第33話 悪役令嬢、積み重なるものを知る
土曜日の朝、帝国からの返信が届いた。
オットーが、それを差し出すとき、少しだけ、言葉を添えた。
「――木曜日にお出しになった書簡への、お返事でございます」
レオノーラは、それを受け取った。
(――二日、でしたわね)
(木曜日に出して、土曜日に届く。――それが、今の、間ですわ)
封を開けた。
「レオノーラ。三枚目の記録、受け取りました。「変化のない日も、育っている日」という一文、しばらく、考えました。帝国では、今日、雨でした。雨の日は、温室の植物がよく育つと言われています。あなたの温室の芽も、今日、少し、大きくなっているかもしれません。わからないことを、そのまま、書きました。次の経由地は、明後日の予定です。返信は、また、数日後になります。同じ時刻で。――好意として」
レオノーラは、「雨の日は、温室の植物がよく育つ」という一文を、もう一度、読んだ。
(――殿下は、今日、帝国で雨を見ていらした)
(こちらは、今日、晴れていますわ)
窓の外を見た。王都の空は、確かに、よく晴れていた。
(――同じ日に、別の空の下にいる)
(それは――以前なら、何も思わないことでしたわ)
(今は――何かを、思いますのね)
書簡を、静かに、折り畳んだ。
――――――
午前中、温室に向かった。
植木鉢の前に、しゃがんだ。
エーデルローゼの芽は、昨日より、さらに少し、高くなっていた。葉が、二枚、開いていた。
子爵の庭の薔薇の芽は――昨日と、同じに、見えた。
(――今日も、変化が確認できないのか、それとも)
(――雨の日に、育つ、ということなら)
(――今日は、晴れですもの。それも、関係しているのでしょうか)
わからなかった。
懐から紙を取り出した。四枚目を開いた。
「――エーデルローゼ。高さ、約十四ミリ。葉、二枚、開いています」
「――子爵の庭の薔薇。高さ、約七ミリ。変化、確認できず。今日は晴れ」
書き終えて、「今日は晴れ」という一文を、しばらく、見た。
(――以前の記録には、こういう一文は、入りませんでしたわ)
(天気は――植物の育ちに関係しますもの。でも、それだけではありませんわね)
(殿下の書簡に、「雨」と書かれていたから――わたくしも、「晴れ」を、書きたかったのですわ)
(それは――実務的な記録に、個人的な何かが、混ざっている、ということですわね)
少しだけ、考えた。それから、紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
(――混ざっていて、よいのですわ)
(この記録は――実務報告ではありませんもの)
――――――
午後、マリアが、昼食の片付けをしながら、話しかけた。
「――お嬢様、今日は、お手紙が届きましたね」
「ええ」
「――ご様子が、少し、柔らかかったので」マリアは、トレイを手にしたまま、にこりとした。「――嬉しかったですか」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――嬉しい、という言葉)
「――そうかもしれませんわ」レオノーラは、正直に言った。「――ただ、以前と、少し、違いますの」
「どう、違うんですか」
「以前の嬉しさは――届いた、という事実に対してのものでした。今は」レオノーラは、少しだけ、言葉を選んだ。「――届いた内容の中に、向こうの空のことが書いてあって――それが、こちらの今日と、繋がりますの」
マリアは、少しだけ、首をかしげた。
「――向こうの空と、こちらの空が、繋がる、ということですか」
「ええ」レオノーラは言った。「――殿下は、帝国で、雨の中にいらした。わたくしは、ここで、晴れの中にいた。その二つが――同じ日の、別の景色として、並ぶのですわ」
マリアは、それを聞いて、少しだけ、目を細めた。
「――お嬢様、それ、すごく豊かなことだと思います」
「豊か、ですか」
「ええ。――離れていても、同じ日を、二倍、生きているみたいですもの」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――二倍、生きている)
(――そういう言い方が、あるのですわね)
「……マリアは、また、名前のつけ方が、上手ですわ」
マリアは、にこりとした。
――――――
夕方、オットーが、週次の報告を持ってきた。その中に、周縁部第一区からの報告が含まれていた。
「――苗の状況でございます。葉の数、前回より三枚増加。根元、問題なし。担当庭師からの所見:『順調に根を張っております』」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、目を細めた。
「――根を張っている、ですわね」
「はい」
(――根を張るというのは――見えないところで、起きていることですわ)
(葉が増えることは、見えますわ。でも、根が張ることは――掘り返すまで、目に届かない)
(――温室の芽も、同じですわね。土の中で、何かが起きている。それは、わかりませんの)
「――記録しておいてください。冊子の、周縁部の欄に」
「かしこまりました」
「それと――」レオノーラは、少しだけ、間を置いた。「――『根を張っております』という庭師の言葉も、そのまま、書き留めておいてください。数値ではなく、そのままの言葉で」
オットーは、少しだけ、目を細めた。
(――「そのままの言葉で」、でございますか)
(三十年、お嬢様の記録はすべて、数値に変換されておりました。感想や所見は、不必要な情報として、削除されておりました)
(――今のお嬢様は、数値にならない言葉を、そのまま、残そうとなさっていますね)
「――かしこまりました」
――――――
夜、書簡を書いた。
「アドリアン。今日、帝国では雨で、こちらでは晴れでした。同じ日の、別の空のことを考えました。温室の記録は、四枚目になりました。今日の記録に、「今日は晴れ」と書きました。実務的な記録ではありませんが――殿下が雨と書いてくださったので、わたくしも書きたくなりましたの。周縁部の苗は、根を張っているそうです。見えないところで起きていることが、今は、確かに感じられますわ。変化のない日の芽も、変化のある日の苗も――どちらも、同じ一冊に、積み重なっています。返信は、また、数日後かもしれません。同じ時刻で。――好意として」
書き終えて、レオノーラは、その書簡を、しばらく、見た。
(――「書きたくなりましたの」)
(――以前のわたくしなら、こういう一文は、書きませんでしたわ)
(理由のない行動は――書簡に、書かないものでしたもの)
(――今は、理由のない行動にも、理由がありますわ)
(「殿下が書いてくださったから、わたくしも書きたかった」――それが、理由ですわ)
封をして、オットーに渡した。
「――今夜中に」
「かしこまりました」オットーは、それを受け取った。「――今夜の書簡、珍しく、短く、お書きになりましたね」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
「――そうですか」
「はい。――以前は、行数が少ないことを、お気にされていたかと存じますが」
「今は――気になりませんわ」レオノーラは言った。「――言いたいことが、書けましたもの。行数は、関係ありませんの」
老執事は、それを聞いて、深く、一礼した。
(――行数を、気にされなくなりました)
(――以前は、行数が「関係の深さの指標」でございました。増えることを望み、減ることを憂いておられました)
(――今のお嬢様にとって、書簡の行数は――測るものではなく、書いた結果に過ぎないのですね)
(それは――長さで測っていたものを、中身で測り始めた、ということでございます)
――――――
翌朝――日曜日の朝、帝国からの返信は、届かなかった。
オットーが、それを、静かに伝えた。
「――本日は、ございません」
「ええ。わかっていますわ」
レオノーラは、それを聞いて、窓の外を見た。
今日も、晴れていた。
(――向こうは、今日、どんな空でしょう)
(――わかりませんわ)
(――わからないまま、こちらで、晴れの一日を、過ごしますのね)
温室に向かった。
エーデルローゼの芽は、昨日と、ほぼ同じに、見えた。
子爵の庭の薔薇の芽は、どうだろうか。昨日は「変化確認できず」だったが――
しゃがんで、ゆっくり、見た。
(――)
葉の、縁が、ほんの少しだけ、広がっていた。
前日は、見えていなかった。今日、見えた。
(――あった、のですわ)
(昨日も、変化はあったのかもしれない。見えなかっただけで)
(――今日、初めて、見えましたのね)
懐の紙を取り出した。昨日の記録の、次の行を開いた。
「――子爵の庭の薔薇。葉の縁、広がり、確認。昨日の変化が、今日、見えた、かもしれない」
書き終えて、「昨日の変化が、今日、見えた、かもしれない」という一文を、しばらく、見た。
(――「かもしれない」でいい、ということを、今のわたくしは、知っていますわ)
(以前なら――「確認できたこと」だけを記録して、不確かな推測は、省きましたわ)
(でも――これは、一年後、殿下にお見せする記録ですもの)
(わかったことだけでなく、わからなかったことも、含めて、お見せする方が――正確ですわ)
紙を、丁寧に折って、懐にしまった。
(――これが、積み重なる、ということですわ)
(確かなものだけでなく、不確かなものも、一緒に、積み重なっていく)
(――一年後には、それがすべて、「ここまでの時間」になりますのね)
――――――
屋敷に戻ると、オットーが待っていた。
「――冊子を、お持ちしました。温室の記録と、周縁部の記録を、まとめたものでございます」
レオノーラは、それを受け取った。
薄い、冊子だった。まだ、数枚しか、ページがなかった。
(――薄いですわね)
(でも――一年後には)
(――どのくらいの厚さに、なっているか)
ページをめくった。最初のページに、自分の手書きの記録があった。
「エーデルローゼ。高さ、約八ミリ。葉、まだ、ありません」
「子爵の庭の薔薇。高さ、約六ミリ。葉、一枚、開きはじめています」
(――最初の記録ですわ)
(あのとき――エーデルローゼは、まだ葉がなかった)
(今は、二枚、ありますわ)
(――わずか、数日で)
次のページ、その次のページ、と、めくっていった。
数字が、少しずつ、変わっていた。変化のない日の記録も、あった。「今日は晴れ」という一文も、あった。
(――これが、積み重なった、ということですわ)
(数日分しかない。でも――確かに、ある)
(――これが、一年後に、どのくらい積み重なっているか)
(数える必要は、ありませんわ。でも――想像することは、楽しみですわね)
冊子を、静かに、閉じた。
「――オットー」
「はい」
「――この冊子、どこに、保管しますか」
老執事は、少しだけ、考えた。
「――これまでの実務書類は、書斎の棚に。温室の管理記録は、温室の戸棚に、保管しておりました。――どちらに、いたしましょうか」
レオノーラは、それを聞いて、少しだけ、考えた。
(――どちらでも、ありませんわ)
(これは、実務書類でも、管理記録でも、ありませんもの)
「――寝室の、文机の上に、置いておいてください」
オットーは、少しだけ、目を見開いた。
(――寝室の文机、でございますか)
(三十年、お嬢様の寝室の文机は――翌朝の日程表と、休む前に確認する書類だけが、置かれておりました)
(――そこに、この冊子が、加わりますね)
「――かしこまりました」
「――夜、寝る前に、見ることにしますわ」レオノーラは言った。「――その日に、何が積み重なったかを、確認するために」
老執事は、それを聞いて、深く、一礼した。
(――「夜、寝る前に」)
(――それは、翌日の準備のためではなく、今日を振り返るための時間、でございます)
(三十年、お嬢様の夜は、明日に向けて終わるものでした)
(――今日、初めて、今日のために、夜を使われます)
――――――
夜、寝室の文机の上に、冊子があった。
レオノーラは、それを、手に取った。
最初のページから、最後のページまで、ゆっくり、読んだ。
(――芽は、確かに、育っていますわ)
(苗は、根を張っていますわ)
(殿下は、雨の日も、こちらのことを、考えていてくださいますわ)
(――これが、積み重なる、ということですわ)
(一日一日は、小さい。でも――こうして見ると)
(――確かに、何かが、ありますのね)
冊子を、静かに、閉じた。文机の上に、戻した。
窓の外に、夜の王都があった。
南の診療所は今夜も機能しているはずだった。西区の水路は今夜も通っているはずだった。周縁部の苗は――根を張りながら、夜を、過ごしているはずだった。
温室には――四枚の記録を持つ、二つの芽があった。
帝国では――今、どんな夜だろうか。
(――わかりませんわ)
(――それでいいのですわ)
(わからないことも、積み重なっていきますもの)
――――――
(第三十三話 了)




