第六章 其の六 少女の選択
イチ達を標的とした襲撃騒ぎは解決したが、サクヤにはまだやるべきことがあった。
サクヤはリィの元へと向かう。リィは父親の遺体がゾイド主導の元、兵士達によって運ばれていく様子を放心状態で眺めていた。兵士達が引き揚げ、広場は夜の静寂に包まれる。サクヤは気が抜け地面にへたり込むリィの前へ立ち、目線を合わせるように膝を折り屈む。リィは顔を上げサクヤの顔を見る。サクヤの丸い二つの瞳に自分が映っている。その姿はとても勇者の隣に似つかわしくなかった。
これが本当の私。
リィはもう目を背けなかった。
サクヤもそんなリィの姿を見て決意を固める。ゆっくりと一言一言、噛みしめるように言葉を放つ。
「リィちゃん。私はあなたに言わないといけないことがある」
サクヤが言おうとしているのは勇者であった自分自身との決別だろう。それは勇者の隣を目指し続けたリィとの決別でもあるように思えた。リィは処刑台にかけられるような気分だったが、やはり彼女が逃げることは無かった。
「私は勇者の私が嫌いだった」
予想通りの言葉にリィの目尻が潤む。
しかし次に続く言葉はリィの想像したものとは違った。
サクヤが語りだしたのはリィと出会った時でも、彼女が勇者になる前でも、勇者を辞めた後のことでもなかった。それはサクヤが勇者であった時に起こった話だった。
「私が勇者として皆に認められるようになったある時、私の目の前で一人の小さな子が転んだの。ちょっと膝を擦りむいただけだったけど、その子は大声で泣きじゃくっていた。私は駆け寄ろうとしたけど周りの人達に必死で止められた。勇者様がわざわざやることじゃないって。それが私は許せなかった。周りの人もそれを受け入れた自分自身も」
サクヤの声は沈んでいき、それを無理矢理もどすように顔を上へと向ける。
「目の前の泣いている子一人助けられない勇者なんて私にとって何の価値もなかった。私が夢見た、あなたが憧れてくれた勇者でいられなかった」
でもね、とサクヤはリィに優しく微笑みかける。
「もう私は勇者じゃないからこんなことも出来るの」
サクヤはリィを抱き寄せる。自分の温もりを分け与えるように優しく、そして力強く抱擁する。
「今まで一人にさせてごめんね」
何一つ変わっていない。やっぱり彼女は私を助けてくれた、私の憧れた勇者だ。
リィの心は歓喜、そしてサクヤを見ず自らの理想を押しつけた後悔の気持ちでいっぱいになる。
「私の方、こそ…ごめんなさい……ごめんなさい…!」
リィは大粒の涙を流しながら何度も謝る。いつしか言葉は形を無くし、赤子のように感情のまま少女は泣き声を上げ続けた。少女の泣き声は夜空に吸い込まれていった。その弱さを、犯した間違いを、誰にも見せないよう、ひたすら泣いても構わないよう、その濡れた声を夜空が掬い上げる。
「私、攻略者を…辞めようと思う」
気分が落ち着くとリィはと鼻をすすり上げながら唐突に宣言する。泣き腫らした目は赤く充血し、その弱気な声から耐え難い慚愧の念が感じられた。
突然の引退宣言にサクヤ達は顔を見合わせ、困惑した表情を見せあう。
「えっと、急にどうして…なのかな?」
「だって…私、シュラやラビちゃん、それ以外にもたくさん…あなた達にも酷いこと言っちゃったし」
イチ達はまた顔を見合わせ困惑した表情を浮かべる。
「俺達、何かされたっけ?記憶に無いんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
その言葉に今度はリィが困惑する。
「いやあの、最初に出会った時、酒場で…」
「酒飲んでる時のことなんかいちいち憶えてられるかよ。それにな、知ってるか?悪いことしたらまずは謝るんだぜ?」
「…私のしたこと、謝るだけで許してくれると思う?」
「んなもん私が知るか」
「例え誰が許さなくても私達はあなたの味方だよ。困ったことがどーんと頼ってよ。それとも勇者じゃない私は頼りない?」
「そんなこと、ない!」
「謝罪…となればついに土下座のアマノの真価を発揮する時がきたか?」
「そんな時は永遠に来ねえから一生引っ込んでろ」
リィの攻略者引退は一先ず保留となり、騒動はようやく一件落着となる。
「つーかアンジー、俺さ毒食らってんだよ。悪いけど解毒してくんない?なんか視界が安定しないんですけど」
「いや、実を言うと私もかなり無理してたから、もう…限界」
イチとアンジーは仲良く地面に突っ伏し白目を剥く。ゾイドが足で揺すっても鈍い唸り声が返ってくるばかりだった。
「おいどうすんだ、これ」
「あの、教会の神父さんが困ったらいつでも来ていいって」
「じゃあ、とりあえず教会に運ぼうか」
動ける三人は分担して二人を運ぶ。
遠のく意識の中でアンジーにある疑問が浮かぶ。
ん?そういや、サクヤが勇者を辞めた理由は、世間ではサクヤの我がままってことになってるんだよな?何であいつは私らが関わってるって知ってたんだ?……ダメだ。頭が回らん。
騒動の裏に潜む影。それらがイチ達の元をそっと離れたことに誰も気付けなかった。
屋根から屋根へと水面を切る石のように飛ぶ二つの影があった。先頭を行く大きな影とそれに追従する二回り小さな影。月光が影の正体を露わにする。影の正体は男と少女であった。両者の目は光を拒むようにどこまでも黒く、一度除けば彼らが孕む闇に呑み込まれてしまいそうだ。
風よりも速く闇夜を駆ける二人であったが、突然男が足を止める。
「待て」
片腕を広げ後ろの少女を制止する。そして誰もいない場所へ向かい語り掛ける。
「その抑えきれぬ闘気…いや、殺気か。どちらにせよ不意打ちを仕掛けるのは苦手とみた」
物陰から姿を現したその人物に、男は至極丁寧に頭を下げる。
「これはこれはかの有名な『鬼殺し』シュラ・アカバネではないか。何か御用かな?」
シュラは男のわざとらしい態度に眉一つ動かさず、単刀直入に彼らの思惑について問う。
「この前の船の一件や今回の事件、そしてここ最近の異常な魔物の活性化、全てお前らの仕業だな?」
「細かく言えば私達の仲間がやっていることだな。我々は見届け役といったところか。私としては無駄な労力を割くばかりであまり効果的な作戦とは思えんのだが」
男はやれやれと大袈裟に首を振る。
男の言動に痺れを切らしたシュラは刀に手をかける。しかし、そこで男の背後にいた少女の姿がどこにもないことに気づく。シュラは彼らと対峙した時から二名が強者であることを感じ取っていた。だからこそ油断をしたつもりはなかった。それでも少女はシュラに気付かれぬまま姿を消した。恐らく狙いは死角からの攻撃。シュラは経験から目で追っていては間に合わないと察し神経を周囲に張り巡らせる。
僅かな気配と殺気が左後方、斜め上から近づいてくる。シュラは限界まで引き寄せ、敵が間合いに入ると閃光の如き早業で刀を抜き振り向きざまに斬りつける。両手に剣を携えた少女もそれに応じるよう剣を振るう。
甲高い金属音と一瞬の火花が辺りに散る。
少女はシュラの横を通り抜けると空中で身を捻り難なく着地する。剣は薄っすらと鮮血で濡れていた。
シュラは両肩に切り傷を負う。じわじわと血が滲むのと同時に痛みが湧き上がる。少女の力量を見誤るどころか不覚をとったシュラは自身への怒りに思わず舌打ちをする。そんなシュラを見て少女はニヤニヤと笑う。
「自分の方が強いと思った?それ、偏~見~」
シュラはため息をつきながら、刀についた血を振り払う。
「阿呆が。テメエの身体見てから言え」
「…あれ?」
少女は視界が傾いていくのを感じる。足で踏ん張ろうともその足が無かった。少女の左足と右腕は一瞬の攻防で切り落とされていた。倒れる少女に、シュラは最後の警告を放つ。
「俺は自由の冒険団程甘くはねえ。次は首を切り落とす」
「ほお、見事な剣技だ。噂以上だな」
「随分と余裕だな。テメエの心配をしたらどうだ」
「まあ、待て。ここで事を構えるつもりはない。大人しく引き下がるさ」
「テメエの事情なんざ知るか。それに仲間を見捨てるつもりか?」
「それなら問題ない」
男は涼しい顔でさらりと言ってのける。男の真意が読めぬシュラはこれ以上先手を打たれる前に斬りかかろうと腰を沈める。だが、その背後で何者かが立ち上がる気配を感じ、その動きを止める。男に注意を払いつつ、気配がした方を見ると少女が何事もなく立ち上がっていた。切り落としたはずの腕と足は傷跡すら見えず、これまで傷なんて負ったことのないような柔肌を見せている。
「倒せたと思った?それ、偏~見~」
明らかに人知を超えた能力にシュラは一切の甘えを捨てる。
「たかが再生しただけで勝ち誇ってんじゃねえよ。次は細切れにしてやる…!」
睨みあうシュラと少女へ、男は呑気に声をかける。
「待て待て。今回の目的は結果の報告だ。戦闘じゃない。逃げることを第一にしろ」
「逃げれると思ってんのか?」
「思っているとも」
男はおもむろに空を仰ぎ見る。遥か頭上には巨大な流星が赤い尾を引いていた。もしここに脅威の視力を誇る『絶命の魔弾』ロビンがいればその正体に気付けたのだろう。流星の正体は炎を身にまとった燃えるような赤髪をなびかせる女性であった。しかしシュラにはそれが意志を持った生物だとわかるはずもなく、精々炎の塊としか認識できなかった。
流星は急転直下で方向を変え、シュラへと向かって落ちてくる。
「さらばだ。鬼殺し」
前後、そして頭上、三方向からの同時攻撃。攻防の顛末は大爆発の爆炎によって全て隠された。突然の地鳴りを伴う爆発に周囲はパニック状態となる。爆発地点から少し離れた所で、湧き立つ眼下の喧騒を見ながらシュラは男達の姿を探す。しかしどこを見てももうその影すらなかった。
「クソッ…逃げられたか。ロビンを連れてくるべきだったな」
全身に火傷や裂傷を負ってはいるがどれもが軽症の範囲でシュラは闘志を鎮めると同時に刀を納める。そこでようやく初歩的な疑問を自身にぶつける。
奴ら、一体何者だ?
シュラからの逃走に成功した男達はある路地裏を駆けていた。
「何とか逃げ切れたか。お前達怪我は?」
「お腹斬られたけどもう治ったー」
「すいません。自分、肩と脇腹を」
「あの一瞬で我々の攻撃を捌き、さらに反撃までしてくるか。正面からやり合うのは得策ではないな。ところで、東西に配置した残りの屍人はどうなった?リィの父親ほどでないにしろ、そこそこ優秀な個体を集めていたはずだが」
男の問いに赤髪の女は表情を沈め重々しく口を開く。
「それが…一体残らず、東は『百華狂乱』とその仲間達、西は『聖母』マリーに全滅させられました」
「あちゃー」
報告に男は肩を震わせる。聞こえてくる喉の奥からもれるような笑い声。男を満たす感情が怒りではなく、喜びであることに後ろの二人はそれぞれ違った反応を見せる。
「…笑ってる?」
「わー楽しそう。かっこいー。マゾヒストー」
「黙ってなさい」
「やはり立ちはだかるのは通り名持ちか。そうでなくてはつまらない。折角の生涯だ。大いに苦しみ、大いに楽しもうじゃないか」
男はこれ以上ない楽し気な笑みを作り、高らかに宣言する。
「我らが悲願、魔王様復活は何としてもやり遂げる」
そして三人の姿は闇の中へと消えていった。
兵士達による事件の調査もひと段落し、街も事件の記憶が薄れ平穏を取り戻した頃。
リィの父親の遺体は街のはずれにある集合墓地へと埋葬された。そこには先の大戦での死者や身寄りのない遺体が大勢眠っていた。教会周辺とは違った、死というこれ以上変化することない、無の静けさが横たわる。青々とした生命力溢れる草木と物言わぬ灰色の墓石のコントラストは生と死の均衡を保つ。悲しみは風に運ばれ、死者への追悼の意だけが残される。
父の墓を前にしてリィはまだ整理しきれない気持ちで花を供える。
父に対しての憎しみや怒りが消えたわけではない。しかし同様に憐れみや家族の情があるのもまた事実。それが何とも都合のいいように思えて、後ろめたさを覚えた。
「どうした?難しい顔をしておるのぉ。まだ気持ちの整理がつかぬか?」
顔を沈ませるリィへ土地の所有者である『百華狂乱』セリアが声を掛ける。リィはちらりとセリアを見て、また墓に視線を戻すとこくりと頷く。思いのほか素直な少女にセリアは表情を和らげる。
「気が済むまで悩むがよい。急ぐものでは無いしの。それに死んだ者へ対する気持ちはお前さんだけのものじゃ。どのような想いを抱こうが誰にも責められるものではない」
そんなセリアの言葉を素直に受け取るのはやはり自分に対して都合がよすぎると思い、リィは黙って父の墓を見る。そこでセリアに対して無礼の謝罪をしていないことに気づき、おずおずとセリアへ向き直り、頭を下げる。
「あの、この前は失礼な態度をとって、ごめんなさい。それに、父のことも…埋葬してくれてありがとうございます」
「気にするな。礼を言われることではない。ここはそういった者達のための場所じゃ。そうじゃろう?バトー」
セリアの後ろに控えていたバトーと呼ばれた厚手のコートやマフラーを身にまとう老人は「ええ」と短く答える。この墓地の墓守であり、セリアが率いるパーティーの一員である彼もまた『鎮魂者』の通り名を持つ攻略者であった。
セリアの寛大な態度にリィがまごついていると一人の少女が彼女達の元へ駆け寄ってくる。
「おーい!リィちゃん!」
少女は迷宮攻略の実況解説を務めるキャスターの一人であるラビであった。
「ラビ?どうしてここに?」
「お墓参りに行くって聞いたから。リィちゃんまた暗い顔してたし、一人じゃ心配で」
「…ありがとう」
二人の少女のやり取りを見てセリアは目を丸める。
「随分と仲良くなったものじゃな」
「私達、友達ですから。今度一緒にカフェに行ってその後、劇を見に行くんです。あ、でもその前に服も見に行きたいな。リィちゃん修行ばっかりで可愛い服持ってないんだもん」
「ほう?それはそれは」
友人に圧倒されるリィを見て、セリアは意地の悪い笑みを向ける。リィは恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤にしてそっぽを向く。
「もういいから…!行こう!」
「え?お墓参りは?」
「もう終わった!」
友人の腕を引きリィは墓地を後にする。
父へ対してまだ思うところはあるものの、リィは新たな決意を胸にする。
今回の一件、詳細は明らかとなっていないものの背後に何者かの思惑が動いていたのは事実だ。なぜか一部事情を知っているらしいシュラは教えてくれはしなかったが関わるなとも言わなかった。
自分で選べ。ただし進めば後には引けない。そう言っているかのようだった。
彼女は進むことを選んだ。
勇者の隣はもういらない。今度は友人としてサクヤ達を守れるように、彼女は再び迷宮攻略へと戻った。誰にも負けぬ強さを求め。
それは以前と同じようではあったが、求める理由が違った。今は誰かを認めさせるためでも、己の弱さを隠すためでもない。大切な人を守れるように少女は強さを求めた。
少女がもう一人になることはないだろう。
高く昇る太陽の下、少女は友人と共に歩む。




