第六章 其の五 迷える者
陽もすっかり沈み月の青い光が地上を照らす。月光で生まれる影は太陽が作り出すそれより暗く、より冷たいもののように思えた。街は異様な雰囲気を察してか今宵は誰も彼もが大人しく家に閉じこもっていた。そんな中、イチ達は裏路地の先にある、街から忘れ去られた広場に立っている。
三人はチンピラ隊に協力を仰ぎ、街中にこんな噂を流した。
自由の冒険団が仲間をやられて怯えきっている。残りの三人は誰にも見つからないように路地の奥に身を隠している。
もしアンジーを襲った男がイチやゾイドもターゲットにしているなら噂を耳にすれば来るはず。だが、ゾイドはこのあからさまな作戦に懐疑的であった。
「本当に来るのか?」
かれこれ数時間は待っているが男が姿を見せる気配は一切無い。ゾイドの不満げな声もどこ吹く風なイチとサクヤは広場へと続く唯一の道をみつめる。
「どこから見ても罠だよね。普通だったら来ないけど…」
「どうやら、奴は普通じゃねえみたいだな」
路地の闇から男は姿を見せる。
待ち伏せされていたというのに、そんなことはどうだっていいと歓喜の表情を浮かべる。「見つけた」と男の興奮した呟きはイチ達には届かなかった。しかしその異常な雰囲気は離れていても感じ取れた。
「アンジーは奴に攻撃は通じないと言ってたが」
「やるだけやってみるか」
三人が臨戦態勢を取ると同時に、男は飢えた野犬のように地面を蹴り、跳びかかる。三人まとめて圧し潰す気なのか両腕は大きく広げられている。イチとサクヤは素早くそれぞれ左右に飛び、残ったゾイドは男と同じように腕を構え迎え撃つ。ゾイドは男と取っ組み合う形となり、男の手を握り潰す意気込みで万力の力を込める。
しかし男の怪力は想像以上で、徐々に押されていきゾイドが劣勢となる。
「この…っ!」
「まずは、一人、終わり」
男は不敵に笑う。しかし、ゾイドもそんな男を嘲笑う。
「間抜け。終わるのはテメエだ」
男の左右からイチとサクヤが息を合わせ挟撃する。二人は人差し指と中指を立て、男の首筋目掛け突きを繰り出す。それぞれの指は微かに電気を帯びていた。
『雷穿』
『悪ガキの真似事・雷穿』
イチが繰り出すスキルの威力は言うまでもなく、サクヤもイチに合わせるようにスキルの威力をいつもよりずっと弱めていた。微弱な電撃は男の皮膚すら焼けはしないが、身体の自由を奪うには十分な程のショックを与える。
電撃は首から全身に走り抜け、男はその動きを止め放心状態になる。
だが男の目からはまだ光が消えず、眼前のゾイドを睨みつける。ゾイドは真っ向から睨み返し攻撃へと移る。
『栄光への一撃』
男の胸に重い一撃が入る。盾を装着していない分威力は下がっているが、それでも並の人間ならばこれで決着がつく。男の身体は土埃を立てながら後方へと数メートルズレる。止まった先で男はバランスを崩したのか静かに膝をつく。
「今の感触…骨はイったはずだが」
ゾイドの手ごたえも無に帰すように男はすぐ立ち上がり、痛がる素振りすら見せない。涼しい顔から痛みを我慢しているという訳でもなさそうだ。
「元気いっぱいって感じだな」
イチの軽口に応えるかのように男の右手がみるみるうちに紫に変色する。その右手に毒が宿った。男はまた真正面から突撃する。今度はイチに向かってだ。
さすがに素手では分が悪いと判断しイチは武器を大盾に変化させ、男の攻撃を防ぐ。しかし男は全身をしならせ、長い腕を盾の横から回り込ませる。イチは寸前の所で仰け反る。それでも躱しきれず、男の右手がイチのこめかみを掠る。イチはすかさず距離を取る。
毒が入った証拠か負傷部位が火を点けたように熱い。あと何分戦えるのか。考えても答えは出ない。イチは悩むのをやめ、次の行動へと移る。
武器を鞭に変化させサクヤ達へ向かおうとする男の腕を絡めとる。全体重を後ろにかけ、男の右腕の自由を奪おうとする。しかし神の恩恵を受けることの出来ないイチの全力では男の怪力に到底敵わず、男は涼しい顔でイチを見ている。
軽く首を傾げると男は力任せに腕を振る。そして腕に絡んでいる鞭とその先のイチごとおもちゃのように振り回す。
「マジか…!」
イチの身体は宙に浮き、弧を描くよう地面と平行に飛ぶ。その軌道の先にはゾイドとサクヤがいた。男はイチを即席の武器に見立て二人を仕留めにかかる。
ゾイドは飛んでくるイチを受け止めようとするがその衝撃は想像以上で、勢いを殺しきれずイチと共にサクヤ目掛け飛ぶ。サクヤはその場にしゃがみ込み二人を躱すと低姿勢のまま男との距離を詰める。男はもう一度腕を振りサクヤを弾き飛ばそうとするが、腕はまた動かず止まる。見ると今度はイチだけでなくゾイドとの二人がかりで男の怪力に対抗していた。
サクヤはそのまま男の隙をつき連撃を加える。
それでも男はほんの少しも怯む様子を見せずそれどころか、腕の肉が裂け骨が軋むのもお構いなしに無理矢理腕を振りぬく。イチとゾイドはもう一度宙を舞う。
サクヤは男の腕を躱すことは出来たが飛んでくる二人を裂けることは出来なかった。
三人は塊となって壁に叩きつけられる。
「…いってぇ。予想以上の怪力だな」
「しかもあの頑丈さ。我慢強いってレベルじゃないよね…」
「アンジーがやられるわけだ。さて、どうするか」
三人が苦い顔をするなか男は無邪気とも言える満面の笑みを見せる。限界まで上げた口角とそれにつられて上がる上唇。男の歪な前歯と変色した歯茎が露になる。笑い声は一切出さず男はただひたすらに笑顔を浮かべる。月が雲に隠れ男の顔は影となる。暗闇の中に不揃いの歯だけが見えた。男は無邪気な殺意に満ちていた。
そんな男を前にしてもイチ達は一歩も退かずもう一度臨戦態勢をとる。
やれるものならやってみろ。と言わんばかりだった。
男が前のめりになり駆けだすその時。男の側頭部に小石が当たる。全員の視線が小石の軌跡を逆に辿る。
そこに立っていたのはまだ顔色の悪いアンジーとその影に隠れるようにしているリィ。
仕留めたはずの女が立っている。男は考えるよりも先にもう一度アンジーを仕留めにかかる。
アンジーは男がどんな行動を取ろうとも最初から決めていたかのように、迷わず魔力を練る。男が拳を繰り出すよりも早く魔法を発動させる。彼女が発動させた魔法は相手を焼き尽くす爆炎でも、身体を貫く氷の刃でもなかった。
『天使の施し』
アンジーが発動させたのは回復魔法。しかもその魔法をかける相手はイチ達ではなく男だった。
男は全身に溶けた銅でもかけられたかのように苦しみ出す。必死に距離を取り怒りに顔を歪ませアンジーを睨み、歯を食いしばる。
「やっぱり、そうか…」
男の様子にアンジーの疑いは確信に変わる。その目には憐れみが滲んでいた。
その様子を見てゾイドは男の異常な耐久力とアンジーの言葉、一連の謎についてある結論を出す。
「回復魔法で苦しむ……まさか!」
ゾイドは自身の脳が導き出した答えに絶句する。そんなはずはと否定するが目の前の事実は否定を許さない。
アンジーはちらりとリィの方を見る。彼女もまたゾイドと同じで目の前の事実に頭が追い付いていない。彼女にとって父は恐ろしい畏怖の対象であったの同時に、強さの象徴でもあった。その強さには一種の信頼すら覚えていた。だからこそ目を背けていた。あの時、目の前で起こった事実に。父が崖から落ち、そしてその後の光景をリィは遠目ながら確かに見ていた。
アンジーは皆が困惑する中、その覆しようのない事実を口にする。
否定も逃げも混乱すら許さない、凛とした声だった。
「あいつはもう、死んでる」
アンジーが告げた事実にその場にいる全員が沈黙を返す。
横たわる沈黙から何とか逃れるようゾイドは重々しく口を開く。
「…屍人か」
屍人。それは死を迎えた肉体が再び動き出し、その身が亡ぶまでこの世を彷徨い続ける空虚な存在。屍人となった肉体はもう人ではなく、聖職者のみが神から拝借することを許された身を癒す回復魔法、即ち神の力に強い拒否反応を示す。
骨が折れても、電撃を受けても、あらゆる急所に攻撃を受けても怯まない理由はこれで全て説明がつく。なぜなら男は死んでいるのだから。
しかしイチは腑に落ちない表情をしていた。
「だけど屍人ならどうしてあそこまで話せる?」
イチは真っ当な疑問をぶつける。
本来、屍人は生前の知能や思考は失われ、目の前で動くものに襲い掛かるという動物的本能しか残されていない。だが、目の前の男は明確にイチ達を認識し、死後リィの周りで起こった出来事を理解し、それに基づき行動している。それはありえないことだった。
ましてや生前のスキルを使うなど到底考えられない。
イチの問いにアンジーは肩をすくめる。
「さあな、肉体の保存状態が異様に良いのか、それとも死んでも死にきれねえ強い想いでも宿しているのか、それとも別の理由か」
強い想い。
その言葉にリィは心に仄暗い影を落とす。
男が動いているのは善悪を差し置いて、娘である自分のため。全ては勇者を、その横に立つ自分を切望したせい。悪人の娘が分不相応な願いを追ってしまったせいだ。だったらそれらを捨て、またあの頃の弱い自分に戻れば解決するだろうか。
しかし、もう一度弱い自分になるのは耐えられなかった。一人きりの夜はとても寒いのだ。
リィは罪悪感と恐怖で震えだした身体を止めることが出来なかった。
そんな少女にアンジーは「逃げるなよ」と釘を刺し男の前に立つ。イチ達も合流し少女をかばうように横一列に並ぶ。
男は自由の冒険団を前にしてもう笑わなかった。代わりに怒りに顔をさらに歪ませる。そして大きく口を開け、力の限り叫ぶ。声を出す。たったそれだけのことで小石や近くの窓ガラスが揺れる程の衝撃を生む。それは人のものとは思えない程、大きく激しい叫びだった。その声にのっているのは混じりっ気のない純粋な殺意。滾るような殺意が肌に突き刺さる。
しかしそれはイチ達を怯ませるどころか逆に闘争心に火をつける。
「まさか、屍人とはな。屍人の対処法は二つだったな」
破壊か浄化。それが屍人への対抗策。その身体が動けなくなるまで徹底的に破壊するか、聖職者の魔法で清めるかの二択だ。
「どっちかなんて決まってるでしょ。ね?アンちゃん」
「ああ。私がやる。フォロー頼んだぜ」
「それじゃあ、行こうか。迷える魂に導きをってな」
アンジーが魔力を練り始めるのと三人は同時に駆けだす。
先陣を切ったのはイチだ。
イチは武器を今度はワイヤーに変え、一方の先端をゾイドに渡し男との間合いを詰める。
『一度限りの模倣・飛び跳ねる兎』
瞬発力を向上させ男の攻撃に備える。
男はそんなことお構いなしに腕を乱雑に振る。怒りに任せた攻撃は先程よりも遥かに強力で風切り音を生む腕が掠るたびに死の気配を感じる。イチはその攻撃を躱す度に男の腕や体にワイヤーを絡ませる。気が付けば男はワイヤーによって雁字搦めにされていた。イチは男を挟んでゾイドと一直線になるように立ち、息を合わせて力の限り引っ張る。男はワイヤーに締め付けられ、バランスを崩し無様に倒れる。しかし、それでもまだその怪力を抑え込むにはまだ足りない。
そんなことは承知とイチとゾイドはそれぞれが持っている端をサクヤに投げ渡す。
両端を受け取ったサクヤは両手に雷を纏わせる。電撃はワイヤーを流れ男の元へと走る。
屍人と言えばその身体は電気信号で動く有機物の集合体。電気を流されればその意思とは無関係に動きを止める。
その隙にアンジーは魔法を発動させる。
『天から差す一筋の光』
天からから落とされる眩い光が男を包む。男は光に包まれた瞬間、悶えるような動きを見せたがその動きは光の中で次第に鈍くなる。これで終わる。全員はそう思った、その時。
男の身体はまるで鼓動を打つかのように何度も大きく仰け反る。
サクヤは動きを止めるべくもう一度雷を流す。しかし、男にはもう電撃は効かず跳ね起きた男は全身を回転させワイヤーを掴んでるサクヤを投げ飛ばす。サクヤは受け身を取りすぐに立ち上がるがその顔には明らかな焦りが見えた。それはサクヤだけではなく四人全員に見られた。
「今のでも無理か…!」
「野郎、この世に対する未練が半端じゃねえ」
「だったら次は俺も『一度限りの模倣』で仕掛ける。二人がかりだ。アンジー、いけるな?」
「誰に言ってんだ。いけるに決まってんだろ」
「だったら私もいく」
「ん?お前浄化の魔法なんて覚えたのか?」
「竜の爪の修道女に回復魔法とか一通り教えて貰ってるよ」
「それで出来るようになるなんて、さすがだな」
四人は今度こそ男を浄化するべく取り囲みそれぞれの方向からまた男の動きを止めるため動く。男はイチ達がワイヤーの端を掴むより早く絡まっていたワイヤーから抜け出し、駆けだす。その目線の先にはアンジーがいた。男の思惑をすぐさま察知したゾイドはその間に入り込み男の肩と腕を掴み突進を止めようとする。だがその突進力は想像以上で、ゾイドの足が地面をえぐっても男は止まる様子を見せない。それどころか掴み所が悪く、ゾイドは不覚にも男の片腕を自由にしてしまっていた。
男は自由になっている腕でゾイドの顔面をその岩のような拳で殴る。
世界が揺れる衝撃と視界に走る閃光、その中でもゾイドはまだ男から手を放さないでいた。それでも手に宿る力は確かに落ちていた。男はゾイドの手を振り払うともう一撃、また拳がゾイドを襲う。
ゾイドを殴り飛ばすと男はまたアンジーに向け進みだす。イチとサクヤが急いでアンジーの元へ向かう。眼前に迫る男を前にアンジーが逃げ出す様子は無く、変わらず魔力を練り続けている。
男が拳を振りかぶる。しかし、男の拳がアンジーに届くことはなかった。
『豪裂拳』
小さな拳が巨体に深く刺さる。その際に生まれた激しい衝撃は男を後方に飛ばす。男の身体は壁にひびが入るほど強く衝突する。自身の親を殴ったリィは肩を震わせ全身で息をしていた。その目の端にはうっすらと涙を浮かべている。
リィは決意した。父の、そして自分の望みを放棄することを。
それよりも大切なものを彼女は見つけた。
「お父さん。あなたは私のために…こんなことをしてくれているんだよね。でも、これ以上私の大切な人を傷つけることなんて…私は絶対に許さない」
「お前は誰だ……リィ、どこにいる…リィ……」
男は虚ろな目で辺りを見渡す。男の目に少女は映らない。それでもリィは言い放つ。
「私はリィ・リィ……あなたの娘」
少女の言葉も男には届かず、男は未だに自分の娘を探し続ける。だが、男の探す少女は、か弱く怯えるばかりの少女はどこにもいないのだ。
そこに立つのは『龍少女』リィ。
少女の力強い眼差しは男にとって敵意と同意だった。敵が増えたと認識した男は新たな敵に向け動き始める。男の背が壁から離れるより先にゾイドは全力で駆ける。そんなゾイドにイチは武器を丸盾に変化させ、ゾイドに投げ渡す。
「ゾイド!使え!」
盾を受け取ったゾイドは速度を落とさぬまま盾を前面に構える。
『番兵の行進』
壁とイチから渡された盾で男を板挟みにし、男の動きを封じる。当然の如く男は抵抗する。肩や顔を掴まれても構わずゾイドはもう一歩踏み込み、さらに男を抑える。それは柔よく剛を制すのまるで逆。それは剛に対し剛にて挑む、暴れ牛を無理矢理ねじ伏せる強引さであった。無論、男の怪力はゾイドでも抑えきれるものではない。それでもほんの数秒壁に留めることには成功した。
ほんの数秒。十分すぎる時間だ。
イチ、サクヤ、アンジーの三人は同時に魔法を発動させる。
『天から差す一筋の光』
『一度限りの模倣・天から差す一筋の光』
『天から差す一筋の光』
目も開けられないほどの眩い光が男を包む。
男はゾイドから手を放すと、今度は自分の頭を掴み声にならない叫び声を上げながら苦しむ。終わりが近づく。最後に男は光の中で手を伸ばした。その先にいたのはリィだった。
リィは伸ばされた手に近づく様子も、逆に離れる様子も見せず、ただその場でじっと男の手を見ていた。骨ばった大きな手。その手が無くても一人で立てる。その手に惑わされることなく一人で歩ける。少女は力強い眼差しで父の手を見る。
男の手が空を掴み力なく垂れさがる。それと同時に光が止み、大きな身体が地面に倒れる。
「終わりだ」
もう男が動くことは無い。その魂の行方が楽園なのか地獄なのかそれは神のみぞ知る。ただ一つ確かなのは一つの魂がここではない何処かへと行った。そしてそれが戻ってくることは二度とない。
死者が復活する奇跡は起きないのだ。




