第34話 悪役令嬢、雨の日を知る
月曜日の朝、帝国からの返信は、届かなかった。
オットーが、それを、静かに伝えた。
「――本日は、ございません」
「ええ。わかっていますわ」
レオノーラは、それを聞いて、窓の外を見た。
王都の空は、今日は、曇っていた。
(――向こうは、今日、どんな空でしょう)
(――わかりませんわ。けれど――)
朝の業務に向かった。
――――――
午前中、文官との定例報告が終わったあと、東の温室に向かった。
外の空は、曇ったままだった。ガラスの壁から差し込む光が、いつもより、やわらかかった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は――昨日より、また、少し、高くなっていた。葉が、三枚になっていた。
子爵の庭の薔薇の芽は――
レオノーラは、目を細めた。
(――変わっていない、と、思っていましたのに)
葉の縁が、昨日よりも、もう少し、広がっていた。日曜日に初めて気づいて、月曜日にも、確かに、続いていた。
(――「昨日の変化が今日見えた、かもしれない」――と、書きましたのに)
(――今日もまた、昨日からの変化が、見えていますわね)
懐から紙を取り出した。五枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約十六ミリ。葉、三枚。今日は曇り」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、約八ミリ。葉の縁、引き続き広がっています。今日も曇り」
書き終えて、二行を、しばらく見た。
(――「今日も曇り」)
(――土曜日に「今日は晴れ」と書いたのは、殿下が「雨」とお書きになったからでしたわ)
(――今日は――曇り、ですわね。晴れでも雨でもない、その間の空ですわ)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
(――曇りの日も、記録しますわ)
――――――
昼過ぎ、マリアが、昼食を持ってきた。
「――今日は、曇っていますね」
「ええ」
「――温室は、今日も?」
「ええ。エーデルローゼが、葉を三枚にしていましたわ。子爵の庭の薔薇も、引き続き」レオノーラは言った。「――曇りの日でも、育ちますのね」
マリアは、トレイを置きながら、少しだけ、首をかしげた。
「――当たり前、なんですか? 曇りの日でも育つのは」
「当たり前かどうか――わかりませんわ」レオノーラは、正直に言った。「殿下が、雨の日は温室の植物がよく育つ、とおっしゃっていましたの。雨ではなく曇りが、どう影響するか――わかりませんわ。でも、育っていましたの」
「――それで、充分なんですね」マリアは、にこりとした。
「ええ」レオノーラは言った。「――育っているという事実だけで、充分ですもの。曇りが原因かどうかは、わかりませんわ。でも――それも、記録しておきます」
マリアは、それを聞いて、少しだけ、目を細めた。
「――お嬢様、以前は、原因のわからないことは――」
「――解明するか、省くか、どちらかでしたわ」レオノーラは、静かに言った。「今は――どちらでもなく、そのまま、置いておけますのね」
(――これも、変わったことなのでしょうか)
(――変わった自覚は――あまり、ありませんの)
――――――
夕方、オットーが、書斎に入ってきた。
「――お嬢様。南区診療所より、月次報告とは別に、一通、届いております」
レオノーラは、手を止めた。
「――別に?」
「はい。担当の者からではなく――患者の、方からの、ようでございます」
レオノーラは、それを受け取った。封を開けた。
便箋は、一枚だった。文字は、丁寧だが、不慣れな手のものだった。
「先月、診療所を利用いたしました。以前は、薬の代金が払えず、足が遠のいておりました。今は、費用が以前より抑えられ、通えるようになりました。ありがとうございます。誰に宛てればよいかわかりませんでしたが、王城宛に出しました」
レオノーラは、それを、もう一度、読んだ。
(――誰に宛てればよいかわからなかった)
(――それでも、出してくださった)
しばらく、その便箋を見た。
(――予算再配分計画の結果が、もう――ここに来ていますわ)
(――協議を完了したのが、先週でしたのに)
「――オットー」
「はい」
「――この書簡を、冊子と一緒に、保管してください。温室と周縁部の記録の冊子です」
老執事は、少しだけ、目を細めた。
「――植物の記録と、一緒に、でございますか」
「ええ」レオノーラは言った。「――あの冊子は、育つものの記録ですもの。診療所の患者さんの言葉も――育ったもの、ですわ」
オットーは、それを聞いて、深く、一礼した。
(――三十年、お嬢様の「記録」は、実務上の数値と事実のみでございました)
(――今、お嬢様の冊子には――芽の高さと、葉の数と、曇りの空と、患者の方の言葉が、並びますね)
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日は、曇りでした。雨でも晴れでもない、その間の空でしたの。殿下は、「雨の日は温室の植物がよく育つ」とおっしゃいましたが――曇りの日はどうなのか、わかりませんわ。けれど、エーデルローゼは葉を三枚にして、子爵の庭の薔薇も引き続き変化を見せています。今日で五枚目の記録です。今日、南区診療所の患者の方から、お手紙が届きました。費用が抑えられて通えるようになった、とありました。予算再配分の結果が、こういう形で届くこともあるのですね。その言葉を、温室の記録と同じ冊子に、しまいました。どちらも、育つものですもの。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、それを読み返した。
(――「育つものですもの」)
(――芽と、言葉と――同じ言い方で、書きましたわね)
(――以前のわたくしなら、それは、別の分類でしたわ)
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」
オットーは、それを受け取った。少しだけ、間を置いた。
「――お嬢様。今日の冊子――お持ちになりますか」
レオノーラは、少しだけ、考えた。
「――ええ。寝室に、持っていってください」
老執事は、静かに、それを持った。それから、もう一つ、付け加えた。
「――今日、患者の方の書簡を、冊子に加えてよろしゅうございますか」
「ええ」レオノーラは言った。「――最後のページに、挟んでおいてください」
(――挟む)
(――記録と記録の、間に)
(――それも、一つの置き方ですわね)
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
最初のページから、ゆっくり、読んだ。
芽の高さは、毎日ではないが、確かに、増えていた。葉の数も、増えていた。変化の確認できない日の記録も、あった。「今日は晴れ」も、「今日も曇り」も、あった。
最後のページに、診療所の患者から届いた、一枚の便箋が、挟まれていた。
レオノーラは、その便箋を、もう一度、読んだ。
(――誰に宛てればよいかわからなかった、と)
(――それでも、届きましたわ)
冊子を、静かに、閉じた。文机の上に、戻した。
窓の外に、夜の王都があった。
南の診療所は今夜も機能しているはずだった。西区の水路は今夜も通っているはずだった。周縁部の苗は――曇りの一日を越えて、夜を過ごしているはずだった。
温室には――五枚の記録を持つ、二つの芽があった。
帝国では――今夜、どんな空だろうか。
(――曇りかもしれませんわ)
(――雨かもしれませんわ)
(――どちらでも――わからないまま、こちらで、曇りの夜を、過ごしますのね)
それでよいと思った。
わからないことも、曇りの空も、診療所の患者の言葉も――すべて、今夜の冊子の中に、ある。
(――これが、積み重なる、ということですわ)
――――――
(第三十四話 了)




