねてきた青」という記録が入っております。「気合いの入った青」「根づいた青」「一緒にいる青」に続く、四枚目の月曜日の名前でございますね。光の名前は二十六種類になりました」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――一年輪目を終えて、二年輪目の最初の一枚が、加わりましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「今日から、少し、数え方が変わりますのよ。一枚一枚の名前を重ねるだけではなく――三週間分をまとめて、一つの「年輪」と呼ぶことに決めましたの」
老執事は、深く、一礼した。
(――「年輪」)
(お嬢様が、また一つ、ご自身の管理の枠を、静かに、広げられましたね)
(一枚の名前から、一週間の木へ。そして今、一年輪という、さらに大きな単位へ)
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、四度目の月曜日でした。「気合いの入った青」「根づいた青」「一緒にいる青」と重ねてきた三枚の先に、今日、新しい枝が伸び始めましたのよ。今日の光は「重ねてきた青」と名付けましたの。でも、今日、それ以上に大切な気づきがありましたのね。三週間、月曜日から土曜日まで、一枚一枚に名前をつけてきましたけれど、今日からは、その三週間全体にも、一つの名前をつけようと思いましたのよ。木にとっての一年輪のように。診療所の記録が十六枚目になりました。今週は、たった二度の来訪で、患者の一人が、もうこの場所を『かかりつけ』と呼んでいたそうです。周縁部では、名もなき新芽の蕾に、色の兆しが見え始めましたの。何色になるか、まだわかりませんけれど、わからないことも、確かな記録の一つですのよ。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
(――「今日は、四度目の月曜日でした」から、書き始めましたのね)
(「三度目の」ではなく、「四度目の」という言葉が、初めて、書き出しに現れましたのね)
(重ねる数が、また一つ、増えましたのね)
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
オットーは、それを受け取って、少しだけ、間を置いた。
「――「四度目の」という書き出しは、初めてでございますね」
「――ええ」レオノーラは言った。「三度目までは、重ねることそのものが、目的でしたのね。でも――四度目からは、重ねた先に、何が見えるかを、探す番ですのよ」
老執事は、深く、一礼した。
(――「重ねた先に、何が見えるか」)
(お嬢様の目は、もう、一枚一枚の先――積み重なった全体を、見ておられますよ)
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
最初のページから、ゆっくり、読んだ。
「今日は晴れ」から始まって、光の名前が並んでいた。二十五種類、月曜から土曜まで、それぞれ三枚ずつ、揃っていた。名前のない日曜日のページも、一枚、挟まっていた。
そして、今日――「重ねてきた青」が、加わった。
(――二十六種類に、なりましたのね)
(月曜日の光が、四枚、並びましたのね。「気合いの入った青」「根づいた青」「一緒にいる青」「重ねてきた青」)
冊子の、一番後ろに、新しいページを、一枚、足した。
「――年輪、一つ目」
書いて、少しだけ、考えた。
(――何を、この一枚に、書き記しますかしら)
「月曜から土曜まで、六つの名前が、初めて揃った週。日曜日に、初めて、名前をつけないという選択をした週。子爵の庭の薔薇が、初めて花を咲かせた週。――色は、まだ、決めませんのよ」
書き終えて、その一枚を、しばらく、見た。
(――色は、まだ、決めませんのね)
(名もなき新芽の色の兆しと、同じですのね)
(わからないまま、確かに、そこにありますのよ)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
南の診療所は今夜も機能しているはずだった。「かかりつけ」という言葉が、また一人、静かに根づいているはずだった。周縁部の名もなき命は――今夜も、色の兆しを抱いたまま、静かに育っているはずだった。
温室には――三十枚の記録を持つ、二つの芽と、一輪の花があった。
帝国では――今夜、殿下が、「重ねてきた青」という言葉を、読んでおられるだろうか。
(――一年輪目の色は、まだ、決まりませんのね)
(でも――決まらないことも、確かな記録の一つですのよ)
冊子を、文机の上に、戻した。
今日の月曜日を、思った。四度目の月曜日という書き出しで始まった朝。「かかりつけ」という言葉が根づいたと知った午前。「重ねてきた青」という光の名前が生まれた昼。マリアの言葉から「年輪」という呼び方が生まれた午後。年輪帳の一枚目を書いた夜。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(四週目の、最初の一歩ですのね)
(明日は火曜日ですのね)
(「気合いが馴染んだ光」「いてくれる青」「頼れる青」と来て――四枚目の火曜日は、どう重なりますかしら)
(一年輪目の色も――いつか、見えてきますかしら)
(――それを、楽しみにしていますのね)
――――――
(第五十九話 了)
次話予告:四週目の火曜日、新しい枝が重なる先で、一年輪目の色に、そっと近づく一日が始まります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回から「四度目の」という新しい書き出しが始まりました。これまでの三週間は重ねること自体が目的でしたが、ここからは、重ねた先に何が見えるかを探す段階に入ります。マリアの「アルバムにタイトルをつける」という一言から、「年輪」という新しい単位が生まれました。一枚一枚の光の名前とは別に、一週間全体にもう一段大きな名前をつけていく、という新しい記録の形です。
診療所ではたった二度の来訪で「かかりつけ」という言葉が根づき、周縁部の名もなき命の蕾には色の兆しが見え始めました。どちらも「まだわからない」ことをそのまま記録するという、この物語らしい形で描いています。
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