第44話 悪役令嬢、週末を迎える
金曜日の朝、帝国からの書簡は、なかった。
オットーが、朝の業務一覧を持ってきたとき、その紙の上に、書簡はなかった。
(――昨日の木曜日に出しましたのね)
(返信は、また、数日後かもしれない、と書きましたのね)
(でも――届かない朝は、「ない」のではなく、「まだ来ていない」ですのね)
今日の王都の空は、金曜日だった。
(――また、おかしな言い方をしていますのね)
(でも――金曜日の空は、木曜日とも違いますのね)
(「週末の気配」の翌日ですのね。気配が、今日は「確かなもの」になった感じがしますのね)
(もうすぐ土曜日、という手前ではなく――今日が終われば土曜日、という感じですのね)
――――――
金曜日は、定例の文官報告が一件と、午後に南区の診療所への定期確認があった。
オットーが、朝の業務一覧を差し出した。
「――今日の予定は、以上でございます」
「わかりましたわ」
定例の文官報告は、周縁部第一区の緑地化工事の週次報告だった。
「担当者からの所見:「今週、遊歩道沿いの低木が全体的に安定した様子です。根付きが進んでいるようで、先週よりも葉の色が落ち着いてきました。工事の区画で一番早く植えた列の苗が、他より少し背が高くなっています」」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――「一番早く植えた列が、少し背が高い」)
(早く植えた分だけ、早く育っていますのね)
(温室のエーデルローゼと子爵の薔薇のことを、思いましたのね)
(同じ日に植えても、育ち方が違いますのね)
(でも――どちらも、確かに育っていますのね)
「――オットー」
「はい」
「――「一番早く植えた列が少し背が高い」という言葉を、記録してください。それと――同じ日に植えても育ち方が違う、ということを、一行、添えてください」
オットーは、少しだけ、目を細めた。
(――「同じ日に植えても育ち方が違う」)
(温室の二つの芽のことを、工事の記録に重ねておられますよ)
(公務と私的な記録が――今では、同じ文脈で結びついていますね)
――――――
昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、どんな空ですか」
「金曜日の空ですのね」レオノーラは言った。
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、目を細めた。
「――今週、月曜日から毎日、曜日で呼んでいますよね。今日で五日目ですね」
「ええ」レオノーラは言った。「金曜日の空は――「週末の気配」の翌日の感じがしますのね。昨日は「もうすぐ土曜日」という気配でしたのに、今日は――「もう土曜日が見えている」という感じがしますのよ」
マリアは、少しだけ、窓の外を見た。
「……確かに、金曜日って、そういう感じありますよね。もう週末の始まりみたいな」
「「始まり」」レオノーラは言った。「――そういう言い方も、できますのね」
「お嬢様は、どんな言葉にしますか」
レオノーラは、しばらく、窓の外を見た。
「……「週末の入り口」とでも、言いますかしら」
マリアは、それを聞いて、少しだけ、止まった。
「――「週末の入り口」。扉を開けたら土曜日がある、みたいな感じですね」
「ええ」レオノーラは言った。「言ってから、気づきましたのね」
(――また「言ってから、気づく」ですのね)
(「週末の入り口」は、整えた言葉では、ありませんでしたのに)
(でも――間違えていない気がしますのよ)
「――お嬢様」マリアは言った。「今週、毎日光の名前がついていますよね。月曜日から木曜日まで四日連続で。今日も何か名前がつくんでしょうか」
「どうでしょうかしら」レオノーラは言った。「つけようとして名前が出てくるわけではありませんのよ。――でも、今日の空は「週末の入り口」という感じがしますのね。それが名前になるかどうかは、午後の温室に行ってから、わかりますのよ」
(――「午後の温室に行ってから、わかる」)
(以前なら、そんな言い方はしませんでしたのね)
(今は――答えが先にあるのではなく、行った先で出てくる、ということが、わかりますのね)
――――――
午後、温室に向かった。
廊下の窓の外は、今日も、明るかった。光が、少し斜めに差し込んでいた。
(――「斜めに差し込む」光ですのね)
(正午を過ぎて、少し傾いてきた光ですのね)
(「週末の入り口」という感じの、少し先を向いている光ですのね)
温室に入ると、二つの芽が、そこにあった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――昨日より、わずかに高くなっていた気がした。葉が、三枚のままだった。でも、今日の光を受けて、葉の色が、今週で一番はっきりした気がした。
(――「一番はっきりした気がする」)
(「鮮明な気がする」と昨日書きましたのに、今日はさらに「はっきりした」ですのね)
(「気がする」が、段階を持って、育っていますのね)
子爵の庭の薔薇の芽は――葉が四枚のままだった。でも、今日は全体として、昨日より少し、立ちあがっている感じがした。
(――「立ちあがっている」)
(背筋が伸びてきた、という感じですのね)
(「しっかりしてきた気がする」の次の日に、「立ちあがっている気がする」ですのね)
(「しっかり」が、「立ちあがる」になりましたのね)
懐から紙を取り出した。十五枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約二十五ミリ。葉、三枚。色が今週で一番はっきりした気がする。今日の光、週末の入り口」
書いて、止まった。
「週末の入り口」
(――光の名前に、なりましたのね)
(マリアとの昼の話から、出てきた言葉ですのね)
(今週の光の名前は――月曜日から今日まで、毎日、誰かとの話から生まれましたのね)
「――子爵の庭の薔薇。高さ、約十一ミリ。葉、四枚(変化なし)。立ちあがっている気がする。今日も、週末の入り口の光」
書き終えて、十五枚の紙を、ぱらぱらと、めくった。
「今日は晴れ」「今日も曇り」「今日は薄曇り」「今日は雨」「また今日は晴れ」「今日の光、まっすぐ」「今日の光、穏やか」「月曜日の光」「気合いが馴染んだ光」「流れの中の真ん中」「週末の気配」と続いて――今日、「週末の入り口」が加わった。
(――十二種類に、なりましたのね)
(数えるつもりはありませんでしたのに、わかりましたのね)
(殿下に、知らせたくなりますのね)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
――――――
午後遅く、南区診療所への定期確認の書類を処理した。
今月の診療人数、費用、在庫状況――数字は、安定していた。
(――安定している、ですのね)
(以前は、この「安定」が当たり前で、変動があったときだけ意味がありましたのね)
(今は――「安定している」こと自体が、記録に値するものだと、思いますのね)
書類の最後に、担当医師からの短い一文があった。
「先週の弟に続いて、今週は、近所の子どもをもう一人連れてきました。「ここに来ると診てもらえる」と教えたそうです」
レオノーラは、その一文を、もう一度、読んだ。
(――「ここに来ると診てもらえる」と、教えましたのね)
(一人が弟を連れてきて――その弟が、今度は別の子に教えたのですのね)
(一人から二人へ、二人から三人へ)
(「連れていける場所」が、「教えられる場所」になりましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――「ここに来ると診てもらえると教えた」という言葉も、そのまま記録してください。先月の「元気に歩いて来た」、今月の「弟を連れて来た」の次のページに」
「かしこまりました」
老執事は、少しだけ、間を置いた。
(――「元気に歩いて来た」「弟を連れて来た」「教えた」と、三枚のページが並びますね)
(一人の子どもの話が、少しずつ、広がっています)
(これも――「静かに動いている」ことですよ)
――――――
夕方、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。本日の定例業務、以上でございます」
「ええ、ありがとう」
オットーは、少しだけ、間を置いた。
「――本日の記録についてでございますが」
「ええ」
「――工事の記録に「同じ日に植えても育ち方が違う」という一行を、診療所の記録に「教えた」という医師の言葉を加えました。温室の十五枚目には「週末の入り口」という記録が入っております」
「ええ」
「――「週末の入り口」は、今週の「気合いの入った青」「気合いが馴染んだ光」「流れの中の真ん中」「週末の気配」に続く、今週五つ目の光の名前でございますね。月曜日から金曜日まで――毎日、名前がつきましたよ」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――五日間、毎日、名前がつきましたのね)
(月曜日の「気合いの入った青」から始まって、今日の「週末の入り口」まで)
(一週間の平日が、すべて、光の名前を持ちましたのね)
「――ええ」レオノーラは言った。「今週は――一日ごとに、名前がありましたのね。月曜日から金曜日まで」
オットーは、静かに、一礼した。
(――五種類の名前が、一週間に並びました)
(以前のお嬢様は、週を「七つの業務日」として管理しておられました)
(今は――一日ごとに「感じ」があって、その感じが光の名前になって、記録に残ります)
(一週間が、七種類の手触りを持つ時間に、なりましたよ)
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は金曜日でした。今週、月曜日から金曜日まで、毎日光に名前がつきましたのね。今日の光を「週末の入り口」と名付けました。昨日の「週末の気配」の翌日で――気配が確かなものになった感じがしましたのよ。今日も侍女との昼の話から出てきた言葉ですのね。診療所の、あの子どもが、今週は近所の子をもう一人連れてきたそうです。「ここに来ると診てもらえる」と教えたそうです。一人から二人へ、そして三人へ――「教えられる場所」になりましたのね。工事の記録に「同じ日に植えても育ち方が違う」ということを書きました。温室の二つの芽のことを、思いましたのよ。光の名前が十二種類になりましたのね。明日は土曜日ですのね。今週最初の土曜日から、もう一週間が経ちますのね。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
(――「今日は金曜日でした」から、書き始めましたのね)
(土曜日、月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日と――六日分の書き出しが、並びましたのね)
(一週間が、ほとんど埋まりましたのね)
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
オットーは、それを受け取って、少しだけ、間を置いた。
「――お嬢様。今週の書簡は、今日で五通目でございますね」
「ええ」
「――土曜日、月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日と――六日間、曜日から書き出しになっておられます。今週の平日は、毎日でございますね」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
「――そうなりましたのね」レオノーラは言った。「気づいていませんでしたのよ。でも――今週は、毎日、その日の感じがありましたのね。月曜日の「気合い」から始まって、火曜日に「馴染んで」、水曜日に「真ん中」で、木曜日に「気配」が見えて、今日「入り口」まで来ましたのね。一週間が、ひとつながりの流れでしたのね」
老執事は、深く、一礼した。
(――「ひとつながりの流れ」)
(三十年間、曜日は独立した業務の単位でございました)
(今は――月曜日から金曜日までが、一本の川のように流れています)
(お嬢様は今、七種類の日を、流れとして生きておられます)
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
最初のページから、ゆっくり、読んだ。
「今日は晴れ」があった。「今日も曇り」があった。「今日は薄曇り」があった。「今日は雨」があった。また「今日は晴れ」があった。「今日の光、まっすぐ」があった。「今日の光、穏やか」があった。「月曜日の光」があった。「気合いが馴染んだ光」があった。「流れの中の真ん中」があった。「週末の気配」があった。
そして、今日――「週末の入り口」が、加わった。
(――十二種類に、なりましたのね)
(数えるつもりはなかったのに、わかりましたのね)
(殿下は、七種類のときに数えてくださっていましたのね)
(今日、十二種類になったことを、今夜の書簡に書きましたのね)
患者の書簡が、挟まれていた。医師の「元気に歩いて来た」言葉があった。「弟を連れて来た」という言葉があった。今日、「ここに来ると診てもらえると教えた」という言葉が、その次のページに加わっていた。
(――三枚のページが、並んでいますのね)
(一人の子どもの話が、三つの言葉を持っていますのね)
「エーデルローゼ。高さ、約二十五ミリ。葉、三枚。色が今週で一番はっきりした気がする。今日の光、週末の入り口」
「子爵の庭の薔薇。高さ、約十一ミリ。葉、四枚。立ちあがっている気がする。今日も、週末の入り口の光」
(――「色が一番はっきりした気がする」と「立ちあがっている気がする」)
(どちらも「気がする」ですのね)
(確認はできませんのね。でも――消えませんのよ)
(これが――「信じている」ことですのね)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、穏やかだった。
南の診療所は今夜も機能しているはずだった。あの子どもが今日また「教えた」場所として、今夜も灯りがついているはずだった。西区の水路は今夜も通っているはずだった。周縁部の低木は――今夜も、土地の記憶の中で、それぞれの速さで、育っているはずだった。
温室には――十五枚の記録を持つ、二つの芽があった。一方は葉の色が今週で一番はっきりした気がする。一方は立ちあがっている気がする。
帝国では――今夜、殿下が、今週のレオノーラからの五通の書簡を、読んでおられるだろうか。
(――「ひとつながりの流れ」として、一週間を書きましたのね)
(殿下は、その流れを、どのようにお読みになるでしょうかしら)
(「静かに動いている」という名前を、まだ探しておられますのね)
(今週の一週間も――その答えに、近づいている気がしますのよ)
冊子を、文机の上に、戻した。
今日の金曜日を、思った。「週末の入り口」という光の名前が生まれた昼。低木の育ち方の違いを記録した午前。「教えた」という言葉が届いた午後。「ひとつながりの流れ」を書簡に綴った夜。
(――これが、今日の「あったこと」ですのね)
(金曜日の、積み重ねですのね)
(明日は土曜日ですのね)
(先週の「初めての休日」から、一週間が経ちますのね)
(今週の土曜日は――先週と同じ土曜日でしょうか、それとも違う土曜日でしょうかしら)
(――それを、楽しみにしていますのね)
(以前は、なかった感覚ですのよ)
――――――
(第四十四話 了)




