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悪女は正しい  作者: Dちゃん
第二章「王都の病は数字に宿る」

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10/18

第10話 悪役令嬢、仕掛ける

月曜日の朝は、いつもと変わらなかった。


 レオノーラは執務室の机の上に三種類の書類を並べた。南区診療所の収支記録の写し。医療組合の事業報告書。そして昨夜届いた、アドリアンからの二通目の書簡。


 書簡には、八行あった。


「ランドルフ商会について詳細を送ります。同商会は帝国内の複数の穀物倉庫の管理委託を受けており、昨年末に委託契約を一方的に打ち切った実績があります。打ち切りの名目は『倉庫設備の老朽化』でしたが、実際にはその直後、同商会が倉庫の所在地を含む区画の不動産取得を行っています。委託先を追い出して土地を取得する、という手口は一度ではありません。なお、同商会の王国内での動向については、帝国商務局が別件で注視しています。参考まで」


 読み終えて、レオノーラは書簡を机の端に置いた。


(帝国内での手口と、王国内での手口が一致している。「委託先を追い出し、土地を取る」。診療所の件も、同じ型ですわ)


 型が見えれば、次の動きが読める。それがレオノーラの仕事の起点だった。


──────


「オットー」


「はい」


「南区の公共施設の一覧は揃いましたか」


「昨夕に。診療所のほか、共同井戸の管理組合が三件、学区内の初等学院が二棟、それから南区の共同炊事場が一件です。いずれも、何らかの形で王都医療組合または類似の中間組合を通じた補助金ないし運営委託の形式を取っています」


「建物の所有者は」


「調べました。診療所はランドルフ商会の所有と確認済みです。共同井戸の管理組合については建物ではなく土地の問題になりますが——三件のうち二件が、ランドルフ商会の関連会社とみられる不動産業者の名義になっておりました」


 レオノーラは少し眉を動かした。「二件」


「はい。残り一件は確認中です」


(南区の公共施設の土地と建物を、ランドルフ商会の系列が押さえている。補助金を削り、維持費を払えなくさせ、退去させた後に取得する——あるいは、すでに取得済みの土地の上に施設を置かせておき、賃料という形で公金を吸い上げる)


「初等学院の二棟は」


「こちらは王都学事局の管轄ですが、建物の修繕費が三年前から凍結されているという情報があります。凍結の決定に、ブロッサー財務次官補が関与しているという話も」


 レオノーラは一度だけ短く息をついた。


「ブロッサー財務次官補が、学事局の予算にまで手を伸ばしているとすれば——南区の問題は、医療組合一件に収まりませんわね」


「全体として、南区の公共予算が意図的に締め付けられ、その結果として施設が機能不全に陊り、ランドルフ商会が後㔜として利益を回収する、という構造が——」


「仮説ですわ。まだ」レオノーラは静かに言った。「ただ、仮説の精度は上がっています」


──────


 午前のうちに、ランツ子爵からランドルフ商会の信託に関する追加書類が届いた。


 レオノーラはそれを開き、五分で確認を終えた。


(ルドルフ・アセット管理組合への信託額。年間の運用報告。そして——報告書の末尾に記された、受益者の項目)


 受益者の欄には、三つの名前が並んでいた。いずれも、直接には耳に覚えのない名前だった。しかし、その横に付記された所属先を見た瞬間、レオノーラの指先が静かになった。


(王都不動産業者組合、理事。医療組合、運営委員。そして——財務局、公共支出監査課)


「オットー」


「はい」


「この三人の名前を調べなさい。今日中に、それぞれの具体的な職位と、過去二年の異動歴を」


「かしこまりました」


 老執事は名前を書き留め、部屋を出た。廀下で少しだけ足を速めた。このお嬢様の「今日中に」は、本当に今日中を意味する。三十年の経験が、それを教えていた。


──────


 午後、マリアが南区の詳細地図を持って執務室に入ってきた。


「お嬢様、地図です。施設の位置が入っているものを取り寄せました」


「机に広げなさい」


 マリアが地図を広げると、レオノーラは立ち上がって地図の前に立った。南区は王都の南東端に位置し、王城からは馬車で三十分ほどの距離がある。市場、路地、共同井戸の位置。診療所。初等学院。


 彼女は地図に記された施設の位置を、順番に指でなぞった。


(診療所。共同井戸——二件。初等学院——二棟。これらが全て、ランドルフ商会の系列が土地または建物を押さえている区域に集中している)


 偶然ではない。


「マリア、この区域の形を見なさい」


「はい……あ」


「気づきましたか」


「なんか……まとまってます。ひとかたまりに」


「ええ。南区の中でも、ここ——市場の南側から、この路地を挂んだ一帯。施設が密集している区域と、ランドルフ商会の系列が関わっている場所が、ほぼ重なっています」


 マリアは眉を寄せた。「それって、最初からそこを狙ってたってことですか」


「可能性としては、そうですわ。公共施設が集まっている区域は、人の往来が多く、利便性が高い。土地の価値が上がりやすい。そこの公共施設を機能不全にして立ち退きさせれば——」


「更地になった土地を、自分たちで使える」


「あるいは、高値で売れる、ということですわね」


 マリアは少しの間、地図を見ていた。それから、静かに口を開いた。


「……診療所で待ってた子ども、今頃どうしてるかな」


 レオノーラはその言葉を聱いて、少しだけ間を置いた。


「診療所が今月中に閉まらなければ、次も診てもらえますわ」


「……じゃあ、閉まらないようにしてほしいです」


「それが目的ですわ」レオノーラは地図から目を上げずに言った。「ただの話の順序の問題ですわ」


 マリアはまた目頭を赤くした。レオノーラはため息をついて地図に視線を戻した。


(この子の涙腕は、私がどうにかできるものではありませんわ)


──────


 夕方、オットーが調査の結果を持って戻った。


「三名の件です。まず、医療組合の運営委員——ハルト・フェッセル氏。過去二年で、医療組合の委員と、ランドルフ商会の顧問契約を同時に保有しています。二年前の異動前は、財務局の補助金管理課に在籍しておりました」


「補助金管理課」


「はい。現在は退職という形ですが、実質的には組合側に移籍したと見られています。次に、王都不動産業者組合の理事——エーリヒ・ダウム氏。こちらは表立った動きは少ないのですが、ランドルフ商会との間で過去三年で複数の不動産取引の付議を行っており、取引先のほとんどが南区の物件です」


「南区に集中している」


「はい。最後に、財務局の公共支出監査課の担当者——ヴァルター・ノルト氏。昨年度にブロッサー次官補の推薦で着任しております。前職はランドルフ商会の法務顧問でございました」


 部屋に、少しの間、静寂が落ちた。


 マリアが小さな声で言った。「……全員、繋がってる」


「繋がっています」レオノーラは静かに言った。「財務局の補助金管理課出身者が医療組合の委員に入り、監査課にはランドルフ商会の元法務顧問が座っている。補助金を削る側と、監査が届かない状況を作る側と、利益を受け取る側が、人的に一本の線で繋がっているということですわ」


「これは……もう証拠になりますか」


「利害関係の証明にはなります。しかし、それだけでは不正の証拠にはなりません。人脈と不正は、別の話です。問題は——」レオノーラは机の上のリストを指した。「この構造を動かした意思決定の記録が、どこに残っているか、ですわ」


「意思決定の記録」


「補助金の減額を誰が決めたか。その決定に、どの書類が使われたか。ブロッサー次官補の関与が文書として残っているかどうか。それが確認できれば——仮説が証拠になりますわ」


「それを確認するには……」


「財務局の内部稟議書ですわ。ランツ子爵に、もう一度お願いする必要があります。今度は、補助金減額の決裁書類を」


 老執事が静かに言った。「……お嬢様、今回はかなり踏み込んだ要請になります。ランツ子爵の立場に影響が出る可能性も」


「わかっています」レオノーラは一度だけ目を伏せた。「だから、強制はしません。子爵が断ることを選んでも、それは正しい判断です。リスクを背負う選択は、本人にしかできない」


「……ならば、どう打診しますか」


「事実だけを伝えます。何が見えているか、何を確認したいか、それを開示した上で、子爵自身に判断してもらう。それだけですわ」


 老執事は少しの間、レオノーラを見た。それから、一礼した。


「かしこまりました。文面を作ります」


──────


 夜、ランツ子爵への書簡を仕上げた後、レオノーラはアドリアンへの返信を書いた。


 今回は七行になった。


「ランドルフ商会に関する帝国内での手口について、確認しました。王国内での構造と一致しています。南区の公共施設の相当数がランドルフ商会系列の管理下にあること、信託の受益者が財務局・医療組合・不動産業者組合にまたがっていること、を確認済みです。今週中に、補助金減額の決裁書類の確認を試みます。構造は見えています。次は意思決定の記録を押さえれば動けます。引き続き、記録として」


 書き終えてから、最後の五文字を見た。


「引き続き、記録として」


 第八話からずっと、この五文字は変わっていなかった。変える理由もなく、変えない理由も特に定まらないまま、ただそこにある。


(合理的な根拠がないことは、わかっていますわ)


 それでも消さなかった。


 封をしてオットーに渡すと、老執事はいつも通り何も言わなかった。何も言わないことが、彼なりの誠実さだった。


──────


 翌朝、ランツ子爵から返信が届いた。


「補助金減額の決裁書類について、確認します。ただし、内部稟議の書類は閲覧室では扱えません。別の場所と方法が必要になります。一日ください」


 レオノーラはそれを読んで、短く言った。


「一日、待ちます」


 マリアが少し心配そうに言った。「子爵、大丈夫ですかね……」


「大丈夫かどうかは子爵が判断することです。私が心配する領分を越えています」


「でも、お嬢様が心配してないわけじゃないですよね」


 レオノーラは少しだけ間を置いた。


「……次の書類を確認しますわ。マリア、今日の午前の予定を」


「は、はい。侯爵家の定例の収支査定が一件と——」


「わかりました。そちらから片付けます」


 マリアは少し目を細めた。答えを受け取ったような顔だった。


(心配してないわけじゃないって……やっぱりそうじゃないですか、お嬢様)


 その感想は声に出さなかった。声に出せば、確実に叱られるとわかっていた。


──────


 同日の午後、思っていたより早く、ランツ子爵から再び短い書状が届いた。


「補助金減額の決裁書類について、一点だけ申し上げます。昨年六月の減額決定の稟議書——起案者の欄に、ブロッサー財務次官補の名前があります。ただし、書類そのものを外に出すことはできません。直接確認されたい場合は、私の執務室にお越しいただければ。明日の夕方以降、在室しています」


 レオノーラは書状を一度置いた。


(ブロッサー財務次官補が、補助金減額の稟議書の起案者。これは仮説ではなくなりましたわ)


 証拠の輪郭が、確定した。


「オットー、明日の夕方、ランツ子爵の執務室に伺えるよう調整しなさい」


「かしこまりました」


「それから——」レオノーラは少し考えた。「カール殿下の側近に、連絡を取る方法を調べなさい。先日の小会議室でメモを取っていた、若い文官です。名前は」


「クラウス・ゲルハルト文官でございます。王太子殿下の政務補佐を担当しております」


「彼を通じて、カール殿下に一点だけお伝えしてほしいことがありますわ。『財務局の予算執行に確認すべき問題が生じた可能性があります。今週中に詳細をお伝えできます』——それだけで十分です」


「……殿下への報告を、ゲルハルト文官経由で」


「正式な書簡を出す段階ではまだありません。しかし、事前に知っていてもらう方が、動きが早くなる。カール殿下は誠実な方ですから、突然の報告より、心の準備があった方が正しく対応できますわ」


「……御意でございます」


 老執事は一礼して、部屋を出た。廀下に出てから、小さく息をついた。


(証拠が固まった瞬間に、次の動線を引いている。全く、このお嬢様は)


 それは呼れではなかった。


──────


 夕暮れ時、窓の外に西の空が赤く染まるのを横目に見ながら、レオノーラは机の隣に昨周書いたメモを一枚取り出した。


 「わかっていること」と「わかっていないこと」を分けた、先週書いたリストだ。


 「わかっていないこと」の欄に残っていた最後の項目——「ブロッサー財務次官補の関与の有無と範囲」——に、静かに線を引いた。


「関与、確認」


 それだけ書き付けて、ペンを置いた。


(明日、稟議書の実物を確認する。その後、カール殿下への報告。そして——動かせる段階になったら、動かす)


 「動かす」という言葉が、今日初めてリストの中に入った。


 それはいつものことだった。調べる段階と、動かす段階は、違う。調べる段階ではまだ証拠がない。証拠がない段階で動けば、相手に逃げる時間を与える。だから、動くのは証拠が揃った後でなければならない。


(証拠は、明日に揃う)


 窓の外の西の空が、少し暗くなった。王都の灏りが、一つ、また一つと点り始めた。南の方向に、小さな光の群れが見えた。


 南区の灏りだ。


(まだ診療所は開いている。今週中は、開いているはずですわ)


 レオノーラはそれを確かめるように一度だけ南の方向を見て、それから視線を机の上の書類に戻した。


 仕事は、まだ終わっていなかった。


 ただ、今日は今日分だけ進んだ。


 それで十分だった。


(第十話 了)

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