第38話 悪役令嬢、名前を受け取る
金曜日の朝、帝国からの返信が、届いた。
オットーが、それを差し出すとき、一言添えた。
「――木曜日にお出しになった書簡への、お返事でございます」
レオノーラは、それを受け取った。
(――一日、でしたわ)
(昨日の「気がする」を書いて、今日、届く)
封を開けた。
「レオノーラ。「気がする」と「心なし」のこと、受け取りました。二か所で、同じ日に、同じことが起きた。それは、確認できなくとも、あったことです。帝国の晴れに、名前が決まりました。「透き通った朝」と言います。雨上がりの、さらに一段、明るい青のことです。あなたが「薄曇り」と名付けたから、こちらも名前を探す気持ちになりました。名前は、もらうものでもあり、与えられるものでもあるようです。返信は、また、数日後になるかもしれません。同じ時刻で。――好意として」
レオノーラは、「クラーレ・モルゲン」という言葉を、もう一度、読んだ。
(――帝国の言葉で、「透き通った朝」)
(殿下が、見つけましたのね)
(――まだ、決まっていない、と書いてあったのに)
(わたくしが「薄曇り」と名付けたから、探す気持ちになったと)
(――名前は、もらうものでもあり、与えられるものでもある)
窓の外を見た。今日の王都の空は、澄んでいた。昨日の晴れとも、一昨日の雨上がりとも、少し違う、静かな青だった。
(――今日の空にも、何か、名前をつけたくなりますのね)
書簡を、静かに、折り畳んだ。
――――――
午前中、文官との定例報告が終わったあと、東の温室に向かった。
廊下の窓から差し込む光は、今日は、まっすぐだった。斜めでも、やわらかくもなく——ただ、まっすぐ、差し込んでいた。
(――こういう光を、なんと呼ぶのでしょうか)
温室に入ると、ガラスの向こうに、今日の庭が見えた。昨日の晴れが続いて、地面はすっかり乾いていた。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は——昨日より、また、少し、高くなっていた。葉が、まだ、三枚だった。でも、葉の表面が、光を受けて、少し、光っていた。
(――艶が、出ていますのね)
(昨日の「茎が太くなった気がする」の続きかもしれませんの)
(あるいは、今日の光のせいかもしれませんの)
(――どちらかわかりませんわ。でも、今日、ここに、艶がある)
子爵の庭の薔薇の芽は——葉の縁が、引き続き広がっていた。こちらも、艶があった。
(――どちらも、今日は光っていますのね)
懐から紙を取り出した。九枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約二十一ミリ。葉、三枚。葉に艶が出た。今日の光、まっすぐ」
書いて、止まった。
「今日の光、まっすぐ」
(――「まっすぐ」は、光の名前ではありませんのね)
(でも、今日の光は、そうでしたの)
「――子爵の庭の薔薇。高さ、約十ミリ。葉の縁、引き続き広がっています。こちらも艶あり。今日も光、まっすぐ」
書き終えて、「まっすぐ」という言葉を、しばらく見た。
(――「薄曇り」から始まって、「雨」があって、「晴れ」があって——今日は、「まっすぐな光」ですのね)
(空の名前ではなく、光の名前を書いてしまいましたのね)
(――それでも、今日、ここで、そうでしたの)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
――――――
昼過ぎ、マリアが昼食を持ってきた。
「――今日は、よく晴れていますね。昨日とも違います」
「ええ」レオノーラは言った。「光が、まっすぐでしたのね」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、首をかしげた。
「まっすぐ、ですか」
「ええ」レオノーラは言った。「昨日の晴れは、やわらかい光でした。今日は——斜めでも、散っているのでもなく、まっすぐに、差し込んでいましたのね」
マリアは、それを聞いて、窓の外を少しだけ、見た。
「……言われてみれば、そうかもしれないですね。いつもは気にしないところですけれど」
「ええ」レオノーラは言った。「わたくしも、以前は気にしませんでしたのね」
「今は?」
「――記録しましたのよ。温室の記録に。『今日の光、まっすぐ』と」
マリアは、それを聞いて、少しだけ、目を細めた。
「――空の名前だけじゃなくて、光の名前も、つけるようになったんですね」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――そうなりましたのね)
(「薄曇り」を書いたとき、空の名前をつけたくなりましたのね)
(今日は——光の名前を書きたくなりましたの)
(――殿下が「クラーレ・モルゲン」を見つけたこと、関係しているかもしれませんわ)
(名前を探す人が、そばにいると——こちらも、探しますのね)
「……そうなりましたのね」レオノーラは言った。「気づいていませんでしたわ。今、マリアに言われて、わかりましたの」
マリアは、にこりとした。
「――また、「言われてわかった」ですね」
「ええ」レオノーラは、少しだけ、間を置いた。「――それが、増えていますのよ」
――――――
午後、オットーが書斎に入ってきた。
「――お嬢様。周縁部第一区より、今週の総括報告が届いております」
「ええ、拝見します」
報告書を受け取った。
「今週の苗の状況。葉の数、先週より三枚増加。茎の太さ、先週より増したと見受けられます。担当庭師からの所見:『今週は晴れ・雨・晴れと変化がございました。雨の後の苗の色の変化が、特に印象的でした。来週も、よく観察してまいります』」
レオノーラは、その言葉を、もう一度、読んだ。
(――「晴れ・雨・晴れ」)
(今週の、温室の記録と、同じですのね)
(「薄曇り」から始まって——雨があって——晴れが来て——今日の「まっすぐな光」まで)
(――周縁部の苗も、同じ一週間を、過ごしていましたのね)
「――オットー」
「はい」
「――記録してください。庭師の『晴れ・雨・晴れ』という一文も、そのまま。それと——温室の記録の、今週の空の変化と、並べて保管してください」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
(――「並べて」でございますか)
(今週の冊子には、「薄曇り」「雨」「晴れ」「まっすぐな光」と、空の変化が並んでいます)
(周縁部の苗も、同じ変化の下にいた)
(お嬢様は、それを、ひとつの記録として残そうとなさっていますね)
「――かしこまりました」
「それと」レオノーラは、少しだけ、間を置いた。「——今週の天候の変化が、苗の色と茎に影響した、という推測を、一行、添えておいてください。確認ではなく、推測として」
オットーは、静かに、一礼した。
(――「推測として」という言葉が、今週、また、使われましたね)
(先週から始まったこの言葉が、今週は、温室と周縁部の両方で、複数回、記録に入りました)
(推測が——積み重なっています)
――――――
夕方、レオノーラは、書斎で冊子を開いた。
窓から、夕方の光が差し込んでいた。
最初のページから、順に、見た。
「今日は晴れ」。「今日も曇り」。「今日は薄曇り」。「今日は雨」。「今日は晴れ」。「今日の光、まっすぐ」。
(――一週間ですのね)
(月曜から、今日の金曜まで)
(六種類の言葉が、九枚の記録の中に、並んでいますのね)
(いいえ——「まっすぐな光」は、空の名前ではありませんのね)
(でも——冊子の中に、ありますのね)
芽の記録も、見た。エーデルローゼは、先週の六枚目のとき十八ミリだったのが、今日は二十一ミリになっていた。葉は三枚のままだが、色が濃くなり、艶が出た。子爵の庭の薔薇は、八ミリから十ミリに。
(――数字も、変わっていますのね)
(でも——今週、変わったのは、数字だけではありませんでしたわ)
(色が濃くなった。雨音を聞いた。茎が太くなった「気がした」。光が「まっすぐ」だった)
(そういう言葉が、今週の記録に、並んでいますの)
冊子を、静かに、閉じた。
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。「クラーレ・モルゲン」、受け取りました。透き通った朝。帝国の言葉で、その名前が決まりましたのね。こちらも、今日の光に名前をつけようとしましたの。「まっすぐな光」と記録しました。空の名前ではありませんけれど、今日の光は、そうでしたの。温室の記録は九枚目になりました。エーデルローゼは高さ約二十一ミリ。葉に艶が出ました。子爵の庭の薔薇は十ミリになりました。今週の記録には、「薄曇り」「雨」「晴れ」「まっすぐな光」が並んでいます。周縁部の苗も、同じ一週間を過ごしていたそうです。庭師は「晴れ・雨・晴れの変化が印象的でした」と書いてきました。殿下が「名前は、もらうものでもあり、与えられるものでもある」とお書きになったこと、受け取りました。わたくしが「薄曇り」と書いたから、殿下が名前を探してくださった。そして殿下の「クラーレ・モルゲン」が、わたくしの今日の光の名前を、引き出してくれましたの。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
(――「まっすぐな光」と、書きましたのね)
(空の名前でも、天気の記録でもなく——光の形ですわ)
(以前なら、そんな言葉は、書かなかった)
(でも——今日、確かに、そうでしたのですもの)
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
オットーは、それを受け取って、少しだけ、間を置いた。
「――お嬢様。九枚目、ということは——三十六枚目が、一年になりますわけで」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
「――そういう計算は、していませんでしたわ」レオノーラは言った。「九枚目は、九枚目ですの」
老執事は、深く、一礼した。
(――「九枚目は、九枚目」)
(以前のお嬢様なら、必ず、全体の中での位置を確認なさっていました)
(今は——九枚目は、九枚目であるというだけで、十分なのですね)
(数字が、比率のためではなく、それ自体として、そこにある)
(それは——記録が、管理するためではなく、ただ、積み重なるためのものになった、ということでございますよ)
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
最初のページから、ゆっくり、読んだ。
「今日は晴れ」があった。「今日も曇り」があった。「今日は薄曇り」があった。「今日は雨」があった。また「今日は晴れ」があった。「今日の光、まっすぐ」があった。
六種類の言葉が、九枚の記録の中に、並んでいた。
(――六種類、ですのね)
(数えるつもりは、なかったのですけれど)
(自然と、わかりましたの)
患者の書簡が、挟まれていた。その次のページに、今日の記録があった。
「エーデルローゼ。高さ、約二十一ミリ。葉、三枚。葉に艶が出た。今日の光、まっすぐ」
(――「まっすぐ」)
(殿下が「クラーレ・モルゲン」を見つけなければ、今日の光に、名前をつけようとは思わなかった)
(名前を探す人が、そばにいると——こちらも、探しますのね)
(それが、「与えられる」と「もらう」の、両方の意味ですのね)
冊子を、静かに、閉じた。
窓の外に、夜の王都があった。今夜は、澄んでいた。星が、よく、見えた。
南の診療所は今夜も機能しているはずだった。西区の水路は今夜も通っているはずだった。周縁部の苗は——今週の晴れと雨と晴れを土の中に持ちながら、夜を過ごしているはずだった。
温室には——九枚の記録を持つ、二つの芽があった。
帝国では——今夜、「クラーレ・モルゲン」の翌朝を迎えようとしているだろうか。
(――殿下が、名前を、見つけましたのね)
(わたくしの「薄曇り」が、きっかけになったと、書いてくださいましたの)
(こちらからの言葉が、向こうで何かを、開く)
(向こうからの言葉が、こちらで何かを、開く)
(――それが、積み重なる、ということの、もう一つの形ですのね)
(名前は——一人では、なかなか、見つからないのかもしれませんわ)
冊子を、文机の上に、戻した。
来週も、記録しますわ。どんな空でも、どんな光でも。そして——殿下の言葉が、また、何かを開くかもしれませんのね。
(――それを、楽しみにしていますのね)
(以前は、なかった感覚ですのよ)
――――――
(第三十八話 了)




