第六章 其の四 奇跡なんて無いさ
街の南地区にあるその教会は荘厳な雰囲気を辺り一帯に漂わせている。何物にも侵しがたいその雰囲気からか大通りからそう遠くない立地であるにもかかわらず音を抜かれたように穏やかで、犯罪件数も他の地区と比べ群を抜いて低い。
街の観光名所にもなっているその教会には診療所も併設されており日夜、病やケガに苦しむ人々が後を絶たない。
アンジーが運ばれたのは診療所の最奥部。未知の毒や呪いなど特殊な治療を必要とする患者専用となっている場所だ。その一歩手前に据えられた椅子に腰かけ、リィはアンジーの処置が終わるのを一人待っていた。時折隙間風が入り込むように、治療室の反対側、診療所の入り口付近の待合室から声が聞こえてくる。それが聞こえてくるたび、まるで自分が誰からも忘れられてしまったように感じられ、リィは無意識に右手で左腕をさする。
清貧を掲げる教会の診療所は塵一つ無い程に清潔ではあるが、置かれた備品はお世辞にも使い勝手がいいとは言えない。特に椅子は年季が入っており、尻の下のクッションはほとんど役目を果たしておらず臀部がじわじわと痛みを訴え始める。
またほんの少し体重移動しただけでキィ…キィ…と乾いた音を立てる。
その音はリィの心細さをより一層際立たせた。
「アンジー・クラレンスさんの付き添いの方ですか?」
リィが耐えるようじっと目を閉じていると頭上から声が降りてきた。
慌てて顔を上げるとそこには物腰の柔らかい、白髪混じりの神父が立っていた。神父はリィの不安を和らげようと慈愛に溢れた微笑みを見せる。
「ご安心を。治療は無事終わりました」
「…そう、ですか」
安堵から全身の力が抜け、リィは椅子に全体重を預ける。そんなリィを見て神父は次の言葉を慎重に選ぶ。不安を掻き立てないよう顔は絶えず柔らかいまま。
「ただ、体力の消耗が激しく、しばらくの間入院してもらう必要があるかと。色々と手続きがありますのでその間に一度顔をお見せになられてはいかがでは?ご友人の顔を見れば彼女の気力も湧いてくることでしょう」
「いえ…あの、私、友達じゃ……」
少々複雑な事情を察した神父はひとまずリィに何か温かい飲み物でも持ってこようかと、休憩室の戸棚の中身を思い浮かべる。コーヒーや茶菓子がほとんどだが、確か最上段にハーブティーの茶缶があったはず。あれならば苦みも控えめでこの子も飲めるだろうと神父がひとりでに頷いていると一人の患者が彼の背後を通る。
「おう先生。世話になったな」
「ああ、お大事に」といつもの習慣で述べた後、患者の姿を確認すると神父は眉をひそめた。
「ちょっと待ちなさいクラレンスさん」
呼び止められたアンジーはあからさまに不満げな顔を向ける。
「何だよ。ちゃんと治療費なら払うぜ?今は手持ちが無いから…ほらこれ私の住所と血判。何かあったら訴えて貰って構わねえから」
「折角治療したのですから血判はちょっと…。ではなく、あなた、絶対安静です。今すぐベッドへ戻ってください」
「大袈裟だって。この通りピンピンしてるし。それに、入院費まで払う金なんか持ってねえよ」
「ショバ代言わんでください。それにお金の心配ならご無用。うちはツケもききます」
「教会がツケってどうなのよ?」
「話を逸らさない。あなたも薬屋を営む身なら自分が今どういう状態かわかっているでしょう?」
「もちろん。私、元気、以上。はい、それでは」
「わかりました。それならこの廊下を真っ直ぐ歩いてください。それが出来たら帰って頂いて構いません」
「よっしゃ。その老眼でよく見とけよ」
「老眼は余計です」
神父の小言を無視してアンジーは意気揚々と歩き出す。しかしどんどん頭は下がっていき、五歩も歩かぬうちに床へ突っ伏してしまう。神父は頑固な患者の元へと歩み寄ると膝をつき、優しく問いかける。だがその裏に見える厳しさは駄々をこねる聞かん坊を窘めるようでもあった。
「その有様でどうやって帰ると言うのです?」
「ちょっと躓いただけだ…!次こそ」
アンジーは立ち上がりもう一度歩こうとするが結果はやはり同じに終わった。神父はまた近づき膝をつくと懐から一枚の紙を取り出す。
「はい。では入院のためここにサインを」
「うるせえ。杖だ。杖があれば帰れる」
断固として己の意見を曲げる気の無い様子に神父はため息交じりにかぶりを振る。
「わかりました。帰って頂いてよろしいです」
「マジ?」
「しかし。条件があります。一人、誰でも構いません。付きっ切りで看病してくれる人に迎えに来てもらってください」
「何だよ。だったら問題ねえよ。そこにいるんだから」
アンジーは神父の背後を指す。神父がそれを目で追うとその先にはリィが不安気な顔で立っていた。迷いなく指されたリィは狼狽える。
「彼女はこう言ってますが大丈夫ですか?」
リィは思わずアンジーを見る。床に這いつくばりながらアンジーは頷けと神父にバレぬよう首を縦に振っていた。それにつられるようにリィは微かに頷き、「大丈夫、です」と虫の羽音のような声を出す。
彼女達の思惑を全て察しているかのように神父は軽く息を吐くと黙ってアンジーの元を離れ、リィの横を通り抜ける。
「何かあればすぐに私を頼ってくださいね」
アンジーに聞こえぬようすれ違い様に声をかけると奥の部屋へと行ってしまった。
風の反響音が耳の中でこだまするような耐え難い静寂の中でリィはアンジーの元へ歩み寄り、何も言わず肩を差し出す。アンジーはふらつきながら少女の肩を持ち起き上がる。そしてその小さな肩に手を置いたまま診療所を出る。
「アンジーさん…!」
診療所を出ると複数の男達が息を切らしながら駆け寄ってくる。
一見するとお礼参りに来た荒くれのようだが、彼らもまたチンピラ隊の団員達だ。チンピラ隊の面々はアンジーを見て、小首を傾げる。
「重傷だって聞いたのですが、大丈夫…なんですか?」
「私は平気だ。それよりゴバノフ達は?」
「団長達もほとんど軽傷で済んだみたいです。治療もとっくに終わってますので心配ありません」
「そうか。みんな、巻き込んで悪かった。この埋め合わせはいつか必ずさせてもらう」
「そんな頭なんか下げんでください。あいつらも普段お世話になってるのに力になれなかったって落ち込んでるくらいなんで」
「相変わらずお人よしだな。…お人よしついでに、悪いんだが少し頼まれごとしてくれねえか?」
そう言うとアンジーはチンピラ隊に耳打ちであるお願いをする。
「そのくらいなら全然構いませんが、無茶もほどほどにお願いしますよ」
「わかってる。じゃあ、頼んだぜ」
チンピラ隊はまた駆け足で方々に散る。彼らの背中が見えなくなるとアンジーは気でも抜けたのかふらつき倒れそうになる。しかし、その身体は何かに支えられバランスを取り戻す。見るとリィが抱きかかえるようにしてアンジーの身体を受け止めていた。
リィはまた自分の肩を持たせてアンジーの歩みを待つ。素直ではない、不器用な優しさにアンジーは苦笑いを浮かべ歩き始める。
通りを歩きながらリィは肩が異様に軽いのを気にしていた。アンジーが少女に預けた体重はほんの少しだけだった。それはリィのまだ小さな身体を案じてか、それともサクヤの件についてまだ心を許してないのか、リィには見当もつかなかった。
ただ、どちらにせよリィが罪悪感に苛まれることには変わりなかった。
肩に触れるアンジーの手は震え、芯まで冷えていた。未だに荒い呼吸、時折何もない所で躓く不安定な歩調、神父の言う通り彼女はまだ毒が抜けただけでひどく消耗している。意地で気丈に振舞っているが、それはアンジーをより痛々しく見せた。
だけど、彼女がそんな風になっているのも、全て自分のせいだ。
もっと強ければ。もっともっと強ければこんなことにはならなかった。弱い自分には何の価値もない。強さを手に入れ証明したからこそ、村の皆は自分を受け入れた。きっとここでだってそうだ。弱いと受け入れてもらえなくなってしまう。
リィは心の中で力を切望する。そうこうしてるうちにアンジーの家、『安仁堂』に到着した。身体を休めるため二階の部屋へ向かう。
ドアを開けるとその散らかり具合にリィは絶句した。ドアからベッドまで精々五歩か六歩ほどの距離しかないのに、その間に本や紙が積み重なった崩れかけの塔がいくつも築かれている。服の裾が軽く触れるだけで崩壊してしまいそうだ。これらを崩さないでベッドに辿り着くのは至難の業と思われた。
リィが躊躇し足を止めるにも関わらず、アンジーは一人で歩き出し覚束ない足取りながらも慣れた様子で器用に塔と塔の合間を通り抜けベッドへ身を預ける。
仰向けに倒れ込んだアンジーは今一度、自分の体調を確認する。
手足に力が入らず、拳を握る動作でさえ思うようにいかない。視界も霞んでいる。このまま寝ているだけでは完治まで多くの時間を要する。だが今はそんな悠長に寝ている時間はない。一刻も早く戦えるようにしなくてはならない。
アンジーはリィを見るとその真横にある棚を指す。
「そこにある瓶を取ってくれ」
「瓶…」とリィは無意識に呟き棚を探す。しかし瓶と言っても丸底だったり円筒だったり様々な瓶があった。
「ああ違う。その上の奥…そのもう一個横、そう。それだ」
「何、これ?薬?」
リィはアンジーに言われた通り棚からフラスコ瓶を取り出す。その中には泥水を粗く濾したような到底飲み物とは思えない薄い茶色の液体が入っていた。蓋を取らずとも注ぎ口からは独特のツンとする薬臭さが漂っていた。
瓶を受け取るとアンジーは底に沈殿した何かを混ぜるように円を描くように軽く瓶を振る。そして液体が鮮やかな深緑色になったのを確認すると自慢げに笑みを浮かべる。
「これは私特製の栄養剤だ。間違っても血管に入れるなよ?トぶぞ?」
そう言うとアンジーは瓶の中身を一気に飲み干す。
余程不味いのか、まるで毒でも飲んだかのような苦い顔をし、ベッドに倒れ込む。
「……なんで助けたの」
アンジーの苦しむ様子にリィは問いかけた。
「そんな風になってまで。私が誰だか知ってるでしょ」
「なんでって。それよりお前なぁ、私から言うのもどうかと思うけど、まずお礼ぐらい言ったらどうなのよ?」
「あなたに守ってもらわなくても、大丈夫、だったし」
「よく言うぜ。震えて泣いてたくせに」
アンジーの軽口にリィは思わず激高した。
「違う!私は弱くなんかない!私はパーティー竜の爪、『龍少女』リィなの!」
思いがけない反応にアンジーは目を丸くしたが、すぐにいつもの切れ長の目に戻る。
「誰も弱いとは言ってねえだろ……お前、何をそんなに意固地になってんだ?」
「だって…だって、そうじゃないとみんな私を……」
リィはそれきり口を閉ざしてしまった。アンジーは声をかけるべきか悩んだが、リィを苦しめるものの正体がわからずそのまま見守ることにした。
「あなたはどうして」
リィは不意に口を開く。
「遊び人になったの?」
「どういう意味だ?」
アンジーは睨みつけるような鋭い視線を向ける。リィの口調はアンジーが遊び人になったことより、その前、修道女をやめたことを不思議に思ってるようだった。リィは踏み込んだことを聞きすぎたと後悔するが、アンジーはもう引くことも許さなかった。その瞳を真正面から受け入れることが出来ず、卑怯とは思いつつ視線を逸らしながら重々しく口を開く。
「…魔法の天才だったんでしょ?神の寵愛を受けていると言われるほど」
「調べたのか」
「あなた達のことは出来る限り。だから知ってる。あなたが『奇跡の子』と呼ばれていたことも」
「だったら、どうして私がそんな大層な名で呼ばれていたかも知っているな?」
リィは躊躇いを見せるが、観念して小さく頷く。
「あなたが……崩落事故の唯一の生き残りだから」
「そうだ」とアンジーは出来るだけ感情を見せぬよう頷く。それはその出来事が彼女にとって感情を大きく揺すぶる強いものだと暗に示していた。アンジーは窓の外、空に目をやり、あの出来事を思い出す。と言っても彼女はそのことを覚えていないので、彼女が今やろうとしていることは紙の上に書かれている記録を読み返すようなものだ。
崩落事故はアンジーがまだ赤ん坊だった頃に起こった悲劇。
アンジーは商家を営む両親と共に避暑地へ向かっていた。誰もが束の間のバカンスを目一杯楽しもうと老若男女関係なく浮かれていた。そんな彼らの乗っていた馬車は無慈悲にも土砂崩れに巻き込まれた。馬車を引いていた御者、同乗していた他の客、そしてアンジーの両親も亡くなり、結果生き残ったのはアンジーただ一人だけだった。
救助されたアンジーの両親は共に孤児院出身だったこともあり、彼女の身元を引き受ける者はいなかった。
アンジーはかつて両親が過ごした教会の孤児院で保護されることになり、そこにいる子供達と同じように過ごす。
そのはずだった。
教会に保護される前の簡単な検査で彼女に魔法の才能があることが発覚した。それは天才という言葉すら物足りないほどの圧倒的な才能だった。赤子でありながらそこらの大人でも敵わないほどの魔力。周囲の大人はその才能と彼女が生き残ったことを紐づけ、神に愛されたから助かった、と信じてしまった。そして彼女は奇跡の子と呼ばれるようになり、特別な教育を受けるようになった。
「お前の言う通り、私は神に愛された奇跡の子なんだと、そう教えられた。特別だと、やるべきことがあると。だから私はそれに恥じないよう生きた。誰よりも勉強をし、清廉潔白で神を尊び、周りの手本になるように心がけた。神の愛とやらに報いるため。父さんと母さんの死が無駄にならないため。でも苦しかった。どれだけ人に優しくすれば二人の死は無駄にならない?どれだけ頑張れば私は価値のある人間になれる?父さんと母さんは神に嫌われたから死んだのか?そもそも顔も覚えていない人間のために私は生きるのか?ゴールが見えない暗闇のなかを走らされてる気分だった。それでも私は奇跡の子でいることに満足していた。…もしかすると、満足するように言い聞かせていただけかもな」
「それなら、なおさらどうして」
あなたは地位や名誉を捨てたの。耳には届かぬリィの問いをアンジーは鼻で笑いとばす。
「簡単な話だ。私は奇跡の子なんて大それたもんじゃなかったのさ」
「え?」
「私が生き残ったのは奇跡でも何でもない。二人が私を守ってくれていた。ただそれだけだ」
話の全貌が掴めないリィは困惑の表情を隠す様子もなく全面に出す。アンジーはその顔が愉快だったのか口の端を僅かに上げ、自身がなぜ崩落事故で生き残ったのか、その真実を知った時のことを話す。
「ゾイドやサクヤ、そしてイチ。あと先生もか。みんなが調べてくれたおかげでわかった。救出された時、私は両親が自分達の身体で作った小さな空間にいたらしい。骨が折れて肉がひしゃげても互いに支え合うようにして、二人は私を守り抜いた」
アンジーはその事実を愛おしむような柔らかな笑みを見せるが、その奥には覆せない死に対する悲しみがあった。
「私が生き残ったのは才能に溢れているからでも神に愛されているからでもない。自分の命を犠牲にしてまで、何者でもない私を守ってくれた二人がいたからだ。だから私は奇跡の子なんかじゃねえんだ」
「奇跡の子じゃないから、修道女をやめたの…?」
リィの問いにアンジーは「いいや」と小さく首を振る。
『なんでお前は神に愛されているのにそんなに不幸そうな顔をしてるんだ?』
奇跡の子。その自分を捨てるきっかけになったのは、イチのその一言だった。
イチ・アマノ。彼のことは教育係達が密かに話していたのを盗み聞き、知っていた。
神から一切の寵愛を受けられない『無職』の可能性がある少年。神に愛されているはずの自分とはまるで正反対ではないか。
それなのに彼は誰よりも笑っていた。それは周りにも伝播するように、彼の周りは呆れの声や叱るような怒鳴り声も多かったが、それ以上に笑い声で溢れていた。
それはとても楽し気で幸せそうだった。
ある時、いつものように羨まし気に外を見ていると、イチとサクヤに無理矢理連れ出され初めて裸足で野原を駆け回った。
風が背中を押し、足の裏が切れて痛みを覚えても構わず走った。何かにつまずき坂を転がった。止まるのが惜しいほど見事な転がりようだった。次第にそんな無様な自分が可笑しくって、自分から加速する。大口を開け大声で笑いながら下品に転げまわった。初めて心の底から笑えたような気がした。
笑うのに神の奇跡はいらなかった。
「修道女をやめたのは、まあ、やりたいことがあったからだ。別に神に愛されようが愛されまいが私は変わらねえよ。……もちろん。お前もサクヤもな」
リィは言葉を失った。
神に愛されなくても、勇者じゃなくても変わらないのなら今まで自分が執着していたのは一体何だと言うのだろう。
リィが茫然としていると部屋の外から複数の人物が階段を上る音が聞こえてくる。
「おーい、アンちゃんいる?」
サクヤの声だ。
リィは隠れる場所を探した。今まで彼女にしてきたことを考えると顔を見れない。そして何よりまだ自分は勇者としての彼女の背中をどこかに探している。こんなどっちつかずの心で会えるはずがなかった。しかし、何処を探しても目に映るのは紙と本の塔だけ。塔と言っても隠れるほどの大きさはもちろんない。足音はもうすぐそばまで迫っている。慌てながら右往左往するリィをじれったく思ったアンジーは彼女の肩を掴みベッドの上に転がし、布団を被せる。不自然な膨らみは自分の身体と足元に落ちているクッションで何とか誤魔化す。
「なんだいるじゃん」
寸前の所で偽装が間に合い、アンジーは何食わぬ顔でサクヤ達を迎える。
「急に押しかけて何か用か?」
「何か用かじゃねえだろ。あの伝言は何だ?」
「あん?チンピラ隊から聞いてねえのか?」
「聞いたから来たんだよ。俺とゾイドとお前の命をよくわからん大男が狙っているから三人固まって大人しくしとけって、はいそうですかって聞けるわけねえだろ。しかもお前はボロボロにやられてるって兵士の連中は言ってるし」
「どうして俺達の命が狙われている?勇者信者の仕業か?」
「わからん。わからんが、襲ってきたそいつはそういう組織には所属せず、個人的な逆恨みみたいなもんで動いている」
アンジーの返答にイチとゾイドは納得のいかない表情を見せるが、サクヤはそんなことはどうでもいいという風にアンジーへ詰め寄る。
「それで?どうして一人で動こうとしてるの?」
サクヤは珍しく怒りを露わにしていた。
アンジーが何者かに襲撃されたこともそうだが、そのことをアンジーがボロボロになりながらも一人で抱え込もうとしていたことにサクヤは腹を立てていた。アンジーは基本的に自分の喧嘩にサクヤ達を巻き込まないで、決着は自分でつけることを信条としている。今回もその延長だろうが、噂の大男はイチやゾイドも標的としている。そうとなれば、今回の騒ぎはアンジー一人だけの問題ではない。
自由の冒険団の問題だ。
サクヤの怒りにアンジーはうなだれるよう頭を下げると、顔色を窺うよう上目遣いで視線を送りくぐもった声で弁明する。
「…あいつに攻撃は通じねえ。恐らくあいつをどうにか出来るのは私だけだ。だから…お前らがやられねえか、心配だったんだよ」
アンジーの本音に三人は顔を見合わせるとため息をつきながらも口角を上げる。
「そういう時こそ四人でやる。いつもそうしてきただろ?」
「悪い。焦ってた」
「まだ聞きたいことはあるけど、ともかく、その大男をどうにか出来るのはお前だけなんだな?それじゃあ俺らはそいつをおびき出す。俺とゾイドを狙ってるなら向こうから出てくるだろ。それでお前が来るまで時間稼ぎしておく。だから、お前はその間に休んどけ」
どうして男には攻撃が効かないのか、どうしてそんな男に対抗できるのはアンジーだけなのか、疑問はまだあったが、イチ達三人はアンジーの言葉に全幅の信頼を寄せていた。
アンジーはその信頼をしかと受け止める。
「頼む」
「さて、それはそうとアンジー」
イチは笑顔を浮かべ近寄ると、表情を一変させ怒りを見せる。
「朝はよくも見捨ててくれたな!」
そこでアンジーは今朝、樽に頭を突っ込んだイチを放置していたことを思い出す。
「そういやそうだった…。それでどうした?あの後何かあったのか?」
「あったどころじゃねえ!俺がどれほどの辱めを受けたか…!」
「…知りたいようで知りたくねえな」
「この恨みはらさでおくべきか…!」
怨念と塊となったイチに対しアンジーは懐からあるものを取り出す。
「イチ、これを見ろ」
アンジーの手の中でコインがきらりと光る。
条件反射でイチの意識はコインに集中する。それを見たアンジーは窓の外へとコインを放り投げる。
「よしっ!取ってこい!」
「きゃいん!」
イチは今自分がいる場所が二階だということも忘れ、迷わず窓の向こう側に飛び出す。イチの姿はすぐにアンジー達の視界から消えてしまった。
そして鈍い音がしたのち。
「これ……おもちゃじゃねえかッ!」
イチの絶叫が轟いた。
「それじゃあイチの回収と時間稼ぎ、頼んだぜ。一つ言っておくが、奴の手の色が変わったら気をつけろ。毒を受けるぞ」
「毒も使うのか、そいつ」
「何にせよしっかり休みなよ。行こうかゾイド。じゃあ……アンちゃんのことよろしくね」
サクヤはアンジーの背後、布団のふくらみを見て言った。初めてあの希望の無い洞窟で出会った時と変わらない優しい声だった。サクヤは振り返ることなく部屋を出て行く。
「バレてたか」
アンジーが布団を捲るとリィはもう隠れる必要がないのに、身体を小さくして俯いたまま顔を上げようとしない。アンジーが指で突いてみたり、軽く揺すってみても、変わらず甲羅に籠った亀のようだ。
しびれを切らしたアンジーが「おい」と出した声は「なんで」とリィの震える声にかき消された。
「なんで私のことを言わないの。あなた達の命を狙ってる男が誰か。あなたもわかってるでしょ。あの人が、私の……」
父親。その言葉を口にすることがリィには出来なかった。あの人と自分の関係を知ればきっと彼女も。
徹底的に、嫌われれば軽蔑されればいっそのこと楽になれる。サクヤも自分から解放される。私だけがまた一人になればいい。リィは自暴自棄になるが、やはりその口は堅く閉ざされたままだった。村の皆が自分に向けたあの目、自分達とは違うと訴える目を思い出すと、彼女の心は石のように固まっていき、それは頭の先にまで波及する。
アンジーはここにはいない誰かに怯えるリィが心底気に食わないという風に顔をしかめる。
「あれがお前の身内だって言えば何か変わるのかよ。それにあいつはあいつ。お前はお前だろ。血が繋がってるだけで思考まで共有してんのか?だったらそりゃ人類の神秘ってやつだな、おい」
アンジーの言葉にリィは何の反応も示さず、また殻に籠ってしまったかのように動かない。アンジーはため息をつきじっとリィを見る。彼女の心の奥底に潜み、彼女の心を縛るそれは呪いと言ってもよかった。
彼女が背負う呪縛を解くのは魔法でも奇跡でもない。そのことをアンジーは知っている。
何かを決心したアンジーはリィの頭を掴み、無理矢理前を向かせる。少女の困惑した瞳は逃げる場所を探していた。しかしアンジーは決して逃さぬよう、両手で挟み込むようにその小さな頭を持つ。二人は見つめ合うような形になる。潤んだ眼に強固な意志を宿した眼が映る。
「野郎の所に行く時、お前も付いてこい。決着をつけに行くぞ」
その時どうして大人しく頷いたのかリィは自分でもわからなかった。




