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悪女は正しい  作者: Dちゃん
第二章「王都の病は数字に宿る」

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13/18

第13話 悪役令嬢、連携する

アドリアンからの「直接連絡を」という提案を、レオノーラは三日間、机の端に置いておいた。


 置いておいた、というのは正確ではないかもしれない。書簡そのものは保管箱に移していた。ただ、返答の文面が、なかなか定まらなかった。


 理由は分かっていた。「直接」という言葉の意味が、外交文書として読むべきか、それ以外の何かとして受け取るべきか、判断材料が足りなかった。


(判断材料が足りない案件は、保留する。それが原則ですわ)


 ただ、保留できない理由もあった。ランドルフ商会の国外資産の件は、時間が経てば経つほど移転・隠匿が進む可能性がある。それは実務上の損失だ。


 四日目の朝、レオノーラはペンを取った。

──────

 今回の返信は、六行になった。


「ご提案を受け取りました。帝国商務局との連携については、以下の点を確認させてください。一、王国の精査委員会の最終報告の時期の見通し。二、帝国側での差し押さえに必要な書類の種類と、王国側で準備すべき証跡の形式。三、連携の事実が外部に漏れた場合のリスク管理の方法。以上三点について、ご回答いただければ、具体的な調整に入れます。引き続き、記録として」


 書き終えて、最後の五文字を見た。


(今回の「記録として」は、前よりも少し——実務的ですわね)


 自分でもよくわからない評価だった。封をして、オットーに渡した。


「帝国の使節団に、本日中に届けてください」


「……本日の返信は、何行でしたか」


「六行ですわ」


「先回も六行でございましたね」


「同じですわ」


「さようでございますか」老執事は何も言わなかった。「御意でございます」


 彼は一礼して、扉を閉めた。

──────

 同じ日の午後、ゲルハルト文官から書状が届いた。


「カール王太子殿下より。精査委員会の進捗について、一点ご報告があります。ブロッサー次官補に関する財務局案件の調査において、予想外の事実が判明しました。次官補は三週間前に省内異動を申請しており、現在その審査が保留されています。異動先は地方赴任であり、精査委員会の対象案件から物理的に距離を置こうとしている可能性があります。委員会としては、異動審査の一時停止を検討していますが、手続き上の根拠が必要です。何か知恵をお貸しいただけますか。以上」


 レオノーラはそれを一度読んで、机に置いた。


(三週間前。精査委員会が正式に発足したのは二週間前。つまり、発足より前に異動申請を出している)


 二つの解釈があった。一つは、精査委員会の設置を事前に察知していた。もう一つは、別の理由でもともと異動を計画していた。どちらとも言えない。しかし——


(タイミングが、美しくありませんわ)


「オットー」


「はい」


「財務局の人事異動の手続きについて確認したいことがあります。通常、省内異動の申請から承認まで、どのくらいの期間がかかりますか」


「通常は一ヶ月から六週間ほどです。ただ、次官補クラスの場合は局長官の決裁が必要になりますので、もう少し時間がかかることもございます」


「その決裁は、現在誰が行っていますか。局長官はまだ療養中でしたか」


「確認しますが——おそらく、代行者がいるはずです。ただ、その代行者が誰であるかは……」


「稟議書の決裁欄と同じ問題ですわね」レオノーラは静かに言った。「名前の記載がない」


 マリアが小声で言った。「……それって、代行者もグルってことですか」


「断言はできません。ただ、異動申請が通れば——次官補は精査の対象期間中、地方にいたという事実が作られる。証人として呼ぶことが難しくなります」


「それは……まずいですよね」


「手続き上の根拠が必要、とゲルハルト文官は書いています」レオノーラはペンを取った。「根拠を作ればいいですわ」

──────

 返信はゲルハルト文官ではなく、カール王太子に直接書いた。今回ばかりは、窓口を経由している時間がなかった。


「カール殿下へ。一点、確認事項と提案を申し上げます。ブロッサー財務次官補の省内異動申請は、精査委員会の発足より前に提出されています。これは偶然かもしれません。しかし、精査において次官補は重要な証人となる可能性があります。証人の不在という事態を防ぐため、以下の手続きをご検討ください。精査委員会の委員長名義で、次官補に対し『精査期間中の協力義務』を通知する。これは法的拘束ではなく、行政上の手続きとして処理できます。通知の発出により、人事局は異動審査を『精査終了まで』自動的に保留する慣例があるはずです。根拠は、行政手続法の協力義務条項——ランツ子爵であれば詳細をご存知かと。レオノーラ・フォン・ヴァレンシュタイン」


 書き終えて、封をした。


「オットー、これをゲルハルト文官に今日中に届けてください。急ぎです」


「かしこまりました。……先ほどの書状と、今回の書状、両方本日中でよろしいですか」


「はい、どちらも今日中です」


 老執事は一礼して、足早に部屋を出た。マリアが少し心配そうな顔で残った。


「……お嬢様、ブロッサー次官補、何か察してるんですかね」


「わかりません」レオノーラは次の書類を引き寄せながら言った。「察していても、察していなくても、こちらのやることは変わりません。必要な手続きを、正しい順番で動かすだけですわ」


「……はい」


「それより、今日の午後の予定を確認しますわ。西区の水利組合への補修費支払いの状況、確認は取れていますか」


「あ、はい。先ほど組合の書記官から——凍結解除の通知が正式に届いたとの連絡がありました。工事の手配は来週から入れられる、と」


「雨季まで、間に合いますね」


「はい。ぎりぎりですけど」


「ぎりぎりでも、間に合えば同じですわ」


 マリアはそれを聞いて、少しだけ目を細めた。(そのぎりぎりを作ったのは、お嬢様なんですけどね)


 その感想は、声に出さなかった。

──────

 翌朝、帝国の使節団からアドリアンの返信が届いた。


 七行だった。


「三点の質問に回答します。一、王国の精査委員会の最終報告については、現時点での見通しを把握していませんが、帝国側は三ヶ月以内であれば対応可能です。二、差し押さえに必要な書類は、対象資産の特定書(品目・所在地・推定評価額)と、王国の司法当局または精査委員会による不正認定の書面です。王国側で準備すべき証跡の形式については、帝国商務局の担当者が直接ご説明します。三、連携の事実の管理については、現時点では帝国商務局と王国精査委員会の担当者間のみの情報とし、外交記録には残さない形が取れます。具体的な調整を進めるにあたり、一度、直接お話しする機会をいただけますか。引き続き、記録として」


 レオノーラはその最後の二文を、少しの間、眺めた。


(「一度、直接お話しする機会を」)


 先回の「私へ直接ご連絡ください」に続いて、今回は「直接お話しする機会」。これは実務的な要請として読むのが正しい。帝国商務局の担当者の説明のために、対面での調整が必要という文脈だ。


(……そうですわね)


 レオノーラはペンを取った。返信は四行にする予定だった。


 書き始めて、五行になった。

──────

 同日の午後、カールからゲルハルト文官経由で返答が届いた。


「昨日の提案について。行政手続法の協力義務条項の件、ランツ子爵に確認しました。前例があります。本日付けで精査委員会の委員長から次官補へ通知を発出しました。人事局には異動審査の保留を依頼済みです。迅速なご提案に感謝します。以上」


 マリアが「よかった」と小声で言った。


 レオノーラはそれを一度読んで、机の端に置いた。


(次官補の異動は止まった。精査委員会は調査の時間を得た。次は——最終報告の中身ですわ)


 ランドルフ商会の国外資産については、精査委員会の不正認定が出てからでなければ動けない。それまでは、商会も資産を動かしにくい。「連携の情報が漏れた場合のリスク」を先に確認したのは、そういう理由だった。動く前に、逃げ道を塞ぐ。


(型が見えれば、先が読める。先が読めれば、準備できる。それだけのことですわ)


「オットー」


「はい」


「精査委員会の最終報告が出る前に、帝国商務局の担当者と一度会う必要が出てきます。その際の場所と形式について、検討しておいてください。正式な外交の席でも、茶館でも、どちらでも構いません。ただ、記録を残さない形が望ましい」


「……帝国の担当者と、お嬢様が直接お会いになるということですか」


「アドリアン殿下の書簡に、帝国商務局の担当者が直接説明する、とありました。対面の方が確認が速い。それだけのことです」


「……かしこまりました」


 老執事は一礼した。扉の外に出てから、小さく息をついた。


(「アドリアン殿下の書簡に」とおっしゃった。「帝国からの書簡に」ではなく)


 三十年の経験が、何かを言いたがっていた。ただ、老執事はそれを静かに胸に仕舞った。こういうことは、待つものだ。

──────

 夕方、ランツ子爵から短い書状が届いた。


「本日の精査委員会の協力義務通知の件、手続きを確認しました。前例は二件。いずれも通知後、異動は精査終了まで停止されています。なお、蛇足ながら——次官補は通知を受け取った直後、局内で部下に何事かを指示したと聞いています。内容は不明ですが、書類の整理を命じたとのことです。念のため」


 レオノーラはその最後の一文を読んで、短く考えた。


(書類の整理。通知を受けた後に、書類を整理させる。それは——証拠の隠滅か、あるいは単純に身辺を整理しているか)


「オットー」


「はい」


「今日のランツ子爵の情報を、ゲルハルト文官経由でカール殿下に転送してください。内容は一言添えて——『次官補の部下が書類整理を始めた。精査委員会において、対象書類の保全措置が必要かもしれません』。それだけで結構です」


「……すぐに参ります」


 マリアが少し青ざめた顔で言った。「……書類を隠されたら、どうなりますか」


「精査が難しくなります。ただ——」レオノーラは静かに言った。「私たちがすでに持っている書類は、写しの写しとはいえ手元にある。ランツ子爵が確認した記録も存在する。すべてを隠し切ることはできません」


「それなら……」


「ただ、隠そうとした、という事実そのものが——証拠になりますわ」


 マリアはそれを聞いて、少し間を置いた。それから小声で言った。「……頭いい」


「事実の話ですわ」

──────

 夜、アドリアンへの返信を仕上げた。


 五行だった。


「回答を受け取りました。直接の話し合いについて、精査委員会の最終報告が出る前後のタイミングが適切と考えます。帝国商務局の担当者との確認事項は、対象資産の特定と書面の形式の二点です。場所と形式については、記録を残さない形を希望します。具体的な日程については、精査の進捗に合わせて改めてご連絡します。引き続き、記録として」


 書き終えて、五文字を見た。


(今回の五行は、実務の話だけですわ)


 そう思った。思ってから、少しだけ間を置いた。


(……実務の話だけに、なってしまいましたわね)


 それが何を意味するのか、今日もうまく言葉にならなかった。


 封をして、オットーに渡した。


「帝国の使節団に、明朝届けてください」


「……本日の返信は、何行でしたか」


「五行ですわ」


「先回は六行でございましたね」


「今回は実務の内容だけでしたので」


「さようでございますか」老執事は何も言わなかった。「御意でございます」


 彼は一礼して、扉を閉めた。廊下に出てから、また小さく首を振った。


(実務の内容だけ、とおっしゃった。行数が減ったことを、ご自分で説明された。三十年で初めてのことかもしれない)


 老執事は、それ以上何も考えないことにした。考えれば、顔に出る。顔に出れば、叱られる。

──────

 翌朝、執務室の机の上には書類が二束届いていた。


 一つは、精査委員会からの書類保全要請の受理通知。次官補の执務室と関連部署の書類が封印措置の対象になった、という報告だった。


(動きが速かった。カール殿下が、迷わず動いた)


 もう一つは、南区診療所のエドガー・グリム院長からの短い手紙だった。


「先日、補助金凍結解除の正式通知を受け取りました。これにより来月以降も診療を継続できる見込みです。どのような経緯があったかは存じませんが、数字の後ろに人の手があったのだと、薬棚の整理をしながら思いました。礼を申し上げます。エドガー・グリム」


 レオノーラはその手紙を一度読んで、机の上に置いた。


(数字の後ろに人の手があった)


 正確な表現だ、と思った。数字は事実を記録するだけだ。動かすのは、人間の手だ。


 マリアが覗き込んだ。「お嬢様、何ですか」


「診療所の院長からの手紙ですわ」


「グリム先生から?」マリアは目を輝かせた。「何て書いてありましたか」


「礼状ですわ。読みますか」


 マリアは差し出された手紙を受け取り、読んだ。途中から、目頭が赤くなった。


「……マリア」


「は、はいっ」


「今日の午前の予定を教えなさい」


「え——あ、はい。侯爵家の収支査定が一件と……精査委員会から追加の照会書類が届く予定です」


「わかりました。紅茶を持ってきてから、始めます」


 マリアは手紙を返しながら、少し目を細めた。(また「紅茶が済んでから」って言った)


 その感想は声に出さなかった。ただ、紅茶を取りに行く足が、少しだけ軽かった。

──────

 午後、レオノーラは精査委員会からの照会書類に目を通しながら、一点だけ引っかかるものを見つけた。


 委員会が次官補関連の案件として列挙した予算項目の中に、一つだけ馴染みのない予算区分があった。「王都周縁部開発準備費」という項目だ。


(王都周縁部開発準備費。これは——南区でも西区でもない)


「オットー」


「はい」


「『王都周縁部開発準備費』という予算区分について調べなさい。いつ設置された項目か、担当部署、過去二年の執行実績を。今日中でなくて構いません。ただ、この週のうちに」


「かしこまりました。……また、新しい案件ですか」


「まだわかりません」レオノーラは書類から目を上げずに言った。「ただ、気になる数字があれば、確認するのが仕事ですわ」


「……御意でございます」


 老執事は部屋を出た。廊下で、小さく息をついた。それは溜息ではなかった。


(このお嬢様が「気になる」とおっしゃる数字は、たいてい、気になる理由がある)


 三十年の経験が、それを教えていた。

──────

 夕暮れ時、窓の外の王都が橙に染まる頃、レオノーラは机の上の書類をひとまとめにした。


 今日動いたこと。精査委員会への書類保全の働きかけ。帝国との連携の日程の骨格。西区水路補修の確認。そして、新たな「気になる数字」。


(今日も今日分だけ進んだ)


 それで十分だった。


 ただ——今日はもう一つ、どこに分類すればいいかわからないものが一つあった。


(実務の話だけに、なってしまいましたわね)


 あの五文字を書いたとき、確かにそう思った。思ったということは、実務の話だけではなかった、と感じていた何かがあるということだ。


(合理的な価値がない。わかっていますわ。ただ——)


 窓の外、南の方角に、今日も小さな光の群れが見えた。南区の灯りだ。その中に、診療所の光もあるはずだった。


 レオノーラはそれを確かめるように一度だけ南の方向を見て、それから視線を机に戻した。


 手元には、まだ読み終えていない書類が一束あった。


 仕事は、まだ終わっていなかった。


(第十三話 了)

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