第18話 悪役令嬢、確認する
アドリアンから返信が届いた翌朝、オットーが持ってきた書状はいつもより分厚かった。
「……封が、二重になっていますわ」
「外封は使節団の公用便でございます。内封に、別の封蝋がございます」
レオノーラは内封を開いた。折り畳まれた紙が二枚入っていた。一枚は、見慣れた書体で書かれた短い書簡だった。もう一枚は——帝都の区画図の写しだった。
書簡は四行だった。
「帝国での施設配置の記録を同封します。九か所の弧——王国とほぼ同じ構造です。ご確認ください。確認したい一点については、直接お会いしたときに。日程は明日の午後を提案します。場所は御提案に委ねます。引き続き、記録として」
レオノーラは区画図の写しを机に広げた。
(帝国の区画図)
王都外縁の弧。九か所。それとほぼ同じ構造が、帝都の外縁にも——点として打たれていた。
(弧。同じですわ。帝国でも、同じ形で囲んでいた)
「オットー」
「はい」
「明日の午後、子爵の茶館を使えるか確認してください。それと——この区画図の写しと、王国の計画書の対象施設九か所を、地図上で並べた比較メモを作ります。午前中にまとめます」
「かしこまりました。……明日の会合には、クラウス・フォン・ハルナ殿も参加されますか」
「わかりません。殿下にお任せします」
老執事は一礼して、部屋を出た。廊下に出てから、小さく息をついた。それは溜息ではなかった。
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午前中、レオノーラは比較メモの作成に集中した。
王国の計画書が示す九か所——旧公共集会所、廃止予定の医療施設、老朽倉庫、整備未完了の空き地——を一覧にした。次に帝国の区画図から対応する施設を抽出した。
帝国の施設は、八か所だった。
(八か所。王国は九か所。一か所少ない)
種別は似ていた。旧公共集会施設が三か所。廃止された小規模医療施設が二か所。倉庫跡地が二か所。未整備の空き地が一か所。
配置を地図に点として打ち込んだ。
弧を描いていた。
(帝国は、八か所で弧を閉じた。王国は九か所で閉じようとしている。一か所多い——あるいは、帝国では一か所取り損ねた)
どちらかはわからなかった。ただ——構造が同じであることは、今日確認できた。
マリアが紅茶を持ってきた。「お嬢様、今日は難しい顔をしていますね」
「地図を見ています」
「地図って、どの地図ですか」
「帝国と王国の外縁部の施設配置ですわ。同じ形で囲まれていると確認できました」
マリアは机の上の地図を覗き込んで、少しだけ青ざめた。「……これ、全部繋がっているんですか。こんなに広く」
「計画が、そういう規模だったということです」
「……止められますか」
「止めます」レオノーラはペンを置いた。「形が見えました。形が見えれば、次が読める。次が読めれば——動けます」
マリアは少しだけ、息を吐いた。「……はい」
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翌日の午後、茶館に着いたのは約束の時刻の十分前だった。
今日はオットーだけを連れていた。マリアは屋敷で待機させた。会合の内容が、人数を絞った方が適切だと判断した。
先に着いていたのは、アドリアンだけだった。クラウス・フォン・ハルナの姿はなかった。
「……今日は、お一人ですわね」
「クラウスには別の仕事を頼んでいます。今日の会合は——」アドリアンは席に着きながら言った。「実務の確認と、もう一点ありますので」
「もう一点」
「先に実務の方からにしますか」
「……そうしてください」
レオノーラは比較メモを机に広げた。
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「帝国の施設配置を確認しました」レオノーラは言った。「八か所です。王国の九か所と比較すると、一か所少ない。配置の構造は同じです——弧を描いています。ただ、弧が閉じ切っていない」
「帝国では一か所、取得できなかったものがあります」アドリアンは言った。「北西の角にあたる区画です。土地の所有者が売却を拒否した。最終的に商会はその区画を諦めて、別の形で計画を進めようとしましたが——そこで帝国の捜査が入りました」
(北西の角。王国では——)
「王国の計画書の対象施設のうち、北西に位置するのは——整備未完了の空き地、二か所のうちの一つです」レオノーラは比較メモの該当箇所に線を引いた。「まだ取得されていない。凍結前に動かしていなかった、ということかもしれません」
「王国では、計画が帝国より遅れていたと思われます」アドリアンは言った。「帝国での失敗を踏まえて修正しようとしていた——北西の区画の取得方法を変えるつもりだった可能性があります」
(修正。帝国での失敗から学んで、王国では改良しようとしていた)
「……計画書が第三稿だった理由が、見えてきましたわ」
「第一稿と第二稿には、北西の区画の取得方法が別の手順で書いてあったかもしれません」
「そうですわね。精査委員会への提出要請に理由が加わりました。第一稿・第二稿の変更点を確認することで、帝国での失敗がどう反映されているか——つまり、商会が王国でいつ、帝国での手口を『改良した』かが見えます」
アドリアンは少しだけ、目を細めた。「……想定より、早く繋がりましたね」
「殿下が区画図を送ってくださったからですわ」レオノーラはメモに追記しながら言った。「それがなければ、今日まで気づかなかったかもしれません」
部屋に、短い間が落ちた。
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実務の確認が終わった後、しばらく沈黙があった。
レオノーラは書類を揃えた。アドリアンはテーブルの上で手を組んだまま、動かなかった。
「……もう一点、とおっしゃっていましたわ」
「はい」
「実務の件ではないですね」
「どちらでも、とも言えます」アドリアンは静かに言った。「実務の話でもあり、そうでない話でもある」
「……どちらから確認しますか」
アドリアンは少しだけ、微かに笑った。「あなたが順番を決めますか」
「順番が関係するのでしたら、そうします」
「実務の方から」
「では」レオノーラは手を組んだ。「実務の件は——」
「帝国商務局として、ランドルフ商会の国外資産の差し押さえ手続きに入れる段階になりました。司法局の書面が揃えば、来週には正式な申請ができます。その際——王国と帝国の共同捜査、という形式を取ることが、手続き上、最も有効です」
(共同捜査)
「共同捜査、というのは——」
「二国間の不正取引への共同対処として、王国の司法局と帝国商務局が連名で申請書を提出する形です。これにより、帝国内の資産だけでなく、国境をまたぐ取引記録そのものを証拠として扱える法的根拠ができます。単独での差し押さえより、商会の反論を封じる力が強い」
「……カール殿下に確認が必要ですわ。王国が帝国との共同捜査に合意するかどうか——政治的な判断が含まれます」
「その確認を、あなたにお願いしたいと思っていました」アドリアンは言った。「カール殿下との関係は、私より、あなたの方が——調整しやすい」
「……承知しました。今日中にゲルハルト文官経由で伺いを立てます」
「ありがとうございます」
部屋に、また短い間が落ちた。
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「……もう一方の件です」アドリアンは言った。
「はい」
「私が確認したかったのは——あなたが書簡に書いた『全体像が見えた気がする』という一文についてです」
レオノーラは少しだけ、手の動きを止めた。
「案件の全体像ですわ。実務上の話ですわ」
「そうですね」アドリアンは言った。「ただ、あなたは『全体像』という言葉の前に、『今日初めて』と書いた。今日初めて、見えた気がする——という表現でした」
「……ええ、そう書きました」
「その『全体像』というのが、案件のことだけを指しているかどうかを——確認したかったのです」
部屋に、静かな時間が落ちた。
(案件のことだけ、ではないか、という問いですわ)
レオノーラは少しの間、机の端を見た。書類が整然と並んでいた。比較メモ。区画図の写し。実務の痕跡。
「……案件のことだけ、ではないかもしれません」
アドリアンは何も言わなかった。ただ、静かに聞いていた。
「ただ」レオノーラは続けた。「全体像が、正しいかどうか——まだわかりません。見えた気がする、というのが、今の正確な状態ですわ」
「それで十分です」アドリアンは言った。「見えた気がする、という段階が——あると知ることが、私が確認したかったことですから」
(確認したかったこと)
「……殿下も、同じ一点があるとおっしゃっていましたわ」
「はい」
「確認、できましたか」
アドリアンは少しだけ、微かに——本当に微かに、目元を和らげた。
「できました」
レオノーラは、その返答を少しの間、受け取った。受け取ってから、短く言った。
「……承知しました」
それが返答として正しいかどうかも、今日はわからなかった。ただ——前回と同じ言葉が出てきて、少しだけ可笑しかった。
(前回も「承知しました」と言いましたわ。判断材料が足りないときの自分は、どうやらそこに着地するようですわね)
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屋敷に戻ったのは夕方前だった。
オットーが玄関で待っていた。
「カール殿下への伺いの件、今から手配しますわ。共同捜査の件です。ゲルハルト文官に書状を出してください。内容は——王国と帝国の共同捜査申請について、カール殿下に御判断を仰ぎたい旨。詳細は明日直接確認の機会をいただきたいと。今日中に」
「かしこまりました。……今日の会合は、いかがでしたか」
「実務上、成果がありました。帝国での施設配置の確認ができ、計画書の第一稿・第二稿の変更点を精査する必要性も見えました。共同捜査の提案も受けました」
「……それだけ、でございますか」
レオノーラは少しだけ、間を置いた。
「——それだけでは、ないかもしれません」
老執事は何も言わなかった。ただ、一礼した。その礼には、かすかな何かが含まれていた。それが何かを、レオノーラは今日も名指しできなかった。
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夜、アドリアンへの書簡を書いた。
六行になった。
「今日の会合、ありがとうございました。比較メモから、帝国での施設配置との一致を確認できました。第一稿・第二稿の追加提出要請については、変更点の分析という観点を加えて精査委員会に依頼します。共同捜査の件は、今日カール殿下への伺いを立てました。明日、回答があると思います。もう一点の確認——こちらも、確認できました。引き続き、記録として」
書き終えて、後ろから三行を読み返した。
(「もう一点の確認——こちらも、確認できました」)
七行目になるはずだったものが、六行に収まっていた。前回が九行だったことを思えば、短かった。ただ——「もう一点の確認」という五文字が入っていた。それが今日の六行の中で、どの位置にあるかは、自分でも少し意外だった。
(実務の報告と、そうでない報告が、同じ行数の中に並んでいますわ。自然に)
封をして、オットーに渡した。
「帝国の使節団に、明朝届けてください」
「……本日の返信は、何行でしたか」
「六行ですわ」
「先回は九行でございましたね」
「必要なことが六行で収まりましたので」
「さようでございますか」老執事は何も言わなかった。「御意でございます」
彼は一礼して、扉を閉めた。廊下に出てから、ゆっくりと歩いた。
(六行——そして「もう一点の確認、こちらも確認できました」という一文が五行目にある。先回より短い。ただ、内容は——先回より、少し先に進んでおられる)
三十年の経験が、そのことを静かに、穏やかに、受け取っていた。
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翌朝、二通の書状が届いた。
一通は帝国からだった。三行だった。
「確認の報告、ありがとうございます。共同捜査の件、カール殿下の回答をお待ちしています。もう一点——こちらも同様に、確認できました。引き続き、記録として」
レオノーラは、「こちらも同様に、確認できました」という部分を少しの間、眺めた。
(同様に、確認できました)
自分が書いた「確認できました」が、「同様に」という二文字を添えて返ってきた。
(前回の「実務上」に「以上に」が足されてきた構造と——同じですわ)
今回は「同様に」。二文字の追加だった。前回は三文字だった。文字数は少なくなっているが、意味は——同じ方向を向いていた。
もう一通は、ゲルハルト文官からだった。
「カール王太子殿下より。共同捜査の件、原則として前向きに検討する旨。ただし、二点確認の上で正式に回答したい。一——共同捜査の申請書に王国の司法局が連名する場合の、帝国側の手続き上の位置づけ(対等な共同当事者か、補助当事者か)。二——捜査の結果として差し押さえられた資産の処分については、どの国の基準が適用されるか。この二点について、帝国商務局のクラウス・フォン・ハルナ殿と直接確認できる場を設けてほしい。日程は今週中で御提案ください。以上」
レオノーラはその二点を読んだ。
(二点。どちらも、正当な確認事項ですわ)
「オットー」
「はい」
「アドリアン殿下への書簡に、今日の返信として以下を書きます。カール殿下の二点の確認事項を伝え、クラウス・フォン・ハルナ殿との実務会合の日程調整をお願いします。今週中、できれば木曜か金曜の午前が希望です。場所はまた子爵の茶館で構いません」
「かしこまりました。……次の会合は、実務のみの会合になりますか」
レオノーラは少しだけ、ペンを止めた。
「……そうですわね。次は実務の会合です。クラウス殿が主たる担当になります」
「さようでございますか」老執事は一礼した。「御意でございます」
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午後、精査委員会から追加報告が届いた。
第一稿と第二稿の提出要請に対して、都市整備課から回答が来た——「第一稿は既に廃棄済みのため存在しない。第二稿については確認中」という内容だった。
(廃棄。タイミングが、美しくありませんわ)
「オットー」
「はい」
「ゲルハルト文官経由で、二点。一——第一稿の廃棄日時と廃棄手続きの記録の提出を求めること。通常、官庁の内部文書の廃棄には記録が残ります。廃棄の事実があるなら、その記録も提出できるはずです。二——第二稿の『確認中』について、提出期限を明日の正午とすること。今日が木曜日ですから、金曜の正午。これを精査委員会に依頼してください」
「かしこまりました。……第一稿の廃棄記録、というのは——」
「廃棄されたのが計画書の変更が進んでいた時期と重なるなら、意図的な証拠隠滅の可能性があります。廃棄記録がなければ——手続き上の重大な不備として、それ自体が問題になります」
「……どちらに転んでも、問題になる構造ですね」
「タイミングの問題ですわ」レオノーラはメモに追記しながら言った。「動ける時に動く。それだけのことです」
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夕暮れ時、窓の外の王都が橙に染まる頃、レオノーラは今日動いたことをまとめた。
帝国の施設配置の確認。計画書の改訂過程の分析方針の確立。共同捜査の提案とカール殿下の二点の確認事項。次の実務会合の日程調整の依頼。第一稿廃棄の記録請求と第二稿の提出期限の設定。
そして——「もう一点の確認」。
(後者は、業務報告の分類に入りません。今日も)
ただ——今日は、「分類できない」という事実に対して、少しだけ、戸惑いの量が前日より小さかった。
(見えた気がする、と書いた。確認できた、と伝えた。それが今日の正確な状態ですわ。まだ全体像が正しいとは断言できない。ただ——輪郭は、見えている)
窓の外に、いつものように南の方角が見えた。診療所の光は、今日も機能しているはずだった。西区の水路は、雨季を乗り越えていた。周縁部は——弧の形が、今日で確定した。その弧を閉じさせないために、まだやることがある。
(まだ、仕事は終わっていませんわ)
机の端に、帝国からの三行の書状があった。「同様に、確認できました」という言葉の入った方。それをどこに分類するかは、今日も決まっていなかった。
ただ——前回よりは、少しだけ、決まりかけているものがあった。
レオノーラは次の書類を引き寄せた。明日のカール殿下への実務会合に向けた準備メモだった。
仕事は、まだ終わっていなかった。
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(第十八話 了)




